第四話:王弟直轄領へ(後編)
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
王弟直轄領の中枢――行政区画。
石造りの建物が整然と並び、人の往来も活発だ。
兵士、役人、商人、農夫。
視線が一斉にこちらへ向く。
その理由は明白だった。
先頭を歩くのは王弟ジャック。
そしてその隣を歩いているのは――エレナ。
ざわめきが、波のように広がった。
「殿下が女性を……?」
「婚約者様だ」
「噂は本当だったのか」
「なんてお美しい……」
止まらない視線。
途切れない囁き。
(む、無理……)
ここは王都ではない。
ここは“彼の城”。
領民にとってジャックは絶対の存在。
その隣に現れた女性。
注目が集まらないはずがなかった。
「妖精みたいだ……」
「殿下が溺愛するのも分かる」
(やめてくださいぃぃ)
そのとき。
そっと肩が抱き寄せられた。
驚くほど自然な動作で、ジャックの腕がエレナを包み込む。
「ジャック様……近いです」
「当然だ」
低く、穏やかな声。
「婚約者だからな」
周囲が静まり返った。
領民たちが固まる。
(え……?)
エレナだけでなく、エルナーも思考が止まった。
今の発言は――
完全に私的な声音だった。
公務中の王弟の声ではない。
「見られて困るか?」
「こ、困るというか……恥ずかしいです……」
「慣れてくれ」
迷いのない返答。
「これから一生続く」
静かに、当たり前のように言った。
エルナーが完全に固まった。
(今、領民の前で何と……?)
騎士団長。王族。冷静沈着。
その王弟が。
堂々と。
人前で。
未来の伴侶宣言をしている。
ざわめきが一気に広がる。
「殿下が……笑ってる?」
「初めて見た……」
「本当に婚約者なんだ……」
ジャックは周囲を見回した。
そして静かに言った。
「紹介しよう」
空気が張り詰める。
「俺の婚約者、エレナだ」
一拍。
「いずれ王弟妃になる」
領民の息が止まった。
エルナーが目を見開く。
(断言した……!)
王族の言葉は重い。
未来形で語ることは滅多にない。
それを。
この場で。
迷いなく。
宣言した。
次の瞬間、歓声が爆発した。
「おめでとうございます!!」
「殿下!!」
「王弟妃様!!」
祝福の声が広がる。
エレナは真っ赤になった。
「ジャック様っ……!」
「事実だ」
穏やかに言い切る。
その声音は驚くほど柔らかかった。
「隠す必要はない」
その横顔を見て、エルナーは思った。
(殿下が……幸せそうだ)
今まで見たことがない表情だった。
クララが一歩前に出る。
「皆さん!お仕事に戻ってください!」
明るい声が響く。
「歓迎は後ほどです!」
人々が名残惜しそうに散っていく。
ざわめきが遠ざかる中。
エルナーが小さく呟いた。
「殿下」
「なんだ」
「……想像以上でした」
「何がだ」
「溺愛が」
一拍。
「当然だ」
即答だった。
迷いも照れもない。
エルナーは思わず天を仰いだ。
(これはもう……止まらない)
視線を横へ向ける。
クララが立っていた。
いつもの笑顔。
完璧な笑顔。
だが。
その手が、わずかに震えていた。
誰にも気付かれないほど小さく。




