第十三話:断罪の宴(前編)
魔道皇国ルーメンシュタット、皇都ルーメン――宮殿、大広間。
天井には幾重もの魔導灯が輝き、磨き上げられた大理石の床に光を散らす。
長卓には山海の珍味が並び、黄金の器に盛られた料理からは香り高い湯気が立ちのぼっていた。
弦楽器と管楽器の調べが、華やかな空間を優雅に満たしている。
ヴァルデンライヒ王国とルーメンシュタット魔道皇国。
両国の国交開設を祝う歓迎の宴。
だがそれは、ただの親睦の場ではない。
宴の最後に、貴族たちの承認のもと新皇帝即位を宣言し、王国との正式な調印が行われる――その前哨戦でもあった。
煌びやかな笑顔、重ねられる杯、交わされる祝辞。
けれど、どこか空気が重い。
祝宴のはずなのに、拍手はまばらで、笑い声は上滑りしている。
*
エレナは、どこか上の空だった。
豪奢なドレスに身を包み、淑女の微笑みを浮かべている。
だが胸の奥には、消えない不安が渦巻いていた。
――ビル。
何も言わず、いなくなった少年。
あの夜の瞳、耳元の囁き。
「少しだけ、待っててね……」
あれは、どういう意味だったのか。
無事なのだろうか、危険なことをしていないだろうか。
考えれば考えるほど、胸が締め付けられる。
「エレナ」
低く、穏やかな声。
振り向けば、ジャックがすぐそばに立っていた。
「……顔色が優れないな」
優しく覗き込むその眼差しに、エレナは慌てて微笑む。
「大丈夫です」
だが、その強がりは通じない。
ジャックは小さく息を吐いた。
「あの子は聡い。何か考えがあってのことだろう。あまり心配してやるな」
エレナを慰めながらもジャックは冷静に考える。
(最後まで油断ならない子どもであったな……今頃何をしているのか)
エレナは一瞬だけ視線を伏せ、そして頷いた。
「……はい」
小さく息を吸う。
「そうですね。今は、公務を頑張ります」
凛と微笑む。
その姿を、ジャックは愛おしげに見つめた。
「あぁ、頼りにしている」
そっと、エレナの頬に手を添える。温かな掌。
「……だが、あまり笑うな。余計な虫がつく」
低く、わずかに不機嫌な声音。嫉妬を隠す気もない。
(国家レベルの宴の最中にヤキモチ……)
呆れながらも、淑女の仮面を崩さずに苦笑した。
「もう、こんな時まで。無理です。周囲は各国の貴族と要人ばかりなんですよ」
そのやり取りを冷ややかな目で見ていたレオンハルト。
「……叔父上、我が国の全権特命大使なのですから、程ほどに」
そして静かに歩み寄り、声を潜めて言った。
「しかし……新皇帝の即位は、歓迎されていないようですね」
エレナの視線が、さりげなく会場を巡る。
確かに。
表面上は祝宴でも、どの貴族も慎重だ。笑顔の奥に、探るような視線がある。
「皇都の様子も、この宴に参加している貴族たちも……歓迎ムードではありません」
レオンハルトの声は冷静だが、緊張を孕んでいる。
ジャックが低く唸った。
「ふむ……どうも嫌な勘が働く」
鋭い眼差し。
「油断するな、レオンハルト」
「はい、叔父上」
短く、力強い返答。
そしてジャックは、ふとエレナに向き直った。
「エレナ。以前渡したブローチは?」
「……?」
唐突な問いに、瞬きをする。
「はい、常に身に着けていますが……」
エレナのドレスの腰元には、控えめに銀製のブローチが留められている。
王弟家の紋章――獅子と跳ね馬が精巧に彫り込まれた意匠。
普段は装飾品の一つにしか見えない。
「そのブローチには、王家の防御魔法がかかっています。並の魔法なら弾き飛ばしますよ」
爽やかな笑みのまま、レオンハルトはさらりと恐ろしい事実を告げた。だが、その瞳だけは笑っていない。
エレナは文字通り、石のように固まった。
「…………」
(……そんな物騒な……いや、希少すぎる代物だって、聞いてない。国宝級ではないか、それ)
自分の腰元にある小さな銀細工が、急にズシリと重くなった気がした。
同時に、背筋にぞくりと冷たい震えが走る。
王家の守護を必要とするほどの、危険。
