第十六話:新たな絆
騎士団が去った後、地下室にはエレナとジャックの二人だけが残された。炎の光が揺らめき、彫刻のようなジャックの横顔を浮かび上がらせている。
「エレナ、痛むところはないか?」
その声に含まれる優しさに、エレナの胸が締め付けられる。つい先ほどまで冷酷な戦士だった人物とは思えないほど穏やかだ。
「手首が少し……」
言葉を終える前に、彼の指がそっと触れた。
「見せてみろ」
恐る恐る腕を差し出すと、ジャックは慎重に縄の跡をなぞる。その瞳には怒りと悲しみが入り混じっていた。
「痛むだろう。……すまない。もっと早く来られたら……」
エレナは静かに首を振る。
「いいえ。助けてくださって、本当にありがとうございます」
その拍子に頬の痛みが走り、思わず顔をしかめた。
「頬も腫れているな」
ジャックが眉をひそめる。
「あの女……」
声には、はっきりとした嫌悪が滲んでいた。
「でも……どうして、こんなに早く助けに来られたのですか?」
少し間を置いて、ジャックは答える。
「君の侍女、マリアから早馬が届いていた」
エレナは目を見開いた。
「それに……」
彼は入口の方へ視線を向ける。
「彼も、情報を提供してくれた」
壁際に立っていた覆面の男が、一歩前に出た。ゆっくりと覆面を外すと、鋭い眼光を持つ二十代半ばほどの青年が姿を現す。
「王家の影だ」
ジャックが簡潔に説明する。
「侯爵家の不正調査に協力してもらっていた」
「影……?」
エレナが小さく呟く。
「王族直属の秘密工作部隊です」
青年は淡々と答えた。
「表に出ることはほとんどありません」
ジャックは彼に向かって頷く。
「よくやってくれた。君が居場所を突き止めてくれなければ、間に合わなかった」
青年は一礼し、再び覆面を付けて静かに退いた。
「エレナ」
ジャックは彼女の両肩を支える。
「ここを出よう。医師の診察が必要だ」
そのまま、彼はエレナを抱き上げた。
「自分で歩けます……」
「いや」
静かだが有無を言わせぬ声。
「これくらい、させてくれ」
地下室を出ると、星明かりが二人を包んだ。廃倉庫街を離れる間も、ジャックは彼女を抱いたまま歩き続ける。
「……重くありませんか?」
「全く」
落ち着いた声で即答する。
「むしろ軽すぎる。ちゃんと食事は取っているのか?」
その何気ない気遣いに、エレナの胸がじんわりと温かくなる。
(なんて、優しい人なんだろう……)
伯爵邸へ戻ると、使用人たちが慌ただしく駆け寄ってきた。
「お嬢様!」「殿下!」
老齢の主治医が呼ばれ、診察室で手当てが施される。その間も、ジャックは廊下で待ち続けていた。
やがて扉が開き、エレナが医師と共に姿を現す。
「どうだった?」
「幸い骨折はありません」
医師が告げる。
「手首の捻挫と打撲がありますので、しばらくは安静を」
「わかった」
医師が下がると、ジャックはエレナの手を取った。
「疲れただろう。寝室まで送ろう」
夜風の通る廊下で、彼は立ち止まる。月明かりに照らされた横顔は、ひどく真剣だった。
「エレナ」
「はい?」
「もし許してもらえるなら……これからは、もっと頻繁に会えないだろうか」
揺れる瞳。
「毎日、君の元気な顔が見たい」
予想外の言葉に、エレナの頬が熱くなる。
「……はい。嬉しいです」
その答えに、ジャックは少年のような笑顔を見せた。
(私……この人と一緒にいたい)
「私も……」
エレナは勇気を出して言葉を紡ぐ。
「あなたの笑顔が、好きです」
気づけば、彼女は背伸びをしていた。そして、彼の頬にそっと唇が触れる。
「……っ」
固まるジャック。
「エ、エレナ……?」
我に返ったエレナは慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません! つい……」
彼の頬が、みるみる朱に染まっていく。
「まさか……君の方から……」
困ったように眉尻を下げ、視線を彷徨わせる姿は、あまりにも不意打ちだった。
「……その……また……してくれないか」
「え……?」
戸惑いながらも頷き、今度は反対側の頬に口づける。
ジャックの耳まで赤くなった。
「エレナ……」
彼の腕が、そっと彼女を抱き寄せる。
「もう少し……強引に、求めてもいいだろうか」
気づけば二人は抱きしめ合っていた。廊下を通りがかった使用人たちは、息を呑んでそっと視線を逸らす。
「……もう遅いな」
名残惜しそうに、ジャックが身を離す。
「明日、必ず迎えに来る」
「はい。お待ちしております」
玄関で、最後に小さな抱擁を交わす。
「おやすみ、エレナ」
「おやすみなさい、ジャック様」
門番は、去っていく背中を見送りながら小さく呟いた。
「明日は雨ですね……傘をお忘れなく、王弟殿下」




