第20話 砦始動
アルトリウス砦主郭、司令官執務室
司令官執務室と汚い字で書かれた木切れが打ち付けられた部屋。
未だ内装工事の続く木造の廊下を通り、レリアがその部屋の前にやって来た。
アルトリウスから呼び出されていたレリアは、そこで向かい側からやって来る黒髪の小柄な帝国人女性と鉢合わせる。
「あ、メサリアさん?」
「レリア嬢?」
アルトリウスから同時に呼ばれているとは互いに思わなかったようで、レリア同様メサリアも不思議そうにこちらを眺めている。
「おう、何をしているのであるか?」
「アルトリウスさん」
「あ、アルトリウス隊長……」
そこへいつもの鎧姿でアルトリウスがやって来た。
そして部屋の前で顔を見合わせている2人を怪訝そうな顔で見る。
腰には剣の代わりに金槌が差されており、手には釘箱がある。
またどこかの作業を手伝いに行っていたのだろう。
アルトリウスはそのまま先に部屋へ入ると、2人を手招いた。
「むさ苦しい所であるが、まあ入ってくれである」
主郭の一番上階に設けられた司令官執務室。
未だ剥き出しの木材がそのままの室内。
調度品も最低限度、余った木材や端材を組み合わせて作られた棚や桶があるぐらいで、桶の内半分ぐらいには蓋があって中に消火用の水が入っている。
西方帝国中に数多ある砦でも、1、2を争う粗末さであり、最近は優雅さを求める帝国軍の司令官からは忌避される造りであるが、アルトリウスは全く気にしていない。
「一線の雰囲気がでているであろう?」
むしろやって来た2人に向かってにやりと笑みを浮かべつつそう言う程である。
アルトリウスは来客用のこれまた粗末な椅子に敷布を敷いて2人に着席を促した。
そして大工道具を棚の1つへ丁寧にしまうと、その棚の別の段から紙束を幾つか取り、部屋の中央に据えられているよく言えば周囲に合致した木製の粗末な執務机に座る。
アルトリウスはその紙を開きつつ徐に口を開いた。
「2人を呼んだのは他でも無い、我が統治を任された3か村のことである」
「振興策ですか?」
「如何にも」
視察に同行したレリアが問うと、アルトリウスは重々しく頷いた後に、にっと笑って言葉を継ぐ。
「不本意ながら領地を与えられた訳であるので、開拓領で司令官と兼務であるが、これで我も貴族であるなっ」
西方帝国の制度上領地を与えられるのは貴族のみである。
しかも現在は貴族派貴族という一大派閥になって地位を独占している。
この貴族達はかつて地方統治を任された高官や、大功を立てた貴族や高官、更には降伏した国の王族などが任じられており、新規に領地持ちの貴族になる者はほとんどいない。
僅かに領地持ち貴族の子弟が分家を立てる際になるくらいで、アルトリウスの様に帝国新領の代官と兼務であろうとも貴族に任じられる事は例外中の例外である。
「まあ、あほな貴族派貴族からすれば面白くない事であろう」
粗末な椅子に背を預けてふんぞり返り、偉ぶりながら、ふふふんと得意げに鼻で笑うアルトリウスに、メサリアとレリアも互いの顔を見合わせて苦笑する。
アルトリウスは笑顔のままメサリアに顔を向けて口を開いた。
「それで……である、振興策であるが~メサリア、補助兵雇用予算は幾ら程与えられているのであるか?」
「あ、はい。予算としては特に……アルトリウス隊は補助兵を100名まで雇えることになっています」
アルトリウスの問いにメサリアはすらりと答える。
アルトリウスはその回答を聞いてから少し考え、レリアに指示を下した。
「そうであるか……では3か村の規模はそう変わらんであるから、族長の村から40名、後の村から30名ずつ雇うことにするのである」
「分かりました」
「いきなり決めてしまって良いのですか?もっと強力な部族戦士を選んだ方が良いのではありませんか……?」
素直に頷いたレリアに対し、メサリアが不安そうに眉根を寄せる。
アルトリウス統治下の3か村はどれも貧窮しており、また余り強い戦士や特殊な兵科を持っている訳でも無い、ごく平凡な蛮族の村であり、その村の部族戦士である。
しかしアルトリウスは首を左右に振っていった。
「違う違う、これは戦いの為の雇用では無い」
「え?」
驚くメサリアへアルトリウスは得意げに言葉を継ぐ。
「貧窮している村々は最低限の生活を保障してやらなければならないのである。そのためには村へ金銭を回さなければならないので、補助兵の給与という形で村々へ金を回してやるのである」
