第22話 砦発展
開設から1月後のアルトリウス砦
州都ルデニウムからやって来た伝令兵は手続きを終え、アルトリウス砦の南門をくぐってから見た光景に驚いた。
砦は西方帝国で最も一般的な正方形方のもので、東西南北に城門が設けられ、その城門同士を直線で結ぶ形で砦を北西、北東、南西、南東に4分割する軍道が走っている。
他と違うのは外壁と一体化して兵舎や倉庫、厩舎などが建設されていることと、主郭が北の城門と一体化している事であろう。
教練場は北東の区画を丸々使って設けられているが、それ以外の区画、本来兵舎や天幕などの軍事施設が建ち並ぶはずの場所には木造であるものの帝国風の3階建ての建物が建築されていた。
4区画の内3区画に設けられたその建物の棟数は多くないが、佇まいはまるで帝国の田舎にある小都市のようで、とても砦の内部とは思えないものであった。
砦の中心部分は開放的な空間となっており、南門を入ってすぐ左手の南西区画には宿泊施設と食堂、そして公衆浴場が設けられている。
南門の右側である南東区画には市場形式の商業施設と鍛冶を始めとする各種の工房があり、また北西区画にはディオスコロイ商会を始めとする帝国系の商店と官営商店が入っているようだ。
伝令兵はぽかんと呆けて、とても砦とは呼べないような不思議な小都市の佇まいを見せているアルトリウス砦を見回す。
本来防御重視で小さめに作られるはずの城門は、馬車が通り易いよう大きめに設えられており、また砦内は既に石畳で街路が舗装されている。
アルトリウスは衛生的な観点からゴミや汚物の放置や放擲を禁じ、集積させてから廃棄措置を取っている為に砦内は非常に奇麗であった。
街路はアルビオニウス人や帝国人が入り交じって歩き、馬車を操り、商売をし、物の売り買いや交渉を行っていて、ここが辺境の地の交易拠点である事を伺わせた。
また、街路に開けた食堂ではやはり同じようにアルビオニウス人や帝国人が分け隔て無く同じ場所で食事を取っている姿が見られ、伝令兵を驚かせる。
帝国風の穀物粥や野菜の煮物をアルビオニウス人の戦士が物珍しそうに匙でつつき、アルビオニウス風の野趣あふれる獣の丸焼きを帝国人商人達がおっかなびっくり大ぶりなナイフで切り分けている。
辻や門衛、交差点には帝国兵が歩哨を兼ねて交通整理に当たっており、街路における事故や混乱は生じていないので、人通りや馬車の通行量は非常に多いものの、特に立ち止まる事無く伝令兵は馬を曳いて北の主郭に到着する事が出来た。
平民の英雄アルトリウス。
噂は聞いていたが、まさかこの様な才能もあったとは驚きである。
彼の英雄は都市経営にも相当通じているのだろう。
戸惑いをどう処理して良いか分からない伝令兵にも、この都市が非常に良く出来ている事に気付く。
しかも見れば厳しく閉じられているのは帝国側の南門だけで、東西北の文はいずれも大きく開け放たれて、アルビオニウス人の往来を遮る者は居ない。
かろうじて門衛に兵士が就いているくらいである。
周辺の部族はわずか3日ほどで完成してしまった砦を模した都市を見て驚き慌て、アルトリウスの威力と本気を知って急遽使者を送り込んできているのだ。
周辺部族はこの砦を誰も砦とは考えていない。
アルビオニウスの南端で活躍した勇者アルトリウスが、新たに帝国風の都市を建設したと思っているのだ。
その為にここには各部族の代表者が連絡役として常駐し、アルトリウスもこれを受け入れて官営旅館にそれぞれ部屋を無償で宛がっている。
「こ、こんなことが……?」
アルビオニウス南部から西部、そして東部の各部族が行き交う街路を歩き、嫌悪感を露わにしながらも驚きを隠せない伝令兵。
そしてアルビオニウス各地の産物が集積している光景に目を見張る。
さすがに砦の形式である為、これ以上敷地の拡大は出来そうに無いが、早くも西と東の城門の外には、アルトリウス砦への入城待機場を兼ねた集落らしき物が、アルビオニウス人らの手によって形成されつつある。
周囲を驚愕の目で眺めつつ、街路を真っ直ぐ歩く伝令兵。
ずっと見えていた主郭の前に到着すると伝令兵はその主郭を見上げた。
木造ながら矢狭間や弩砲台が西方帝国の規定を超えて多数設置され、周囲に睨みを効かせている。
それを見た伝令兵には、ここがただの無防備な街もどきでは無い事が分かった。
おそらく戦いになればこの砦は相当な威力を発揮するだろう。
