第四話:何も持たない少年
ローゼンバーグ城の一室。
窓から差し込む夏の光が、白い寝台を淡く照らしている。
少年は酷く消耗していた。
衣服を脱がせると、あらわになった身体にエレナは息を呑む。
細い腕。
痩せた肋骨。
そして――無数の傷。
「……」
エレナは静かに布を絞り、丁寧に泥と血を拭っていく。
強く擦らないよう、そっと、そっと。
乾いた血が落ち、顔の汚れが取れていく。
現れた素顔に、思わず目を見張った。
「この子……随分綺麗な顔立ちね。八歳くらいかしら」
長い睫毛、整った鼻筋。
まだ幼いのに、不思議なほど整った輪郭。
「悪い人に追われてたのかな……」
腕に残る細い傷。
背中には、明らかに刃物でつけられたような痕。
エレナの指先が震える。
「傷は塞がっているみたいだけど……刺し傷がこんなに……」
何度も繰り返し、容赦なく刺された傷。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
こんな小さな子に。
「……大丈夫よ」
眠る少年の額に、冷たい布を当てながら、そっと呟いた。
「もう誰も、あなたを傷つけさせないわ」
*
数日後。
城の客間。
カーテン越しに柔らかな光が揺れる。
少年の瞼が、わずかに震えた。
「……ん……」
ゆっくりと目が開く。
琥珀にも、金にも見える、不思議な色の瞳。
「ここは……?」
警戒を含んだ声。
辺りを見回す。
見慣れない天井。
見慣れない部屋。
すぐに身体を起こそうとして、痛みに顔をしかめた。
「無理しないで」
穏やかな声。
ベッドの傍に座っていたエレナが、優しく微笑む。
「ここはローゼンバーグ領よ」
少年の視線が鋭くなる。
「私はエレナ。あなたの名前は?」
一瞬の沈黙、何かを計るように視線が泳ぐ。
やがて、小さく呟いた。
「………ビル」
「ビルっていうのね。いい名前だわ」
にこり、と柔らかく笑う。
少年――ビルはわずかに眉を寄せた。
「あなたは今、少し体調が悪いの。治るまでここにいなさい」
当たり前のように言う。
その言葉に、ビルは戸惑う。
「なんで……」
低く、掠れた声。
「俺、なにも持ってないよ。金もない」
エレナは、きょとんと目を瞬かせる。
そして、ふわりと笑った。
「子どもが何言ってるの。早く元気になって」
それだけ。
見返りも、条件も、探る様子もない。
ただ、心配そうに見つめるだけ。
「っ…………」
ビルの瞳が鋭くなる、エレナを睨みつける。
――信用するな。
そう教え込まれてきた目。
エレナは、その視線に気づいた。
彼の瞳は激しい拒絶の色を帯びている。
そして理解する。
あぁ……この子はきっと。
何らかの虐待を受けて育った子だ。
胸が痛む。
エレナは、ゆっくりと立ち上がる。
無理に距離を詰めない。
ただ、同じ目線の高さに戻る。
「焦らなくていいわ」
静かに言う。
「大丈夫。ここには、あなたを傷つける人なんていない」
その瞳には、濁りのない真実だけが宿っていた。
ビルの指先が、わずかに震えた。
その小さな変化を見逃さず、エレナは心の中で決意する。
――この少年と向き合おう。
精一杯、助けてあげよう。
それがどんな事情を抱えた子であっても。




