第十一話:ヒロインは一人でいい(クララ視点)
窓から差し込む朝の光が、部屋を柔らかく照らしていた。
その中央で、クララは書類を静かに閉じた。
「……整ったわ」
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
机の上には視察同行者の名簿。
何度も何度も確認し、修正し、差し替えた紙。
一つ一つは小さな変更。
けれど積み重なれば、もう元には戻らない。
「補助官、記録係、現地案内役……」
指先でなぞる。
直轄領の人間。
ジャックの信頼する部下。
本来ならそうなるはずだった。
けれど今この名簿に並ぶのは――
子爵家に恩のある者たち。
気付かれない程度に。
不自然にならない範囲で。
「誰も疑っていない」
小さく笑った。
王弟殿下の視察計画。
危険地域の現状確認。
正義のための、立派な名目。
だからこそ、都合がいい。
「案内役が道を誤ったとしても――誰も責められない」
立入禁止区域。
治安崩壊の最奥。
護衛が分断され、連絡も遅れる場所。
事故が起きても、不運で片付く場所。
胸が高鳴る。
鼓動が速くなる。
怖い?
違う。
これは――歓喜。
「やっと……取り戻せる」
ぽつりと零れた言葉に、自分でも驚いた。
鏡に映る自分を見つめる。
栗色の髪。
明るい緑の瞳。
社交界で“前向きで努力家”と呼ばれ続けた顔。
そう。
ずっと頑張ってきた。
幼い頃からジャックの隣に立つために。
直轄領のために。
人々の役に立つために。
それが、自分の物語だった。
なのに。
「……あの女が全部奪った」
声が震えた。
直轄領の人々が称賛するのは、エレナ。
ジャックが笑顔を向けるのも、エレナ。
自分がいた場所。
自分が目指してきた未来。
全部、気付いたら彼女のものになっていた。
「私はずっとここにいたのに」
唇を噛む。
努力しても届かなかったものを、
彼女は当たり前のように手に入れた。
――王弟殿下の隣。
「……ねえ、ジャック」
届かない呼びかけが空気に溶ける。
そして、ゆっくりと笑った。
「ヒロインは一人でいいの」
物語の中心は一人だけ。
主役が二人いたら、物語は壊れてしまう。
だから。
「これは、正しい結末」
黒い小箱を手に取る。
監視魔法を乱す魔道具。
短時間だけ、王家の目を欺く切り札。
「これで、誰も邪魔できない」
すべて準備は終わった。
舞台も、配役も、結末も。
「さようなら、エレナ」
微笑む。
「あなたがいなければ、全部元通りになる」
*
その頃。
王宮中庭には視察用の馬車が用意されていた。
朝の光の中、エレナは空を見上げる。
「今日は南東区画の視察ですね」
声は穏やかで、どこまでも前向きだった。
危険地域と呼ばれていても、
そこに暮らす人々がいることを知っているから。
隣に立つジャックが短く言う。
「無理はするな」
「はい。でも、自分の目で確かめないと」
迷いのない笑顔。澄んだ眼差し。
ジャックは小さく息を吐いた。
「……離れるな」
「ふふ、はい」
軽く笑って頷くエレナ。
今日という日が、誰かにとって
“特別な一日”であることなど知らずに。
馬車の扉が開く。
静かに動き出す車輪。
嵐の幕が、ゆっくりと上がろうとしていた。




