退屈な令嬢と嘘つきたちの末路
「エレノア様、不機嫌そうですね」
私は馬車の中で揺られながら、ずっと澄ました顔を続けているエレノアお嬢様に声をかけた。
「そうかしら?」
淡々とした口調で返す。他の人が聞いても違いはわからないだろうが、私にはやっぱり少し不貞腐れて聞こえる。
主人であるエレノアお嬢様と私の付き合いは長く深い。誰よりもお嬢様のことを理解しているという自負がある。だから、些細な違いでも私はわかるのだ。
馬車は貸し切りのため、他に乗客はいない。運行タイミングが合わなかったため、乗合馬車にはしなかったのだが、正解だったと思う。
「だって、せっかくミリアが作ってくれたハチミツクッキーを食べ損ねてしまったのよ」
「帰ったらまた食べられますよ」
私はそう言って宥めるが、効果はない様子だ。楽しんでいたお茶会の途中で、突然王城から呼び出しがありお茶会を中断して出発しなければならなかった。急な呼び出しなんて滅多にあることではないが、今は忙しいなどと言って無視することはできるはずもない。私は慌ててお嬢様を登城用のドレスに着替えさせて、馬車の手配をし、正午の鐘の音が響くころには公爵家別邸を出発したのだ。そんなだから、お嬢様の機嫌が悪くなるのも無理はないと思った。
王都の石畳の通りには、商店が立ち並び、行き交う人も多い。そこを抜けると小高い丘の上に見慣れた王城が視界に入って来る。ちらりとお嬢様を見ると、変わらず行儀良く不機嫌そうにしていた。しばらくこのままだろうなと、私は肩をすくめる。
お嬢様を呼び出したのは、第二王子のジークルード殿下だ。要件はわからないが至急来て欲しいとのこと。無茶や理不尽を言う人ではないので、本当に何か緊急でお嬢様に用事があったのだろう。
指定の応接室に入ると、ジークルード殿下と見知らぬ殿方が一人立っていた。殿下と親しげに話している。お嬢様もおそらく初対面だろうと思う。
「エレノア嬢、急に呼び出してしまってすまない」
ジークルード殿下は心底申し訳なさそうに頭を下げる。
「お気になさらないでください。お呼びとあらば参上するのが臣下の務めでございます。ジークルード殿下」
「私のことはジークで良い」
「かしこまりました、ジーク様。では私のこともエレノアとお呼びください」
お嬢様との距離を縮めることに成功したジークルード殿下は、ゴホンと嬉しそうにひとつ咳払いをしたあと、隣の殿方を紹介しようとした。だが、それに先んじてその殿方は遮るように声を上げた。
「これがそうなのか?ただの小娘じゃないか」
「ああ、私の知る限り最も優秀な人物だ」
あまりにも失礼な物言いに、私はイラッとしてしまう。だが、お嬢様は特に気にした様子もなく、その場で佇んでいる。
「おい、お前がこの国で一番優秀な人間というのは本当か?」
「恐れ多いお言葉です。私など、まだまだ未熟にございます」
お嬢様の謙遜に、この男はふんと鼻を鳴らして値踏みする。じろじろと不躾な視線を浴びせてくるが、お嬢様は身じろぎひとつせず受け流している。
「おい」
「何でございましょう」
「僕がここに居る理由を当ててみろ」
後ろで見ている私が思わず、はぁ?と声を出しそうになった。偉そうに腕組みしながらお嬢様を試そうとするだなんてあまりにも失礼だ。一発ぐらい殴っても許されるのではないかと思う。
お嬢様は少しばかりこの男に視線を向け、深く息を吐いて目を伏せた。
「そうですね。隣国のルクスランドで国宝の盗難か紛失があり、ジーク様に協力を求めに来た、でしょうか?」
私はギョッとしてお嬢様を見る。ジークルード殿下とこの男も驚いたようにお嬢様を見ていた。
「知っていたのか?」
ジークルード殿下が問うと、お嬢様はゆっくりと首を横に振った。
「ジーク様と親しげな様子から、他国の王族の方ではないかとお見受け致しました。発音の訛りからルクスランドの方ではないかと。ルクスランドでは王族はマントの留め具に国宝の宝石を誂えていますが、今お召しのマントにはそれがありません。それにマントの裾に泥が跳ねた跡があります。王都は基本石畳なので、整備されていない道で馬車に乗ったはずです。御髪が少し乱れていますので、仮面か覆面をして、秘密裏にいらしたと考えました」
ジークルード殿下は呆然とお嬢様のお話を聞いていたが、素晴らしいと、手を叩いて賞賛をした。だが、男はジークルード殿下とは対照的に、つまらなさそうに顔を背けて言った。
「ふん、当てずっぽうか。運が良かったな」
当てずっぽう?と私は首を傾げたが、どうやらお嬢様も同じように思ったらしく、首を傾げていた。
「改めて紹介しよう。エレノアが言った通り、ルクスランド国第一王子のエイブラムだ」
ずいぶん遅くなった紹介を受けて、お嬢様も改めて名乗り、一礼をした。偉そうな態度は王族だったなら納得もできる。殴らなくて良かったかもしれない。
「そして本題だ。エレノアには私と共に、ルクスランドに盗難の調査に向かって欲しい」
「なぜ私なのでしょうか」
「至極当然の疑問だと思う。この前の事件、奴隷売買摘発事件のことだ。私が解決したことにはなっているのだが、その話を聞いたルクスランド陛下が、私に調査協力の依頼をしたのだ。だが、事件を解決できたのはエレノアのおかげだ。私一人ではとてもこんな成果を挙げることはできなかった」
つまりお嬢様の力を借りたい、ということか。奴隷売買事件の摘発は、あまりに鮮やかだったため、国を跨いで噂になっていたのは私も知っている。ジークルード殿下が陣頭指揮を取っていたので、手柄は殿下ということになっているが、実質解決したのはお嬢様だ。今回もまた力を貸して欲しいということだ。
「盗難された宝石が国外に持ち出されないように、国境付近の街道が全て封鎖されていてな。我が国としても困っているのだ」
うーん、とお嬢様は考え込んでいる。見るからに乗り気ではないのが伝わって来る。お嬢様に来て欲しい理由はわかったが、お嬢様が行く理由が見当たらない。端的に言えば面倒だと思っているのだろう。
「本当はこんな事は言いたくないのだが、妹の件と相殺と言えば行ってくれるだろうと、友人の男爵令嬢から教えて貰った」
「もしかして、ソフィアですか?」
ジークルード殿下はこくりと頷く。なんで殿下と友人になっているのかと問い詰めたいが、あの魔女のことは考えるだけ無駄だ。だけど、ソフィアの名前は、お嬢様を動かすには抜群の効果だ。今回はずいぶん直接的な気がするが、まず間違いなくお嬢様は首を縦に振るだろう。
「わかりました。ご期待に沿えるかわかりませんがご同行させていただきます」
* * *
ルクスランドの主産業は鉱石と薬草だ。特にこの国の金属鉱山は、財政収入の三割を占める国の基盤であり、この国でしか採れない鉱石や薬草も多い。
私たちの住むフェルアフリーゼ王国の王都から領地をふたつ挟んだ先にある最も近い隣国である。お嬢様であればもっとルクスランドについての知識があるのだろうが、私が知っているのはそれぐらいだ。
