第二十二話:天災の激突
「……その結界を、いとも容易く破るか」
そこには、冷徹な魔道皇帝としての顔が戻っていた。
空間をねじ曲げて作った絶対不可侵の領域。
それを力ずくでこじ開けた男を、彼は未知の脅威として、あるいは排除すべき敵として、鋭く射抜く。
対するジャックは、抜いた剣を無造作に下げたまま、一歩、また一歩と王座へ歩を進めた。
その足音は宮殿の静寂を容赦なく踏み荒らし、重圧となって広間を支配していく。
彼の碧眼は、ヴィルヘルムを路傍の石か何かのように冷淡に見据えていた。
「エレナ、すぐ助ける。……待たせたな」
ジャックの声が響いた瞬間、エレナの心に暖かい光が差し込んだ。
「ジャック様……っ!」
エレナは弾かれたように、彼のもとへ駆け寄ろうとする。
しかし、その細い手首を、ヴィルヘルムの長く白い指が力強く掴んで離さない。
「……行かせない」
「ビル、離して!私は――」
逃げようとするエレナ。
だが、掴まれた手から伝わってくるのは、ヴィルヘルムの絶望的なまでの執着と、今にも壊れてしまいそうなほどの孤独だった。
ビルの――あの子どもの悲痛な願いを思い出し、エレナはどうしても無理やり振り払うことができない。
その光景が、ジャックの逆鱗に触れた。
彼の纏うマナが、爆発的な輝きを放ちながら膨れ上がる。
「エレナ、危ないから下がってて」
ヴィルヘルムが低く囁くと同時に、エレナの胸元にある百合のコサージュが揺らめいた。
金色の檻。それは美しくも堅牢な魔道結界。
エレナの体はふわりと宙に浮き、戦いの邪魔にならない広間の隅へと、守護されるように移動させられる。
「ビル、お願い!ジャック様に……ジャック様に酷いことはしないで!」
叫ぶエレナの声は、もはや今のヴィルヘルムには届かない。
彼は冷え切った目で、正面に立つ男を睨みつけた。
「……お前は要らない」
「奇遇だな。俺も同感だ。……お前が、目障りで仕方ない」
ジャックは鼻で嗤い、剣を正しく中段に構える。
ヴィルヘルムが虚空へと手を振り上げると、空間が歪み、そこから漆黒の刃が無数に突き出した。
「――消えろ」
冷徹な号令と共に、闇の刃が一斉にジャックを急襲する。
だが、ジャックは微塵も揺るがない。避ける動作すら見せず、ただ静かに剣を振るった。
斬、斬、斬――!
常人の目には捉えることすら不可能な、超神速の連撃。
ジャックは飛来する刃をすべ弾き飛ばす。その衝撃を逆利用し、あえてヴィルヘルム本人へと刃を跳ね返した。
「……小癪な」
ヴィルヘルムは顔色ひとつ変えず、薙ぎ払うような動作で迫りくる自らの魔力を霧散させる。
しかし、その一瞬の隙をジャックは見逃さなかった。
白銀の剣身に膨大なマナを凝縮させ、遠距離から一気に振り下ろす。
「ハッ!」
空気を裂く一閃。ヴィルヘルムは紙一重で回避する。
だが、背後にあった巨大な石柱が切断され、轟音を立てて崩落した。
「ならば、これでどうだ」
ヴィルヘルムが指先を向けると、崩れた巨石が魔法の力で浮き上がり、弾丸のような速度でジャックを襲う。
ジャックは逃げない。マナで肉体を極限まで強化し、向かってくる石柱を正面から蹴り飛ばした。
凄まじい衝撃波。蹴り飛ばされた石柱は壁に激突し、宮殿全体を揺らすほどの爆音を響かせた。
人智を超えた英雄同士の激突。それはまさに、天災同士がぶつかり合うような壮絶な光景だった。
そして、ついに均衡を破ったのはジャックの跳躍だった。
天井へと高く舞い上がると、石造りの天井を足場に猛烈な反動をつけて急降下する。
その左手には、これまで見せたことのない激しい業火が渦巻いていた。
「墜ちろ……!」
刹那、噴き出した紅蓮の渦が、逃げ場を奪うほどの超速でヴィルヘルムを呑み込みにかかる。
「ッ……!?」
あまりの熱量と速度に、ヴィルヘルムは腕を交差させ、その炎をなぎ払うのが精一杯だった。
だが、それこそがジャックの狙い。
炎の残光を切り裂き、本命の刃がヴィルヘルムを襲う。
「がっ……あ……っ!」
鋭い斬撃が肩から斜めに走り、鮮血が舞う。大陸最強の魔道士が、ついに膝から崩れ落ちた。
「貴様……攻撃魔法まで使えたのか」
肩を抑え、驚愕に目を見開くヴィルヘルム。
「……最後の手段としてな」
ジャックは冷たく言い放ち、一歩、また一歩と、死神のような足取りでヴィルヘルムへ歩み寄る。
「これで終わりだ」
ジャックがトドメの一撃を放とうと、剣を高く構えた。
だが。膝をついたままのヴィルヘルムの口元が、不気味に釣り上がった。
「……!? 」
嫌な予感がジャックの背筋を走る。反射的に距離を取ろうとしたが、それよりもヴィルヘルムの執念が勝った。
「――遅い」
ヴィルヘルムが嗤った瞬間、ジャックの足元の床から不気味な漆黒の魔法陣が発動した。
「これは……っ!? ……グ、アッ!」
「お前のマナを強制的に吸い取り、枯渇させる魔法陣だ」
ジャックの全身から力が抜け、剣を支えにどうにか立ち尽くす。
「こちらの、勝ちだ……」
血を零しながらも、ヴィルヘルムはその手に漆黒の魔剣を形作った。
魔道皇帝の刃が、無力化した英雄の胸を貫こうとした、その時だった。
「?!」
ヴィルヘルムの視界に、小さな影が迷いなく飛び出した。




