表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/75

第十三話:断罪の宴(前編)

魔道皇国ルーメンシュタット、皇都ルーメン――宮殿、大広間。


天井には幾重もの魔導灯が輝き、磨き上げられた大理石の床に光を散らす。

長卓には山海の珍味が並び、黄金の器に盛られた料理からは香り高い湯気が立ちのぼっていた。

弦楽器と管楽器の調べが、華やかな空間を優雅に満たしている。


ヴァルデンライヒ王国とルーメンシュタット魔道皇国。

両国の国交開設を祝う歓迎の宴。


だがそれは、ただの親睦の場ではない。


宴の最後に、貴族たちの承認のもと新皇帝即位を宣言し、王国との正式な調印が行われる――その前哨戦でもあった。


煌びやかな笑顔、重ねられる杯、交わされる祝辞。


けれど、どこか空気が重い。


祝宴のはずなのに、拍手はまばらで、笑い声は上滑りしている。



エレナは、どこか上の空だった。


豪奢なドレスに身を包み、淑女の微笑みを浮かべている。

だが胸の奥には、消えない不安が渦巻いていた。


――ビル。


何も言わず、いなくなった少年。


あの夜の瞳、耳元の囁き。


「少しだけ、待っててね……」


あれは、どういう意味だったのか。


無事なのだろうか、危険なことをしていないだろうか。


考えれば考えるほど、胸が締め付けられる。


「エレナ」


低く、穏やかな声。


振り向けば、ジャックがすぐそばに立っていた。


「……顔色が優れないな」


優しく覗き込むその眼差しに、エレナは慌てて微笑む。


「大丈夫です」


だが、その強がりは通じない。


ジャックは小さく息を吐いた。


「あの子は聡い。何か考えがあってのことだろう。あまり心配してやるな」


エレナを慰めながらもジャックは冷静に考える。


(最後まで油断ならない子どもであったな……今頃何をしているのか)


エレナは一瞬だけ視線を伏せ、そして頷いた。


「……はい」


小さく息を吸う。


「そうですね。今は、公務を頑張ります」


凛と微笑む。


その姿を、ジャックは愛おしげに見つめた。


「あぁ、頼りにしている」


そっと、エレナの頬に手を添える。温かな掌。


「……だが、あまり笑うな。余計な虫がつく」


低く、わずかに不機嫌な声音。嫉妬を隠す気もない。


(国家レベルの宴の最中にヤキモチ……)


呆れながらも、淑女の仮面を崩さずに苦笑した。


「もう、こんな時まで。無理です。周囲は各国の貴族と要人ばかりなんですよ」


そのやり取りを冷ややかな目で見ていたレオンハルト。


「……叔父上、我が国の全権特命大使なのですから、程ほどに」


そして静かに歩み寄り、声を潜めて言った。


「しかし……新皇帝の即位は、歓迎されていないようですね」


エレナの視線が、さりげなく会場を巡る。


確かに。


表面上は祝宴でも、どの貴族も慎重だ。笑顔の奥に、探るような視線がある。


「皇都の様子も、この宴に参加している貴族たちも……歓迎ムードではありません」


レオンハルトの声は冷静だが、緊張を孕んでいる。


ジャックが低く唸った。


「ふむ……どうも嫌な勘が働く」


鋭い眼差し。


「油断するな、レオンハルト」


「はい、叔父上」


短く、力強い返答。


そしてジャックは、ふとエレナに向き直った。


「エレナ。以前渡したブローチは?」


「……?」


唐突な問いに、瞬きをする。


「はい、常に身に着けていますが……」


エレナのドレスの腰元には、控えめに銀製のブローチが留められている。


王弟家の紋章――獅子と跳ね馬が精巧に彫り込まれた意匠。


普段は装飾品の一つにしか見えない。


「そのブローチには、王家の防御魔法がかかっています。並の魔法なら弾き飛ばしますよ」


爽やかな笑みのまま、レオンハルトはさらりと恐ろしい事実を告げた。だが、その瞳だけは笑っていない。


エレナは文字通り、石のように固まった。


「…………」


(……そんな物騒な……いや、希少すぎる代物だって、聞いてない。国宝級ではないか、それ)