私たちはルクスランドに向かう馬車の中で、事件のあらましをジークルード殿下から聞いていた。国宝の宝石というのは、ルクスランドの王族に代々受け継がれている、ルビーやサファイアなどの各種宝石のことだ。大きさ以上に、いずれも美しい内包物が特徴の、最も価値の高い宝石だ。自身が王族であることの象徴のエメラルドの宝石が盗まれたということもあって、あの失礼なエイブラム殿下が調査の指揮を取っているようだが、調査が思うように進んでいないらしい。その大きな理由は、どうやって盗まれたかが全くわかっていないからだそうだ。
「宝石はマントと一緒に宝物庫の入り口付近に保管しているが、鍵が壊された形跡はないと聞いている」
「鍵を持っているのはどなたですか?」
「国王陛下、エイブラム、宰相、侍女長だ」
「それ以外に鍵はないのですか?」
「ああ。予備の鍵束はあるようだが、宝物庫の予備鍵はないらしい。あとは衛兵の証言だ。宝物庫のある地階を巡回している衛兵が一人いるのだが、夜十二時ごろに怪しい足音を聞いたと言っている」
鍵を持っている人たちは、夜十二時ごろの居場所が確実にわかっているとのことだ。お嬢様が、
「密室ですか」
と興味無さげに呟く。
お嬢様は退屈を何より嫌っている。その才覚ゆえか、お嬢様は興味を持てないものに関して、時折無意識に苛烈になることがある。今回もあまり関心を持っているようには見えない。何事も起こらなければいいのだけど。
「私は何をすればいいのでしょう?」
「到着したら、陛下と謁見をするので同席してくれ。その後許可を貰い次第調査を開始する」
私はずっと気になっていたことをジークルード殿下に尋ねてみた。
「他国の人間が口を挟んで問題ないのでしょうか?」
「あちらの陛下の希望だから問題は無いが、他の人間からすると良い気はしないだろうな。実際エイブラムも難色を示していた」
お嬢様はそれを聞いてため息をついた。私も合わせてため息をつく。せめてお嬢様の気を紛らわす何かが、あの国にあれば良いなと思う。
* * *
短くも長い旅を終え、王城に着く。フェルアフリーゼの王城には何度も行ったことはあるが、他国の王城となると、造りが違うので新鮮だった。特に目を引いたのが、入り口のすぐ近くにある大きな柱時計だ。タイミングよく、私たちの入城と同時に澄んだ鐘を三回鳴らしてくれて、聞き入ってしまう。
「すごいですね」
私が思わず声を漏らすと、お嬢様も柱時計を見ながら頷いた。
「ええ、まだフェルアフリーゼの王城にはこんな立派な時計はないものね。この国は鉱石が豊富なので工業が発達しているの。時計の部品にも高価な宝石が使われたりしているそうよ」
私はなるほどと言って首肯する。私には仕組みの想像もつかないがお嬢様はある程度知っているようだ。柱時計の近くには革製の前掛けをつけた殿方が一人立っていた。その傍には何に使うかわからない道具が雑多に入った箱があった。
私たちの会話を聞いていたのか、その職人っぽい殿方はにこやかに近づいてきた。
「よくご存知で。ご令嬢はあまりこういった機械に興味が無いと思ってたんだけど珍しいな」
「あなたはこの時計の職人さん?」
「ああ、これは失礼。時計技師をやっているエルマーだ」
時計に興味を持って貰えたのが嬉しかったのか、嬉々として答えた。油で汚れてはいるが、鼻筋の通った顔立ちをしている。ずいぶん若く見えるが、それだけ腕が確かなのだろう。
「ここしばらく調子が悪かったんだけどな。お嬢さん方を迎える時には間に合ってよかった」
「美しい鐘の音が聞けて嬉しいわ。それもあなたが手入れをしてくれているおかげね」
話を聞くと二週間に一回、貴族街から出向いて来て定期的に整備をしているらしい。油を差したり、摩耗している部品を交換したり、錘を巻き取ったりと整備内容は多岐に渡る。手入れは大変なようで、今日は城に泊まり込んで、明日帰るそうだ。
私は半分も理解できなかったが、時計技師と専門的な話で盛り上がれるお嬢様の方が異常なのだと思う。ちらっとジークルード殿下の方を見たが、私と同じように話についていけず、無表情のまま眺めているしかないようだ。
「将来は独立して、自分で時計を作って売るのが夢でね。働きながら金を貯めている。部品は高価だからな、まだ何年か、かかる予定なんだ」
「とても良い夢ね。ふふ、もし独立したら私の家の時計はぜひあなたにお願いするので、よろしくね」
「約束だぞ、お嬢さん」
そんな話をして、時計技師のエルマーと別れた。話を終えたあとのお嬢様の顔を見て、幾分か機嫌が良くなったようで、私は安心した。
「……ずいぶんと親しげだったな」
ジークルード殿下が、お嬢様に声をかけた。若干面白くなさそうな口調だったが、お嬢様は意に介した様子もなく、
「ええ、有益な話をたくさん聞けました。本当に腕の良い職人さんなのだと思います」
と返した。
少しばかり寄り道をしてしまったが、広間を抜け、会談室の扉を開けると喧騒が耳に飛び込んで来た。続いて、大きな机を囲んで幾人もの人間が大量の書類を挟んで顔を突き合わせている。地図が何枚も広げられ、封を切られた手紙が山積みだ。
事件が起きてからちょうど二週間経っているのだが、まるで昨日事件が起きたかのように慌ただしい。一見しただけで忙しいことが伝わってくる。
部屋に入って来た私たちを認識した国王陛下は、椅子から立ち上がり歓迎の意を示した。
「よく来てくれた。少し慌ただしくしているがゆっくりしていってくれ」
「お招きいただきありがとうございます、陛下。神々の導きのもと、このように再びお目にかかれましたこと、光栄に存じます」
ジークルード殿下が先頭に立ち、胸に手を当て一礼する。私たちもそれに倣う。陛下は顎ひげを撫でながら、お嬢様の方を見た。
「ほう、この方が、話にあったエレノア嬢か。想像よりずいぶんと幼い見た目をしておる」
「はい。私とともに、今回の宝石盗難事件に協力させていただけないでしょうか」
「なんでも、貴国で起きた奴隷事件を解決した立役者とのことだったな。だが、その話は本当なのか?失礼ながらあまりそうは見えぬのだが」
陛下は怪訝そうな顔でお嬢様を見ている。女子供ということもあり、侮られるのは多少仕方がないことだと思う。この可愛らしい見た目に畏怖しろという方が難しいのは理解しているが、お嬢様の専属侍女である私としてはやはり納得がいかない。優秀さを喧伝して良いのであればいくらでもしたい。
「我が国でも指折りの才女です。必ずやこの国の力になることでしょう」
ジークルード殿下が、そう言った直後、エイブラム殿下が話に割り込んで来た。
「その必要はない。この僕が今回の事件を解決する。多少頭が回る程度で首を突っ込んで貰っては困る」
「だが、エレノアの観察力は君も見ただろう?役に立つことは私が保証する」
「運が良かっただけだ。あの程度自慢するほどの事でもない」
ふむ、と陛下が何かを考えるように呟く。その様子をお嬢様はじっと見つめていた。陛下の出方を伺っているだけかもしれないが、それにしてはかなり真剣に観察している気がする。陛下の顔に何かついているのだろうか?
