第二十五話:盟約の夜
「本日、我がルーメンシュタット皇国とヴァルデンライヒ王国は、正式に国交を樹立する。
永きにわたる沈黙は今、終わりを告げた。これよりは互いを不可侵の友とし、共に大陸の繁栄を築く同志となることを、ここに宣言する」
ルーメンシュタット皇宮の大宴会場に、ヴィルヘルムの凛とした声が響き渡った。
壁一面を彩る両国の国旗。テーブルを埋め尽くす豪華絢爛な山海の珍味。
壇上では、大陸最強の二人が並び、魔力で記された『共同宣言書』にサインを交わしていた。
がっしりと握手を交わすジャックとヴィルヘルムの姿に、詰めかけた両国の貴族たちから、割れんばかりの喝采が沸き起こる。
その熱狂の中、エレナは会場中の視線を独占していた。
彼女が身に纏っているのは、夜明け前の空を切り取ったかのような、薄紫から純銀へと美しく移ろうグラデーションのドレス。
最高級のシルクには繊細な銀糸の刺繍が施され、彼女が動くたびに、まるで月の光が波打つように幻想的な輝きを放っている。
その清廉な美しさは彼女の神秘的な瞳を際立たせ、居並ぶ貴族たちは誰もが見惚れていた。
だが、その絶世の令嬢の唇からは、麗しい姿に似つかわしくない呟きが漏れている。
「……おかしい。絶対におかしいわ」
エレナは、壇上の男たちをじっと見つめ、不審そうに首を傾げた。
つい先日まで、死闘を繰り広げて血塗れだったはずの面々が、傷一つない涼しい顔でピンピンしている。
あまりの回復の早さに、彼女の常識が「解せぬ」と警報を鳴らしていた。
「ふふ、不思議ですか? エレナ嬢」
隣でシャンパングラスを傾けるレオンハルトが、くすくすと楽しげに囁いた。
「魔力やマナが強靭な者は、回復力も常人離れしているのですよ。それに、僕たちは高度な治療魔法も使えますからね。あの程度の傷なら、一晩あれば元通りです」
「……そうですか。魔法、凄いですね」
(……なにその超回復。転生特典のチート、私には一個もなかったわ。残念すぎる)
エレナは自分の白い手をじっと見つめ、人知れず小さな溜息をついた。
そこへ、儀式を終えて壇上から降りてきたヴィルヘルムが、嬉しそうに歩み寄ってくる。
「治療魔法なら、いつでもかけてやるぞ。……どうした、エレナ。どこか具合でも悪いのか?」
「おい、貴様。気安くエレナに近寄るなと言ったはずだぞ」
間髪入れずに、ジャックがヴィルヘルムの前に立ちはだかった。その碧眼には、隠しきれない独占欲と不機嫌さが渦巻いている。
「相変わらず心の狭い王弟だな。……いいかエレナ。もしこの男の束縛に疲れたら、いつでも俺の国へ来るといい。国を挙げて歓迎しよう」
ヴィルヘルムが白い目でジャックを射抜き、淡々と、けれど会場中に響く声で言い放った。
周囲の貴族たちが「えっ、今なんて……?」とザワつき始める。
(ちょっとビル! 誤解を招く言い方はやめてちょうだい!)
エレナの頬が引きつるが、皇帝の追撃は止まらない。彼はジャックと真っ向から向き合い、挑発的な笑みを浮かべた。
「覚えておけ。エレナを不幸にしてみろ、俺が彼女を奪いに行くからな」
会場が、先ほどまでの祝祭ムードとは一変し、凍りついたような沈黙に包まれる。
(やめて! これ以上ジャック様を刺激しないでーーっ!)
エレナの心の叫びも虚しく、ジャックの周囲にパチパチと青白いマナが走り始めた。
「――ほう。今度こそ、その首を撥ねてほしいようだな?」
殺意の塊のようなジャックの視線が、ヴィルヘルムの金色の瞳と激突する。
友情の握手を交わしたはずの二人の間に、再び天災級の嵐が吹き荒れようとしていた。
「……陛下、お戯れはその辺になさいませ」
一触即発の空気に、宰相エーレンが胃を押さえるような足取りで割って入った。
「王弟殿下、お相手でしたら是非このガルドに!」
魔道将軍ガルドもまた、闘志をぎらつかせた瞳でジャックを睨み据える。
「皆さん、今日は祝いの場ですよ……!? 争いごとは抜きにして、楽しみましょうよぉ……」
半ば涙目になったエレナの訴えに、ようやくヴィルヘルムの肩の力が抜けた。
「む……、すまないエレナ。君を困らせるつもりはなかった」
さっきまでの威圧感はどこへやら、大型犬のようにしゅんとするヴィルヘルム。
「だが、俺とエレナは『家族』同然の絆で結ばれている。大切に想うのは、当然のことだ」
そう言って、ヴィルヘルムは慈しむようにエレナの頭を撫でた。
「何かあれば、いつでもこの国を頼るといい」
彼は優しく目を細めると、おもむろにエレナの細い手を取り――その指先に、吸い付くようなキスを落とした。
その瞬間、大宴会場の時間が止まった。
指先へのキス。
それは単なる敬愛を超えた、深い思慕と執着。
「貴女のすべてを愛おしみ、手に入れたい」という情愛の証明。
さしものエレナも呆然と固まり、隣にいたジャックの額には、ドス黒い青筋が浮かび上がる。
普段は澄ましている両国の貴族たちも、全員が「皇帝陛下が他国の婚約者に!? 」と、開いた口が塞がらない様子で驚愕に震えていた。
やりたい放題のヴィルヘルムに対し、ついにジャックの堪忍袋の緒が、音を立ててぶち切れた。
「――帰るぞ」
低く、地を這うような一言。
ジャックは有無を言わさぬ手つきで、エレナを「お姫様抱っこ」でひょいと抱き上げた。
「ジャック様!? ちょっと、まだ宴の最中ですよ!?」
「レオンハルト、あとは任せる」
慌てるエレナを無視し、ジャックはいつになく早口で、背後に控える甥へと丸投げした。
「叔父上!? ちょっ、無茶ぶりが過ぎませんか!?」
全力で撤退していく叔父の背中を見送りながら、レオンハルトはいつぞやの「地獄のお見合いパーティー」の光景を思い出していた。
ふむ、やはり自分と叔父上は血が繋がっているんだな、と妙な関心をする。
会場では「調印式の裏で、一人の女性を巡り両国の英雄が三角関係に!? 」という噂が瞬く間に広がり、貴族たちが色めき立っている。
「さて……。この騒ぎ、どう収拾しましょうか?」
レオンハルトは困ったように笑い、隣に立つエーレンとガルドに爽やかに問いかけた。
二人もまた、主君の暴挙に苦笑いしながら、深く頷くしかなかった。
去りゆく二人の姿を、ヴィルヘルムはいつまでも、名残惜しそうに見つめ続けていた。
こうして、二国を繋ぐ歴史的な調印式は、波乱を含みつつも無事(? )に成功を収めた。
ヴァルデンライヒ王国とルーメンシュタット魔道皇国。
この二国の、時に騒がしくも強固な友好関係は、この後数百年にもわたって語り継がれることになる――。




