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第二十三話:少女の願い

視界の先では、凄まじい攻防戦が繰り広げられていた。


衝撃波が空気を震わせ、美しい謁見の間に亀裂が走る。


その嵐のような光景を、エレナは広間の隅で、ただ震えながら見つめることしかできなかった。


(二人とも、やめて……!どうして、こんな……!)


無力な自分への怒りと、二人が傷つけ合うことへの悲しみが、エレナの胸を掻きむしる。


ヴィルヘルムが張った結界は、彼女を外界の余波から守るためのものだ。


しかし、中からどれほど叩いても、蹴ってみても、黄金色の結界はビクともしない。


「……エレナ様」


その時、低い声が響いた。


「影の方……!」


「今なら、この結界を解けそうです」


影が、いつの間にかエレナの背後に潜んでいた。


皇帝ヴィルヘルムは今、ジャックとの死闘に全神経を注いでいる。


守護に回していた魔力がわずかに揺らぎ、強固だった結界に「綻び」が生じていた。


「お願いします、やって!」


「御意……」


ジャックが贈った、王家の守護と探知の魔法が込められたブローチ。


それが「影」の送り込んだ魔力に呼応し、白銀のまばゆい光を放ち始める。


――パァンッ!


乾いた破裂音が響き、エレナの胸元を飾っていた百合が、まるで繊細なガラス細工のように砕け散った。


それと同時だった。


彼女を閉じ込めていた「黄金の檻」が、内側から食い破られるように粉砕される。


美しくも冷酷だった結界は、いまや無残な光の破片となり、音を立てて崩れ落ちていく。


霧散する黄金の輝きの中で、エレナの身体はようやく自由を取り戻した。


「さあ、ご一緒ください。安全な場所へお連れします」


「……いいえ。二人のところへ行きます」


影が、ぎょっとしたように息を呑んだ。


「あの二人の間に割って入るのは、自殺行為です。私ですら、貴女をお守りしきれるか分かりません!」


当然の制止だった。あの中は、触れるものすべてを消し去る戦場だ。


けれど、エレナは真っ直ぐに影の目を見つめ返した。


「それでも行きます。ジャック様も……ビルも、二人とも助けたいの」


影は、思わず言葉を失った。


蒼と薄紫。神秘的なアシンメトリーの瞳は、一点の曇りもなく澄み渡っている。


(……また、この目だ)


主であるジャックですら、時に絆されてしまう圧倒的な慈愛の光。


この瞳に見つめられると、なぜか逆らうことができない。


ここでエレナを危険に晒せば、後で主から死罪に等しい叱責を受けるのは間違いない。それでも――。


「……分かりました。私の命に代えても、主の元へお連れしましょう」


影は深くため息をつくと、意を決したようにエレナの細い身体を軽々と抱き上げた。


主であるジャックに、触れることすら許されない「至宝」を腕に抱く不敬。


だが、英雄二人の戦いを止める唯一の鍵が、この少女であることもまた、彼は理解していた。


「舌を噛まぬよう、お気をつけください」


影の体が風のように加速する。


爆音と火花、そして荒れ狂う魔力が乱れ飛ぶ、死の渦巻く戦場へ――。


常人なら一瞬で消し炭にされるような衝撃波の合間を、影は神速の歩法で潜り抜け、主の元へと疾走した。


視界の先には、マナを奪われ膝をつくジャックと、漆黒の魔剣を振り下ろそうとするヴィルヘルム。


「ジャック様! ビル……ッ!」


エレナの叫びが、死闘に明け暮れる二人の世界に、鋭く、切なく響き渡る。


影の手を離れ、着地したエレナは、迷うことなくジャックの前に飛び出した。



ヴィルヘルムの漆黒の刃が、その胸元を貫こうとした刹那――。


迷いなく飛び出した小さな影が、ヴィルヘルムに立ちはだかった。


「……エレナ、ダメだ……逃げろ……っ!」


マナを奪われ、一指動かすことすら苦しいはずのジャックが、掠れた声で必死に彼女を気遣う。


だが、エレナは退かない。


かつての「ビル」に注いだ慈愛を、今は毅然とした拒絶に変えて、目の前のヴィルヘルムを真っ直ぐに見据える。


「……ビル」


その呼び声に、ヴィルヘルムの金色の瞳が大きく揺れた。


振り上げた漆黒の魔剣が、空中で止まる。


「お願いよ、これ以上は止めて。……こんなことをしても、私は貴方のものにはならない」


エレナの言葉は、剣よりも鋭くヴィルヘルムの胸を抉った。


言い切った瞬間に、エレナの顔がくしゃくしゃに歪み、その小さな肩がか細く震える。


「お願い、ビル……っ」


美しい瞳が潤み、ポロポロと、大粒の涙が止まることなく頬を伝い、床を濡らしていく。


「ジャック様を……私から奪わないで……っ」


しゃくりあげ、泣きじゃくりながら、彼女はヴィルヘルムに懇願する。


「ヒクッ……お願い……!」


糸が切れたように、エレナはその場に崩れ落ちた。


自分を拒絶し、別の男を想って涙を流す最愛の少女。


背後で膝をつくジャックが、そのあまりに痛々しい姿に、必死でエレナの名前を呼んでいる。


「エレナ……泣くな、エレナ……」


必死に恋人を救おうとする少女と、今にも泣き出しそうな瞳で手を伸ばす男。


その、互いだけを求め合い、共鳴するように震える二人の姿は――見ている者の胸を抉るほどに痛々しく、心を打つ光景だった。


それは、ヴィルヘルムに残酷なまでに現実を突き付ける。


ヴィルヘルムの唇が、わななくように震える。


「……違う」


掠れた声は、もはや傲岸不遜な皇帝のものではない。


大好きな人に嫌われることを何よりも恐れる――あの日の「ビル」そのものだった。


(……嫌だ。そんな目で、俺を見ないで……)


その琥珀の瞳に宿るのは、支配者の野心ではなく、ただ愛に飢えた子供の絶望だった。


「違う……! 俺は……こんな顔をエレナにさせたい訳じゃない……!」


ヴィルヘルムは、苦悶の表情を浮かべた。


「いつも、笑っていて欲しかったのに……。あの時のような幸せな日々が欲しかっただけなのに……。どうして……っ!」


彼は自らの髪を乱暴に掴み、顔を歪めて呟き続ける。


ジャックを縛り付けていた漆黒の魔法陣が、霧散するようにフッと消え去った。


「――エレナッ!」


自由になったジャックが、すぐさまエレナを抱き寄せた。


「ジャック様……っ、ジャック様ぁ……っ!」


ジャックは、奪い返した至宝を壊さないよう、それでいて二度と離さないという強い意志を込めて、彼女を力強く抱きしめる。


エレナは嗚咽を漏らしながら、彼の胸に必死に縋り付いた。


月光の射し込む謁見の間。


固く抱き合う二人の姿を、ヴィルヘルムはただ、取り返しのつかない過ちを犯した迷子のような、悲しげな瞳で見つめながら佇んでいた。


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