「解決するなどと嘯いているが、この事件お前はどう考えているんだ?」
陛下はエイブラム殿下に水を向けた。先ほどより明らかに口調が厳しくなっている。調査が進展しないので、エイブラム殿下にきつく当たっているのかもしれない。
エイブラム殿下は、陛下のそんな様子など気にも止めず、まるで物語の主人公にでもなったような雰囲気を醸して話し出した。
「そうですね… 衛兵が怪しい足音を聞いたと言う時刻に、宝物庫に近づいた城の人間はいません。ということは犯行は外部の人間によるもの。誰にも目撃されず城に忍び込み、鍵のかかった扉を開けることは簡単ではありません。非常に巧妙で練られた計画性を感じます。この僕に匹敵するぐらい優秀な窃盗団の可能性が高いかと」
「そうであるならば、宝石を取り戻すのはかなり難しいやもしれぬな」
「世界に一つしかない至高の宝石です。おそらく相当の高値で捌かれてしまっているでしょう」
陛下とエイブラム殿下は意見を交換し合っている。
私は誰にも聞こえないように、そっと小声でお嬢様に耳打ちした。
「お嬢様はどう思われるのですか?」
それを聞いてお嬢様も小声で返事を返した。
「帰りたいわ」
「いや、そうではなくてですね…」
「わかってるわ。事件の話でしょう?別に私としてはその架空窃盗団の仕業でも良いのだけれど、それだといつまで経っても帰れないから困るわ」
お嬢様はやはり違う意見を持っているようだ。と言うかちょっと辛辣で怖い。普段のお嬢様は、温厚で温和で柔和なのだが、つまらないものに相対した時はたまにこんな感じで言葉や態度が鋭くなったりする。
「エレノア嬢の意見も聞かせて貰おうか」
陛下がお嬢様に話を振った。お嬢様はどうしようかと逡巡したように見えたが、息を深く吐き出すと、おもむろに話し始めた。
「宝石を盗んだ犯人は、非常に浅はかな人物と言わざるを得ません」
「なんだと?」
真っ先に突っかかって来たのはエイブラム殿下だ。殿下の意見を真っ向から否定したようなものなので、無理もないだろう。
「なんの証拠も残さずこれだけのことをしているのだぞ」
「その前提がまずおかしいのです。エイブラム殿下の宝石を盗もうとした場合、なぜ王城に忍び込み、宝物庫から盗むなどという難易度の高いことをしたのでしょうか。もし、私が犯人であるならエイブラム殿下の外出時、人目につかないところを狙って襲撃します」
お嬢様のなんとも不躾な物言いに、私の背筋をヒヤリとしたものが撫でた気がした。陛下とエイブラム殿下は渋面を作っている。お嬢様も気付いているだろうに知らん顔だ。
「そもそも最もわからないことは、窃盗団だとするならば、なんの目的で宝石を盗んだかということです」
「当然売って金に換えるためだろう」
「それは誰に売るのですか?」
「商人に決まっている」
お嬢様は首を横に振った。
「商人とは利益を求め、物を売買する方たちです。仕入れるからには販売をしなければならず、仕入れたものが売れなければそれは損失です。そのため、利益にならないものを取り扱うことはありません」
「何が言いたい?」
「エイブラム殿下が国宝の宝石を所持していることは、この国の貴族であれば誰でも知っています。その上で、この宝石を一体誰が買うというのでしょうか。世界に一つしかないものなので、王家が手放したという話がない以上、盗品であることは必然的に誰でもわかります。そんなものを売買する以前に、持っているだけで多大なリスクだと言えます」
私はなるほどと心の中で頷いた。そんな危険な物を欲しがるなんて、極々わずかな好事家や闇商人ぐらいで、明らかに手間とリスクが見合っていない。お嬢様は話を聞いただけでそこまでのことを考えていたのか。何度見てもお嬢様の理知には舌を巻く。
「巧妙な計画を練られる方であればまず殿下の宝石を狙うこと自体しないでしょう。以上が犯人は浅はかだと言った理由になります」
少なくとも私から見れば、ぐうの音も出ないぐらいにエイブラム殿下は言い負かされている。お嬢様と舌戦をしようなどと百年早い。だが、エイブラム殿下はまだ食い下がる気でいるようだった。
「だ、だがそうだとしたら衛兵の証言はどうなる?」
衛兵の証言。確か十二時ごろ怪しい足音を聞いた、だったような気がする。その時の城内の宝物庫の鍵を持つ人全員の居場所がわかっているとか。うーん、と私が首を捻っていると、
「それは嘘ですね」
と、お嬢様が澄ました顔をして、竹を割ったような一言を返した。エイブラム殿下は口をヒクヒクさせていたが、会談室を警備している兵士の一人をお嬢様の前に突き出した。
「この方が事件当日に巡回していた衛兵さんでしょうか?」
「ああそうだ。貴様はあろうことかこの衛兵を嘘つき呼ばわりしたのだ。嘘を証明できなければ侮辱罪で投獄してやる」
お嬢様は別段動揺した様子もなく、表情を変えずに衛兵の方を見る。対して衛兵は緊張して固くなっているように見えた。
「あなたは十二時ごろ怪しい足音を聞いたと言うことですけど、それは本当ですか?」
「はっ!間違いありません!」
畏まって答える衛兵を、お嬢様はじっと見つめている。まるで衛兵の目の奥を覗いて直接思考を読み取っているようだ。
「どんな足音だったのですか?」
「え、ええと、なんか走っているような足音だったかと…」
「それだけですか?」
「は、はい!それだけです!」
「本当に?」
「は、はい…」
お嬢様に詰め寄られて、声が小さくなっていく衛兵。挙動も不審で少し可哀想になってくる。エイブラム殿下が間に入って来た。
「おい!それだけだと言っているだろう!強引に何かを言わせても嘘をついている証明にならないぞ」
「逆です、エイブラム殿下。本当に足音を聞いていたのなら、足りないのです」
「何がだ」
「走っているような足音が宝物庫に向かうものだったとして、帰りの足音はどうしたのでしょうか」
エイブラム殿下は、ハッとしたような表情になって、衛兵に問いかけた。
「おい、どうなんだ?」
「え、あ、はい!申し訳ございません、伝え損ねておりました、足音を二回聞きました!」
「本当に?二回聞いたのですか?」
「え、は、はい」
「それ以外の物音は?」
「それ以外は何も…」
「絶対に間違いありませんか?」
お嬢様の圧に、衛兵は小声ではいと返事するしかできない。お嬢様の言を信じるならば嘘をついていることになる。衛兵はすでにしどろもどろになっているし、お嬢様は揺さぶりをかけて、何かを引き出そうとしているのは私にもわかる。
「それでは、どうやって足音を聞いた時間が十二時ごろとわかったのですか?」
「そ、それはもちろん時計の鐘の音を聞いて…」
「先ほどそれ以外に物音を聞かなかったとおっしゃいませんでしたか?」
「え、いや、それは…」
衛兵が口籠る。吹き出す冷や汗が頬を伝って流れているのがわかる。
「き、聞きました!度々申し訳ございません!確かに鐘が鳴っておりました!」
お嬢様はため息を吐くと、エイブラム殿下の方を見た。殿下は苦々しい顔をしている。
「まだ続けますか?」
チッと舌打ちをして、エイブラム殿下は衛兵を見た。
「事件の日の夜、時計は整備中で鐘は鳴っていなかった。鐘を聞いたなどあるはずもない」
「え…」
衛兵は言葉を失った。再三意見を翻しておいて、やっぱり聞いていませんでした、では通らないだろう。
「ちなみに直接見に行った、ということもありません。宝物庫とは逆方向の柱時計を見に行ったというのも不自然ですし、柱時計には時計技師のエルマーがいました。あなたが来たのならそう証言しているはずです」
「虚言で捜査を撹乱した罪は重い。連れていけ」
エイブラム殿下はそう言うと、その衛兵は他の衛兵たちに連れて行かれてしまった。陛下はその一部始終を黙って見ていたのだが、突然笑い出した。
「なるほど、なるほど。ジークルード殿下がこれほどまでにエレノア嬢を推していた理由がよくわかった。ずっと滞っていた調査を瞬く間に進めてしまった。もしやすでに犯人もわかっているのではあるまいな?」
「それはまだわかりません。ですので、私を宝石を保管してあった場所に入れていただけないでしょうか。一度自分の目で見てみたく存じます」
お嬢様の言葉を聞いたエイブラム殿下が口を挟んできた。
「勘違いするな。思い付きが当たって良い気になっているのかもしれないが、この程度のこと少し時間をかければ誰でもわかる。宝物庫は余所者が入るようなところではない」
「黙れエイブラム。何も成果を出せていないお前にエレノア嬢を侮る資格などない。お前と宰相でエレノア嬢を案内しろ」
