第十話:王家の双璧
視察から戻る馬車の中、エレナは窓の外を眺めながら考え込んでいた。
(教育、治安、雇用……やることが多すぎるわ)
頭の中では、すでに計画が走り始めている。
そんな彼女を、向かいから静かに見つめている男が一人。
ジャックだった。
満足そうに、そしてどこか誇らしげに。
(微笑ましい)
だがその眼差しは、どこまでも柔らかい。
(やはり……エレナは目が離せない)
邸に到着すると、執事が深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、殿下。お客様がお待ちです」
「客?」
ジャックの眉がわずかに寄る。
応接室の扉が開かれた瞬間――
エレナは思わず足を止めた。
「え……?」
ソファから立ち上がったのは、金髪碧眼の青年。
王太子レオンハルトだった。
「お帰りなさい、叔父上」
穏やかな声と共に、優雅な一礼。
そしてすぐに、柔らかな微笑みがエレナへ向けられる。
「エレナ嬢。お元気そうで何よりです」
優しく、包み込むような眼差し。
その視線に、なぜか落ち着かなくなる。
「レ、レオンハルト殿下……なぜこちらに?」
率直な疑問が口をついて出た。
レオンハルトは穏やかに微笑む。
「叔父上に、緊急の要件がありました」
声音はどこまでも柔らかい。
だが、その瞳の奥には微かな光が宿っている。
(緊急……?)
エレナが首を傾げた瞬間。
隣の空気が、凍った。
「……レオンハルト」
ジャックの声は低い。
静かすぎるほど静かだった。
王太子は肩をすくめて笑う。
「そんな顔をなさらず。ちゃんと仕事ですよ」
「王太子が自ら来る必要がある内容か?」
「ありますよ。非常に重要です」
にこやかな笑顔。
一歩も引かない声音。
空気が、ぴりりと張り詰める。
(え……? 何、この雰囲気……)
エレナは視線を彷徨わせた。
レオンハルトがふと彼女を見つめる。
「本日は領地の視察に行かれていたとか」
「え、ええ……」
「叔父上は無茶をさせていませんか?」
柔らかな声。心配するような響き。
「い、いえ! とても心強かったです!」
慌てて答えると、レオンハルトは微笑んだ。
「それは良かった」
その微笑みが向けられた瞬間――
背後の空気がさらに冷えた。
「……ずいぶん親しげだな」
低く落ちた声。
振り向くと、ジャックが立っていた。
冷たい碧眼。完全に“嫉妬マシマシ”の表情。
(ひえっ)
「叔父上、怖いです」
レオンハルトが苦笑する。
「エレナ嬢に話しかけただけですよ?」
「必要以上に近い」
「そうですか?」
「レオンハルト」
名前を呼ぶだけなのに、威圧感がすごい。
空気が震える。
(どうしよう……板挟み……!)
レオンハルトは楽しそうに目を細めた。
「安心してください、叔父上。私は“まだ”何もしていませんから」
沈黙。
数秒の静寂。
「……要件を聞こうか」
完全に不機嫌な王弟の声だった。
レオンハルトは満足げに微笑む。
(やっぱり面白い)
そして静かに告げた。
「ええ。王家として、看過できない案件が出ました」
その言葉に、場の空気が一変した。
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執務室の扉が閉まる。
室内にはジャックとレオンハルトのみ。
重たい沈黙が落ちた。
ジャックは机の前に立ったまま振り返らない。
「……王太子が自ら来るとはな。何が出た」
レオンハルトは微笑みを消し、机に封書を置いた。
王家の紋章入り。極秘封。
「例の件の検査結果です」
空気が一瞬で冷えた。
「……開けても?」
「もちろん」
封を切る音がやけに大きく響いた。
紙を開いた瞬間――
ジャックの指が止まった。
長い沈黙。
「……そうか」
低く、押し殺した声。
その奥にある怒りを、レオンハルトは聞き逃さない。
紙を握る手がわずかに震えている。
「確定です。混入されています」
レオンハルトの声も冷たい。
「クララ嬢が渡した焼き菓子から、微量の毒物反応」
室温が数度下がった気がした。
「慢性型。即効性はなし」 「徐々に体力を削り、女性機能が衰え、子もなせなくなるでしょう」
ジャックがゆっくり顔を上げる。
その瞳は氷のようだった。
「まだ証拠は揃っていません。ですが――」
机にもう一枚の書類が置かれる。
「仕入れ先、納入経路、関係者。候補は絞れています」
視線が書類を走る。
一行、二行、三行。
紙が机に叩きつけられた。
「ふざけるな」
低く震える声。怒りで空気が揺れる。
「エレナに手を出すとは」
拳が机に落ちた。重い音。
「必ず守る」
王弟としてではない。
一人の男としての誓い。
レオンハルトが静かに微笑む。
「ええ。ですから――」
碧の眼が鋭く光る。
「必ず証拠を掴みましょう、叔父上」
穏やかな声音。だが内容は容赦ない。
「泳がせます。証拠を揃えます。王家に手を出しことを後悔させましょう」
「……容赦はしない」
「もちろんです」
レオンハルトは楽しそうに笑った。
「王家の双璧が動くのですから」
静寂。
嵐の前の静けさ。
「まずは護衛を増やします。表向きは治安対策強化」
「裏では監視網を張る」
「毒の供給元も炙り出す」
冷酷な戦略会議。
ジャックが頷く。
「エレナには知らせるな」
「ええ。余計な不安は不要です」
二人の視線が交差する。
「必ず潰す」
「必ず捕まえる」
王家最強と呼ばれる男。
次代の王と呼ばれる男。
その瞳に宿るのは――
獲物を見つけた捕食者の光だった。




