第10話 事前準備
ガストルク城塞、中庭
アルトリウスは書類の遣り取りや手紙の手配を終えると、レリアとイヴリンを部屋に置いて一旦中庭へとやって来た。
次の策の進捗状況を確認する為だ。
中庭ではアルトリウスの指示通り、隊の中でも特に優れた建築技能や技師技能を持っている者達30名が選抜されており、その格好は既に族民や近隣農民と何ら変わらないものとなっている。
その姿とは鎧兜と帝国風の半袖貫頭衣とサンダルに代わって、長袖の貫頭衣にズボン履き、足下は革の長靴で固めるというもので、正に一般的なアルビオニウス人の服装に他ならない。
尤もアルビオニウス人にしては小柄で目や髪の色も全体に黒みがかっており、間近で見られればその正体はすぐに分かってしまう。
しかし遠目には帝国軍団兵とは分からないだろう。
アルトリウスはその集団の先頭に居る男へ声を掛けた。
「おう、準備出来たであるか?」
「はい、万端です」
この一隊を率いるのはその先頭の男、百人隊長ロミリウスである。
ロミリウス自身も街道敷設や設計に長けていることは言うまでも無い。
30名の兵士達は縄や水準器、測量標識などの測量機器を革袋や藁束などでそれと分からないよう擬装して持ち、武装は短剣のみと最小限度に留めていた。
「では周囲の者共に気取られぬように十分注意するのであるぞ」
「はい、帝国人とアルビオニウス人の両方に悟られぬように致します。ご安心ください」
自分の意図を十分汲んで敬礼しているロミリウスの回答に、アルトリウスは満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
ロミリウス達はこれから難しい任務を果たすべく、アルトリウスの見立てたとりで造営場所の下見や測量を行うのである。
何時の間に情報を仕入れたのか、3箇所の場所を選定していたアルトリウス。
これからその選定場所について、ロミリウス達が専門知識に基づいて、取水、排水、地盤、交通、防御、物資取得など様々な面から判定し、基礎的な情報収集と測量を行うのだ。
「では……」
「うむ、頼むである」
ロミリウス率いる兵士達が東門から出発し、その見送りを終えたアルトリウスは中庭に戻り、州都ルデニウムで調達してここへ持参した建築資材を加工している現場へ激励に現れた。
ここでは現在国境警備隊の兵士達の手を借りて、アルトリウス隊が帝都より持参した工具や砦の備え付けの大工道具を借りて木材を削り、石材を割り整えている。
さながらもう一つ砦を作らんばかりの勢いと喧騒に、アルトリウスは再び満足そうな笑みを浮かべた。
「お、隊長!見回りですかい?」
そんなアルトリウスに声を掛けたのは、もう1人の百人隊長であるカルドゥスである。
「うむ……なかなか順調なようであるな」
「へい、お陰様でレーダー隊長代行の協力もありますんで、作業は予定より相当捗っておりますぜ」
アルトリウスの問い掛けに、カルドゥスも笑みを浮かべて応じる。
その2人の視線の先には、協力して木を切りつつ形を整え、更には成形した石材を荷馬車へと積み上げていく兵士達の姿があった。
同時に砦に補修用として備蓄されていたセメントも多数搬出され、その石材の隣に大きな麻袋に詰められてどんどん積み込まれていく。
ぎしぎしと建築資材の重みで不気味な軋み音を立てる荷馬車であるが、辺境地仕様で頑丈に作られている為、壊れたりする心配は無い。
「アルトリウス司令官、わざわざ恐れ入ります」
「おう、レーダー隊長代行!なかなか堂に入っているではないか!」
作業の指揮監督の為にアルトリウスの傍らを離れたカルドゥスと入れ替わるようにして、北西管区国境警備隊副隊長であったレーダーが背後から現れた。
レーダーはアルトリウスから国境警備隊長へ推薦を受けていたが、レンドゥスを始めとする帝国軍上層部は降伏蛮族と呼ばれている父や祖父の世代は蛮族であった者の昇進を嫌い、これを保留していたのである。
しかしアルトリウスから現況について説明があり、西方帝国の北西部は非常に危うい均衡の上にある事を遅ればせながら理解した上層部は、渋々これを受け入れたのだ。
但し地位は本物の隊長ではなくあくまでも隊長代行。
後任の予定は無いが、軍上層部は最後の嫌がらせというか、無駄な抵抗を示したのだ。
「全く、意味の無い事がよくよくスキであるなレンドゥスは……」
「それでもありがとうございます。私のような出自の人間が、国境警備隊とは言え軍の指揮官の地位に昇ることが出来たのも、アルトリウス司令官のご尽力あってこそです」
