ばいばい両想い
誰もいない教室で、私はぼんやりと彼の席を見つめる。
中学生のときに好きになった人。高校生になっても好きだった人。
どうして彼を好きになったのか、そんなの覚えてない。
それでも私は彼が好きだった。
「島津」
突然声が聞こえて、私は動揺した。
けれど、何でもないように声が聞こえたほうを向く。
「どうしたの、佐野。忘れもの?」
「……まあ、似たようなもん」
佐野はそう言うと、私の前の席に座る。
「島津はなにしてんの?」
「ぼんやりしてるの」
「なんだそれ」
変な奴、と言って目の前の男はにかっと笑う。
それを見て、ああ、やっぱり私はこの人が好きなのだと思う。
目の前にいる彼をぼんやりと見ていると、にかっと笑っていた男の顔が、突然真面目になる。
「……島津」
なにかのスイッチが入ったのだろうか?
声色が変わった。いつもより低い、男の声だ。
彼はじっとこちらを見ている。
熱のこもった瞳に、私は泣きたくなった。
「俺、さ。……島津のこと、好きなんだ。付き合ってほしい」
◇ ◇ ◇
私も好きだよって言いたかった。
"私、中学生のころから好きだったのよ。知ってた?"
そう言って、彼の想いに応えたかった。
……でも、それを伝えてはいけない。
私は涙が零れないように気をつけて、口を開いた。
「……ごめん、佐野。私はそういう意味で貴方のことを好きだと思ったことはないの」
自分で言った嘘に、笑いたくなった。
◇ ◇ ◇
そうか、といった彼の顔が寂しげで、胸が痛んだ。
嘘だよって、本当は大好きなんだよって。
言いたいのに、言えない。
……だって、それは許されない言葉だもの。
すっかり暗くなってしまった教室で、私は懐中時計を開く。
……"こちら"と"あちら"を繋ぐ、『オズの紋章』
お父様からお姉様に。……そして、結局は私のところへとやってきた家宝。
12年という長い年月を"こちら"で過ごした私は、この紋章に相応しい人間になれたのだろうか?
先代の"オズ"に恥じない、立派な人間に。……私は、なれたのだろうか?
……きっと、なれていないのだろう。
『オズの紋章』を見つめる瞳から、水が一粒、また一粒と零れおちる。
だって、私は彼を好きになってしまった。
彼を想うだけで、満たされて。それと同時に虚しくなって。
逃げたいと、心底思った。
でも、そんなことをしたら?私の家はどうなる?"オズ"を私以外の誰が受け継ぐというの?
……恋なんて、ただの気の迷いかもしれないじゃない。
そんなもののために、私は、私の大切なモノを捨てることはできない。
……できないくせに。
「佐野、幸樹君」
彼の想いに応えればよかったと、後悔する自分も確かにここにいる。
……ああ、なんて愚かなんだろう。
もう、私の選ぶ道は1つしかないというのに。
……どうして、こんなにも諦めが悪いのだろう?
どんなに泣いても、喚いても、そして、どんなに願っても。
ただの女子高生だった島津莉奈は今日でおしまい。
明日からは、私の名前はミリーナ・オズ・アーベル。
"こちら"ではない"あちら"で、定められた道をただ歩くだけ。
もしかしたら、"あちら"に戻ってよかったと思う日が来るかもしれない。
もしかしたら、"こちら"で過ごした12年間よりももっと素晴らしい思い出をつくれるかもしれない。
……もしかしたら、"あちら"で彼以上に素敵な人と出会うかもしれない。
そんな『もしかしたら』を何回も考えて、自分を慰めても……結局苦しいままで。
それでも、いつか時間が解決してくれると自分に言い聞かせて私は懐中時計の針を、指で動かす。
時計回りに1回、反時計回りに5回、時計回りに3回、反時計回りに3回。
……そして、最後に2回懐中時計の裏をコツコツと爪でノックする。
それが、"あちら"へ戻るための儀式。
「……ばいばい、両思い」
これなら、片思いの方がまだマシだったよ。
そう思いながら、私は唇をぎゅっと噛みしめる。
私は、目を瞑って懐中時計の裏を爪で2回ノックする。
……ふと、彼の笑顔が脳裏に浮かんだ。
ああ、目を開いたときに彼が目の前にいたらいいのに。
そう思って目を開けても、見えるのは懐かしい"あちら"の風景で。
私は、涙を流さないように空を見上げて歩き出した。
……自分の、本当の場所へ帰るために。
設定を若干変更して、最後を修正してみた。
いつか連載で書けたらいいなぁ、と思ってます。
で、連載ではじめるとしたらここから数年後、みたいな感じで。
…そういえば、これってアンハッピーエンドなんだろうか?
一応別離ではあるけど……うーん。悩むところだ。