第十八話:断罪の鉄槌(前編)
王都の王城の謁見の間は、いつもより重い空気に包まれていた。
天井高く広がる大広間。磨き上げられた白大理石の床には、整列した騎士たちの影が長く落ちている。
壁一面に掲げられた王家の紋章が、冷たい金の輝きを放っていた。
ここは、王が国を裁く場所。
そして今は――王族自らが罪を裁く公開断罪の場。
貴族たちが静かに並び、騎士たちが沈黙の壁のように立つ。
誰もが理解していた。
本日ここで下される裁定は、社交でも政治でもない。
王権そのものの意思だ。
その中央、玉座に腰掛けているのは王弟ジャック。
隣には王太子レオンハルトが並び立つ。
王族が二人揃って断罪に臨む――それが意味する重さは、言葉にするまでもなかった。
視線の先。
大広間の中央には三つの影が跪いている。
クララ・フォン・シューレンブルク。
エルナー・フォン・シューレンブルク。
マックス・シューレンブルク子爵。
床に押し付けられた膝が微かに震えていた。
その少し後ろ、貴族席の一角でエレナは静かに立っている。
心配そうに、ただ一人を見つめながら。
玉座に座る男を。
ジャックは静かに立ち上がった。
その瞬間、広間の空気が凍り付く。
王弟としての威厳。
だがその瞳の奥に宿るのは、冷え切った怒りだった。
「これより裁定を下す」
低い声が広間全体に響く。
抑えられている。
だが、隠されてはいない。
怒りが滲んでいた。
「クララ・フォン・シューレンブルク」
名を呼ばれた瞬間、クララの肩がびくりと震えた。
文官が一歩前に出る。
書状が広げられ、罪状が読み上げられる。
「王族に連なる者、エレナ・フォン・ローゼンバーグ嬢への毒薬混入」
ざわめきが走る。
「視察情報の改竄」
「立入禁止区域への意図的誘導」
「殺害未遂」
一つ一つ、刃のように落ちていく言葉。
そのすべてを、ジャックは一言も遮らず聞いていた。
拳を固く握ったまま。
最後の言葉が読み終えられる。
沈黙。
そして。
ジャックがゆっくりと口を開いた。
「言い訳は聞かない」
冷たい声だった。
王族としての声ではない。
法を語る声でもない。
――愛する者を害された男の声だった。
「お前は、彼女を殺そうとした」
広間の空気が震える。
クララの顔から血の気が消える。
ジャックの視線が、まっすぐに突き刺さる。
怒りを、隠そうとしない。
「王族に刃を向けた罪は重い」
一歩、階段を下りる。
玉座から。
裁く者の位置から。
一人の男として。
「だがそれ以前に――」
声が低く沈む。
「俺の大切な人間に手を出した」
ざわめきが広間を揺らした。
王弟が、私情を隠さない。
それがどれほど異例か、全員が理解していた。
そして、宣告が落ちる。
「クララ・フォン・シューレンブルク」
静寂。
「死罪」
息を呑む音が広間を満たす。
「シューレンブルク子爵家」
一拍の間。
「断絶」
悲鳴が上がった。
貴族席が一斉にざわめく。
誰もが青ざめていた。
家門の断絶。
それは死より重い罰。
ジャックは一歩も動かない。
怒りを隠さぬまま、ただ告げた。
「以上だ」
冷酷な裁定だった。
だがその瞳の奥には、まだ消えない怒りが燃えていた。
王城の大広間に広がったざわめきは、まだ完全には収まっていなかった。
クララへの死罪と、シューレンブルク子爵家断絶という宣告が落とされた直後――
空気は、凍りついたまま動かない。
その沈黙を、耐えきれぬように破ったのは、中央に控えていた壮年の男だった。
シューレンブルク子爵である。
「お待ち下さい!!」
張り裂けるような叫びが、大理石の壁に反響する。
「断絶は……断絶は貴族院の裁定、あるいは国王陛下の勅命が必要です!!」
必死の声だった。
それは法に縋る者の声であり、貴族として最後に残された“盾”だった。
「王族であろうとも、勝手に一門を断つことは許されない!!それが王国の法であるはずだ!」
その言葉に、広間の貴族たちの視線が一斉に揺れる。
そうだ。
それは確かに、王国における最後の防衛線。
貴族という身分を守る、最後の砦。
誰もが、息を呑んで次の言葉を待った。
――そのとき。
「……妥当な、言い分ですよね」
静かな声が響いた。
玉座の隣。
王太子レオンハルトが、ゆっくりと一歩前へ出る。
その口元には、薄く――冷たい笑み。
広間の空気が変わる。
彼は静かに告げた。
「王弟殿下には、陛下より正式に譲渡された代理権限があります」
その言葉が落ちた瞬間。
大広間が、揺れた。
「な……」
「代理権限……?」
「まさか……」
抑えきれぬ動揺が波のように広がる。
レオンハルトは淡々と続ける。
「国王陛下は現在、国外外交のため長期不在。
よって――王弟殿下に、王権の一部が委譲されております」
一拍。
そして、決定的な言葉が落ちた。
「この場の裁定は――**国王勅命と同等の効力を持つ**」
完全な静寂。
誰一人、呼吸すらできない。
貴族たちの顔から血の気が引いていく。
王権は絶対。
王権は、すべての法を上回る。
その現実が、今この瞬間、骨の髄まで突きつけられた。
エレナもまた、思わず息を呑んでいた。
胸が震える。
この国の頂点に立つ者の力。
それは、法律や慣習すら超越する。
その重さが、ようやく実感として押し寄せてくる。
中央では。
シューレンブルク子爵の膝が、崩れた。
「そんな……そんな馬鹿な……」
声が掠れる。
支えていた最後の理屈が、音を立てて崩壊した。
もう、逃げ道はない。
その隣で、エルナーが立ち尽くしていた。
理解が追いつかない。
現実を受け入れられない。
震える声が漏れる。
「父上……」
その一言で、子爵の肩が震えた。
長い沈黙の後――
彼は、ゆっくりと顔を覆った。
「……私は……」
絞り出すような声。
「王家に忠義を尽くしてきた……」
それは、誇りだった。
家の歴史だった。
生涯をかけて守ってきた矜持だった。
「国のために働き、王弟殿下に仕え……ただそれだけを信じて生きてきた……」
声が震える。
「なのに……」
指の隙間から、涙が零れ落ちる。
「妹一人……止められなかった……」
膝から崩れ落ちた。
威厳ある貴族の姿は、もうどこにもない。
ただの一人の兄だった。
守れなかった。
止められなかった。
そして――全てを失った。
嗚咽が、大広間に静かに響いた。
誰も、何も言えなかった。