この内容を知っているアルトリウスは、改めて呆れた様子でレーダーに話し掛けるが、そのレーダー自身は深々と礼を送ってからそう言った。
確かに降伏蛮族と蔑まれる、レーダーのような出自の人間はこれまで高位将官になる事が出来なかった。
しかしながら今回この北西辺境でアルトリウスは、まずその無意味な慣例に穴を開けたのである。
場末の最辺境での小さな変革ではあるが、この意味合いは小さくない。
「まあ、この砦が実際は誰の手で動かされていたのかは見るまでも無い事であるしな、実力や見識からいっても順当であろう」
「……ありがとうございます」
再度の礼を送るレーダー。
アルトリウスの方が年齢も軍歴も遥かに若いが、レーダーとは違って高位将官としての専門教育を受け、そしてあちこちで指揮官としての実力を遺憾なく発揮してきたアルトリウス。
レーダーの目には最初から輝いて映っていたのだが、それこそ本物であったことが正に現在進行形で証明されているのだ。
「……しかし女装までして潜り込まれるとは、余程の覚悟ですなぁ。抵抗の加減も絶妙であったとか?」
「あ~あれか、まあ覚悟というか、絶妙というかな……う~ん」
この砦を一瞬で乗っ取ってしまった時にアルトリウスがしていた格好を思い浮かべ、感心した様子で言うレーダーに当の本人は苦笑いで言葉を濁す。
確かに牢へ兵士を紛れ込ませて潜り込むのは計画の内だったし、ちょっかいを掛けてきたときに乗っ取りをしかけるのも計画の内であった事は確かだ。
アルトリウスの曖昧な様子にレーダーが訝って問い返す。
「如何なさいましたかな?」
「まあ、わざと抵抗はちょっとやってみただけなのである。注意を他から逸らそうとは考えたのであるが、まさか連れ出されるとは思いも寄らなかったのであるな!」
「そ、それは……?」
朗らかに答えたアルトリウスに硬直するレーダー。
アルトリウスだけが牢から連れ出されたのは計算どおりの事でなかったと言うことで、非常に危ない橋を渡っていたという事実を始めて知らされたからだ。
下手をすればアルトリウスに抵抗された怒りにまかせ、私兵がそのまま剣を振るっていたかもしれないのだ。
「わはははは、まあ結果ヨシ!であったのである。我のようなイカツイ女がスキとは世の中物好きは居るものだな!」
「わ、笑い事ではありませんぞ!」
大笑いしているアルトリウスに、レーダーは胃の辺りを押さえながら反駁する。
ただの嵐どころではない、この年若い英雄は良いものも悪いものも一緒くたに吹き飛ばしてしまう竜巻だ。
単純に今回は運が良かったが、まかり間違えば周囲を巻き込んでの壮絶な討ち死にで終わったかもしれない。
それでなくともアルトリウス隊は潜入班と中庭班、更には捕縛していた偽装兵と保護した族民の面倒を見ている班に分散して兵力はマールスの私兵より随分少なかったのだ。
まともに抵抗されていたり、メサリアの機転が悪くてレーダーの支援が遅れていれば逆襲されて全滅していた可能性もある。
「まあ、万が一のときは我が挽回する予定ではあったのであるが……」
「無茶を言わんで下さいっ、無謀すぎます!」
「おおっ?……そ、そうは言うが我1人でも100人程度であればどうとでも出来るのであるぞ?」
レーダーの諫言とも言うべき悲鳴じみた声に、アルトリウスは少し驚いたように首をすくめて応じる。
しかしその無謀な発言は後方からの声に再び厳しく諌められた。
「アルトリウス司令官!全くあなたという人はっ、いい加減にしてください!」
「お?ムス隊長ではないか、どうしたであるか?」
アルトリウスが空とぼけて応じたのは、目を怒らせたメサリアである。
その両手にはアルトリウスから押し付けられた補給物資や消耗品、武具や資材などの各種軍需物資の在庫調査表と、ルデニウムへの物資補給要請書が山のように積まれていた。
アルトリウスは仕事を押し付けた後ろめたさもあって、すいっとメサリアから視線を外すと、メサリアは器用にその満載した書類をいささかも揺らがせる事無くアルトリウスの前へ回り込んで迫る。
そしてメサリアは憤まんやるかた無いと言った様子でアルトリウスに食って掛かった。
「ポエヌス軍団長に無茶をするかもしれないから気を付けるよう言われてはいましたがっ、これほどとは思っていませんでしたっ!」
「……何がであるか?」
「と、とぼけないで下さい!私からポエヌス軍団長の意図を聞き出しておきながらむちゃくちゃな作戦を取って!生きた心地がしませんでしたよっ」
