俺の妹がこんなに可愛くなくていい
カナを連れて我が家に入ると、リビングにいた妹のシホはあからさまに嫌な顔をした。
「シホちゃん、こんにちは」
カナが妹に挨拶をしても、シホは返事の代わりにぶすっという顔を返してそのまま二階に上がっていこうとする。僕は横を通り過ぎようとするシホの腕を掴んだ。
「待てよ、カナが挨拶してるだろ」
「……だから?」
「ふざけたこと言うなよ」
「もういいから」
カナが苦笑いを浮かべながら止めようとする。しかし、このままではいけない。
「挨拶返せよ」
妹は僕をキッと睨み、僕の手を振り払ってそのまま階段を駆け上がっていった。
「あいつ……」
「まぁまぁ」
カナはこんなときだっていつも落ち着いていた。カナを連れてくると決まって妹はあの態度を示す。最初のうちはもっと柔らかかったはずだ。けど最近は、とても許せる態度じゃない。
一体妹は何が面白くないのだろう。いくら考えても答えは出てこない。
今日は親が帰ってこない日。僕たちはリビングで夜までいちゃいちゃしていた。
朝になり、そして妹の様子がおかしかった。
「はやく起きてよ、おにいちゃん!」
ベッドに横たわる僕の太ももの上に、彼女は馬乗りしながら僕を揺すり起こそうとしている。おかしい、おかしすぎる。こんなの、あからさまな妹キャラじゃないか。妹キャラ……?
その時、僕はこれが夢であると直感した。
「やめろ、起きてるよ」
「起きるっていうのはね、目を覚ますことじゃないの! 起き上がって活動をすることが起きることなの!」
妹は僕の掛け布団を、勢いよく床に投げ込んだ。
「下も起きてる!」
嬉々とした表情で下半身を凝視する妹を、僕は無視した。賢明な判断だったと思う。
「どいてくれ、お前がいたら起きられないよ……」
そう言うとしぶしぶ妹は僕から下りた。
彼女の圧力から解放された太ももには心地よい痛みが残っていた。痛み? 夢?
多少の混乱を抱えながら僕は立ち上がる。シホは床に正座して、僕の起き様を眺めていた。
「何見てんだよ」
「おにーちゃん」
また嫌な答えが返ってきた。
「なんで、見てんだよ」
なんでを強調して言う。するとまた妹は即応する。
「好きだから」
「なっ……」
そんな恥ずかしいセリフを妹はさらっとはきだした。僕はあまりの衝撃に一瞬固まってしまった。
「どうしたんだよ。いつものお前じゃないぞ」
「そう、いつもの私じゃないよ」
「早く直せよ」
「直さないよ」
「なんで?」
「おにいちゃんに好きになってもらいたいから」
妹の顔を見るのがだんだんと怖くなっていた。一体なんて夢を見ているのか僕は。夢で見るなんて、これは僕の願望なんだろうか? 妹にこんな風になってほしいという……、いや、しかし僕は妹属性なんて望んじゃいない。こんなの気持ち悪いだけじゃないか。自分に言い聞かせ、着替えようと制服を手に取る。
「今日はお休みだよ?」
妹にそう言われ、携帯で日付を確認すると、今日は土曜日。そういう設定なのだろう。
「ねぇ、今日は二人で遊びに行こうよ!」
シホは僕にせがむ。冗談じゃない。こんな狂った妹と一緒にいてたまるか。そう思い僕はカナに電話をした。
一回、二回と繰り返される呼び出し音。いつもならすぐに聞こえるカナの声は一向に聞こえてこない。
「出ないよ?」
シホは僕に言う。黙っていろ。出ないわけがない。僕の電話に一度も出なかったことなんてないのだ。
「もうやめなよ」
「だー、うるさいんだよ」
「この世界には私たち二人しかいないんだから」
いまだ電話からは呼び出し音が響いていた。妹の妙な発言は、なぜか現実味を帯びているような気がした。最初からまったく妙な夢だったから、そんな気がしてしまったのかもしれない。僕は電話の電源ボタンをプッシュし通話を閉じる。画面に三十円の文字が映し出された。
僕はシホを置いて、一階に降りた。しかし、そこにいるはずの両親はどちらもいなかった。時計はまだ8時を指している。この時間に両親揃って出かけることなど、休日ではまずない。
これは、夢なのだ。
僕はほっぺたをつねる。普通に痛かった。
「どういうことなんだよ……?」
「知りたい?」
シホの声が耳元でささやかれた。僕は驚きと気恥ずかしさからびくっとしてしまった。いつの間にいたんだ?
