第十四話:断罪の宴(中編)
高らかなファンファーレが鳴り響いた。
「――ルードヴィヒ・フォン・ナハトライヒ皇子殿下、ならびに婚約者セラフィナ・フォン・リリエンタール様のご入場となります」
厳かに宣言され、重厚な扉がゆっくりと開く。
深紅と金を基調とした正装に身を包んだルードヴィヒが、堂々と歩みを進める。
隣には、純白のドレスを纏ったセラフィナ。宝石を散りばめた髪飾りが燭光を受けてきらめいていた。
歓声と拍手。
だがどこか、熱は足りない。
二人は一通りの挨拶を終えると、ヴァルデンライヒ王国の面々の前へとやって来た。
す……と。
自然な動作で、エーレンとガルドが一歩退き、後方へ控える。
その瞬間、二人の気配がふっと薄れた。
ジャックの目が細まる。
(……妙だな)
宰相と将軍という、国家の双璧。
その二人が、主役であるはずのルードヴィヒの背後で、まるで存在そのものを抹消したかのように沈んでいる。
そこに敬意は感じられない。まるで、"なにか"を待っている気配……。
「ようこそお越しくださった、王弟殿下」
ルードヴィヒが、どこか上滑りした笑みを浮かべて近づいてくる。
その薄っぺらな視線が、値踏みするようにエレナへ向けられた。
白金色の髪に、蒼と薄紫のオッドアイ。淡く微笑むその清廉な横顔は、美しい。
(ふむ……噂通り、確かに美しい令嬢だ。側妃にしたいところだが……)
欲望と計算が透けて見える下卑た視線。
その瞬間、ジャックの周囲の空気が凍りついた。
「……私の婚約者に、何か用かな?」
低く、地を這うような声音。
射抜くような眼光に、ルードヴィヒの笑みが無様に引きつった。
レオンハルトはあからさまに白い目を向ける。
(……品がないな)
隣のセラフィナは、ジャックとレオンハルトの美貌に頬を染めつつ、エレナには毒を孕んだ視線を突き刺してくる。
「あら……。こちらが、ヴァルデンライヒの王弟殿下が連れてこられたご令嬢かしら?」
王族に連なるエレナをご令嬢と呼び、格下と言外に伝える無礼な言い方。
セラフィナは扇をパチリと閉じ、エレナの全身を、つま先から白金色の髪の先まで冷徹に品定めした。
月の光を吸い込んだような髪、蒼と薄紫が混ざり合う神秘的な瞳。
人離れした美貌を目の当たりにした瞬間、セラフィナの瞳の奥にどす黒い敗北感が過る。
(……なんなの、この小娘。私より美しいなんて、あり得ないわ!)
「……随分と、お顔……だけは整っていらっしゃること。でも、少し……変わってらっしゃる瞳ですのね? その、左右で色の違う瞳。この国では、そのような瞳は不吉の象徴とされておりますのよ」
エレナを憐れむような顔をするセラフィナは言葉を続ける。
「その瞳さえなければ、もう少し……穏やかな日々を歩めましたでしょうに。本当に……お気の毒ですこと」
鈴を転がすような声に、真綿で首を絞めるような悪意を混ぜて笑う。
エレナの神秘性をあえて「忌むべきもの」と決めつける。
焦燥を押し殺し、彼女は勝ち誇ったような笑みを深くした。
(わぁ、苦手なタイプだ……マウント取り凄い)
にこやかに応じながらも、エレナは内心で小さく肩を落とす。
「そんな顔をなさらないで。……一介の令嬢には、この皇宮の光は少々眩しすぎましたかしら?」
セラフィナは慈しむような流し目をエレナに向けた。
「王族の隣には、私のように洗練された淑女が並ぶのが当然ですのよ。……身の丈に合わぬ場は、かえってあなたを傷つけてしまいますわ。お可哀想に」
その言葉は、エレナを「格下」と決めつけ、選民意識に満ちていた。
その傲慢な立ち振る舞いに、ジャックの周囲の空気が、凍てつく刃のように鋭く研ぎ澄まされていった。
ピキリ、と。