本来であれば奴隷にされた族民という証拠だけを押さえて第10軍団に速報の上、アルトリウス隊は待機する予定であった。
ポエヌスはアルトリウスの手腕と正義感を信じ、自身が貴族派貴族や軍上層部との派閥争いの矢面に立ち、アルトリウスをかばおうとしたのである。
しかしアルトリウスはポエヌスの意図がマールスの排除と、北西管区国境警備隊の刷新、更には自分の擁護にあることを知り先手を打つ。
一応注意していたメサリアだったが、保護した族民の世話と捕虜の監視を言いつけられて忙殺されている間にアルトリウスが密かに他の将官や兵士達に根回ししてしまっていたのだ。
兵士の1人から城塞侵入後その話を聞かされ、大いに泡を食ったメサリア。
そのときの怒りが、アルトリウスから押し付けられた仕事の忙しさと相まって吹き上がったのである。
「無派閥で今後ももうちょっと栄達を見込めるポエヌス軍団長が、何も我の好き勝手のために泥を被る必要は無いのである。我はもうこれ以上無いくらいに泥を被っている、というかむしろ泥を被りすぎて埋もれている」
「だ、だから何だと言うのですか」
しかし自分の剣幕にもたじろぐことなく、淡々と言うアルトリウスに少し気圧され返し、メサリアが言うと、アルトリウスは笑顔で言葉を継いだ。
「であるからして~我が全てをやったほうが良いのである」
「むちゃくちゃです!」
「無謀ですぞ!」
言葉のめちゃくちゃな内容に相反して思わず誰もが見ほれて納得してしまいそうな程、爽やかで魅力ある笑顔を撒きながらとんでもない発言をするアルトリウス。
しかし僅かな時間ながらこのとんでもない将官と濃厚な時間を過ごしたメサリアとレーダーの2人は騙されず、すかさず反論した。
言葉の内容だけ考えれば可能であったからやった、というような印象を受けるが実際はそうではないからである。
ガストルク城砦に乗り込んだアルトリウス隊は100名ちょっとで、正面から城塞とマールスの私兵を相手取れるものではなかったのだ。
いくらアルトリウス隊の兵士が練度や能力の高い兵士ばかりだとは言え、3倍の兵士には部が悪いどころではない。
「とは言ってももうやってしまったのである。いまさら後には戻れん」
「そう言う話をしているのではありませんっ」
メサリアが再度目を怒らせて言うが、アルトリウスは笑顔を崩さず書類越しにメサリアを見て口を開く。
「ムス隊長」
そう言いつつぐっと自分の面前に迫るアルトリウスに、驚き思わず赤面しながらのけぞるメサリア。
「な、何ですか?」
はっきりした顔立ちをしたアルトリウスの、奥の見えない黒い瞳に吸い寄せられるような気持ちになったメサリアが狼狽して1歩下がって応えると、アルトリウスは視線を外さないまま言葉を継いだ。
「そんなに怒ってばかりでは美人が台無しであるぞ?」
「んなっ!?」
突然の爆弾発言に、その言葉をかまされたメサリア本人だけでなくレーダーも思わず目を剥いてしまう。
ばさばさばさっと手にしていた書類束を地面に落とし、土まみれになる書類にも構わず顔を真っ赤にしたメサリアが絶句していると、アルトリウスは呆れ顔のレーダーの背を叩いて大笑と共にその場を後にした。
「わはははははは!」
「アルトリウス司令官……」
呆然と自分達を見送っているメサリアに気の毒そうな顔を向けてからレーダーが苦いものを含んだような口調で声を掛ける。
「うん?」
「今のは……どういう意味でしょうかな?」
「口うるさい女性将官にはテキメンに効く言葉なのである!魔法の言葉であるなあ~」
レーダーの言葉に笑顔のまま答えるアルトリウス。
本当に……狙ってやっているのか?
まじまじとその横顔を眺めるが、レーダーにその真意は読み取れない。
しかしこれでは本意にせよそうでないにせよ、あちこちの女性将官や女性兵士から相当恨みを買っているのではないだろうかとも思うのだが、メサリアの話にそう言うものは出て来なかった。
少ないとはいえ居ないわけではない女性将官たちには、独自の情報網があり危ない将官や兵士にはきちんとそういった噂も立つ……らしい。
それとも余程上手くやっているのだろうか?
レーダーはいずれにせよ翻弄されるであろうメサリアに心の底から同情しつつ、アルトリウスと共に城塞の中を歩くのであった。
父が急死しまして、次回は少し遅れると思います。
また感想への返信もしばらくお待ちください。
ご迷惑おかけいたします。




