第19話 アルトリウス砦造営
アルトリウス砦(予定地)
見渡す限り深い森の続く丘陵地。
あちこちに杣人や山人がたまに利用する為に掛けた小屋があるが、もうしばらく使われた形跡も無く荒れ果てており、この周囲に人の気配が無い事を示している。
目的地である小高い丘の頂上には清らかな湧き水があり、小さな流れを作っている。
それを見たアルトリウスが目を細めた。
「ほう、水もあるのか、これは助かるのである」
「他の場所は水の確保が困難でしたので、この場所に決めました」
アルトリウスの感嘆の言葉に、道案内役を兼ねているロミリウスは薄く笑みを浮かべて答える。
ロミリウスが測量を終えた後、この場所からガストルク城塞まで道路代わりにと、木を伐り、石を避けて土を簡単に踏み固めた物を作っていたので、迷う事も無く到着したアルトリウス隊と城塞兵合わせて400名。
その後ろには山の様な砦造営用の資材を積載した荷馬車の群れがある。
到着した兵士は、順次のこぎりや斧を使って周囲の開削作業に取りかかっており、少しずつ広がる平地へ荷馬車が駐車し、資材や工具、武具や食料などの生活用品を別の兵士達が汗を流して降ろしていた。
ロミリウスと共にこの場所を測量に訪れていた兵士達は、その際に付けた石や岩、切り株の目印を元に縄を張り、測量結果を記した羊皮紙を手に別の兵士達を指揮して基礎作りに取りかかる。
降ろされた工具を使って切り株が掘り起こされ、伐られた木は整えられて一カ所にまとめられ、更に刈られた下草や落とされた枝葉は蔓で束ねられていく。
時折切り株を掘り起こした際にムカデや蛇が飛び出し、また枝葉についた毛虫が兵士達を驚かせているようだが、それ以外は順調に、そして速やかに進む。
その光景を満足げに眺めながらアルトリウスは後ろに従ってきたロミリウスやカルドゥス、メサリアら帝国軍の将官達を振り返り、更に個別に雇用していることになっているレリアやイヴリン、シルヴィアを見て言った。
「いよいよである!」
周囲は未だ深い森である為に地形が分かり難いものの、今アルトリウスの佇む場所は周囲から一段高くなっており、その西と北には北西方向に向かって流れる川があることは知れていた。
その2つの川は合流し、更に北西方向で大きめの川へと流れ込むのだが、この川達はアルトリウスの考える砦の防衛体制に組み込まれることになっているものの、差し当たっては砦本体を造営しないことには始まらない。
加えて資材を搬入するにしてもまずは搬入路を建設しないことには荷馬車が通れないのだが、正式な街道を敷設するにはそれなりの時間と金が掛かる。
しかしアルトリウスは奇策に打って出た。
「時間を掛けてきっちり街道など作っている暇は無い、出来るだけ敵性勢力の介入を防ぎ、帝国側からの嫌がらせに対抗するには拙速を尊ぶのである」
そう言うとアルトリウスは荷馬車の車幅に合わせてロミリウスの作った道もどきを道すがら整備し直し、車輪の幅だけ石や砂利を敷いて荷馬車を強引に通した。
砂利や石は砦造営用の物から転用して賄い、不足分はガストルク城塞から補充して貰うことにしている。
元々帝国の荷馬車は車輪の幅が規格化されている為に可能であった事だが、2本の線が走るかの様な道路整備に兵士は戸惑い驚く。
隊列の先頭に道路整備用の資材や工具を満載した荷馬車を並べ、戸惑いながらもアルトリウスの指示通り車輪の幅に合わせて溝を掘りつつその上に石や砂利を放り込む兵士達。
しかしその効果は絶大で、ロミリウスの付けた道以外に何も無かった場所を、後方に続く荷馬車は難なく走破することが出来たのである。
アルトリウスは円匙を振るって自分も道路整備に参加し、人海戦術で昼も夜も兵士を交代させては2本線の道を作り続け、そのまま砦造営の予定地へとなだれ込んだ。
食事は固く焼かれたビスケットと水のみだが、それまで十分休養して体力を付けていた兵士達はこの激務を何とかこなすことが出来たのである。
そしてアルトリウス隊は休む間もなく砦の造営へと取りかかった。
「身体がキツイのは分かっているが今こそ正念場っ、踏ん張りどころであるぞ!」
そう言うとアルトリウスは道路整備ですっかり手になじんだ円匙を振りかざし、整地に取りかかった兵士の一団に混じって働き始める。
体力には自信のあるカルドゥスもこれには目を丸くし、切り株を早速掘り返しに掛かるアルトリウスを見て唖然としていたが、はっと我に返る。
そして自分の後ろでさっきまでの自分と同じように唖然としてアルトリウスの働く姿を見ていた兵士達をどやしつけた。
「おらあ!アルトリウス隊長が働いてんだ!ぼさっと見てんじゃねえっ!」
「「「はっ!」」」
斧を担いだまま拳を振り上げて怒声を放ったカルドゥスに、兵士達が雷に打たれたかの様に一瞬硬直した後、一斉に動き出す。
カルドゥスは斧を手にした一団を率いて木々の伐採を手伝いに入り、別の兵士達は円匙やツルハシを持って整地と切り株の掘り返しを手伝うべく駆け出す。