「何てことだ……」
思わず漏らす伝令兵の前に、主郭から百人隊長の房付き兜を被った厳い体格と顔の男が兵士を2名引き連れ、のっそりと現れた。
そして伝令兵が思わず漏らした言葉ににやりと良い笑みを浮かべると、その前に立ち止まって言う。
「ようこそ辺境都市アルトリウス砦へ、まあ歓迎するぜ!」
どしんとその百人隊長、カルドゥスの分厚い手が鎧の留め金が外れそうな勢いで伝令兵の背中を打つ。
「ごほっ、へ、辺境都市っ?」
余りの勢いにむせ返りつつも伝令兵が言葉を返した。
カルドゥスは連れてきた兵士に伝令兵の馬の手綱を取るよう指示すると、笑みを深くして言葉を継ぐ。
「おう、まあ見ての通りだぜ、よく確認していってくれや」
「は、はあ」
生真面目な伝令兵はアルトリウス砦の様子や佇まいに圧倒され、またカルドゥスの言葉の内容を理解するも常識が付いていかずに間抜けな返答をする。
それを見ていた兵士達が失笑し、カルドゥスは大笑いした。
「わはははは、まあ無理はねえ、俺も未だにこんな施策が通じてるって信じられねえんだからな!」
「そ、そうですか……」
戸惑いを隠せない伝令兵の背中をもう一度どやしつけ、カルドゥスは言った。
「これを仕掛けた張本人に会いに来たんだろ?まあ会えば分かるさ、まずはその隊長の所へ案内するぜ」
アルトリウス砦、主郭、司令官執務室
「隊長~伝令がきやしたぜ」
「おう、通してよいである!」
入室許可を求める気怠げなカルドゥスに、アルトリウスは元気良く答えた。
早速入室してきた伝令兵とカルドゥスを、アルトリウスは立ち上がって迎える。
「お役目ご苦労であるな、我がこの砦の隊長にして北西辺境担当司令官のガイウス・アルトリウスである……まあ座ると良いのである」
執務机の前にある、蛮族風の丸太をそのまま使った椅子を勧め、アルトリウスも自分の執務机に就く。
そして伝令兵が座るのを見てカルドゥスは黙礼してから退出した。
「あ、あの……」
「おう」
「そちらの方々は……?」
伝令兵が恐る恐る示したのは、アルトリウスの後方で仁王立ちしているイヴリンと、その横の座って何やら書いているシルヴィア。
更には別の机で書き物をしているレリアとメサリアに加えて、アルビオニウス人の男女数名が帝国の行政文書らしき物を作成している光景であった。
アルトリウスは別に事務所を設ける事無く、自分の執務室の一画に机や椅子を並べ、事務資料を集めているのである。
そこに輜重担当のメサリア、事務担当のロミリウス、そして補助役のレリアを集めて執務に当たっているのだが、何せ人手が足りない。
砦の運営だけならば然程の手間もかからないが、居間やアルトリウス砦は北西辺境に突如出現した帝国都市の様相を呈している。
アルビオニウスの部族商人やアルトリウスが勧誘した州都の商会、更には噂を聞付けた行商人が集まり、加えて帝国の優れた品物が安価で、しかも安全に手に入るとあって周辺の村々は元より遠隔地からも買い物に訪れる族民が絶えないのだ。
その管理や不正の取締り、けんかや盗難、食い逃げなどの犯罪取締りに加えて貨幣交換や市場形式の施設への出店許可など行政事務も行う必要がある。
アルトリウスの考えとしては建前は砦なので、税や入城金は取り立てない。
それに代わって施設の貸し出しや出店許可について手数料を徴収して管理費用を捻出すると同時に、野放図な入城と出店に対する一定の制限としたのだ。
ただ普通の税や入城金に比べれば遥かに安価なので、制限は緩い。
その結果アルトリウス砦は大いに栄える事となったのだった。
しかしそれに伴って事務負担は増大し、レリアやメサリアは夜も眠れないほど忙しくなってしまったので、アルトリウスは負担軽減の為にアルビオニウス人の事務官を雇っていたのだ。
伝令兵が見たのは正にその光景。
帝国の行政を蛮族が司っているという信じがたい光景だったのだ。
「おう、彼らは我が雇った臨時の秘書官である」
「ひ、秘書官っ?彼らは蛮族ではありませんか!」
アルトリウスの信じがたい言葉に思わず目を剥く伝令兵。
「このような事っ、最前線の砦で許されません!即刻退去させて下さい!」
「そうは言ってもなあ……もうこの様になってしまってからでは無理であろう」
「栄えある帝国軍のやり方ではありません!」
しかしアルトリウスは頓着した様子もなく、目を剥いて非難の言葉を継ぐ伝令兵に鼻くそをほじくりながら応じる。
