第2話〜ありえない謎〜
『はぁー…どうしよう、これ?』
俺は自分の部屋に戻って、ベッドに座り込んで冷静を取り戻した。それと同時に気付いた。
怒り狂って暴れ回り、壁に空いた握りこぶし二つ分の穴。それを空けた時に使った右手の拳は皮が剥けヒリヒリと痛む。
そして無意識に持ってきてしまった人形。
別に壁に穴を空けた事に罪悪感はない。柄の良いバスタオルでも飾れば隠せる事だし、今日が初めてじゃないからだ。
問題はこの人形。やはり犯罪という言葉を考えるだけで少し怖い。
そもそもなぜ怒っていた理由すら忘れた。怒りのせいで気付かない事は我に帰ると、どうも困る事ばかり。
『返しに行かなきゃ…まずいよね』
元々は結構几帳面な性格の俺は人形を店に返す事を決意した。
ふと時計の針に目をやると信じ難い事になっていた。
『もう12時…?』
外はすでに真っ暗で月と星が唯一光り輝く時間帯の夜になっていた。
明日も学校だし店も閉店しただろう、返すのは明日で良いとしてもう寝るとするか。
俺は漫画は雑誌やら、勉強には一切関係ない物を勉強机から乱暴に退かし、その空いたスペースに大切に人形を置いた。まぁ、傷でも付けて弁償なんてゴメンだからな。
『…………おやすみ』
あれ、俺今なんて言った?
おやすみ? 人形に?
馬鹿か俺は! 返事なんて返ってくるわけないのに。
はぁ、今日はため息の多い日だな。頭が疲れた。俺はドサっと音をたててベッドに倒れ込み、毛布に包まり今日一日の事を思い返した。
そろそろ寝ようと電気を消したが、部屋の明るさは大して変わらなかった。それもそのはず、外では太陽の顔が出ている。どうやらまた眠れない夜だったみたいだ。
「おはよぉ…」
眠そうにあいさつをしてくる彼女。ちぇ、君の笑顔を見ながら寝ようとしたのになぁ。
…って、なんでお前がここにいる!?
『ハッ…!なんだ夢か…』
いつの間にか俺は寝ていたようだ。こういう夢を見た寝起きは最悪。疲れがとれるどころか増えてやがる。
それにしても俺はまだあの子にフラれた事から立ち直れないなんて我ながら情けない。
なんて切ない朝なんだろう。しかし、そんな感情に浸りたいのに時計の針は進む事を辞めてくれない。刻一刻と遅刻までのタイムリミットが迫ってくる。
時刻は7時間30分。いつも家を出る時間だ。
電車の発車時刻は7時55分。高校には電車通学の俺にとって、朝は中学の頃より早い。
『やべ、遅刻する!』
慌ててリビングに下り、制服に着替え弁当とお茶しか入っていないスクール鞄を持つ。朝食はいつも食べないので大丈夫。髪形は長いが縮毛をかけ、髪を立てない俺にセットの時間などいらないのだ。
『おっと、朝の一服』
バタバタしながらもまた二階の自室へ駆け上がる。
煙草に火を点け、部屋を出ようとしたが、一時停止。
『今日の帰りに返すんだったな、学校持ってっちまうか』
例の人形を鞄に押し込んだ。元々弁当とお茶しか入っていないため、中はガラガラ。潰れたりする心配はない。
それより心配なのは友達に人形を持ち歩いているのがバレた時だ。恥ずかしくて仕方がないだろう。
って、早く学校! 電車に乗り遅れる!
『いってきます!』
母親にあいさつを交わし50ccの原チャにまたがる。
「あら?今日は早い登校ね」
窓から見送りに来た母親はなんと暢気な、こっちは切迫詰まってんだよ!
『早くねぇだろ!あぁ〜煙草吸い終わんねぇ!あげるよ』
俺は母親に残りの煙草を手渡し、エンジンをかけアクセル全開で駅へと向かった。
途中、道路が混む事も信号に引っ掛かる事もなくスムーズに駅に付く事ができた。
『間に合うか…ってあれ?』
駅の中心の時計塔は7時30分を指していた。待てよ、それは俺が起きた時間だろ。
自宅から駅まで、最高時速が65キロの原チャで、いかにスムーズに来ようとも十分もかかる距離だ。
ありえないと思いながら、原チャを駐輪場に止め、携帯の時間を確認する。
『やっぱり7時50分じゃん!』
電車の発車時刻まであと5分。全力でホームまで走った。
『くそ!駅の時計が遅れるなっての!』
階段を上り改札を抜けさらに通路を爆走。この時ばかりは周りの目など気にしない。なにせ一時間に一本しか電車が通らないんだ。わずか一分の遅れがかなりのロスタイムになる。
『53分!ギリギリ間に合っ…』
否、間に合わなかった。ホームに電車が止まっていない。乗り遅れたのだ。
息が切れ、努力が無駄になった。
間に合うと思ったのに間に合わなかった。
両想いかと思ってたのに勘違いだった。
昨日の今日でそう例えてしまった俺はまた切ない気持ちになった。
しかし、その時だった。
次々と同じ電車で駅に向かう学校の制服を着た高校生がやってきた。
みんな乗り遅れたのか?
しかし10分もすれば、いつもの朝の光景。
数多くの高校生が利用するこの電車のホームにはすぐに人込みができた。
やがて始点のこの駅に折り返しの電車がやってきて次々と乗り込む。
訳も分からない俺は立ち尽くしていた。
「よぉ一樹!まだ十月なのに寒いよなぁ。早く電車乗ろうぜ」
俺に声をかけてきたのは村中 明宏。中学からの親友で同じ高校。クラスは違ってしまったが、暇な時があればよく遊んだり相談したり、信用できる奴だった。
『なぁ明宏、今何時だ?』
「えっと…7時50分だよ」
明宏は携帯を見て答える。7時50分だと? 俺の携帯はとっくに8時を回っている。
しかし現実はどうあがいても50分のようだ。ホッとした俺は携帯の時刻が狂ったのだろうと安心して電車に乗り込んだ。
安心したと同時に汗だくな事と喉の渇きに気付く。
俺は明宏に気付かれないようにソッと鞄を開け、中からお茶を取り出し、がぶ飲みした。夏場のこの状況で350ミリリットルの小さいペットボトルごときじゃ喉を潤すに足りなかった。
最後の一滴を口に流し込み、車内にゴミは捨てられないため再び鞄の中に戻した。
…待てよ? 電源が切れようとも設定を変えない限り狂うことがない携帯の時刻が狂うのか?
仮に狂ったとしてもほんの2、3分だろう。…ありえない。
その話題で明宏と話し合い、俺達は高校の最寄駅に着いた。結局は、ただの勘違いとして片付けた俺達だった。
今度は自転車に乗って高校へ向かうために電車を下りる。床に置いた鞄を持ち上げると…冷たい? 鞄が濡れていた。
『うわ、なんだよ』
俺は鞄の中身を素早く確認した。やばい、人形までビショビショに濡れている。これじゃ返しにいけないよ。
「さっき飲んでたお茶がこぼれたんだろ」
俺が人形の入った鞄の中身を隠しているから、状況が確認できない明宏が言った。
俺もそうだと思う。お茶が零れたんだと思う。
ただ…あの時まだ開けてないお茶を、俺は一滴も残さず飲み干していたはずななのだが…。