鍬と鋤を持った兵士達は、切り株を取り除いた場所へ走って整地に入る。
体格がよく、力自慢の兵士達は荷馬車から降ろされた石材をモッコで運び始めるが、既に番号が付された基礎石材は、ロミリウスら測量役の兵士達の指示によって次々と所定の場所へと運ばれていく。
見る見る内に砦が造営されていく。
既にきちりとした設計図の元に作成されていた木材や石材は、ロミリウスの測量によって微調整を施されては所定の場所へと設置されてゆく。
そして予定地到着から数刻後、夕闇が訪れる頃には既に大まかな砦の形が出来上がり始めたのだ。
アルトリウスが構想し、ロミリウスが測量の元に作り上げた図面は、西方帝国が規格化している正方形の砦とは少し様相を異にする。
更に言えば形は正方形だが、規格より大きく、また弩砲台や弩台を増やし、加えて規格には無い空堀や土塁を設けているのだ。
またアルトリウスの要望で砦の主郭は北の城門に接するように設計されており、砦の中央部は湧水を基礎にした噴水や広場が設けられ、本来は天幕で作られる兵舎も木造で作られることになっている。
外壁や主郭は木材で作られるが、その後は徐々に石材へと転換していく予定である。
ただ帝国軍から与えられた砦用の資材だけでは、アルトリウスが構想した砦は実現できないので、現在予定地近辺に生えている木々や、存在する石材も余すこと無く有効活用しなければならないのだ。
そのために整地が済んだ所で特に何も建設する予定の無い場所では、比較的手すきの兵士達が製材作業や石材の成形を行う。
「頑張れ!ここが踏ん張りどころであるっ」
全員が強行軍で体力的に限界を感じているはずだが、アルトリウスが率先して動き回り、兵士を激励し、作業を手伝うので兵士達の顔は皆明るい。
アルトリウスが激励し、立ち去った基礎工事現場では兵士達が話していた。
「まあ、きついっちゃあきついが……やり甲斐があるな」
「全くだっ……命令だけして後は何もやらねえ司令官じゃやる気もでねえが、アルトリウス隊長はちがうからなあ」
「おう、しかも力があるから手伝って貰うと作業が捗るぜ」
最後に言葉を発した兵士は、別の場所で作業を手伝っているアルトリウスの背中を頼もしそうに見て言葉を継ぐ。
「……頑張ってる所と怠けてる所には必ず行くんだよな」
「ああ、なんで分かるのかねえ?」
別の兵士が土を放り投げて言うと、その兵士が答える。
「まあ、見てるからだろ?」
「そうだが……まあ、そうだな」
「今まで俺たちをそこまで見てくれる司令官は居なかったけどな」
その兵士の言葉を聞いて、最初に言葉を発した兵士が言った。
「ははっ、違いない。だから頑張ろうって気にもなる」
その言葉にその場で働く兵士達全員が黙って頷き、身体に力を込める。
力一杯溝を掘り、持ち込まれた礎石を組んで埋める。
しばらくそうやって黙々と働いていると、アルトリウスが再びやって来た。
「おう、頑張っているであるな、パウルス十人隊!」
「えっ?」
アルトリウスの言葉に驚くパウルス十人隊の面々。
まさか200人の小所帯とはいえ、自分達のことを知っているとは思わなかったのだ。
思わず声を上げてしまう隊員の1人に顔を向け、アルトリウスが不思議そうに言う。
「んんっ?どうして驚いているであるかセクストゥス?」
「ど、どうして俺達の名を?」
更に驚くパウルス十人隊隊長に、アルトリウスはにやりと不敵な笑みを浮かべて答えた。
「ああん?自分の隊員である、名前ぐらい覚えていて当然であろうパウルス、お前は自分の隊員の名前を知らんのであるか?」
「い、いえ、それは知っていますが……」
十人隊の隊員は当然僅か10名である。
名前など覚えるまでもなく頭に入るし、実際に肩を並べて戦う兵士同士、逆に覚えない方がおかしいが、これが隊長ともなれば事情が変わってくる。
百人隊長で100名の部下、まあこれくらいであれば何とか覚えられるかも知れないが、それでも普段から接することの無い兵士の名をぱっと即座に思い出せるかと言えば、なかなか難しいはずだ。
ましてやアルトリウスは辺境担当司令官として200名を率いており、ここの兵士達と直接接する機会はほとんど無かったはずなのだ。
まあ、近衛兵であったパウルス達を採用するに当たって拳を交えた者もパウルス十人隊には居る。
だが、逆に言えばそれだけである。
割合兵士達にマメに声を掛け、その健康状態や士気、疲労や心労にも気配りをしてくれる良い司令官ではあるが、流石に兵士の名を全て覚えているとは誰も思っていない。
しかしアルトリウスはパウルスから視線を外すと、期待や緊張からどきどきして自分を見ている兵士達の顔を順に見ながらその氏名を呼んでいく。
「隊長が部下のことを知っているのは当然では無いか。そうであろう?セクストゥス、プリムス、セスティウス、ラルース、マリウス、プブリリウス、フォムス、カッティウス、ヘリオス」
アルトリウスの言葉に絶句する隊員達。
まさか本当に兵士達全員の名を覚えているというのか?