自分の腰元にある小さな銀細工が、急にズシリと重くなった気がした。


同時に、背筋にぞくりと冷たい震えが走る。


王家の守護を必要とするほどの、危険。


遠くで楽団の音色が高らかに鳴り響く。


黄金の杯が掲げられ、虚飾に満ちた拍手が広間に満ちていく。


だがその裏で、確かに何かが軋んでいた。


祝宴の光の下。


破滅と救済の幕は、静かに上がろうとしていた。



大広間の喧騒の中、ひときわ整った気配が近づいてきた。


濃いオリーブ色の髪をきちりと撫でつけた青年と、赤黒い髪を無造作に揺らす長身の騎士。


二人は優雅に歩み寄り、王国一行の前で足を止めた。


「ヴァルデンライヒ王国の王弟殿下とお見受けします」


柔らかな声とともに、深く一礼する。


「初めてお目にかかります。皇国で宰相を務めております、エーレン・フォン・アイゼンフェルトと申します」


非の打ち所のない礼儀。

物腰は穏やかで、完璧に整えられた笑み。


続いて、隣の男が一歩進み出る。


「ルーメンシュタット魔道皇国将軍を務めております、ガルド・フォン・ドラクシュタインと申します」


低く、よく通る声。鋭い黄土色の瞳が、真っ直ぐにジャックを射抜く。


値踏みするような視線、だが露骨な敵意はない。


「あぁ、よろしく頼む。ジャックだ」


短く名乗る。


その瞬間、空気がわずかに張り詰めた。


王族としての風格を纏わせたジャックの佇まいは、まさに戦場を駆けた英雄そのもの。

静かな威圧が、自然と周囲を圧する。


エレナとレオンハルトも続いて丁寧に挨拶を交わす。


(これがヴァルデンライヒ王国の英雄……)


エーレンは穏やかな笑みを崩さぬまま、内心で分析する。


(確かに只者ではない。あの場の支配力……王族としても、将としても完成している)


視線をさりげなく動かし、次にレオンハルトを見る。


(王太子も、強い魔力を感じる。洗練されているな……)


一方、ガルドは遠慮なく力量を測っていた。


(王太子……魔力の純度は俺より上か。……いや、状況次第では拮抗するか)


闘争本能が、体の奥で静かに疼き出す。


「ほう、あなたが噂の魔道将軍ですか」


レオンハルトが興味深げに微笑む。


その瞳は純粋な好奇心と、同時に闘志を帯びている。


「……光栄です。王国最高峰の魔道士と名高い殿下とお会いできる日を、心待ちにしておりました」


ガルドは薄く唇の端を吊り上げ、その黄土色の瞳に静かな熱を宿して答える。


場の空気は穏やかだが、水面下では互いに刃を研ぎ合っている。


その時。


エーレンの視線が、ふとエレナの胸元に止まった。


淡く金色に輝く百合の花。宴の前に親愛の証として、ルーメンシュタットから贈られたものだ。


光を受けるたび、ほんのりと魔力を帯びて煌めく、不思議な色合い。


「……お贈りしたコサージュを身に着けて下さったのですね」


穏やかな笑みが、わずかに深くなる。


「はい。不思議な色あいで、とても気に入りました」


エレナは素直に微笑む。


その無垢な喜びに、エーレンの目が細められた。


「そちらの花は、我が国のみで自生している百合でして。少しだけ魔力を纏っているのです」


さらりと告げる。


その声は優しい。


だが、どこか含みがある。


「本当にお似合いです。エレナ様のお美しさを、いっそう引き立てるお色です……」


主の瞳――琥珀にも見える金色。


その色を思い浮かべながら、うっとりと見つめる。


その視線に、わずかな執着が滲む。


レオンハルトはその空気を軽く断ち切るように、明るく言った。


「ガルド殿はかなりの魔道の使い手と聞きます。いつか手合わせ願いたいものですね」


嬉しさを隠さない声音、純粋な魔道士の好奇心だ。


ガルドは一瞬だけ目を細める。


「そうですね……是非とも近いうちに実現させましょう」


静かな微笑み。


その声音には、確信があった。


近いうちに――。


その言葉に、ほんのわずかな意味が含まれていることに、誰が気づいただろうか。


楽団の音が高まり、会場中央へ視線が集まり始める。


宴は、次の段階へ進もうとしていた。


華やかな笑顔の裏で、それぞれの思惑が絡み合う。


断罪の夜は、静かに深まっていく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