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第二十一話:甘い独占欲の夜


王都、王弟邸の寝室。


静かな夜だった。


灯りを落とした室内には、窓から差し込む月明かりだけが淡く広がっている。


そして――ベッドの上。


「……ジャック様」


エレナは小さく呼びかけた。


だが返事の代わりに返ってきたのは、さらに強く引き寄せられる腕だった。


「ん?」


耳元で低く落ちる声。


背中に回された腕が、逃げ場を完全に塞いでいる。


抱き寄せられている、というより――捕獲されている。


(……最近、ずっとこうだわ)


エレナは心の中でそっと遠い目になった。


危険地域の事件以来。


ジャックの距離が、明らかに近い。


近いどころではない。


増えた。


確実に執着が増えた。


それも、隠そうとすらしない。


頬を撫でられ、髪を指で梳かれ、額に口づけが落ちる。


まるで壊れ物を扱うような手つきで、ひたすら愛でられている。


(……この距離に慣れてきている自分が怖い)


少し前なら、こんな状況に耐えられなかったはずなのに。


逃げようともがくことすら、もうしていない。


その事実に気づき、エレナはますます遠い目になった。


ふと、思い出したように口を開く。


「そういえば……」


腕の中で少しだけ身じろぎする。


「クララ様、厳しい修道院に移送されたと聞きました。うまくやっていけると良いのですが……」


ほんの小さな沈黙が落ちた。


背後から、静かな声が降る。


「大丈夫だろう」


優しく、落ち着いた声音だった。


「きっと穏やかに過ごせるさ」


その言い方に、ほんのわずかな含みが混じっていたことに、エレナは気づかない。


ジャックはそのまま、自然に話題を変えた。


「明日からまた直轄領だな」


王弟邸の寝室に、穏やかな灯りが満ちていた。


腕の中に収まったままのエレナは、ふと顔を上げる。先ほどまでの話題が切り替わったのを感じ取ったのだろう。次の瞬間、その瞳がぱっと輝いた。


「はい、直轄領ですね!」


声の温度が一段高くなる。さっきまでの柔らかな空気とは違う、はっきりとした“仕事の顔”だった。


「まず仮設住宅の整備を急がないといけません。冬は越えられても、あのままでは生活が落ち着きませんし……石鹸の普及も進めたいです。衛生環境が整えば病気の発生率も下がります」