自分達はそれほどアルトリウスに強い印象を与えた覚えはないし、今まで目覚ましい働きを見せた訳でも無い。
そう言った活躍の場が無かったのはどの隊員達も同じだろうが、それでもアルトリウスに名を覚えられる程のことは何もしていないのは確かなのだ。
その自分達のことを知っていると言う事は、ひょっとして……本当に隊員全員の名を覚えているのかもしれない。
兵士達が呆然としてそんな事を考えつつ手を止めてしまっていると、円匙を担いだアルトリウスの物言いたげな視線が送られた。
「で……我は何を手伝えばいいのであるか?」
その言葉を聞いて、パウルス十人隊の兵士達は慌てて作業を再開する。
その姿を見たアルトリウスは、愉快そうに大声で笑いながら、パウルス十人隊の兵士達が礎石を設置するべく掘り進めている地面に、担いでいた円匙を構えて地面に突き立てるのだった。
予定地到着から3日後、アルトリウス砦、主郭
早くもアルトリウス砦は完成していた。
普通であれば測量を行い、その後資材を決定して調達し、現場へ運んでから成形や製材を行うのが西方帝国の砦造営や野営地造りの基本である。
資材や石材は現地調達することも珍しく無いが、今回アルトリウスははるばる帝都から資材や工具を持ち込み、ルデニウムで不足分を調達し、更にはガストルク城塞で製材と成形を行ってから現場へと持ち込んだ。
そのため現場では資材や石材の調整や組み立てのみで事が足り、大幅な時間短縮となった訳であるが、それ以上に兵士達の献身的な働きが大きい。
レーダーから借り受けた兵士達も帰還すること無くアルトリウス隊の砦造営を手伝ってくれたので、昼夜を分かたず働き続けた甲斐もあって砦はわずか3日で完成したのだ。
しっかりと基礎を造り、その上に固い西方帝国本土製の樫の木を使って作られた大きめの外郭に、北側の門と一体化した主郭。
外郭を囲む土塁と空堀、そして鹿裁に外郭の四角に設けられた塔。
砦の内部は平石が敷かれ、外郭と一体化した兵舎や庁舎、倉庫の出入り口がある。
主郭の上には、西方帝国の国旗が緩い風にはためいていた。
内装や湧水の噴水化はこれから行われる為、未だ工事中。
最終的には全建築物を石材にて建設することが決まっていて、そのための準備が進められており、早くも城門の一部は石材を積み上げ始めている。
アルトリウスは骨組みだけの階段を上り、西方帝国旗のはためく主郭の屋上へと登った。
小高い丘の上に立てられたアルトリウス砦の北側は、見渡す限りの森林。
周囲を切り開いてはいるがその範囲はまだ小さく、砦はまるで木々の海に出来た島の様な風情である。
掘り返した土や切り倒された木々の香りに混じって、腐敗防止に製材を焦がすために焚かれている火の煙の匂いが辺りにうっすらと漂っていた。
兵士も指揮官も全員が倒れる寸前まで疲労を溜めていたが、砦完成の高揚感がその疲れを一時的に霧散させているようで、誰も休憩する素振りが無い。
兵士達は未だ未完成部分に取り付いて作業を続行中であるし、ロミリウスやカルドゥスも現場指揮に忙しい。
一旦レーダーから借り受けた兵士や荷馬車と共にガストルク城塞へ戻り、不足した資材や今後の砦を改修する為の石材調達の役目を負っているメサリアも、現状把握に忙しい。
少し強い風が吹き、周囲の匂いを一変させた所でアルトリウスは今後の展望を考える。
差し当たっては支配下に入った村々と、ガストルク城塞との連絡路を建設すること、加えてその村々の富強策であろう。
それと同時に、砦自体やその周辺の開発を進める必要があるだろう。
「まだまだこれからやることは多いであるな!」
ほぼ完成した砦と忙しく働き続ける兵士達を見て、アルトリウスはそう言うと満足そうな笑みを浮かべ、マントを翻しつつ主郭の屋上を後にする。
今度こそは何かを成そう……今度こそは、ここに何か良き物を遺そう。
一旦歩みを止め、ちらりと背後の森林を見てから、アルトリウスは白の聖剣の柄を強く握り、決意も新たに階下へと向かうのだった。