「は、はあ……」
「仕事は別に戦士の仕事で無くとも良い、砦の外回りの巡回警備や街道敷設も立派な仕事である」
驚くメサリアにアルトリウスは更に言った。
しかしメサリアは少ししてから首を捻って言う。
「それでは別の予算で工事の実施を申請して人夫を雇えば良いのではありませんか?」
「それもやるのであるが、一時的な工事では作業が終われば給金も終わりであるからな。しかも我の領地は狭いであるから、工事はすぐに終わってしまうのである。村々が今の貧窮から脱するにはもう少し継続的な援助が必要である」
アルトリウスはメサリアにそう答え、更に感心してしきりに頷いているメサリアへ言葉を継いだ。
「それに……ここは最前線である。いつまでも悠長に街道敷設や村落建設をしていられないであろう。まあそれ故にこの砦も最速で造営したのである」
その後、メサリアとレリアはアルトリウスの指示を受けて動き出す。
メサリアは補助兵の雇用予算の申請を行う為、一旦ガストルク城塞へ向かい、レリアは護衛にイヴリンを伴って村を回るのだ。
その途中、廊下でメサリアがレリアに話しかけた。
「あんな方法、私は思い付かなかったわ」
「それは私もです」
悩ましげに言ったメサリアへレリアが微笑んで答える。
メサリアはレリアが西方帝国風の教育を受けていることを知っており、今までも砦の造営予算申請の作成や計画書類の作成などを手伝って貰っていることもあって知っていた。
今やこの蛮族の貴族令嬢はメサリアの良き補佐役なのだ。
「アルトリウス将軍は私たちが見えない物が見えるようですね」
「見えない物が見えると言うのには納得だけれども……将軍?」
レリアの言葉に同意しつつも、アルトリウスの敬称に引っかかりを覚えたメサリアが問い返すと、レリアは笑みを深くして返事をした。
「はい」
「アルトリウス隊長は辺境担当司令官ではあるけれども、将軍では無いわよ?」
帝国風の教育を受けているレリアがその違いを知らないとも思えなかったものの、メサリアは一応訂正を試みる。
するとレリアは楽しそうに笑ってから言葉を発した。
「それは承知しています。ただ、辺境での活躍がアルビオニウスの各部族に知れ渡りまして、今は部族の民は皆アルトリウスさんのことを“アルトリウス将軍”と呼んでいるのですよ」
「それは……誤算ね。アルトリウス隊長は自分の活躍を余り帝国の上層部に知られたくないみたいだったけど、無理かも知れないわ」
額に手をやり呻く様に言ったメサリアへ、今度はレリアが問いを発する。
「アルトリウスさんが報告はしない様にお願いしたのではありませんでしたか?」
「それは何とか間に合ったのだけど……これじゃ軍から報告が無くても商人や市民から噂話として伝わってしまうわ」
「まあそれは……部族の民も帝国と交易していますし」
メサリアの答えに、レリアも眉根を寄せて言う。
蛮族とは言えアルビオニウスの族民達は西方帝国と交易もしているし、補助兵として雇われて西方帝国内の各地にも派遣されている。
その族民達から噂話や自慢話、はたまた滑稽な話としてアルトリウスの情報が西方帝国内に流布してしまうのは確実であろう。
「今度は報告しなかった事についての言い訳を考えなければいけないかも知れないわね」
「そうですね」
メサリアが渋い顔ながらもその手間を嫌がる素振りなく言うと、レリアはおかしそうに答えるのだった。
北西属州州都、ルデニウム・港湾区
「え?税銀を辺境の砦へ運ぶんですか?」
「そうだ。アルトリウス隊長という平民隊長が最近造営した砦へ運ぶんだ」
帝国本土から到着したばかりの公務船。
その大きな3段櫂船が停泊している埠頭へ州都の高位官吏がやって来て、公務船の船長に伝送石通信で送られてきた命令書を手渡しながらぞんざいに言った。
公務船は西方帝国各地で徴収された税、主に銀貨であるが、これを収集しながら帝都へと向かうのである。
帝国海軍の警護戦艦に厳しく護衛され、セトリア内海やオラニア海を航行して各地の税銀を集めて回るので、市民からは“帝都の収奪船”と揶揄されることもある。
しかしこの船に勤務するのは生半なことではない。
厳しい選別と訓練を経た海軍兵士の中から、特に選抜された精鋭中の精鋭が乗り組むのである。
