第十話:簒奪者たちの茶番
魔道皇国ルーメンシュタット。
大陸随一の魔力を誇るその都の中心にそびえるのは、黒曜石で築かれた漆黒の宮殿。
まるで光そのものを吸い込み、影だけを吐き出すかのような威容。
天を突く尖塔は夜空を裂き、重厚な装飾は冷たい威圧を放つ。
荘厳で、静謐で――
そしてどこか、息苦しい。
だが今、その静寂は乱れていた。
*
皇帝の執務室。
豪奢な黒檀の机。
金糸で縁取られた深紅の絨毯。
歴代皇帝の肖像が無言で見下ろす空間で、ひとりの青年が怒声を響かせる。
ルードヴィヒ・フォン・ナハトライヒ。
簒奪によって玉座を得た、新皇帝。
「兄上はまだ見つからないのか!」
「何をしている! それでも魔道皇国の近衛騎士か!」
跪く騎士たちの額に冷や汗が滲む。
「申し訳ございません。尽力しておりますが、未だ痕跡を見つけること出来ず……」
その言葉が終わる前に――
ガシャンッ!
卓上の水晶杯が床に叩きつけられ、砕け散る。
「無能どもが……!」
皇帝の座に就いたはずの男の顔にあるのは、威厳ではなく焦燥。
――死体がない。
それだけが、彼の胸を締めつけていた。
毒は確実に回っていたはずだ。
刃も、何度も突き立てた。
それでも。
兄の魔力は規格外だった。
“死んだ”と断じきれない不安が、消えない。
*
「ルードヴィヒ様、落ち着かれて下さいませ」
柔らかな声が張り詰めた空気を撫でる。
執務室の奥、ゆったりとしたソファに腰掛け、優雅に紅茶をたしなむ女性。
侯爵令嬢セラフィナ・フォン・リリエンタール。
薄桃色の唇に微笑みを浮かべ、鮮やかな濃茶の髪を揺らす。
この場でただ一人、余裕を失っていない存在。
「あの状態では、助かるはずもありませんわ」
静かな声音。
ルードヴィヒが振り返る。
「……そうかもしれないが」
言葉とは裏腹に、瞳の奥に残る疑念。
セラフィナはそっとカップを置く。
「それよりも、ヴァルデンライヒ王国との国交を開く事が先決ですわ」
話題を切り替える。
「ルードヴィヒ様の皇位を盤石にするためにも」
外に向けて安定を示し、新皇帝の正統性を演出する。
そして、国内の反対勢力を封じる。
そのための外交。
ルードヴィヒの呼吸が、わずかに落ち着く。
「あぁ……そなたは、皇后にふさわしい素晴らしい女性だ」
安堵と陶酔が滲む声。
セラフィナは目を伏せる。
「身に余るお言葉ですわ」
だがその唇の端には、わずかな愉悦。
ルードヴィヒは彼女を抱き寄せる。
「兄上の時代は終わった」
自分に言い聞かせるような呟き。
「ええ……これからは、貴方様の時代ですわ」
甘く絡む声。
やがて二人は、ゆっくりと唇を重ねた。
歴代皇帝の肖像が見下ろす中で交わされる、簒奪者たちの口づけ。
だが玉座はまだ、沈黙している。
真の主を失ったまま――否、
失ってはいないかもしれないまま。
*
(セラフィナ視点)
幼い頃から、わたくしは特別だった。
容姿も家柄も教養も。
誰もが羨み、誰もが未来の皇后と囁いた。
そしてわたくしは、ヴィルヘルム様の婚約者となった。
漆黒の黒髪。
神秘的な、琥珀にも見える金色の瞳。
あの美貌に胸を高鳴らせたのは、最初だけ。
やがて分かった。
彼は、冷たい。
感情が見えない、何を考えているのか分からない。
まるで完璧に作られた人形。
国政を淡々と処理する、機能としての皇太子。
けれど。
わたくしが欲しかったのは――愛。
皇国一高い地位を持ち、
皇帝に深く愛される皇后。
ルードヴィヒ様は違う。
わたくしを抱きしめ、名を呼び、
美しいと囁いてくださる。
皇后となった暁には、
ドレスも宝石も、すべて思うままにと。
ヴィルヘルム様には申し訳ないけれど。
毒を飲んで頂いた。
魔力を奪えば何とかすると、ルードヴィヒ様は仰ったから。
あの夜の光景が、脳裏に鮮やかに蘇る。
苦しげに息を乱すヴィルヘルム様。
床に広がる血。
それでも最後まで、あの方は表情を崩さなかった。
そして――
わたくしとの愛のために、何度もヴィルヘルム様を短剣で傷つけるルードヴィヒ様の姿。
迷いのない刃。
震えるほど必死な眼差し。
ああ。
あの瞬間、胸が震えた。
わたくしのために。
わたくしとの未来のために。
あの方は、実の兄に刃を向けたのだ。
その姿は、あまりにも真摯で、あまりにも情熱的で。
感動すら覚えた。
――これほどまでに愛されているのだと。
遺体は見つかっていないけれど。
あの傷なら、長くはもたないはず。
あれほどの毒。
あれほどの出血。
生き延びられるはずがない。
これからは、わたくしたちの時代。
輝かしい未来。
祝福の歓声。
皇后の玉座。
ふふっ。
なんて素敵な人生なのかしら――。
こうして、簒奪者たちの優雅な茶番は進んでいく。
この後に待ち受ける、
あまりに無慈悲な『幕引き』のシナリオも知らぬままに――――。