顔を歪めて押し黙るエイブラム殿下。お嬢様のおかげで調査が進んだのだから、もっと感謝してへりくだればいいと思うのだが、
「ふん、運が良かったな」
とあくまで強がって捨て台詞を吐いていた。
*
「お嬢様は最初から衛兵の証言を疑っていたのですか?」
宝物庫に入る準備が整うまで、私たちは待合室で待機をしている。準備ができ次第宰相が呼びにくる手筈になっている。それまでの間私たちはテーブルを囲み、出された紅茶に口を付けながら、雑談がてら暇を潰していた。
「足音を聞いていたと証言しているのが一人という時点で怪しいと思ってたわ。真面目に勤務している人ばかりでないのはわかっていたからね。それでエルマーの話を聞いて確信したの」
結局衛兵が嘘をついていた理由は、巡回をサボって居眠りしていたというどうしようもないものだった。事件が起きて、慌てて後付けで証言しただけのお粗末な話だ。
「ではお嬢様は最初から内部犯だと思っていたのですか?」
「そうね。少なくともお城に勤めてる誰かだと思っているわ」
お茶菓子を可愛らしく頬張っているお嬢様を見て私は和んでいた。しばらくぼーっと眺めていたが、ふと正気に戻る。お嬢様がいるからと思考停止するわけにはいかない。少しでも助けになれるように、私も事件のことを考えてみなければ。
お嬢様のおかげで、とりあえず犯行時間の問題は解決した。でもここから容疑者をどうやって絞り込むのだろう。鍵を持っているのは、陛下、宰相、エイブラム殿下、侍女長だったはず。だけど鍵がないからと言って犯人ではないとは言えない。借りたり盗んだりすれば誰でも入れてしまう。時間をかけられるなら合鍵を作ったり、鍵師のように鍵を使わず開けたりすることもできるのではないか。
それにお嬢様の話だと、なんで宝石を盗まれたのか自体がわからないということなのだ。そんな状況で本当に宝石を取り戻すことができるのか。
頭が熱を帯びてきたころ、私と同じくお嬢様を眺めていたジークルード殿下もお嬢様に声をかけた。
「しかし、私が依頼されたというのに、まるで役に立ててないな。エレノア、何か私にもできることがあったら遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
お嬢様はにこりと微笑んで返す。
「ジーク様はエイブラム殿下と仲がよろしいのですか?」
「仲が良い、というほどではないが、昔からの顔見知りではあるな」
と、そこまで言ってジークルード殿下は語気を強めて言った。
「だが、エレノアに対してのあの態度は頂けん。昔から勝負好きで負けず嫌いのところはあったが、他国の令嬢に対する態度ではない」
表情こそ変わらないが、かなり怒っていることが伝わってくる。これでもジークルード殿下はかなり言葉を選んでいるはずだ。本音で話したならばエイブラム殿下に対して、罵詈雑言が飛んでいくかもしれない。
「でも宝物庫を調べる許可を貰えて安心しました。正直なところ一番の難関だと思っていました。宝物庫の中を見られないことにはやっぱり何もわかりませんから」
確かに自国の人間だって入れる人が限られているようなところを、他国の人間に見せるなんて異例のことだろう。それを勝ち取ったお嬢様はやはりすごいのだ。
部屋の扉がノックされて開かれる。私たちが視線を向けると、そこにはエイブラム殿下と、紳士然とした長身の殿方が一人立っていた。先ほど会談室にいた時に見た覚えがある。この人が宰相だったはずだ。軽い挨拶を交わして、宝物庫へ向かう。
「先ほどはお見事でした、エレノア様」
宰相がそう言うと、エイブラム殿下は不快そうに鼻を鳴らす。
「殿下。相手を認めることも大事なことです」
エイブラム殿下は宰相と目を合わせようともしない。宰相は苦笑しながら言う。
「私は長年殿下の教育係を務めていました。我が子のようにとまでは言いませんが、懸命にお世話をして参ったのです。今はこんな風に捻くれてしまいましたが、昔はもっと素直だったのですよ。殿下に代わってお詫びいたします。……っとここですな」
宰相は宝物庫の扉を手持ちの鍵で開ける。
中から古い木や油の入り混じった、埃っぽく少しカビ臭い空気が鼻をついた。中に入ると、宝物庫というだけあって、なかなか壮観な光景だった。
入り口すぐのところには、宝石の付いた留め具で前を留めたマントがいくつも掛けられている。これがおそらく、王族の方々が身に着けるものなのだろう。侍女長が毎朝、替えのマントを持ってここで取り替えるため、入り口近くにあるのだ。
奥の方はそれなりに広く物があふれている。例えば、黄金色に輝く彫像や、花瓶等の調度品、絵画、織物、あとは何かの儀式で使うのであろう玉座や王冠等もある。ほとんど布が被せられ、埃を被っているが、一部綺麗な部分もある。こういう掃除ムラみたいなのは職業柄気になってしまうが、別に他国の侍女たちに文句を付ける気はない。
お嬢様は入り口付近でしゃがみ込んでいたのだが、しばらくすると何かを見つけた様子で立ち上がった。そしてそのままゆっくり床に目を落としたまま、奥の方に移動した。
私も後をついて行くと、物を掻き分けた先に、大きな肖像画が現れた。歴代の国王と王妃が描かれたものらしい。銘板に王としての在位期間が刻まれている。
お嬢様は、この肖像画をじっと眺めている。現国王陛下とそのお妃様の肖像画もある。エイブラム殿下のものはないが、まあ即位していないので当然だ。別に見たくもないが、振り返ってエイブラム殿下の顔を見てみる。母親似なんだなという感想しかない。
「貴国ほどではありませんが、我が国もそれなりに歴史はあります」
私たちがじっと肖像画を眺めていたのを見て、宰相が後ろから声をかけてきた。どことなく誇らしげな声にも聞こえる。
「ええ、壮観ですね。これだけの歴代の王族の方のご尊顔を拝することができて光栄です」
お嬢様は満足そうに頷いて、宰相の方に向き直った。
「ここの管理は宰相様が行っているのですか?」
「はい、私の担当です。目録を付けていて定期的に確認しています」
お嬢様は手渡された目録に目を通している。目録に視線を落としたまま、宰相に問いかけた。
「盗まれたものは宝石だけだったのでしょうか?」
「いえ、実は予備の金貨も盗まれております」
「金貨?」
「はい、金庫に入れてある国の予算とは別に、貯蓄のようなものといいますか、不測の事態への備えの金貨がこちらに保管されています。その金貨の一部が失われておりました」
「どのぐらいですか?」
「およそ七千枚ですね」
「それはまた随分な金額ですね。支障はないのでしょうか?」
「現状使用することはないので国の運営自体に問題が出るというわけではないのですが、まあ大変な損失と言えますな」
宰相は苦笑しているが、笑ってる場合なのだろうか。詳しく知っているわけではないが、お嬢様のレヴェラント公爵家の年間収入と比較したって大金だと思うのだが。金鉱山やその他資源に恵まれたルクスランド王国にとっては、まだ笑って許せる範囲なのだろうか。
「宰相様は事件のあった夜、どちらにおられましたか?」
「私はその時は所用で陛下とともに外出していました。戻ってきたのは一時を半分過ぎた頃で、入り口の柱時計を確認しましたので間違いありません。その時にはもう時計技師も、立ち会いの侍女長もいませんでしたな。門番の記録にも残っています」
「その後は?」
「自室で寝ただけですね。もしかして疑っておられますか?」
ニヤリとしながら、宰相はお嬢様に問いかける。
「いえいえ、念のための確認です。お気に障りましたなら申し訳ございません」
なぜか楽しげな宰相だが、お嬢様は貴族的な微笑みを浮かべて、お辞儀をした。
「無論だ、この宰相は長年国を支えてくれた重鎮だ。国宝の宝石を盗むなどするはずはない」
「エイブラム殿下は、宝物庫を見て何か気づいたことはありませんか?」
「気づいたこと?別に変わったことなどないが」
「本当に何も気づかなかったのですか?」
「くどい」
お嬢様はため息をついた。表情が抜け落ちてエイブラム殿下を見る目から光が消えた。私はこの目を知っている。お嬢様が興味を無くしたものを見る時の目だ。おそらくエイブラム殿下は、お嬢様に完全に見限られてしまったのだ。と思ったその時、
「ならば賭けるか?」
とエイブラム殿下は言った。お嬢様の目に光が戻り、耳をぴくりとさせ、エイブラム殿下の方に向き直った。
「賭け…ですか?」