「これは夢じゃないのか?」
「へへ、教えてあーげない!」
シホは最高にかわいこぶってそんな言葉を使った。
「早く朝ご飯食べようよ」
さっきまであっただろうか。テーブルには朝食が並んでいる。二人分だった。シホはてけてけテーブルのほうにかけ、席に座った。
「どうしたの?」
動かない僕を、不思議そうな顔をして見てくる。
「食べさせてあげようか?」
「馬鹿」
腹が鳴った。食欲はあった。だが気分が悪い。
僕は静かにテーブルにつき、よくわからない空気の中妹と一緒にいただきますと言って食べ始めた。
そういえば、妹と一緒に朝ご飯を食べると言うのも、考えてみれば久しぶりかもしれない。そんなつまらないことを食べながら考えていた。
どこにいくかとかいうことを妹は予定していたらしい。
「まず電車に乗ります」
駅まではそんなに遠くない。僕たちは歩いて駅に向かうことにした。
なんの抵抗もなかったわけではない。しかし、一向に僕の夢は起きる気配はなかったのだ。
決して人口の多くはない我が町とはいえ、人を一切見ない日などありはしない。僕と妹だけが歩く道というのは、恐怖さえ覚えた。
「なあ、何で誰もいないんだ?」
横を歩く妹に声をかける。
「必要ないからだよ」
にこっと笑いながらそんなことを言ってのける。
「必要ないって」
「この物語にモブキャラはいりませーん」
野球の審判のセーフの格好をしながら言った。そんな姿に僕は、つい笑ってしまった。いつもの妹のイメージが色濃いため、こんな姿をする妹というのに僕は慣れていなかった。
「やっと笑ったね」
「そういや、そうだったな」
「いい一日になるといいね」
「そう、だな」
よくわからない、というのが正直なところだ。この先に待ち受けているのは、世界が滅びるかとかそんな大きなことではないというのは僕にもわかる。けれどこの夢の終点に何があるのか、そんなものを僕は予想ができない。
おにいちゃんに好きになってもらいたいから。
朝言われた妹のセリフ。これが僕は、この夢の伏線なんじゃないかと思っていたりする。真偽のほどはわからんけども。
誰もいない電車に乗って、僕たちは長い間話し込んでいた。車掌もいない電車というのも、やっぱり妙なものだった。
妹の行きたかったのは、遊園地らしかった。昔からあるもので、僕たちも小さなころ行きすぎた。あの頃はよく、家族みんなでの旅行なんてものを頻繁に行っていた覚えがある。遠くの山に言ったり、こうして近くの遊園地に行くこともあった。
「遊園地で何をするんだ?」
そうシホに問うと、何を馬鹿なことをという表情を浮かべながら
「遊ぶんだよ」
と言われる。そんなのわかってる。わかっているんだ。
誰もいないのに遊園地はにぎやかだった。
アトラクションはどれもがちゃんと動いていたからだ。
お金を払う必要はなかった。シホはあれに乗ろう、これに乗ろうと言って、僕をあっちこっちへ振り回す。そんなに大きい遊園地じゃないのだ。そんなに急かなくとも、半日もあれば全部乗れてしまうだろうに。彼女は一秒も無駄にしない気でいるかのごとくふるまった。
まるで別人のような妹。しかし、ふと、彼女の本当の姿を見ているかのような思いになるのだ。いや、これは彼女自身なのだと。
よくわからんことを考えながら、ベンチで息を整えていた。少し休ませてくれと頼んだ結果、ようやく許された休憩だった。妹の姿は見えない。彼女の姿が見えたとき、僕は再びあの過酷な時間を過ごさねばならないのだろう。
しかし、なんだ、楽しい……じゃないか。
こうして妹と久しぶりに二人で遊ぶなんてこと。現実世界じゃ、まずありえなかっただろう。そしてまた思いにはせる。この世界はなんなのか。現実ではありえない。しかし夢でもない。ファンタジー世界なのか、いやもう一つあるか。僕の精神がおかしくなったか。
足音がするので顔を上げると、両手にソフトクリームを持って駆けるシホの姿があった。
「お、ソフトクリーム買ってきてくれたのか」
気づいたけど、買うなんてことはないのだろう。ちょっとにやけてシホの顔を見ると、なぜか顔を赤らめていた。
「べ、べつに、おにいちゃんのために買ってきたわけじゃないんだからね」
ツンデレ!? と突っ込むべきなのか、だから買ってねえだろ!? と突っ込むべきなのか。知らん。
「あ、ありがとう」
僕はシホからソフトクリームを受け取った。白色のバニラ味である。シホのは茶色をしているから、チョコ味といったところか。シホはちょこんと僕の隣に座った。べったりくっつくのかと思ったら、ベンチの端っこに座った。