言葉が止まらない。


「水路と井戸の状態も確認したいんです。水の確保は生活の根幹ですから。あと、できれば生活改善の案もまとめて――」


自分でも止められないほど、次々に計画が溢れてくる。


その横顔は、本当に嬉しそうで。心から楽しんでいるのが伝わってくる。


そして、ふと思い出したように言った。


「早くリヒトさんに会って、色々進めたいな」


――その瞬間だった。


空気が、ほんのわずかに冷えた。


ジャックは何も言わない。だが、抱き寄せていた腕の力が、わずかに強くなる。


エレナはまだ気づいていない。


沈黙が数秒続いたあと、ゆっくりと腕が動いた。


ぐい、と強く引き寄せられる。


距離が、一瞬で消えた。


「……ジャ、ジャック様?」


顔を上げたエレナの視界いっぱいに、碧色の瞳が映る。


言葉はない。だが、明らかに不機嫌だった。


次の瞬間、頬に触れる指が、わずかに強くなる。


嫉妬の火が、静かに灯った。


ジャックの指が頬をなぞる。


逃げ場を塞ぐように、さらに距離が詰められた。


「……ずいぶん楽しそうに名前を呼ぶんだな」


低く落ちる声に、エレナははっと目を見開いた。


「ち、違います!あの、リヒトさんは……!」


慌てて言葉を探す。


「仕事仲間ですから!本当にそれだけです!」


必死だった。顔がみるみる赤くなっていく。


だが、ジャックの表情はまだ変わらない。じっと見下ろしてくる視線に耐えきれず、エレナはさらに声を小さくした。


「……ジャック様のこと、ちゃんと好きなのに……」


小さな声でこぼれた本音は、夜の静けさの中でやけに鮮明に響いた。


一瞬の沈黙。


次の瞬間、エレナの身体がぐっと引き寄せられる。


「……本当に?」


耳元で低く囁かれ、肩がびくりと跳ねた。


「ほ、本当です……!」


顔を真っ赤にして頷くと、ジャックは至近距離からじっと覗き込んでくる。逃げ場など最初からなかった。


指先が頬に触れ、ゆっくりと顎をすくい上げられる。


「なら、他の男の名前をそんなに嬉しそうに呼ぶな」


低く、静かな声音。


けれど、確かな独占欲が滲んでいた。


「……俺以外の名を、そんな顔で呼ぶな」


胸がどくん、と大きく跳ねる。


「ち、違います!嬉しそうなんて――」


言い訳を続けようとした唇が、指でそっと押さえられた。


「言い訳はいい」


わずかに目を細める。


「分かっている。仕事だということも、信頼していることも」


そのまま額が触れそうな距離まで近づく。


「……それでも、面白くない」


子どもみたいな言葉なのに、声はひどく甘かった。


「お前が嬉しそうにしている理由が、俺以外なのは」


エレナの心臓が忙しく跳ね続ける。


「ジャック様……」


困ったように名前を呼ぶと、今度はすぐに口元が緩んだ。


「ほら、そうやって俺の名を呼べ」


髪をすくう指がやさしく撫でる。


「その声も、その顔も、その笑顔も」


ゆっくりと言葉を重ねる。


「全部、俺のものだ」


思わず息を呑んだエレナの腰に腕が回され、逃げられないように抱き寄せられる。


「言ってみろ」


囁きは、もうほとんど甘やかすようだった。


「誰が好きだ?」


「……ジャック様、です」


小さな声。


けれど確かな答え。


その瞬間、ジャックは満足そうに微笑んだ。


「よくできた」


子どもを褒めるように頭を撫でるが、その腕は決して離さない。


「安心した」


ぽつりと落とされた本音は、驚くほど素直だった。


「お前は、ちゃんと俺のところにいるな」


胸に顔を埋められ、エレナはさらに顔を赤くする。


「逃げるなよ」


「に、逃げません……!」


慌てて否定すると、くすりと小さく笑う。


「知っている」


指が髪を梳く。


「だからこうして、好きなだけ抱きしめていられる」


腕の力が少しだけ強くなった。


優しく、けれど離さない抱擁。


「今夜は離さない」


甘く囁く声に、エレナはもう抵抗する気力など残っていなかった。


ジャックは、困ったように揺れるエレナの表情をしばらく見つめていたが――ふっと、表情を緩めた。


「……はは」


小さく笑う。


さっきまでの不機嫌さが嘘のように消えている。


「本当に、素直だな」


満足げに目を細め、その頬にそっと触れる。


そして、不意に思い出したように呟いた。


「そうだな。俺はお前のものだものな」


――その瞬間。


エレナの思考が止まった。


「……え?」


ゆっくりと、顔が赤く染まっていく。


「お前が言っただろう」


楽しそうに口元を歪める。


「あの断罪の場で」


わざと間を置いて、はっきりと言い直した。


「“私のジャック様です”と」


「――――っ!!」


一瞬で耳まで真っ赤になる。


「やめてくださいーー!!」


両手で顔を覆って身をよじるエレナを見て、ジャックは肩を震わせた。


「そんなに恥ずかしいか?」


「恥ずかしいです!!忘れてください!!」


「無理だな」


即答だった。


「一生忘れない」


くすくすと笑いながら、逃げようとする身体を再び引き寄せる。


「嬉しかったからな」


耳元で、静かに囁く。


「……あんな風に言われたのは初めてだ」


その声はどこか柔らかく、優しかった。


エレナはもう反論する力もなく、ぐったりと力を抜く。


「もう……ジャック様の意地悪……」


「褒め言葉だと思っておく」


満足げに微笑み、腕の中に収め直す。


「今日はよく頑張った」


ぽん、と優しく頭を撫でた。


「ゆっくり休め」


抗議の声はもう上がらない。


羞恥で力尽きたエレナを抱きしめたまま、ジャックは静かに目を閉じる。


王弟はご満悦。


エレナは羞恥でぐったり。


穏やかで、甘い夜は静かに更けていった。


次のお話で最終話となります。併せて番外編を2話更新して完結となります。

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