「ああ、お前は自分を過大評価しているようだからな。幸運はいつまでも続かぬと教えてやる」
お嬢様は目をぱちぱちと瞬いたあと、ニンマリとして私の方を見た。ああ、と私は嘆息する。これはいけない。完全にお嬢様のスイッチが入ってしまった。私は渋面を作ってお嬢様の笑顔を受け止める。
「ねえ、アンナ、これは不可抗力よね。レヴェラント公爵家たるもの、敵前逃亡は罪だと思わないかしら?」
「他国の王子を敵扱いなんてしたら大問題ですよ。それにあとで絶対当主様に怒られます」
とりあえずたしなめようとするが、無駄なのはわかりきっている。こうなったお嬢様は私にはどうすることもできない。
「でも、公爵家の名誉の為にもやっぱり挑戦は受けるべきよね?ね?」
「……私は止めましたよ」
額を手で押さえながら私は折れる。お嬢様はよし、と言ってエイブラム殿下に向き直った。
「実は私、賭け事に目がないのです。是非ともお受けさせてくださいませ」
今にも踊り出しそうな勢いで言う。この国に来てから一番楽しそうだ。エイブラム殿下はそれを聞いて腕組みしながら鼻を鳴らした。
「度胸だけは認めてやる。だがお前に合わせてままごとみたいな勝負をするつもりはない。チップは金貨百枚だ」
えっ、と声が漏れそうになってしまった。冗談では済まないぐらいの大金だ。私の給金では二年働いても稼げない額である。公爵令嬢であるお嬢様は払えない事もないだろうが、それでも相当な痛手にはなるはずだ。だが、お嬢様は怯むどころか、小首を傾げ、不思議そうにしながら言った。
「金貨?そんなものを賭けて楽しいのですか?」
「なに?」
「私はこの身を賭けたいと思います。もし負けたら奴隷になりましょう。エイブラム殿下は王位継承権をお賭けくださいませ」
「エレノア様!?」
思わず声を上げてしまった。いきなりなんてことを言い出すのか。完全に想像の外の話しだ。
「ち、ちょっとお待ちください。本気ですか、エレノア様」
「もちろん本気よ。真剣勝負でないと面白くないものね」
そういう問題では…と言いかけたが、先に声を上げたのはエイブラム殿下だった。拳で壁を叩くと、ズガンと派手な音を立てて部屋に響いた。
「ふざけるな!お前、自分で何を言っているかわかってるのか?負けてからやっぱりやめてくれと言ったって遅いのだぞ」
「もちろんでございます。そんな恥知らずなことは申し上げないと誓いましょう」
「正気か?いや、そもそも、お前が奴隷になろうと知ったことではないが、一国の王太子である私の身がお前と釣り合うわけがないだろう!不敬がすぎるぞ」
お嬢様はうーん、と考えている。お嬢様には申し訳ないが、エイブラム殿下の言っている事は正論だ。天秤に乗せるには王族という身分はあまりにも重い。結局天秤の反対側に何を乗せたところで無礼と言われればそれまでだ。
「ならば私が賭けのチップになろう」
ここまで何も言わずに黙っていたジークルード殿下が、とんでもないことを言い出した。お嬢様も驚いて何かを言いかけていたところをジークルード殿下は手で制した。
「エレノアが負けたら私も王位継承権を放棄しよう。まさかこれでも足りないとは言うまいな?」
「お前ら…」
エイブラム殿下は二人を交互に睨んだあと、
「後悔するなよ」
と言って去って行った。
*
私はお嬢様をこの上なく敬愛しているが、どうしても看過できない悪癖がいくつかある。そのうちのひとつが賭け事だ。お嬢様が最初に賭け事をしたのは、領地の仕事をしている時の交流会だった。
お嬢様はその時初めてカードを手にしたのだが、ルールを覚えたお嬢様は、あの手この手で相手をコントロールし、嬉々としてその場のチップを根こそぎ回収してしまった。当主様に、接待も含めているから手加減しろと怒られていた記憶がある。
「ジーク様、巻き込んでしまい申し訳ございません」
お嬢様は面目なさそうな顔をして、ジークルード殿下に頭を下げている。
「構わない。エレノアが負けるなど、万に一つもないと思っているからな。それに、君がその勝負を望むなら私も隣に立ちたかった」
お嬢様は、ありがとうございますと感激してジークルード殿下の手を取った。お嬢様の天使の笑顔に心を打ち抜かれて無表情のまま顔を赤くして固まっているが、そんなハートフルな話で済むわけがない。どう考えても国際問題だ。私もお嬢様が負けるとは全く思っていないのだが、そもそも勝とうが負けようが角が立つことは避けられない。お嬢様はどうするつもりなのだろう。
それに、ジークルード殿下も困ったものだ。殿下にはお嬢様を止めて欲しかったのだが、まさか一緒になって暴走するとは思わなかった。お嬢様の中で、殿下の株が急上昇しているのは結構なことだが、今後はちょっと警戒が必要かもしれない。
「賭け事に目がないと言うのは初耳だったな」
「お父様に止められていたのです。お前の賭け方はいつか破滅すると。なので私から賭けを申し込むのは難しかったのですが、まさかエイブラム殿下の方から申し込んで貰えるとは思いませんでした。運が良かったですね」
止められていなければ、自分から喧嘩を売る気だったのか。私はそれを聞かなかったことにしてお嬢様に問う。
「勝算はあるんですよね?」
「現状では、ほとんど勝ち目はないわね」
「どういうことですか?」
「多分、宝石を持っているのはエイブラム殿下だもの」
「「えっ!?」」
私と殿下は二人で驚きの声を上げた。そしてお互いに顔を見合わせる。私は身を乗り出して尋ねた。
「ど、どういうことですか?いや、それってかなりまずいんじゃ…」
「宝物庫を見て、一応仮説は立てていたの。私の見立てでは、賭けのレートを上げればエイブラム殿下は降りると思っていたわ。でも王位継承権を賭けると言っても、降りずに乗って来た。それはエイブラム殿下に勝算があったからね。推測と照らし合わせれば殿下が宝石を持っていると見てほぼ間違いないと思うわ」
私とジークルード殿下は絶句している。お嬢様が負けるわけないとは思っていたが、それは聞いてない。病に罹ったように動悸が早くなり、呼吸が浅く激しくなっていく。
「ふふふ、このスリルこそ賭けの醍醐味よね。勝ちの決まった勝負なんて何も面白くないもの。この気持ちを理解してくださったのはジーク様が初めてです。私、とても嬉しいです。それでは行きましょう」
颯爽と歩を進めるお嬢様に、慌てて追い縋る。
「行くってどこにですか?」
「決まってるわ。侍女長のところよ」
*
「申し訳ございませんが、お話しできかねます」
侍女長が口を一文字にしてピシャリと言う。話を聞くため、使用人控え室を訪れたのだが、歓迎されていない雰囲気が伝わってくる。
侍女長というので年嵩の人を想像していたのだが、ずいぶんと若い。三十代かそこらだろうか。綺麗な顔立ちをしているのだが、私たちに対してはまるで仮面でも被っているかのように、作り物めいた表情を向けている。
「私どもも忙しいので」
「忙しいところ申し訳ないと思いますが、お願いできませんか?」
「ダメです。エイブラム殿下からお話ししてはならないと仰せつかっております。あなたより身分の高い方からの指示です。従うのが筋だと思います」
お嬢様は口をつぐんだ。身分を持ち出されるとなかなか無理にとも言えないところだ。それにしても、エイブラム殿下は侍女長に妨害を働きかけたのか。陰湿だけど、確かに私たちは情報を集められないと何もできない。公平性を考えなければ非常に有効だ。
「油断していました。私のミスですね」
お嬢様は反省したようにポツリと呟く。それを聞いて殿下も頭を下げた。
「私からも頼む。こちらにとっては大事な話なのだ」
「存じております。なんでも殿下と賭けをなさっているとか。ならなおさら、話すわけにいかないことぐらいご理解いただけますね。自業自得だと思います」
ツンと澄ました顔でそっぽを向く侍女長。そもそも侍女長自身、私たちのことを快く思っていないように見える。お願いを断る大義名分としてエイブラム殿下の指示を持ち出しているに過ぎない。
「お引き取りください」
そう言って背を向ける侍女長。いくら指示があったとしてもそれは侍女として客人に取るべき態度なのだろうか。私が文句を言おうと前に出たが、お嬢様が、
「仕方がありません」
と私の服の裾を引っ張った。
「お話しできないのはわかりました。私と侍女長との間で会話をすることがダメなのですよね?それでしたら、私が一方的に侍女長に話しかけますので、それなら良いですか?」
