第七話:孤児院で芽吹く想い
孤児院は、行政区画の外れの小高い丘の上にあった。
石造りの小さな建物。
白い壁に絡む蔦。
庭には手作りの遊具と、小さな畑。
王都の豪奢な施設とは違う。
けれど、どこか温かい場所だった。
「ここが孤児院です」
クララが誇らしげに振り返る。
「直轄領の子ども達は皆ここで育ちます。教育費も生活費も領地が負担しています」
「よく整っている」
ジャックが短く答えた。
その横で、エレナは胸の奥がふわりと温かくなるのを感じていた。
(素敵な場所……)
その時。
「クララお姉ちゃんだー!!」
扉が開くより早く、子ども達が雪崩のように飛び出してきた。
「クララお姉ちゃん!」
「おかえり!」
「今日も来てくれたの!?」
小さな手が一斉にクララに伸びる。
抱きつく子。
袖を引く子。
スカートにしがみつく子。
クララは自然に膝を折り、目線を合わせた。
「ただいま。皆、元気だった?」
柔らかな声。
優しい笑顔。
迷いのない仕草。
「見て見て!字書けるようになった!」
「畑のお芋大きくなったよ!」
子ども達の輪の中心に、クララがいる。
太陽の中心のように。
(人気者……)
エレナは少し後ろからその光景を見つめていた。
クララは照れたように笑う。
「私は何もしていませんよ。皆が頑張っているだけです」
謙遜。
完璧な謙遜。
けれどその瞳の奥に、微かな満足感が滲んでいる。
そして――ふと振り返る。
「今日は特別なお客様がいるの」
わざとらしいほど自然に、エレナの手を取った。
「こちらがエレナ様。とても素敵な方なのよ」
(えっ)
突然の紹介に固まる。
その瞬間。
子ども達の視線が一斉にエレナへ向いた。
静寂。
一秒。
二秒。
そして。
「だれ!?」
「殿下が女の人つれてきた!!」
「すっごいきれい!!」
「お姫様みたい!!」
「ち、違います!!」
エレナは真っ赤になって手を振る。
「お姫様じゃありません!!」
だが子ども達は興奮して止まらない。
「殿下の大事な人?」
「お客さま?」
「お城から来たの?」
「ちがっ、えっ、あのっ」
完全にパニック。
その横で、エルナーが穏やかに口を開いた。
「皆。こちらは将来、王弟殿下の妃となられる方です」
静かな説明。
――その瞬間。
一人の子が首を傾げた。
「え?」
素朴な顔。
純粋な瞳。
「クララがお妃様になるんじゃないの?」
空気が凍った。
「みんな言ってたよ?」
沈黙。
完全な沈黙。
エルナーの表情が固まる。
ジャックの視線が、ゆっくりと冷えた。
エレナの胸が、ずきんと痛む。
クララは――
困ったように笑った。
「ふふ、そんなことないわ」
否定。
やんわりとした否定。
けれど。
ほんの少しだけ。
満更でもなさそうな表情。
その瞬間。
エレナの肩に、そっと腕が回った。
静かな力。
静かな圧。
ジャックだった。
「でもね」
別の子が言う。
「こんなに綺麗な人ならお妃様にしちゃうよねぇ」
無邪気な声。
次の瞬間。
ジャックがエレナの顎に指をかけた。
「え?」
理解する前に――
唇に軽い口づけが落ちた。
「――っ!?」
「そうだよ」
低く、優しい声。
子ども達へ向けた声音。
「俺の大切なお姫様なんだ」
エレナの腰を引き寄せる。
「もうすぐお妃様になる」
「きゃーーー!!!」
子ども達が大騒ぎする。
「見た!?」
「キスした!!」
「殿下すごい!!」
エレナは真っ赤になって固まっていた。
(子どもの前で何してるんですかーーー!!!)
恥ずかしさで死にそうだった。
――けれど。
その後。
気付けばエレナは子ども達の輪の中にいた。
「髪さわっていい?」
「わぁ…さらさら…」
「絵本読む?」
「はい、喜んで!」
膝に子どもを乗せ、絵本を読むエレナ。
小さな指がページを指さし、無邪気な声が重なる。
「つぎ!つぎよんで!」
「はい、順番ですよ」
くすっと笑い、髪を撫でる。
優しい声。
柔らかな微笑み。
子ども達もつられて笑う。
その笑顔が次々と広がっていく。
やがて庭に出ると、追いかけっこが始まった。
「まってー!」
「つかまえた!」
「きゃあ!」
子ども達に囲まれながら、エレナが声を上げて笑う。
裾を押さえながら走り、転びそうになってまた笑う。
その中心にいるのは――紛れもなく彼女だった。
少し離れた場所で。
ジャックは腕を組み、静かにその光景を見ていた。
視線は一度も逸れない。
まるで、他のすべてが目に入っていないかのように。
エレナが子どもの頭を撫でるたび、
笑顔を向けられるたび、
小さく目を細める。
「……楽しそうだな」
誰に向けたでもない、低い呟き。
その声は驚くほど柔らかかった。
いつもの威圧感も、冷静さもない。
ただ――愛おしさだけが滲んでいる。
子どもに呼ばれて振り向いたエレナが、
ふとジャックと目を合わせた。
ぱっと花が咲いたように微笑む。
その瞬間。
ジャックの表情が、わずかに崩れた。
「……本当に」
小さく息を吐く。
「連れてきて正解だった」
その声には、確かな満足と誇らしさが滲んでいた。
クララはそんなジャックを、瞬きもせず見つめていた。
貼り付けたような笑顔の奥で、胸の奥が静かに軋む。
――どうして、あんな顔を向けるの。
息を吸い、ゆっくりと吐く。
それでも笑顔だけは、完璧に保ったまま。
その様子を。
少し離れた木陰から。
マリアが、何も言わず、じっと見ていた。




