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第十四話:仕組まれた迷路(前編)


時は少し遡るーー。


視察は、緊張感を孕みながらも静かに進んでいた。


崩れた石壁の影、割れた窓から吹き込む乾いた風。南東区域は、復興が進み始めた地区とは明らかに空気が違っていた。


その最中だった。


一人の騎士が、早足でジャックのもとへ駆け寄る。


「王弟殿下。至急の案件です」


低く抑えた声だったが、その緊迫は隠しきれない。


差し出された書状に、ジャックの視線が落ちる。


王都からの緊急連絡。


内容を追った瞬間、彼の目がわずかに細められた。


(このタイミングで?)


胸の奥に、言葉にできない違和感が生まれる。


だが無視できる内容ではない。


ほんの数秒の沈黙の後、ジャックは静かに書状を畳んだ。


「……急ぎ戻る」


短く告げる。


隣にいたレオンハルトへ視線を向けた。


「護衛指揮は任せる」


それは信頼を前提とした言葉だった。


レオンハルトは頷く。


「はい。こちらは任せて下さい」


その返答を聞き、ジャックは一度だけ周囲を見渡した。


エレナの姿が視界に入る。


視察対象の建物に意識を向け、真剣な表情で話を聞いている。


ほんの一瞬、視線が止まった。


胸の奥に残る違和感が、消えない。


それでも――


王弟としての責務が優先される。


「すぐ戻る」


誰に向けたとも分からないほど小さく呟き、踵を返した。


最大の盾が、静かにその場を離れていった。



ジャックが去った直後だった。


護衛騎士の一人が、王太子レオンハルトのもとへ駆け寄る。


「殿下、視察経路に問題が発生しました」


低い声での報告。


地図が広げられ、別経路の安全確認が必要だと告げられる。


本来であれば王弟が判断すべき案件。


だが今、その場にいる最高責任者はレオンハルトだった。


「……分かった。人員を割け」


短い指示。


数名の騎士が即座に動き出す。


その結果、護衛の密度が――ほんのわずかに、だが確実に薄くなった。


その瞬間。


クララの唇が、微かに弧を描いた。


誰にも気づかれないほど小さな動き。


だが確かに、視線が流れる。


案内役へ。 そして、子爵家に属する騎士へ。


無言の合図だった。


「こちらが近道になります」


穏やかな声で案内役が告げる。


「復興区域へ最短で向かえますので」


疑う理由はなかった。


視察の効率化。 現地案内役の提案。 そして、同行する騎士の存在。


「分かりました」


エレナは迷いなく頷いた。


護衛の一部が別方向へ移動していることにも、 その“わずかな空白”にも気づかぬまま。


静かに歩き出す。


仕組まれた道を。


罠だと知らずに。


――誘導は、成功していた。


しばらく後――。


穏やかだった視察の空気を裂くように、鋭い声が響いた。


「エレナ様がいません!」


クララだった。


その言葉は瞬く間に周囲へ広がり、現場の空気が一変する。


ざわめきが波のように広がり、騎士たちが一斉に周囲を見渡した。


「何だと……?」


レオンハルトが振り向く。


先ほどまで確かに視界に入っていたはずの姿が、どこにもない。


胸の奥が嫌な音を立てる。


「いつからだ!」


騎士たちが慌ただしく周囲へ散っていく。


呼び声が飛び交い、足音が石畳を打ち鳴らす。


だが――返事はない。


「全員、捜索だ! 直ちに――」


命令を発しかけた、その時だった。


背後の影が、音もなく揺れた。


人目のない岩陰。


そこへ滑り込むように現れた“影”。


王家直属の監視。


影は膝をつき、短く告げた。


「報告。監視魔法が途切れました」


一瞬、意味を理解できなかった。


レオンハルトの思考が停止する。


「……何?」


低く問い返す。


影は繰り返した。


「エレナ様に付与していた追跡・護衛監視術式。数分前に完全消失を確認」


静寂が落ちた。


風の音だけが遠くで鳴っている。


レオンハルトの喉がゆっくりと動いた。


「そんな馬鹿な……」


王家の監視魔法。


それは並の魔術師が干渉できるものではない。


切断など――あり得ない。


あり得ないはずだった。


胸の奥に、冷たいものが落ちる。


これは事故ではない。


偶然でもない。


意図的に破られた。


王家の目が――欺かれた。


レオンハルトの瞳から温度が消える。


「……捜索隊を編成する。全域だ。隠すな。全部動かせ」


その声には、すでに確信が滲んでいた。


これは単なる失踪ではない。


騎士たちは即座に動き出し、周囲の空気が緊急事態へと切り替わる。


連絡役が走り出し、伝令が飛び、魔術師たちが術式の再展開を始めた。


王家の捜索網が、一斉に動き出す。


「王弟殿下へ至急連絡を」


その言葉が落ちた瞬間、場の緊張はさらに一段階上がった。


最大の盾を呼び戻すしかない。


その時だった。


崩れるように膝をつく音がした。


「エレナ様が……っ」


クララが泣き崩れていた。


震える肩。

顔を覆う両手。


「私、お止めしたのですが……好奇心を抑えられなかったようで……」


嗚咽混じりの声。


だがその言葉は、確かに含んでいた。


――彼女自身の責任ではない、と。


レオンハルトの瞳が一瞬だけ細くなる。


だが、何も言わない。


今はまだ。


怒りは、飲み込む。


証拠が揃うまで。


「……王弟殿下が戻られる。準備を整えろ」


短く告げる声は、冷え切っていた。


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