侍女長は背を向けたまま何も答えない。無視を決め込むらしい。まあ話しかけるだけと言っているので、返事をする必要はない。お嬢様はそれを肯定と捉えたのか、侍女長からは見えないが一歩近づく。そして憂いを帯びた表情で言った。
「あなた、不倫してますね」
ゴホッと咳き込んだ後、いきなりこちらを振り向く侍女長。
「な、なにを……」
と言いかけたところをお嬢様は人差し指を侍女長の口の前にそっと立てた。
「宝物庫って密会するにはとても便利ですよね。誰も来ないし、仮に誰か来たとしてもすぐに物陰に隠れられます。度々中に誰か殿方を連れ込んでいたとしても、誰にも気付かれないでしょう」
お嬢様は微笑んで続けた。
「ああ、何もお返事しなくて結構ですよ。尊きお方からの指示は大事ですものね。盗難事件のあった日も、あなたは宝物庫の奥で密会をしていました。肖像画の辺り、埃が無くなっていましたので」
顔が真っ青になって、酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。さっきまでの澄ました表情はまるでなく、侍女長の顔からは大量の脂汗が流れ、過呼吸の音だけが聞こえてくる。
「否定なさらないので、陛下に侍女長がお認めになったと報告して参りますね。ご迷惑おかけしました」
話さないのだから否定できないのをわかっていた上で敢えて言っている。お嬢様は貴族的な微笑みを浮かべ、お辞儀をしてその場を去ろうとしたが、
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
と言って侍女長が回り込んできた。このわずかな間に急に十歳ぐらい老けた感じがする。
「エイブラム殿下の言い付けはよろしいのですか?」
「大変申し訳ございませんでした!私にできることなら何でもいたしますので何卒……!」
お嬢様は優しく微笑んだ。知っていることを洗いざらい話して貰ったのだが、その間私とジークルード殿下は一言も喋らなかった。無意識にお嬢様といつもより距離を取っていた気がする。
「そんなに引かなくても良いじゃない。エイブラム殿下との勝負に手を抜く方がきっと失礼よ」
「ソウデスネ」
カタコトのような返事をすると、お嬢様はリスのように頬を膨らましながら睨んでくる。
なぜ不倫していることがわかったのか不思議だったけど、半分は鎌をかけただけだったらしい。もし事実無根だったとしてもそんなこと陛下に吹聴されたら大変だもの、黙ってるわけにもいかないでしょう?と言っていた。少し侍女長に同情してしまう。ちなみに不倫相手は時計技師のエルマーだそうだ。王城に入った時に、お嬢様と時計の話で盛り上がっていた人だった気がする。
「そ、それで、私は見逃していただけるのでしょうか?」
「私からは陛下に報告はしないとだけ言っておきます」
使用人控え室を出て、廊下を歩く。誰もいないところまで歩くと、お嬢様は振り返って私たちの方を見た。目を閉じて耳を澄ましている。何かに得心したように一人で頷くと、また少し歩みを進めて止まる。
「お嬢様?」
何をしているのだろうと思い問いかけると、それには答えず、
「この辺で良いかしらね」
と言ってまた私たちに向き直った。
「さて、これで犯人は侍女長で間違いないわね」
「そうなのですか?」
先ほど聞いた話の内容では…と思ったが、とりあえずそのままお嬢様の話に耳を傾ける。
「侍女長とエルマーは夜、宝物庫で密会していた。エルマーが盗んだのかもしれないけれど、まあ鍵を持っている侍女長が主犯と言っても良いでしょう。侍女長には盗むチャンスがいくらでもあり、逆に他の人であれば侍女長たちに目撃されてしまいます。目的はエルマーに貢ぐためね。時計の軸受けには宝石が使われるから、盗んだ宝石はその部品にしたのだと思うわ。金貨は独立のための資金ね。お金を貯めていると言っていたもの。エルマーは明日帰ると言っていたし、明日の帰り際に宝石を渡すのではないかしら。その現場を押さえましょう」
*
「明日の帰り際に宝石を渡すのではないかしら。その現場を押さえましょう」
僕はそこまで聞いて、口角が上がるのを抑えられなかった。気付かれないように壁を背につけ息を潜める。あいつらは知る由もないが、この城は音が響くような作りになっている。うまく位置取りすれば話し声を隠れて聞くことなど造作もない。
馬鹿な奴らだと僕は思う。いい気味だとも。大体あの女は生意気だ。あんな運が良いだけの小娘が僕に勝とうなどと思い上がりも甚だしい。あの賭けは、調子に乗っているあの女を少し懲らしめてやる程度のつもりだった。どうせ真剣勝負などしたこともなく、面と向かって戦う度胸もないくせにと思っていた。尻尾を巻いて逃げ出したあいつを、臆病者と嘲笑ってやるつもりだった。なのにあろうことか、自分の身分を賭けに持ち出して、王太子である僕にも身分を賭けろと言って来た。今思い出しても虫唾が走る。しかもジークルードまで同じようなことを言い出す始末だ。僕は決して許しはしない。あの女が言い出したことだ。絶対に奴隷にしてやる。本物の宝石を僕が持っていると知らずに呑気なものだ。僕が持っている限り、僕に負けはない。あいつの幸運もここまでだ。
僕は心の中であいつをどうしてやろうかと夢想していたが、それと同時に自分の運の無さを思い出して腹が立って来た。場末の酒場でカードをしていた時のことを思い出す。
あの日は特別ついてなかった。負けが込み、手持ちの資金が尽き、胸元の宝石を賭けて勝負をしていた。あんな程度の低い連中、十回やれば八回か九回は僕が勝っているはずだ。だが、その一、二回の負けを引いてしまった。勝負に絶対はないこともわかっているし、負けを覆すなんて恥知らずなこともできない。
だが、この宝石を失うのは僕個人ではなく国としての問題になってくる。負けるはずないと勢いで賭けてしまったことを後悔したが取り消せるはずもなく、宝石を渡すのを一ヶ月待ってほしいと頼み込んだ。その間に精巧な偽物を用意すれば、マントの宝石が偽物になっていてもしばらく気付かれることはないと考えたからだ。
そしてそれは実行された。本物は僕の手中にある。だが、本来はそのまま何事も起こらなかったはずだが、すり替えた宝石が何者かに盗まれてしまった。本当に運が無い。本物の紛失こそしてないが、おかげで騒ぎになってしまった。どうせ本物は渡さなければならないんだから、目立たない方が良かった。
だが、なるほど。侍女長が盗んだのか。まあ確かに、あの若作りも、他に男がいたからかと思うと頷ける。ただ不遜にも僕の宝石を盗み、あまつさえ時計の部品にしようなどとは到底許せることではない。宝石を僕が持っている限り負けはないが、勝つには僕が見つけたことにしなければならない。懐からぽっと出すわけにもいかず、見つけたそれ相応の理由が必要なのだ。だから、その理由を探していたのだが、エレノアは良いことを口走ってくれた。あんな女が思い付くことであれば僕が考えて辿り着けたとしても何の不思議もない。つまり、侍女長の持ち物か私室の中に本物の宝石を仕込み、僕がそれを指摘してやればいいのだ。それで僕の勝ちだ。そしてあの女には僕を舐めたことを後悔させてやれる。本物の宝石はまたどこかで偽物にすり替えておけば良い。それだけのことだ。
今なら侍女長も仕事をしているので部屋にはいない。王太子である僕なら予備の鍵も自由に使える。入ってから出るまでものの数十秒だ。さっと花瓶の中にでも隠してしまえばいい。
準備を終えた翌朝、僕は父上に犯人がわかりましたと告げた。そしてあの女一行を呼び出す。澄ました顔をしているが、現実を直視してその顔がどう歪むか見ものだ。あの女の推理をそのまま口にする。
「宝物庫の奥に誰かがいた痕跡があります。僕の考えでは、侍女長は時計技師と不倫関係にあり、彼に貢ぐために宝石と金貨を盗んだのではないかと。宝石は時計の部品に、金貨は独立の資金にするつもりだったのでしょう。おそらくまだ侍女長は宝石をどこかに隠しています。部屋を調べれば見つかるはずです」
僕は得意げに推理を披露する。
先を取られる気分はどうだ?後からいくら自分が考えたなどと言ってももう遅い。これは僕の推理で、僕が宝石を見つけたんだと誰もが思うだろう。自分の愚鈍さを呪うと良い。
「なんと…」
父上は目を見開いて驚いている。これでようやく父上も僕の優秀さがわかっただろう。大体父上は見る目がなさすぎるのだ。僕に任せておけば全て解決するのに、こんな女どもを呼び寄せるなんて耄碌している。いい年なのだからもう世代交代の時期だ。