そういえば。さっきからそういえばばかりなのはいたしかたないのだが、ソフトクリームを食べるのは素晴らしく久しい。旅行先なんかではちょくちょく買ったりしていたが、旅行自体がなくなった今、特に買おうとする意欲すら湧かなかったようだ。くるんと巻かれたソフトクリームの先っちょをてへぺロと舌ですくい上げる。この味だ! これがソフトクリームだ! 僕はソフトクリームが好きだった。
ふとシホを向くと、僕のソフトクリームを凝視しているところだった。僕の視線に気づくと、即座に前を向き、自分のソフトクリームをぺロと食べる。もうくるくるにまかれた部分は見えず、コーンだけだった。
「バニラ、食べるか?」
「いい!」
僕の提案も、すぐに棄却される。だが間もなく、シホはおずおずとこちらを向き返す。僕はにやにやと笑ってバニラソフトクリームをシホのほうに差し出すと、
「しょ、しょうがない」
と言ってバニラを受け取った。それを食べる幸せそうな顔。見ているこっちもそんな気分になってくる。
「ん!」
今度は彼女は自分のソフトクリームを僕の方に差し出してきた。
「くれるの?」
シホは答えなかった。うつむきながら、かたく目を閉じ、ただソフトクリームをこちらに向けている。
コーンだけだったけど。僕はありがたく頂くことにした。
昼飯も済ませながら、僕たちは遊園地で遊んでいた。
アトラクションをすべて制覇すると、僕はなんだか海賊王にでもなった気分になった。次はどうするのだろう? シホは遊園地の出口に向かっていた。
「どうするの?」
「うっるさいわね! 黙ってついてきなさいよ!」
先ほどから完全にツンデレキャラに移行しているらしい。怒鳴られてしまった。
そこは町並みが見渡せる、小さな丘のようなところだった。遠くに海も見える。
「うわぁ……」
「きれいでしょ」
シホが自慢そうに語る。
「きれいだ。こんなところあったなんて……」
「やっぱ、覚えてないか」
「え?」
景色からシホに目を移すと、悲しそうな顔をしていた。
「小さいころ、私たちで見つけたんだよ? この場所」
そう言われても、すっかり覚えていない。記憶の隅から隅まで、脳みそを微分しながら思いだそうとしたけど、やっぱり覚えがない。
「もう、この場所も、ほんとはないんだけどね」
「なんで?」
「埋め立てられちゃったの。町の開発だとかでさ。その後何ができたのなんて知らないけど。……変わっちゃうよね、町も。人も」
その最後の「人」というのが、僕を指しているかのように聞こえた。
「なぁ、シホ……」
「いいや、帰ろう」
シホは一人で来た道を返し始めた。僕はその風景を携帯の写真でとっておくことにした。
電車の中の彼女は、終始無言だった。
僕が取りとめのないことを話しても、彼女はうんともすんとも言わない。
仕方なく僕は電車の窓から見える、移り変わる街並みというものを眺めていたのだ。住居、ビル、工場。なんだろう。この虚しさは。僕は先ほどの小さな丘からの景色を思い出していた。携帯を開き、データフォルダから写真を再生した。大きな景色が、小さなディスプレイに移っていた。僕はそれをシホのメールアドレスに送付しておくってみる。しばらくして彼女の携帯がブブブと震えだした。着メロとかは設定していないのだろうか。僕もしてないけど。彼女は僕からのメールを確認すると、ふんとため息をついた。発した音はそれだけ。
家に帰る頃にはもう夕方だった。とはいっても日は長く、まだ空は明るい。
「シホ」
彼女の名前を呼ぶが、振り返らずに家の中へはいって行った。しょうがなく僕もそれに続く。
リビングにはいると、彼女は部屋の真ん中あたりに突っ立って、暗くうつむいていた。
「どうしたんだよ」
シホは動かず、僕は困ってしまった。何かいけないことを言っただろうか? 今日のシホはころころ変わりすぎて困る。ん、そう考えるとこれは、もしかするとクーデレなんじゃないか。もしかすると小さな声で「別に」とか「私は三人目」とか言っているのかもしれない。僕はそろりそろりと彼女に近づいた。
「ねぇ……」
小さくか細い声がきこえた。今にも泣きだしそうな。クーデレは、きっと泣かない。
「なに」
「私のこと好きになった?」
「何言ってんだよ」
「答えて」