会場の空気が、物理的な音を立てて凍りついた。
(これはまずいな……)
鋭利な気配を感じたレオンハルトが身構える。
「…………」
ジャックの口から言葉は漏れない。
だが、その碧眼がスッと細められた瞬間、凄まじい圧が膨れ上がった。
(……あ、これ、本気で怒ってるわ)
エレナは隣で、ジャックから放たれる「逃げ場のない殺気」を肌で感じ、内心で冷や汗を流す。
ジャックの最愛――自分の婚約者を「忌むべきもの」「格下」と蔑んだ女。
それは自らの魂を汚されるよりも耐え難い侮辱だった。
ドクン、と心臓を直接握りつぶされるような威圧感。
近くにいたルードヴィヒの顔から、一気に血の気が引いていく。
目の前にいるのは、穏やかに語らう隣国の王弟ではない。
「ル、ルードヴィヒ様……?」
空気を読めていないセラフィナが、怪訝そうに婚約者の袖を引く。
だが、ルードヴィヒは彼女の手を振り払う。
「失礼するッ! 王弟殿下、宴を……宴を存分に楽しんでくれ!!」
悲鳴に近い声を上げ、ルードヴィヒはセラフィナを引きずるようにしてその場を離れた。
「ちょっと、ルードヴィヒ様!? 急にどうなさいましたの、離して……っ!」
セラフィナの声を、ルードヴィヒは完全に無視した。
一刻も早く、あの「怪物」の視界から消えなければならない。
二人の背中が遠ざかると、ジャックはゆっくりと深く息を吐き、圧を収めた。
そして、エレナの腰を抱く手に、より一層の力を込める。
「……エレナ。あのような言葉、一欠片も気にするな」
低く、甘く、けれど独占欲を孕んだ声音。
その瞳には、先ほどまでの殺気など嘘のような、深い愛着と熱が宿っていた。
*
やがて宴は、逃れようのない終盤へ。
華やかな楽団の演奏がふいに途絶え、会場の全視線が中央の壇上へと集まった。
いよいよ、新皇帝の即位宣言。
ルードヴィヒが、傲慢な笑みを浮かべて壇上へ上がる。その手には、権力の象徴である金杯が高々と掲げられた。
傍らに控えるセラフィナは、甘い瞳でその姿を見つめている。
「聞き届けよ。今日、この国は、真に生まれ変わるのだ」
静まり返った広間に、朗々とした声が響き渡る。
「無能な弱者が王座を汚した時代は終わった」
ざわり、と会場の空気が波打つ。
「我こそが法であり、我こそが秩序である!」
誇らしげに胸を張り、ルードヴィヒが叫ぶ。
「我こそが、この帝国唯一無二の皇帝で――――」
その瞬間。
――轟音。
重厚な大広間の扉が、何者かの手によって乱暴に抉じ開けられた。
祝祭の喧騒は一瞬で氷つき、視線が入り口へと吸い寄せられる。
逆光の中に立つ、一人の男。
夜を溶かしたような黒髪をなびかせ、一歩、また一歩と静かに歩み入る。
その背後には、鋼の規律を纏った騎士の軍勢。
迷いなき軍靴の音が、大理石の床を無慈悲に叩いた。
肌を刺すような静寂。
呼応するように、エーレンとガルドが動いた。
弾かれたように男の両脇へと跪き、影のように控える。
その動きに、一切の迷いはない。
「ッ!?」
その刹那、ジャックとレオンハルトが身構えた。本能的な鋭さでエレナを守る。
壇上のルードヴィヒとセラフィナは、ただ呆然と凍りついていた。
信じがたい怪異を目の当たりにしたかのように、その瞳には恐怖が張り付いている。
「……どうした」
低く、それでいて広間の隅々までよく通る声。
男は、美しい唇を歪めた。
「幽霊でも見たかのような顔をして。……私との再会は、それほどに恐ろしいか」
琥珀にも見える金色の瞳が、冷ややかに光った。
その一瞥だけで、広間の空気は一瞬にして氷点下へと叩き落とされる。
そこに立っていたのは、死の淵から舞い戻った――
――真なる皇帝、ヴィルヘルム・フォン・ナハトライヒ。