そしてその鼻くそをぴんと指で弾いた。
狙い過たず、鼻くそは伝令兵の磨き抜かれた鎧の胸元にぴっちょりとひっついた。
「ぬ、くくく……こ、この件については報告致します!上層部からは砦内部よりの蛮族排除、砦の正常化などの命令が下されるでしょう!」
上官の所行に正面切って文句を言う事も出来ず、鼻くそを悔しそうに見つめつつ伝令兵が捨て台詞を吐いた。
しかし新たな鼻くそを求めたアルトリウスは、自分の花の形が変わるほど奥へ指を突っ込むと、ようやく粒を探し当てて満足そうに笑みを浮かべる。
そして粒を逃さぬよう鼻からゆっくり指を引き抜くアルトリウス。
その指の先には黒い特大の鼻くそがあった。
後の展開を予想してあからさまに顔を引き攣らせる伝令兵を余所に、アルトリウスはゆっくりと鼻くそを捏ねながら言う。
「ああ、宜しく頼むのである。まあ特に報告したところで我はやり方を変えるつもりは無いのであるから、それはあらかじめ言っておくのである」
そしてずるりと伝令兵の磨き抜かれた兜に鼻くそを擦りつけた。
顔を真っ赤にしてぷるぷると身を震わせ、伝令兵が歯を食いしばっているが、アルトリウスは意に介さず言葉を継ぐ。
「ま、その鼻くそがこの件に関する我の返答であるな」
「ま、まだ本来の任務である命令伝達が終わっておりませんッ……!」
アルトリウス砦の様子や内情を探る事も仕事の1つであるが、それは裏の仕事。
伝令兵として、州都からの命令をアルトリウスに伝えるのが本来の彼の役目である。
怒りを押し殺して伝令兵は懐から書簡を取り出し、無言で乱暴にそれをアルトリウスに突き出した。
アルトリウスは片眉を上げるとその書簡を受け取り、直ぐさま開く。
そしてその内容を一読して理解すると、顔を顰めて疑問の言葉を発した。
「公金の保管……公金を必要としないこの様な場末の砦に何故であるか?」
「ふん……質問に回答するよう命じられておりません」
「あ~回りくどいであるなあ……まあ要するに答える必要は認めんと言う事であるな?」
「そうです」
訳知り顔の伝令兵にアルトリウスは不審感を募らせるが、既に命令は発せられ、しかもここアルトリウス砦に税銀を運び込むべく公務船が北上中であると書簡には記されている。
中止を意見具申しても、命令遂行不可を言い立てても無駄だろう。
既に何者か、恐らくは貴族派貴族の者達が何かを画策しての事に違いなく、その意図は透けて見えるが今は何も出来ない。
アルトリウス自身の保身を考えれば、最も良いのは公務船が航海途中に海賊などに襲われて積み荷を奪われてしまうことだ。
しかしながら帝国市民が汗水垂らして稼いだ金の幾ばくかを割き、帝国の為にと納めた税銀をその様な輩に奪われる事は許し難いものがある。
それに画策した者達にその辺について抜かりがあると思えない。
人を陥れる事に長け、それのみを磨いて勢力争いに生き残ってきたような連中である。
おそらく何らかの有効な手を打っていると見て良いだろう。
公金をこの砦に運ばせ、保管する事の意味は何だ?
アルトリウスは黙考する。
そしてすぐに答えを出した。
自分に公金喪失の責任を問い、罷免若しくは処刑する事。
若しくは公金を横領しようとしたとして同様に罷免若しくは処刑する事だろう。
おそらく公金保管の命令もどこかで無かった事になる。
そして残るのはアルトリウスが公金を奪った、若しくは失ったという事実だけという筋書き。
そこまで思い至り、アルトリウスは不敵な笑みを浮かべて伝令兵を見る。
その迫力ある笑顔に気圧された伝令兵が一歩後退した。
「な、何でしょうか……」
「受けて立ってやろうでは無いか」
「どういう意味でしょうか?本官には理解しかねます」
アルトリウスの言葉をはぐらかす伝令兵。
なぜこの様な辺境の地で伝令兵などやっているのか分からないが、彼も何らかの形で貴族に連なる者か、若しくは利害を持つ者なのだろう。
アルトリウスは伝令兵のはぐらかしを気にせず、言葉を継ぐ。
「おう、まあそう言う事である」
「……了解しました」
伝令兵はアルトリウスの返答を聞いて踵を返した。
州都では彼の帰りを待つ者が居る。
早くアルトリウスの叩き付けてきた挑戦状と、その意志を明らかにせねばなるまい。
伝令兵は主郭の構造や報告すべき多種の事柄を考えつつ、帰還の手続きをするのであった。
 




