第二十二話:光が根付く場所
危険地域跡地に建てられた孤児院には、柔らかな陽光が降り注いでいた。
かつて荒れ果てていたこの場所は、今では子どもたちの笑い声が絶えない。
木製の柵の向こうでは小さな足音が忙しなく駆け回り、庭では洗濯物が風に揺れている。復興は、確かに“形”になり始めていた。
その時――
「お姉ちゃん!!」
弾けるような声に、エレナは振り向く。
視界に飛び込んできたのは、危険地域で助けたあの少年だった。
以前は痩せ細り、怯えた目をしていた彼。
だが今は違う。
ふわりと整えられた髪。動きやすく清潔な服。陽を浴びた肌は健康的に艶やかで、頬にはわずかな丸みさえある。しっかり食べ、眠り、笑っている証だった。
エレナの胸が、じんわりと温かくなる。
「元気そうね」
少年は勢いよく抱きついた。
「ねぇ遊ぼうよ!」
無邪気な笑顔に、エレナはやわらかく微笑む。
「お仕事が終わったらね」
その瞬間、少年の顔がぱっと輝いた。
「やったぁ!」
くるりと振り返り、友達の元へ駆けていく。
その後ろ姿を見送りながら、エレナは小さく息を吐いた。
胸の奥が満たされていく。
ここまで来られたのだと、静かに実感していた。
*
「よぉ、嬢ちゃん」
穏やかな声に振り向くと、エレナの表情がぱっと明るくなる。
「リヒトさん! この地域も随分良くなってきましたよね」
嬉しさを隠しきれない声音だった。新しく建てられた建物、整えられた道、増えていく笑い声。変わり始めたこの地を、誰よりも実感している。
リヒトはその横顔を眩しそうに見つめた。
「あぁ……あんた本当にすげえなぁ」
思わず漏れた言葉。
だがエレナはすぐに首を振る。
「何言ってるんですか。リヒトさんや皆さんの力があってこそです」
迷いのない即答だった。
そして前を見据えて微笑む。
「まだまだやることがあります。これからもよろしくお願いします」
未来を疑わない声。
その笑顔に、リヒトの胸が大きく揺れた。
眩しい。
まるで――女神の化身でも見ているようだった。
気づけば、無意識に手が伸びていた。
陽光を受けて輝く白金の髪。風に揺れるたび、柔らかな光がこぼれる。透き通る白い肌。微笑むだけで周囲の空気までやわらぐ。
この荒れ地をここまで変えてしまった人。
子どもたちが笑い、街に灯りが戻り、人々が未来を語り始めた理由。そのすべてが、彼女の隣に立っているだけで分かる気がした。
(あぁ……)
胸が締め付けられる。
誇らしいのに、嬉しいのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。
「あんたは……本当に、すごい人だ」
先ほどと同じ言葉なのに、声の重さが違った。
けれどエレナは気づかない。ただ照れたように笑うだけ。
その無防備さが、さらに胸を刺した。
(俺なんかが……)
この人の隣に立つのは、自分ではない。
最初から分かっている。ずっと分かっていた。
それでも――手が止まらない。
触れたいと思ってしまった。
ただ一度だけでも、この温かさを確かめてみたいと。
触れてしまえば壊れてしまうと分かっているのに。
伸ばした指先が、わずかに震える。
(……俺の……女神)
この地に光を連れてきた人。
人を救い、街を変え、未来を作る人。
眩しすぎて直視できない。
それでも目を逸らせない。
触れられない光だと分かっていても――
それでも手を伸ばしてしまうほどに。
その瞬間――
「エレナ!」
遠くから声が響いた。風に乗ってやって来る威圧感。
はっとして、リヒトは我に返る。 伸ばしかけていた手が、反射的に止まった。
同時に、背筋をなぞるような感覚が走る。
――冷たい。
振り向かなくても分かった。ただ本能が告げている。
(やべぇ)
王弟が来た。
視線が合ったわけでもない。 言葉を向けられたわけでもない。
それでも、確かに感じる。
自分だけが向けられている、無言の圧。
思わず冷や汗が伝った。
だが次の瞬間、その空気を一瞬で塗り替える声が響く。
「ジャック様!」
弾むような声だった。
振り向いたエレナの表情が、ぱっと花が咲くように明るくなる。
その笑顔は、さっきまで見ていたものよりもずっと――柔らかく、嬉しそうだった。
リヒトの胸に刃で刺されたような痛みが走った。
自分の入る余地は、最初から無かった。
小さく息を吐き、視線を落とす。
やがて――エレナが走り出した。
*
「ジャック様!」
彼女はすでに駆け出していた。
迷いは一切ない。
胸の奥から、幸福が溢れて止まらなかった。
遠くで懐かしい声が聞こえた気がした。
声なき声を聞いた瞬間、胸の奥に優しい温もりが広がった。
(みんなも幸せなんだね……)
エレナはようやく、前世の想いに静かに区切りをつける。
そして――新しい幸せを、確かに受け入れたのだった。
風を切るように駆けながら、エレナは笑う。
胸がいっぱいで、泣きそうになるほど嬉しくて。
遠くに立つ彼の姿が、少しずつ大きくなる。
それだけで、心が満たされていく。
ジャックは一歩前へ出る。
次の瞬間、走り込んできたエレナをやさしく受け止めた。
ふわりと抱き止める腕。 決して離さないという確かな温もり。
「わたし凄く幸せなの」
小さく零れた声に、彼は静かに微笑む。
額と額が触れ合う。
互いの瞳を覗き込み、同じ温度の笑みが交わされた。
触れるだけの口づけ。陽だまりのような笑みが互いの顔に咲いた。
二人を祝福するように、爽やかな風が吹き抜ける。
草花が揺れ、子どもたちの笑い声が遠くで弾けた。
光に満ちた大地。
復興した土地。 救われた子どもたち。 支え合う仲間たち。
そして、迎えてくれる大切な人。
この場所には、確かに光が根付いていた。
ーー第二章 完ーー
最後までお読みいただきありがとうございます、感謝に堪えません。番外編もお読み頂けたら幸いです。