俯いていて表情がよく見えないが、きっとあの女も顔を青ざめさせて震えているに違いない。
父上は諦念したように呟いた。
「全部、エレノア嬢の言った通りか」
*
「どういう意味ですか?父上?」
「そのままの意味だ。お前が今日の朝、宝石を見つけたと言い出すところまで、昨日のうちに聞かされていた。お前が侍女長の私室に忍び込み宝石を隠しているであろうこともな」
「そんな馬鹿な、一体何のことで…」
「言い訳は良い。すでに昨晩、侍女長の部屋の花瓶から見つけた宝石を手渡されている。もちろん、エレノア嬢からな」
エイブラム殿下はバッとこちらを振り向いたが、お嬢様は表情も視線も変えずに黙っている。私たちはすでにお嬢様から説明を受けている。理解していないのはエイブラム殿下ただ一人だ。
「エレノア嬢、手間をかけさせて申し訳ないが、この馬鹿にも説明をしてやってくれないだろうか」
「構いませんが、私でよろしいのですか?」
ああ、と陛下はそれだけ言うと、どかっと椅子に腰を下ろした。お嬢様は面倒くさそうにため息をつきながらも、一歩前に出た。
「率直に申し上げて、殿下の推理はあまりに的外れです。時計の部品には、ルビーなどの硬い宝石を小さく切断し、研磨して使われます。わざわざエイブラム殿下の国宝のような大きなエメラルドを使用する理由がありません」
昨日廊下で語ったお嬢様の推理を思い出す。時計の部品にどんな宝石が使われるかなんて言っていなかった。そもそも、そんなことを知っている人なんて城内にはお嬢様とエルマーしかいないんじゃないだろうか。
「絶対とは言い切れないだろう!」
「いいえ、絶対です。なぜなら、隣には他の王族の方のマントも置いてあったからです。種類は全員違い、ルビーやサファイア、ダイヤモンドなどです。もし部品目的であれば、わざわざエイブラム殿下の宝石を取るはずがないのです。それでも否定なさるなら、その理由をご説明願えますか?」
エイブラム殿下はグッ、と小さく声を漏らす。あまりにも正論すぎて何も返すことができないのだろう。まあ当然だ。お嬢様から盗み聞きしたデタラメ推理をそのまま信じ込んでしまったのは、そもそも何も考えていないことに他ならない。考えていないのだから、反論するなんてできるはずもない。
「だが金貨の方はわからないだろう。お前の言ったように、宝物庫のものは換金性が悪すぎる。金銭目的で金貨を盗むことは十分あり得るはずだ」
「確かに、金貨を盗んだ目的自体はその通りでしょう。問題はどうやって金貨を運び出したか、です」
お嬢様に言われるまで私も気付かなかったのだが、あまりに大金すぎるのだ。百枚二百枚ならともかく、七千枚ともなると、侍女長の体重より重くなる。
それに私では百年働いても稼げない金額を、独立資金にというのもおかしな話だった。
「では一体誰が盗んだと言うんだ!」
「宰相です」
「そんなわけがない!この国を支えて来た重鎮だと言っただろう!お前に何がわかる!」
「あなたが宰相を信頼していることはわかります。そして、宰相がそれを利用したことも」
「ふざけるな!」
わなわなと震えながらお嬢様を睨んでいる。引っ込みがつかなくなっているのか、思い込んでしまっているのかわからないが、認めようとしない。
「一度にそんなに金貨を大量に運び出せば、台車を使ったとしても相当大きな音がします。誰かに気づかれる可能性が高いでしょう。この城は音が響く作りになっています」
「それなら一度に運び出したのではないのだ。不倫を繰り返していたというなら、何回かに分けていたとしか考えられん」
「もしそうなら、宝物庫を定期的に管理している宰相は必ず気づきます」
「なら!」
と、エイブラム殿下は叫んだが、続く言葉がなかった。宰相自身が盗ったのであれば、誤魔化す方法なんていくらでもあるということに気づいたのだろう。お嬢様はさらに追い討ちをかけるように続ける。
「金貨が減っていることはいつかはバレてしまうことです。どうにかしなければなりません。あることをきっかけに、問題を解決する良い方法を思い付きます」
「あることだと?」
「エイブラム殿下は宰相に、宝石を賭けて負けてしまったことを相談したのではないですか?」
「そ、れは…」
何も言えずに、口をつぐむ。その時点で認めたも同然だ。
「そして、宰相に偽物を用意してもらったエイブラム殿下は、自身のマントについていた本物の宝石をそれと取り換えた。その上で宰相は自身の横領を隠すために盗難事件に仕立て上げたのです」
「全部…全部!お前の推測だろう!」
「動機は推測ですが、証拠はありますよ」
「なんだと?」
「あなたが侍女長の不倫をバラしてしまいましたので、もう黙っている意味はありません。宰相が偽物の宝石をマントから外し、その場で粉々に砕いて、破片を回収したことをエルマーとともに証言してくれるでしょう。床に固いものを叩きつけた跡がありましたし、ほんのわずかですがガラス片を見つけました」
エイブラム殿下はとうとう黙り込んでしまった。顔からは血の気が引いて、お嬢様を何か得体の知れないものを見るような目で見つめている。ここまで説明されればもう何を言っても覆らないことぐらいわかるだろう。そして、全てお嬢様の手のひらの上で踊らされていたことも、ようやく理解できたのだ。
お嬢様とエイブラム殿下では、役者が違いすぎる。その一言に尽きる。
「賭けは私の勝ちですね。エイブラム殿下」
そう言ったお嬢様の顔は、とても無邪気な、天使の笑顔で満ちていた。
*
城内は騒然としていた。ルクスランドに来た直後の会談室も忙しなかったが、今はその比ではない。主にお嬢様が一気にことを進めたため周りが追いついていないのだ。
宰相とエイブラム殿下はそれぞれ別室に軟禁された。宰相は信じられないといった表情で否定していたが、侍女長たちからの証言は取れている。言い逃れはできないだろう。保身のための嘘は皆、お嬢様に暴かれてしまったため、城中の人間はその後始末に奔走している。
皆の頭を最も悩ませているのは、お嬢様とエイブラム殿下との賭けの件だ。呆れと怒りがないまぜになった空気がひしひしと伝わってくる。
私たちをこのまま帰すわけにもいかず、とりあえず落ち着くまで、応接室で待機をさせられている。賭けの件についての言及は避けられそうにない。
当のお嬢様は、賭けの余韻に酔いしれていた後、満足したのか、カリカリと何か手紙をしたためている。一体何をしているのだろうと思ったけど、私も忙殺されそうなほどの報告書を書かなければいけないので、今のうちに書き進めておくことにした。
城中に、柱時計の鐘の音が響く。鐘の音だけはいつも通り澄んだ音色だなと思った。
「事件を解決してくれたことは感謝している」
疲れ切った顔をした陛下は、応接室に入ってくるなり苦言を呈してくる。
「だが我が国の継承問題などお前たちが関与して良い範囲を遥かに超えている。はっきり言って今城内は滅茶苦茶だ。無論、エイブラムにも非があるのはわかっている。だがいくらエイブラムの態度が気に食わなかったとしても、余所者のお前たちが勝手に決めていいことではない」
怒りを隠す様子もなく私たちを非難してくる。おっしゃる通りだと思うので、何を言うこともできない。ジークルード殿下も同じ気持ちなのか、バツが悪そうに視線を背ける。そんな中お嬢様は、
「申し訳ございません」
と言って陛下の前に出た。
「良かれと思ってやったことでした。お気に召さなければ賭けの勝ちは放棄致しますので」
お嬢様がそう言うと、陛下は怪訝そうな顔をして言った。
「どういうことだ?エイブラムの態度に腹を立ててこんなことをしでかしたのではないのか?」
「いいえ、殿下にはむしろ楽しませてもらいました。詳しいことはこちらをお読みください」
お嬢様はそう言って手に持っていた二つに折られた紙を陛下に手渡した。陛下は眉根をひそめて手紙を受け取ると、開いて読み始めた。
その途端、陛下の目がこぼれ落ちるのではないかと思うぐらい大きく見開かれ、ヒュッと喉から息が漏れるような音がした。震える手で手紙を読み進めていたのだが、読み終えたのか、紙をくしゃっと握り潰した。
「もうよい!わかった!誰か今すぐこの紙を燃やせ!決して中は見るな!」
側仕えのような人が、紙を受け取るとその場で燭台の火にかざし、火皿に入れて灰になるまで燃やした。
息も絶え絶えになった陛下はお嬢様を睨んでいる。
「何が望みだ」
