栄える品種、滅ぶ品種
突然だが、皆さんはじゃがいもの品種、男爵をご存知だろうか?
そんなの知ってるよという人は多いはずだが、それが海外で生まれた品種だということまで知っているいる方は少ないのではないか。さらに、この品種の生まれ故郷のイギリスでは、男爵の英語名、アイリッシュ・コブラー(アイルランドの靴職人の意)はもうほとんどお目にかかることができず、なんと生まれ故郷であるイギリスではほとんど滅びた品種だ、ということまで知っている方は少なかろう。
日本には明治時代に入ってきた男爵いもだが、イギリスではもっと皮が剥きやすい、フライやマッシュ向けの品種にポジションを取られてしまった。現在最も男爵いもを育てている国は、意外なことだがダントツ日本がトップなのだ。
じゃがいもから話を始めたが、芋に限らず日本は、本国の人間が忘れ果てたような古い品種を頑なに作り続けていてびっくりされることがある。
もう一つ、今度は果樹から例を挙げよう。洋梨のラ・フランスである。ラ・フランスを作出したフランスでは、そのあまりの作りづらさから一気に下火になり、これまたラ・フランスの最大生産国は、洋梨食べたさに無尽蔵の労力を惜しみなく注ぎ込み試行錯誤の果てにラ・フランスを作る技術をきわめた日本になってしまっている。
なぜ日本で古い品種が主力として残っている場合があるのか。新品種は世界中で今この瞬間も生まれ続けているというのに。ぶどうならナイヤガラ、タマネギならイエローダンバースこと泉州玉ねぎ……なぜか日本でだけ作られている、150年もレギュラーの座を譲らない古い古い品種たちは枚挙にいとまがない。
これについて、暇庭はある考えを持っている。日本における品種の概念とは、ある種家族的な意味合いを持つのではないかということだ。
家族的な、という例えが分かりづらいと思うので敢えて極端な例を出そう。我々の両親が、両親という役割は変わらないけれど、明日から違う人になります。と言われて納得する人がどれほどいるだろうか?
お子さんのおられる方は子供でも想像してみてほしい。あなたのおうちの子というポジションは変わりませんから、明日から別の子を迎え入れてください。今一緒に暮らしている子は代わりに我々が預かります。などと。言われて納得ができるだろうか?ほとんどの場合は拒絶するだろう。
これと同じことは実は農産物にも起きている。そう考えている。
男爵の後継として、じゃがいもには様々な新品種が導入された。
男爵の後継にはすぐ下の後輩として芽が浅く皮剥きしやすいメークインがいるが、結局メークインは男爵に取って代わることはなく、数あるじゃがいものラインナップの一つとして収まった。しばらくの時をおいて、高デンプンのキタアカリが登場した。このキタアカリはかなり日本人好みのホクホクしたじゃがいもなのだが、それでもやはり男爵の地位に取って代わることはなかった。さらに時代を下ると男爵に瓜二つの新品種、とうやが現れたがここでも男爵の優位は揺るがなかったし、甘みもうまみも段違いのじゃがいも、インカのめざめもまた、男爵を追い落とすにはいたらなかったのだ。
この現象はすなわち、男爵というじゃがいもを選択し、作り続ける内に、性質上の特長や栽培するときのメリット以外に、男爵という品種への特別な愛着が生まれたからであろう。ほかの野菜、果実もこの予想はそんなに的を外していない気がする。生産者、特に日本の生産者は一つの品種で栽培法が確立すればその作物と添い遂げたいと願うものなのだ。まして例に挙げた男爵いもなどは、別に作り方が難しいこともなく、耐病性も、異常気象に耐える力もまあまあそこそこあったのだ。そんな素朴な、なんでもそこそこいけるという素直な品種の性質が、いちど馴染んだら死ぬまで愛するという日本人的な気質によく合っていた。そういうことだと思うのだ。
反対に、新品種が日本の市場に馴染まないうちに、栽培上とてつもない欠点が露呈したり、いやこれ現行品種でいいじゃん。となってしまったら、日本の栽培者たちはとことん冷淡だ。私はこれについて例を挙げろと言われれば、かつて2000年代に訪れた海外産の新品種イチジク・ラッシュを嫌でも思い出してしまう。
皮切りはたしか、フランスのバナーネというイチジクだったと思う。夏に実る実は大きく、大人の握りこぶし程もある。秋の果実は小さくなるが驚くほどに甘い。これがヒットし、たしか日本国内の産地でも次々導入が行われた。
名前だけなら今でもソラで言える、フランス産イチジクの品種いろいろ。
ヌアールド・カロン。ロンドボーデックス。ビオレ・ソリエス。字面で気が付いた方もおられるだろう。全部フランス勢だ。それまで新品種への熱量が高くなかったイチジク界隈では、フランスからの黒船、などと称されたこともある。
そしてこれらは導入後、コケた。見事にコケてしまった。
理由は大きく2つ。1つ目は、日本国内の気候では本国フランスに迫る品質のものは採れなかったという事実がひとつ。
もう一つは、日本特有の害虫や各種の病気が新品種のイチジクにとって致命的だったこと。
ことさら、日本のクワカミキリは非常に防除しにくいコンパクトな身体、異常に速い食害速度、旺盛な繁殖力共に世界最上位クラスで、そのなかで何度幹が枯らされようが、新しいひこばえを次々生やすことで生き残って来たドーフィンやホワイトゼノア、ブルンスウイック(黒船来航前後に来日の古株)蓬莱柿(品種として1000年オーバーのイチジク最古参)、など、耐性にすぐれるそうそうたる品種たちでなければ、日本で実をつけられない。
さらに、日本でレギュラーだった品種に明確に勝るはずだったフランス勢イチジクの甘さも、梅雨と秋雨の雨量で見事に薄められてしまい現行の品種と大差なくなってしまった。ここに来て鳴り物入りの新品種は、自分の居場所が無くなってしまった現実に敗れ、モノ好きな家庭菜園の園主のもとでほそぼそと生きるしかなくなったのだ。
新しいもの好きが祟って高価な苗木をゴミに変えたイチジク生産者たちは、不貞腐れながら、今まで作っていた品種に戻ることを余儀なくされた。それでも今、新品種イチジクの先陣を切ったバナーネだけは、日本の生産者の熱意に支えられて徐々に定着しつつある。見事レギュラー入りすればその先は日本の生産者の強い愛に支えられた長い長い現役生活が待っている。生産者の方にも、日本でキツい気候に耐えながら順応を始めたバナーネ(本当に性質が少しずつ変わりはじめたようだ。すげえ。)にも、頑張ってほしい。
栄える品種、滅ぶ品種。この先もたくさんのすぐれた品種が栄え、その影で人知れず消えてゆく品種が数限りなくその未来を閉ざす。かなうことなら、愛される品種が1品種でも多く、残ってくれることを願うばかりだ。
品種の話は詳しいことを始めると誰も読みたくないつまらない文章を何万字も書くハメになるので、一番わかり易い部分だけ抽出した。コメとかトウモロコシの話がもし多少面白く書けそうなら書いてみようと思っている。多分俺の力じゃ無理。