しかし官吏達は彼らのことをただの運びや程度にしか考えて居らず、船長の懸念にも気がつかない。
手にした命令書には、西方帝国本土西部の属州全ての税銀を一旦アルトリウス北西辺境担当司令官の造営した砦に収容する事、とされている。
まず、税銀の移送理由が分からない。
本来であれば帝都へ迅速に搬送すべき税銀を、州都や寄港地では無く北西の一辺境地でしかも情勢の不安定な場所へ、加えて新造された高位将官でも無い司令官の治める砦へ運べというのだ。
しかも移送理由は一時保管とだけあり、その先は明らかにされていない。
特段その税銀を流用して砦の造営の補助に当てるとか、地域の開発に充てるとかいう話しでも無いのだ。
不審を感じない方がおかしい。
しかも公務船が収集してきた税銀を一旦全てここルデニウムに降ろし、北西属州で収集された税銀だけを持って行けというのだ。
これは何か裏がある。
しばらく命令を持ってきた官吏をじっと見つめていた船長だったが、一向に気がつく雰囲気が無いので諦めて自分の感じている懸念をため息と共に言葉にした。
「海賊や蛮族の跳梁が激しい場所へ、この公務船を使って税銀を運び込む理由が分かりません。できれば一般船舶を雇用するか、海軍艦隊に任務依頼をした方が安全であると思われますが……」
「その様な時間は無い。事は一刻を争うのだ……しかもこれは西方帝国の貴族であるルシーリウス卿や、帝国軍総司令官のレンドゥス閣下が後押しされている」
予想外の答えが返ってきたことに、公務船の船長は驚くが、生真面目な彼は食い下がる。
「しかしこの命令書には今官吏殿が仰った様な方々の名前や署名はありません」
「……君も察しの悪い男だなあ、その辺は説明しなくても分かるだろう?」
「いえ、分かりかねます」
高官の言葉で、何となくその言わんとする所を察した船長であったけれども、敢えてそう言ってみる。
すると高官はいきなり顔を真っ赤にして怒り始めた。
「き、き、君は!もういい加減にしたまえっ!」
「はあ、何をですか?」
「くっ、こ、これ以上まだ私に話しをさせるつもりなのかね!」
もう少し察しの悪い男を演じることにした船長は、如何にも何も分かりませんという風を装って生返事を返し、肩をすくめる。
船長が煮え切らない態度を取るたびに怒りをこじらせ、ますますいきり立つ高官。
命令書を手にしたまま所在なさげにしていると、高官はいきり立ったまま言う。
「良いから君は言われたとおり税銀を運びたまえ!後の事は関知しなくとも良い!」
「そう仰いましても、部下の命が掛かる様な危険な場所へ行くんですから、きっちりとした情報は戴きませんと……この命令について帝都へ問い合わせてからでも良いですが」
「そんな時間は無い!」
「こちらは時間に拘りませんが……」
「それでは間に合わないのだ!」
ぎりぎりと歯を食いしばり、拳を握りしめて怒りを堪える高官。
怒っても船長が動くと言わなければ公務船は動かない。
これは税を取り扱う公務船の特殊性を鑑み、税収後帝都への回航以外の付帯命令については船長に拒否権が付与されているからである。
高官が貴族や総司令官の名を上げて脅しつけても、命令書に正式な皇帝印が無い限り、公務船にとってそれは付帯命令なので拒否権を行使できる。
船長が帝都に問い合わせると言っているのは最大限の譲歩であり、ここでこの命令を拒否されれば計画が頓挫する。
それに帝都のルシーリウス卿やレンドゥス司令官は問い合わせられれば知らないと答えるだろう、責任を問われないよう自分達の名前が出ない工夫をしているのだ。
高官は焦る、このままでは自分のみならず一族諸共ルシーリウス卿に抹殺されてしまう。
「ア、アルトリウス司令官とやらが砦を造営したばかりの今が1番の好機なんだ!海賊どもには話しを通してあるっ!君や君の部下達に危険は及ばない!」
一旦目を瞑った後、高官は観念して裏事情を船長に話した。
どのみちこの命令が失敗すれば自分の命は無いのだ。
「確証はあるんですか?」
「ぐっ、わ、分かったっ、私も同行する!但し!拒否すれば君も無事では済まないぞ!」
高官はどうやらアルトリウス司令官を失脚させたい勢力の下っ端の様だ。
税銀搬送後の手段は不明だが、先程出た名前からもこれ以上ごねるのは得策では無い。
「……命令は承りました。まあ私も家族や部下はもとより自分の命も大事ですからね」
 