まるで脅迫でもされているかのようなセリフに私の方が戦慄を覚える。お嬢様は一体何をしたと言うのか。
「ご安心ください。決してこの場にいる人たち以外に口外しないと誓いましょう。継承権に関しては如何様にもして下さい。元々私には興味がありませんし、対価として何かを要求するつもりもありません。ですが今回の事件解決の褒美をいただける、ということであるなら欲しいものがあります」
「…一体なんだ」
「この国にしか自生しないという薬草を一箱いただけませんか?」
*
「エレノア様、説明して下さい」
帰りの馬車で私は真っ先にお嬢様に問いかける。陛下のただごとではない様子に、私は気が気でなかった。
ジークルード殿下も同じく説明して欲しいと続けた。興味本位ではなく多分私たちは知っておかないといけないことだ。
「大した話ではないわ。エイブラム殿下は国王陛下の実子でないのではないか、ということと、陛下が人を雇い、エイブラム殿下から宝石を賭けで奪ったのではないか、ということね。聞かれたら困る話かなと思ったから、紙に書いたのよ」
どの辺が大した話でないのかはわからないが、お嬢様はさらっと天気の話でもするかのように答えた。
時折ジークルード殿下が動かなくなる時があるのだが、原因はお嬢様の話を処理しきれなくて呆然としているだけと言うことを理解した。私もそうなりそうだからだ。
「も、もう少し詳しくお願いします」
「エイブラム殿下は、やたらと運にこだわっていたでしょう?あれで賭け事が好きなのかもしれないとは思っていたの。実際そうだったし、そうであるなら賭け事での手痛い失敗もつきものよね。勢いで宝石を賭けることも十分考えられるけど、結局宝石を賭けたって賭けられた方は困るでしょ?仮に勝ってもそれどうするのってことになるから。でもよく考えれば確実に買い取ってくれる人がいるわ」
「確実に買い取ってくれる人、ですか?」
「エイブラム殿下本人よ。殿下じゃなくても王族なら取り返したいと思う人も居るんじゃないかしら?例えば国王陛下とか。だけど、相手の身分次第でもあるけど、こんな話握りつぶされてもおかしくないわ。だから気付いたの。最初から陛下が買い取る算段がついていたんじゃないかって」
「なるほど、エレノアが考えていたことはわかった」
ようやく石化から解けたジークルード殿下が、話に入る。
「だが、少し足りない気がする。あくまで可能性でしかない。それに、実子ではないとはどういうことだ?」
「なんとなくですが、エイブラム殿下とルクスランド国王陛下はあんまり似てないなって思ったのです。宝物庫の肖像画を見て、歴代の王は父の特徴を結構継いでいるのに、やっぱりエイブラム殿下は肖像画の方々と比べても似ていませんし、歴代の王には全て首筋に小さい痣がありました。これもエイブラム殿下にはありません」
「なるほど。それで、もしかしたらなんらかの理由で父王の血を継いでいないかもしれないと思ったということか。確かに実子でないことを父王が勘付いていたのなら、なんらかの理由をつけて排斥したがるのは当然だ。王位継承権を賭けても、王の望みと一致しているならその後の問題を回避できると考えたわけだな?」
「その通りです、ジーク様。実際はそこまで思っていなくて、多分エイブラム殿下には一度痛い目をみて反省を促そう、みたいに思っていただけかもしれません。盗難騒ぎは全く別の問題でしたので陛下もかなり困っていたと思います」
「だから賭けの勝ちは放棄して、出生の秘密を知っているぞ、という脅迫まがいの手段に変更したということか。理解した」
すごい。ジークルード殿下はお嬢様の思考について行っている。私もちょっと頭で整理をする。
要約すると、陛下はエイブラム殿下が自分の子ではないと疑っていて、廃嫡させるためか、一度痛い目を見せるためかはわからないが、賭けで宝石を失わせたのではないか。お嬢様はそこまで考えたから、王位継承権を賭けても陛下にとって都合が悪いとは限らないと踏んだ。そして最後は、陛下本人の反応を見て答え合わせをした。ということだと思う。
結果無事に帰れているのだから成功は成功なのだろう。倫理も道義も度外視すれば、だけど。
「つまりエレノア様は可能性は高いと思ってはいたけど確証はなかったということですか?」
「そうね、確実でないからこそ、楽しいのよ」
* * *
「お姉様って頭良いのに、時々馬鹿よね」
お嬢様は、妹のミリア様が差し入れしてくれたクッキーを食べながら部屋に籠っている。
帰宅したあと、私の報告書を読んだ当主様から謹慎を言い渡されたためだ。当主様は普段は常に厳しい顔をしておられるのだが、報告書を読み進めているうちに顎が外れそうなほど口を開けていた。
私はちゃんと仕事をした。嘘偽りなくありのままを報告書に書いた。誇張も隠蔽もすることなくただ事実だけを書いたのだ。
「だって、仕方がなかったのよ」
「私が聞いたって、ダメなことをしてると思うもの。反省すれば良いわ」
「厳しいわね」
「それより、あちらの王子様はどんな人だったの?美しいお顔をしていたかしら?」
「もう忘れたわ」
「お姉様がたった数日で忘れるわけないでしょ。ちゃんと思い出して」
「目と鼻と口があった気がする」
「…やっぱり馬鹿なのかしらね」
机に突っ伏しているお嬢様を呆れた様子で、ミリア様は見ていた。お嬢様はどうしても行きたいところがあったようで、当主様に直談判をしていたのだが結果は変わらず謹慎処分になったことに拗ねている。
「ミリア、代わってくれない?」
「嫌に決まってるでしょ」
考える様子もなく拒否するミリア様を見て私はちょっと苦笑してしまう。
「驚く顔、私が見たかったな。アンナ、私に代わってよろしくね」
「承知しました。エレノア様」
私は頷く。これからお嬢様からのお使いだ。お嬢様は残念そうな顔をして私を見ていたが、すぐに机に頬杖をついて呟いた。
「はぁ…退屈ね…」
* * *
私は乗合馬車の待合室に待機していた。お嬢様の話だと王都から男爵領に向かう馬車は時間的にここしかないとのことだ。
お嬢様から預かった薬草が入った木箱を持ち、目的の人物が来るのを待つ。正直言えば私は会いたくない。あんな危険人物、お嬢様と関わりを持って欲しくないのだが、お嬢様の方からも歩み寄ってしまうのでなかなか難しい。
一人の少女が現れた。肩まで切り揃えられたウェーブのかかったピンクブロンドの髪に、簡素なデイドレスを着て、可愛らしいが一見どこにでもいるような少女だ。
ソフィアは私を見つけると、目を見開いて驚いた。お嬢様が見たがっていた、ソフィアの驚く表情を私は目に焼き付ける。
「お待ちしていました。エレノア様からの伝言です」
私は有無を言わさず、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「あなたは街道が封鎖されていて、荷が届かなくて困っていたのでしょう?この前のお礼ということで贈ります」
そう言って木箱を手渡す。中にはルクスランド国王陛下から、事件解決の褒美という名目で贈られた薬草が大量に入っている。
ソフィアはそれを黙って受け取った。
「あの事件、あなたは関係していないのでしょう?あんなつまらない事件があなたの作品だったら、今後のお付き合いを考えさせてもらうところだったわ」
ソフィアはようやく、くすりと笑って、
「ご慧眼、恐れ入りました」
と言った。
「エレノア様は隣国でどのようなご活躍をされたのでしょうか?」
ソフィアが私に尋ねたが、私はそっぽを向いた。
「あなたにエレノア様の勇姿を教えてあげる義理はありません。せいぜい見られなかったことを悔しがってください」
「ふふ、それは残念です」
ソフィアは微笑を浮かべて言った。そうなのだ。悔しがればいい。お嬢様はすごかった。単身で隣国と戦争をして蹂躙して来たようなものだ。嘘や隠し事をしていた人たちはみんなお嬢様に暴かれた。それを見られなかったなんて、人生を損している。私はお嬢様を自慢したくなる気持ちをグッと堪える。
「じゃあね、また遊んでちょうだい」
私はお嬢様の最後の伝言を、お嬢様の真似をして言った。
ソフィアは一瞬目を丸くして、それから声を立てずに笑っていた。
退屈令嬢エレノアの事件簿シリーズの三作目になります
・一作目 私を殺しても誰も得をしないというのに
・二作目 悪役令嬢はただ恋バナをしたいだけ
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