遠くで楽団の音色が高らかに鳴り響く。
黄金の杯が掲げられ、虚飾に満ちた拍手が広間に満ちていく。
だがその裏で、確かに何かが軋んでいた。
祝宴の光の下。
破滅と救済の幕は、静かに上がろうとしていた。
*
大広間の喧騒の中、ひときわ整った気配が近づいてきた。
濃いオリーブ色の髪をきちりと撫でつけた青年と、赤黒い髪を無造作に揺らす長身の騎士。
二人は優雅に歩み寄り、王国一行の前で足を止めた。
「ヴァルデンライヒ王国の王弟殿下とお見受けします」
柔らかな声とともに、深く一礼する。
「初めてお目にかかります。皇国で宰相を務めております、エーレン・フォン・アイゼンフェルトと申します」
非の打ち所のない礼儀。
物腰は穏やかで、完璧に整えられた笑み。
続いて、隣の男が一歩進み出る。
「ルーメンシュタット魔道皇国将軍を務めております、ガルド・フォン・ドラクシュタインと申します」
低く、よく通る声。鋭い黄土色の瞳が、真っ直ぐにジャックを射抜く。
値踏みするような視線、だが露骨な敵意はない。
「あぁ、よろしく頼む。ジャックだ」
短く名乗る。
その瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
王族としての風格を纏わせたジャックの佇まいは、まさに戦場を駆けた英雄そのもの。
静かな威圧が、自然と周囲を圧する。
エレナとレオンハルトも続いて丁寧に挨拶を交わす。
(これがヴァルデンライヒ王国の英雄……)
エーレンは穏やかな笑みを崩さぬまま、内心で分析する。
(確かに只者ではない。あの場の支配力……王族としても、将としても完成している)
視線をさりげなく動かし、次にレオンハルトを見る。
(王太子も、強い魔力を感じる。洗練されているな……)
一方、ガルドは遠慮なく力量を測っていた。
(王太子……魔力の純度は俺より上か。……いや、状況次第では拮抗するか)
闘争本能が、体の奥で静かに疼き出す。
「ほう、あなたが噂の魔道将軍ですか」
レオンハルトが興味深げに微笑む。
その瞳は純粋な好奇心と、同時に闘志を帯びている。
「……光栄です。王国最高峰の魔道士と名高い殿下とお会いできる日を、心待ちにしておりました」
ガルドは薄く唇の端を吊り上げ、その黄土色の瞳に静かな熱を宿して答える。
場の空気は穏やかだが、水面下では互いに刃を研ぎ合っている。
その時。
エーレンの視線が、ふとエレナの胸元に止まった。
淡く金色に輝く百合の花。宴の前に親愛の証として、ルーメンシュタットから贈られたものだ。
光を受けるたび、ほんのりと魔力を帯びて煌めく、不思議な色合い。
「……お贈りしたコサージュを身に着けて下さったのですね」
穏やかな笑みが、わずかに深くなる。
「はい。不思議な色あいで、とても気に入りました」
エレナは素直に微笑む。
その無垢な喜びに、エーレンの目が細められた。
「そちらの花は、我が国のみで自生している百合でして。少しだけ魔力を纏っているのです」
さらりと告げる。
その声は優しい。
だが、どこか含みがある。
「本当にお似合いです。エレナ様のお美しさを、いっそう引き立てるお色です……」
主の瞳――琥珀にも見える金色。
その色を思い浮かべながら、うっとりと見つめる。
その視線に、わずかな執着が滲む。
レオンハルトはその空気を軽く断ち切るように、明るく言った。
「ガルド殿はかなりの魔道の使い手と聞きます。いつか手合わせ願いたいものですね」
嬉しさを隠さない声音、純粋な魔道士の好奇心だ。
ガルドは一瞬だけ目を細める。
「そうですね……是非とも近いうちに実現させましょう」
静かな微笑み。
その声音には、確信があった。
近いうちに――。
その言葉に、ほんのわずかな意味が含まれていることに、誰が気づいただろうか。
楽団の音が高まり、会場中央へ視線が集まり始める。
宴は、次の段階へ進もうとしていた。
華やかな笑顔の裏で、それぞれの思惑が絡み合う。
断罪の夜は、静かに深まっていく。




