第一話:王弟婚約者の初仕事
朝の光が、重厚なカーテンの隙間から差し込んでいた。
王弟邸で迎える朝にも、少しずつ慣れてきた頃。
とはいえ――
「……広い」
目を覚ますたびに思う。
伯爵邸の自室の三倍はある寝室。天蓋付きのベッド。豪奢な調度品。
(ここ、婚約者の家なのよね……)
婚約。
同居。
王弟邸。
言葉にすると改めて現実味がすごい。
身支度を整えていると、侍女マリアが少し緊張した様子で告げた。
「お嬢様、ジャック殿下がお呼びです。執務室へとのことです」
(朝からかぁ)
嫌な予感しかしない。
執務室への「呼び出し」は大体仕事だ。
*
執務室の扉を叩く。
「失礼いたします」
中に入ると、書類の山に囲まれたジャック様が顔を上げた。
その瞬間、表情がふっと緩む。
「来たか、エレナ」
(その顔ずるい…)
仕事モードの王弟殿下の姿なのに、私を見ると一瞬で甘くなるの、本当に心臓に悪い。
「ジャック様。ご用件は……?」
ジャック様は椅子から立ち上がり、机の前に回り込んだ。
そして当然のように、私の腰を引き寄せる。
「ひゃっ……!」
「そんなに警戒するな。婚約者だろう」
(朝から距離が近い!)
逃げようとしても、腰に回された腕が離れない。
彼は私の髪に指を絡めながら、さらりと言った。
「直轄領へ行くことになった」
「……はい?」
思考が止まる。
「視察だ。王弟妃候補としての初仕事になる」
(ついに来た……公務……!)
胸がぎゅっと締め付けられる。
「私に、務まるでしょうか……」
不安が口をついて出た瞬間。
顎をそっと持ち上げられた。
「務まる」
碧の瞳がまっすぐに射抜いてくる。
「君はもう十分やっている。領地管理も、貴族社会も」
距離が、さらに近くなる。
「だから今回は――」
彼は少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「俺の領地を見てほしい」
胸がどくんと鳴る。
「数日かかる。泊まりになるな」
(泊まり!?)
言葉の意味が脳内でゆっくり理解される。
直轄領。
数日。
宿泊。
つまり。
「りょ、旅行みたいですね……」
思わず漏れた言葉に、ジャック様が一瞬目を細めた。
そして――
耳元に唇が近づく。
「新婚旅行の練習だよ」
――思考停止。
「……え?」
低く甘い声が、すぐ近くで落ちる。
「結婚したら、連れて行くつもりだった場所だ」
指が頬をなぞる。
「君と二人で過ごす時間が増える。俺は楽しみで仕方ない」
(無理無理無理無理)
顔が一気に熱くなる。
逃げ場がない。視線を逸らせない。
「し、新婚旅行なんてまだ……!」
「一年後だろう?」
即答だった。
「俺にとっては長すぎる」
ぎゅっと抱き寄せられる。
「だから予行演習だ」
心臓が限界。
「君と一緒に眠って、同じ景色を見て、同じ時間を過ごす」
囁きが落ちる。
「早く慣れてくれ」
(慣れる!?!?)
完全に処理落ちした私の額に、軽く口付けが落ちた。
「楽しみにしている、エレナ」
――もう、無理だった。
(倒れそう……)
「……はい」
声が震えたのは、絶対に気のせいじゃない。
こうして私の
王弟妃候補としての初仕事は――
完全に甘すぎる空気の中で始まったのだった。