僕は黙り込んでしまった。彼女のことを好きか嫌いかと言えば、それは好きだ。決まっている。けれどその好きは、決して妹に恋だとかそういうたぐいのものではなく、あくまで一人の兄弟としてという意味にすぎない。しかし、彼女の言う「好き」の意味は、その意味でないことは、鈍い僕でもわかった。ラノベの主人公は、鈍すぎると思う。
「どうして……。カナがいいの? あんな女が」
「あんなとか言うなよ。僕の彼女だぞ」
「あんなはあんなよ! かわいいわけじゃないし成績がいいわけじゃない。お嬢様じゃなければメイドさんでもない、幼馴染でもなんでもない。どうして? あんな平凡な女のどこがいいのよ。私を見てよ! 妹よ! 今日の私はどうだった? ちゃんと妹キャラやってたでしょう? ツンデレもやった。なのに、おにいちゃんは、どうして私のこと好きになってくれないの!」
「好きだよ、好きだ。妹として」
「妹! そうじゃないの! 私はそんなこと!」
「シホ!」
ぱっと踵を返し、シホは台所に駆け、包丁を持って僕に迫ってくる。寸劇だったはずだ。けれど彼女の包丁が僕のお腹を突き刺すまでが、まるでコマ送りのように再生された。ぶにゅっと嫌な感触と、強烈な痛み。そして気付く。これは、ヤンデレだ、と。
「シホ……」
頭を僕の胸に預けながら、シホは僕のお腹に包丁を力いっぱい突き立てていた。その手を彼女はまだ離さない。僕は彼女の背中を持てる力全部で抱きしめた。
「シホ……、萌えっていうのは、与えられるものじゃないんだ。ツンデレだとかクーデレだとか、ヤンデレだとか。そんなもの、性格でもない、パロメータでもなんでもない。萌えっていうのはね、僕らの目で見出すものなんだ。僕はカナに、萌えを見出したんだよ。そんな、「平凡」なカナの中にね……」
「おにいちゃん……」
シホの声は震えていた。背中も震えていた。包丁を持つ手も震えているようで、傷口がぐじゅぐじゅ広がる。
「おにいちゃん……」
次第に、目の前が真っ黒になっていく。いや、これはまぶたか。目を閉じようとしているんだ、僕は。
「おにいちゃん……」
シホがすとんとその場に座り込む。僕は体を支えられず、その場に倒れこんだ。
「おにい、ちゃん……」
視界も意識も消えゆくなか、シホの僕を呼ぶ声だけが、やたら鮮明に聞こえる。
「おにいちゃん」
「おにいちゃん」
「おにいちゃん」
――。
目を覚ますと、知らない天井だった。
横たわったまま顔を動かし、部屋の様子を眺める。そこは病室のようだった。ベッドが僕のを入れて四つ置いてある。
がらがらっと白衣を着た若い医師が入ってくる。
「おや、目をさましたようだね」
先生は僕を見るや、そういった。
「妹さんは、まだなようだが」
妹? シホもいるのか。僕は顔を少しだけあげると、壁の反対側のベッドに、一人患者が寝込んでいるようだ。あれがシホなのだろう。しかし、なぜ僕らは病院に?
「先生?」
「うん?」
医師は僕に体温計を差し出し、脇に入れろとジェスチャーをする。手元のボードに何か書きこんでいる。
「僕は、僕たちは、どうして病院なんかに?」
「なんか? なんかとは失礼だな。私の病院なんだが?」
「いや、すいません。あの……」
「ふふん、冗談だ」
先生はボードから顔を離し、僕の方を向いた。優しい笑顔だった。きっといい人だ。
「正直言うとね、私にもわからない。君たちは昨日、ずっと起きなかった。目を覚まさなかったという意味だ。体に異常はなんら見られなかったのに、二人揃ってね」
「はぁ」
「そこでだ、もしや君は、何か夢を見ていなかったかい?」
「夢……」
そう、とても現実ではない。僕の昨日みた、妹との一日の夢。
「いいえ」
なぜか、僕はこの時、医師に本当のことを言わなかった。
「そうか。……いやすまない。私の思いすごしのようだ」
「すみません」
「いや、いいんだ。ふむ。妹さんが起きたら知らせてくれ」
そう言って医師はすたすた病室から出て行った。僕はむくりと立ち上がって、シホのベッドの横に歩いた。ちょうどよく椅子が置いてあったので僕はそれに座り、彼女の顔を覗き込んだ。容姿は、少なくともカナよりはいいだろう。小さなころから見慣れたシホの顔を評価すること自体おかしなことだろうが、たしかにかわいい。
先ほどの夢。僕はなんとなく、彼女も同じ夢を見ていたんだろうと言う考えがあった。
「ん……」
シホが目を覚ました。
日の光が眩しそうに、目を細くしている。
「おはよう」
シホはいぶかしげにこちらを向いた。そしてはっとした表情になると、どうしたらいいだろうという思考時間の後、ふとんを頭まで被った。僕はそんな姿を見て、微笑んだ。




