第十九話:断罪の鉄槌(後編)
王城の大広間は、先ほどまでの騒然が嘘のように静まり返っていた。
崩れ落ちたシューレンブルク子爵の嗚咽が、まだ石床に残響している。
その沈黙を――突き破る声があった。
「……ふざけないで」
跪かされたまま、クララがゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた頬は、もはや怯えではなく、剥き出しの憎悪に歪んでいる。
「ふざけないでよ……ふざけないで!!」
大広間に鋭い叫びが響き渡った。
貴族たちが息を呑む。近衛騎士の手が剣に触れる。
しかしクララは止まらなかった。
その視線が――一直線にエレナを射抜く。
「全部、あんたのせいじゃない!」
震える指が、エレナを指差す。
「あんたさえいなければ――!!」
ざわめきが再び広がる。
エレナは息を呑み、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
クララの声は、涙と怒りに引き裂かれながら続く。
「私が……私が王弟妃だったはずよ!
皆が認めていた!誰もがそう思っていた!!」
叫びは、もはや断罪の場を忘れたかのようだった。
「私は努力してきたのよ!!
礼儀も!政治も!領地の管理も!
全部全部、あの人の隣に立つために!!」
爪が石床を掻く。
その指先は血が滲むほど強く握られていた。
「私以上に――彼を愛している女なんていない!!」
空気が凍り付く。
クララの視線が、ゆっくりと玉座へ向く。
「愛してるの、ジャック……」
その声は、先ほどまでの狂気とは違っていた。
壊れそうなほど弱く、縋るような響き。
「あなたのために、領地の運営だって頑張った。
あなたに恥をかかせないように、必死だった。
あなたの隣に立つ未来だけを信じて……」
ぽたり、と涙が床に落ちる。
「思い出して……
子どものころを……」
大広間の誰もが、息を止めていた。
「庭園で遊んだ日。剣の稽古を見ていた日。
あなたが笑ってくれた日……」
震える声が、最後の願いのように響く。
「私はずっと、あなただけを――」
言葉が途切れる。
静寂。
すべての視線が、玉座へと集まる。
王弟ジャックは――
一言も発しなかった。
表情すら変えない。
ただ、冷え切った眼差しでクララを見下ろしている。
そこにあったのは、同情でも、怒りでもない。
ましてや、かつての情など微塵もない。
完全な無。
完全な拒絶。
それだけだった。
クララの唇が震える。
理解してしまったのだ。
自分の恋が、もう存在していないことを。
大広間に、静かな残酷さだけが満ちていた。
ざわめきの残る大広間の空気が、再び重く沈もうとしていた。
クララの嗚咽が途切れ、誰もが次の言葉を待つしかない――そんな停滞の瞬間。
そのときだった。
貴族席の一角から、衣擦れの音が響いた。
エレナが立ち上がった。
誰も止めることができなかった。
彼女は迷いなく階段を降り、玉座の前へと歩み出る。
近衛騎士が思わず道を開けた。
そして――クララの真正面で止まる。
静寂。
エレナは深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間――
大広間の視線がすべて彼女に吸い寄せられる。
怯えはない。
揺らぎもない。
ただ、真っ直ぐな光だけが宿っていた。
「あなた、身勝手すぎるわ」
静かな声だった。
だが、不思議なほどよく響いた。
クララが息を呑む。
「ジャック様のために領民に尽くした?」
一歩、踏み出す。
「違う。民のためにでしょう!」
貴族席がざわめいた。
エレナは構わず続ける。
「国を作るのは民。」
大広間が静まり返る。
「王は、民を愛し育み、責任を持つ者。」
その声は、揺るがない信念そのものだった。
「命の重さを背負う覚悟を持ち、」
さらに一歩、クララへ近づく。
「泣いている人を救うために、飢えている人を生かすために――。」
まっすぐ見据える。
「民のために――王はある。」
貴族たちがどよめいた。
絶対王権のこの国では、反意とも取れる言葉。
レオンハルトが目を見開く。
玉座の上で、ジャックは静かに目を細めた。
(これだからエレナは飽きない)
マリアが誇らしげに頷く。
「流石ですお嬢様」
エレナの怒りは止まらない。
「その隣に立つ者が、恋に溺れてどうするの!」
「恋愛脳で領地管理なんてしてんじゃないわよ!」
(?!)貴族たちが凍りついた。
そして――
「そんな目でジャック様を見るな!!
彼は私のものなんだから!!」
完全な沈黙。
時間が止まったかのようだった。
後方で――
「素晴らしいですエレナ様!!」
マリアの小さな拍手が、静寂に響いた。
二度目の称賛だった。
大広間に落ちた沈黙を、最初に破ったのは――王弟だった。
ジャックはゆっくりと玉座から立ち上がる。
その瞳は、先ほどまでの冷酷さとはまるで別の光を宿していた。
震えていた。
歓喜に。
次の瞬間、彼は迷いなく階段を降りると、エレナの腰を強く抱き寄せた。
「……っ」
大広間が再びざわめく。
王弟が、公開裁定の場で、貴族令嬢を抱き寄せた。
だが本人は一切気にしていなかった。
「エレナ……」
声が低く、かすかに震える。
「今の言葉、もう一度言ってくれないか」
至近距離で向けられる熱のこもった視線。
エレナは――
数秒遅れて、自分の発言を思い出した。
顔が一瞬で真っ赤に染まる。
(わ、私、今……なにを……!?)
恥ずかしさが爆発した。
涙目のまま、無言で首をぶんぶん横に振る。
声にならない悲鳴。
ジャックはそんな彼女を見下ろし、静かに思う。
――可愛すぎる。
その光景を見ていたレオンハルトが、あからさまに不機嫌そうな顔をした。
「……これは、面白くない」
小さく拗ねる王太子。
しかし、誰も突っ込めない。
空気が一転して甘くなりかけた、そのとき。
エレナは深呼吸を一つ。
ゆっくりとジャックの腕に手を添えた。
「……殿下」
声はまだ震えていたが、瞳はまっすぐだった。
「お願いがございます」
大広間が再び静まる。
「死罪は中止してください」
どよめきが走る。
クララが顔を上げ、貴族たちが目を見開く。
「シューレンブルク子爵家は、償うべきです。
終わらせるのではなく――償わせるべきです」
その言葉には、怒りではなく覚悟があった。
エレナは、ゆっくりとエルナーへ向き直る。
「平民となり、民に尽くせますか?」
震える声。
だが視線は揺らがない。
エルナーはしばらく言葉を失っていた。
やがて、崩れるように額を床へ打ち付ける。
「……命をかけて償います」
嗚咽混じりの誓いだった。
その姿を見届け、エレナは静かに目を閉じる。
ジャックはしばらく彼女を見つめていた。
そして、ゆっくりと振り返る。
王弟の顔に戻った。
「最終判決を下す」
大広間の空気が凍る。
「シューレンブルク子爵家は爵位剥奪。
財産没収の上――平民へと落とす」
貴族たちの顔が青ざめる。
それは死罪に匹敵する宣告だった。
そして、最後に。
ジャックの視線がクララへ落ちる。
冷酷な光。
「クララ・シューレンブルク」
彼女は震えながら顔を上げた。
「王族への危害。殺人未遂。
その罪は極めて重い」
静寂。
「むち打ち刑の後、厳格な修道院へ送る」
クララの瞳から、涙が零れ落ちる。
「終生、外界との接触は禁じる」
断罪は下された。
「以上をもって裁定を終える」
王弟の声が大広間に響き渡る。
――閉廷。




