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第十一話:特別になるために

明日、魔道皇国ルーメンシュタットの皇都ルーメンに到着する。


国境を越えてからというもの、空気がわずかに重い。

夜の帳が下りた宿もまた、どこか張り詰めていた。



エレナは部屋で一人、窓辺に立っていた。

遠くに見える皇都の灯りが、星のように瞬いている。


――ここが、ビルの生まれた国。


胸の奥に小さな不安がよぎった、その時。


コン、コン。


控えめなノック。


「どうぞ」


扉が開き、現れたのはビルだった。


月明かりに照らされた横顔は、どこか静かすぎる。


「あいつは?」


低い声。


「ジャック様達は、明日に備えて会議をされているわ」


「……そう」


少しの沈黙。


「……ねぇ」


「どうしたの、ビル?」


ビルはまっすぐエレナを見上げる。


その瞳は普段より深く、揺れているように見えた。


「エレナは……俺が何者でも、大切に思ってくれる?」


唐突な問い。


けれどその奥に、切実な何かが潜んでいる。


エレナは迷わなかった。


「もちろんよ。ビルはビルだわ」


真剣な眼差しで、はっきりと言う。


魂の本質は変わらない。


前世と現世。

姿も立場も違っても、根底にあるものは同じ。


それを、エレナは知っている。


「例えどんなことがあろうとも、あなたは大切な子よ」


ビルの瞳が、わずかに見開かれる。


そして――


「……そう」


安堵が滲む声。


ふっと、口元がほころんだ。


その笑みは、幼い少年そのもの。


「俺、エレナを幸せにしてあげたいんだ」


唐突に続いた言葉。


エレナは瞬きをする。


「いつも俺の傍で、笑っていてほしいんだ」


胸の奥が、かすかにざわめく。


ビルの瞳は真剣だった。


「……そのために、やる事があるんだ」


まっすぐな瞳。


だが、エレナにはその変化に気づかない。


その瞳の奥で、甘く揺れる光が密やかに灯っているのを。


エレナは少し困ったように微笑む。


「……そう。よく分からないけど、無理はしちゃだめよ?」


心配が先に立つ。


するとビルが、ふっと吹き出した。


「エレナって、たまに母親みたいだよ」


くすくすと笑う。


「うっ……」


心当たりが多すぎて、言葉に詰まるエレナ。


その様子を楽しむように、ビルは一歩近づいた。


「ねぇ、エレナ……」


声色が変わる。


甘く、低く。


見たことのない眼差し。


月光を受けて、琥珀にも見える金色の瞳がゆらりと揺れ、ゆっくりと細められる。


一瞬、息が詰まる。


いつもの少年の顔ではない。


――“男”の顔。


距離が、近い。


ビルはそっと顔を寄せる。


「俺も“特別”になりたいんだ」


囁きが耳元を掠める。


「少しだけ、待っててね……エレナ」


ちゅ、と。


耳に触れるだけの軽い口づけ。


心臓が跳ねる。


「……おやすみなさい」


何事もなかったかのように、ビルは扉へ向かう。


開き、閉じられる音。


残されたのは、呆然と立ち尽くすエレナ。


耳に残る熱と、わずかな違和感。



翌朝、ビルの姿はどこにもなかった。


寝台は整えられ、私物も消え、そこに彼がいた証は何ひとつ残っていない。


静まり返った廊下に、重たい沈黙だけが広がっていた。


――そして。


ビルはいなくなった。


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