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第十七話:新たな約束と断罪の始まり


静まり返った路地に、か細い嗚咽が残っていた。


母を失った少年は、まだ震える手でエレナの外套の端を握っている。


「……孤児院に、行けるの?」


不安に揺れる小さな声。


エレナは膝を折り、少年と同じ目線になると、優しく微笑んだ。


「ええ。領地の孤児院で、温かい食事も、安心して眠れるベッドもあるわ」


少年の目に、わずかな光が宿る。


「……本当?」


「本当よ」


そっと頭を撫でる。


「必ず会いに行くわ。約束する」


小さな指が、ぎこちなくエレナの指を握った。


「……待ってる」


その言葉に、胸の奥が温かくなる。


必ず守るべき命が、また一つ増えた。


――その様子を見ていたジャックが、そっとエレナを抱き寄せる。


「帰ろう」


低く優しい囁き。


エレナの身体が、ふわりと浮く。


「ジャックさま……?」


「もう十分だ。今日はよく頑張った」


まるで壊れ物を扱うように、丁寧に抱き上げる。


その温もりに、ようやく緊張がほどけていく。


やがて腕の力が少しだけ緩む。


その瞬間――エレナの視線が止まった。


少し離れた場所。


壁にもたれ、静かにこちらを見ている青年。


命を懸けて守ってくれた人。


エレナはジャックの腕から降りようとして――


だが次の瞬間、強く抱きしめられた。


「……どこへ行く」


静かな声。完全に不機嫌だった。


「え、あの……」


腕は自然に見えて、明確に離さない力がこもっている。


そのまま視線だけを青年へ向ける。


「用があるならここで話せ」


リヒトは一瞬目を丸くし、次の瞬間吹き出した。


「はは、すげぇな王弟様」


肩を竦める。


「嬢ちゃん、近づくの禁止らしいぞ」


エレナは困ったようにジャックを見上げたが、小さく頷いた。


「先ほど、名乗ろうとしたのですが……途中で襲撃があり、きちんとご挨拶ができていませんでした」


腕の中のまま丁寧に頭を下げる。


「改めまして。私はエレナと申します」


リヒトの口元がゆるく上がる。


「……やっと聞けたな」


短く息を吐く。


「俺はリヒト。この辺りは俺の縄張りだ」


エレナは小さく頷いた。


「はい。覚えています」


そして一瞬だけ言葉を探すように視線を落とし、


もう一度まっすぐ彼を見た。


「……あの」


ジャックの腕がわずかに強くなる。


それでもエレナは続けた。


「先ほど見た光景を、忘れることができません」


瓦礫の街。痩せた子ども。


母の亡骸に縋りつく孤児。


胸の奥が締め付けられる。


「私は、この場所を――子どもが笑って過ごせる場所に変えていきたいのです」


静かな声だったが、確かな決意が宿っていた。


「どうか、力になっていただけませんか……」


夜の空気が静まる。


リヒトの表情から、笑みが消えた。


まっすぐエレナを見る。


しばらく何も言わなかった。


その沈黙の間、ジャックの腕の力だけがじわりと強くなる。


やがてリヒトが小さく息を吐いた。


「……嬢ちゃんはさ」


苦笑のような声。


「本当に、とんでもねぇ事言うな」


だが視線は逸らさない。


「分かった。覚えとく」


それ以上は言わなかった。


けれど、軽い言葉ではないのは誰の目にも明らかだった。


その時。


「叔父上、そろそろお戻りを」


穏やかな声が夜気を裂いた。


振り向いた先に立つのはレオンハルト。


静かな表情で一礼する。


「周辺の安全は確保できました」


ジャックが短く頷く。


「ご苦労」


レオンハルトの視線がエレナへ向く。


ほんの一瞬だけ、柔らかくなる。


「ご無事で何よりです、エレナ嬢」


安堵の滲む声音だった。


そのわずかな変化に、ジャックの視線が細くなる。


レオンハルトは気づかないふりをして続けた。


「……リヒト殿。この度のご助力、感謝いたします」


丁寧な礼。


リヒトが苦笑する。


「王太子に礼言われるとか、落ち着かねぇな」


「事実ですので」


静かな返答。


「叔父上、夜も更けております。帰還を」


「……分かった」


短い返答。


エレナはもう一度リヒトへ頭を下げた。


「助けて下さって、本当にありがとうございました」


「気を付けて帰れよ、嬢ちゃん」


その瞬間、ジャックが背を向けて歩き出した。


「帰るぞ」


有無を言わせない声。


三人が夜の闇へ溶けていく。


残された路地で、リヒトは小さく空を見上げた。



エレナは一度だけ振り返った。


瓦礫に覆われた路地。


月光に照らされた荒れた街。


そして、その影の中に立つ一人の青年。


この場所は、まだ救われていない。


けれど――


ここにも、確かに手を伸ばしてくれる人がいる。


胸の奥に小さな灯がともる。


ジャックの腕に守られながら、闇の路地を後にする。


静寂が落ちた。


風が吹く。


崩れた建物の隙間を抜け、冷たい夜気が街を撫でていく。


月だけが、すべてを見下ろしていた。



――同じ頃。


重く閉ざされた扉の向こうで、


別の夜が静かに動き始めていた。



クララ視点。


子爵家の自室。


「まずい、まずい、まずい……」


クララは震える手でドレスの裾を握りしめ、部屋を行き来していた。頭の中で同じ言葉が何度も何度も反響する。


どうしてこうなった? 計画は完璧だったはずだ。立ち入り禁止区域に貴族令嬢が一人で入って、無事に済むはずがない。そうなるはずだったのに。


「どうして、あの男が……」


リヒト。


彼が現れるなど、誰が予想できただろう。あの支配者に守られるなど完全な誤算だった。


計画では、ジャックがエレナを見つけ出し助ける事など絶対に不可能だったのに……。


唇を噛みしめる。


まるで——エレナが本当のヒロインだと言わんばかりの展開。


「ヒロインは……私よ。あの女じゃない……!」


胸の奥で黒い感情が渦巻く。怒りと嫉妬が混ざり、熱を帯びていく。


そうだ。


「傷物の令嬢になったと噂を流せばいい」


低く呟いた声は、自分でも驚くほど冷たかった。


「あの女がジャックの隣に立つことなど出来ぬように……」


決意した瞬間、表情が歪む。


クララは勢いよくベルを鳴らした。


「使用人を呼んで。すぐに」


計画を立て直さなければならない。今すぐに。


しかし——


扉が開いた瞬間、クララは息を吞んだ。


入ってきたのは使用人ではなかった。


騎士達。


そして、その先頭に立つのは——王太子レオンハルト。


静かな足取りで室内に踏み込むと、彼は冷たい視線をクララへ向けた。


「クララ・フォン・シューレンブルク子爵令嬢」


淡々とした声が響く。


「あなたにはエレナ・フォン・ローゼンバーグ嬢に危害を加えようとした容疑がかかっています」


息が止まる。


「証拠は既に揃っています。ご同行願います」


「……え?」


声がかすれた。


何が起きているのか理解できない。


背後から慌てた足音が響く。


「何事だ!」


部屋へ駆け込んできたのはエルナーとシューレンブルク子爵だった。


だが、レオンハルトの視線は揺らがない。


「あなた方にも容疑がございますので、ご同行ください」


その一言で空気が凍りついた。


否定の言葉すら出ない。


逃げ場はどこにも無かった。


「申し開きがあれば、王都で聞きましょう」


——断罪が、始まる。


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