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第八話:ヒロインの崩壊(クララ視点)


孤児院から戻った夜。


窓の外には、王弟直轄領の静かな灯りが広がっていた。


子ども達の笑い声。

殿下の優しい声。

そして――彼女へ向けられた、あの眼差し。


何度も何度も、頭の中で繰り返される。


胸の奥が、焼けるように痛んだ。



幼い頃から、ずっと隣にいた。


剣の稽古場。

書庫。

収穫祭。

直轄領の視察。


殿下――ジャックは、いつも忙しくて、厳しくて、近寄りがたい人だった。

でも、時々だけ見せる笑顔を知っているのは自分だと思っていた。


「クララ」


名前を呼ばれるだけで嬉しかった。


領地の数字を褒められた日。

水路整備が成功した日。

夜遅くまで議論した日。


並んで歩いてきた時間が、確かにあった。


いつか。


いつかきっと。


隣に立つのは自分だと、信じていた。


誰も疑っていなかった。

兄も、領民も、役人達も。


――王弟妃はクララになる。


それが、自然な未来だった。


はずだった。



「紹介しよう。俺の婚約者だ」


あの日の光景が、何度も何度も頭の中で再生される。


眩しいほど美しい女性。

透き通るような肌。

整いすぎた顔立ち。


そして何より。


殿下の腕に、当然のように抱き寄せられていた姿。


あの瞬間、胸の奥で何かが壊れた。


(どうして)


どうしてそんな顔をするの?

どうしてそんな声で話すの?

どうして――そんなに優しく笑うの?


あんな顔、一度も向けられたことがない。


私はずっと隣にいたのに。

ずっと支えてきたのに。


「殿下、こちらの資料ですが」


「後にしてくれ」


短い声。


視線は書類ではなく、扉の向こう。

彼女がいる方向。


胸が、ぎゅっと締め付けられる。


(また)


最近ずっとこうだ。


会議中でも。

視察中でも。

食事中でも。


視線は無意識に彼女を探している。


彼女が笑えば、柔らかくなり。

彼女が困れば、即座に助け。

彼女が離れれば、不機嫌になる。


分かりやすすぎる。


痛いほど。


「殿下は本当にお変わりになりましたね」


役人の言葉に、思わず笑顔で頷く。


「ええ、とても」


笑顔は完璧だった。


昔から得意なのだ。

明るく、前向きで、誰からも好かれる顔。


ヒロインみたいだと、昔言われたことがある。


(ヒロイン)


その言葉が胸を刺す。


本物のヒロインは、もう現れている。


私じゃない。



晩餐の日。


彼女は会話に入れず、少し困ったように笑っていた。


本当は気付いていた。


話題が専門的すぎたことも。

昔話ばかりだったことも。


でも止めなかった。

止められなかった。


殿下との思い出を話す時間が、嬉しかったから。


少しだけ。

ほんの少しだけ。


優越感を感じてしまったから。


――その結果。


殿下は彼女を連れて席を立った。


「今後は二人で食べる」


静かな声だった。


けれど、完全な拒絶。


胸が、空っぽになる。


兄は理解を示した。

でも私は、笑顔で頷くことしかできなかった。


「ごめんなさい、エレナ様」


涙が出そうだったのは、本当。


でも。


その涙の理由は――半分嘘だ。



夜。


一人の部屋。


鏡の前に立つ。


栗色の髪。

緑の瞳。

整った顔立ち。


誰もが褒めてくれた。

誰もが期待してくれた。


なのに。


「……勝てない」


ぽつりと零れる。


美しさも。

立場も。

殿下の愛情も。


何一つ届かない。


(どうして)


ずっと隣にいたのは私なのに。


後から来た人が、全部奪っていく。


胸の奥で、黒い感情が静かに形を持つ。


嫉妬。

悔しさ。

怒り。


そして――


憎しみ。


鏡の中の自分が、歪んで見えた。


それでも笑顔を作る。


いつもの、完璧な笑顔。


「大丈夫」


誰に言うでもなく呟く。


「私は、ヒロインだから」


その声は、もう以前と同じ響きではなかった。


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