全国大会編⑧・「突出の代償」
カウンターが来る前の出来事。
キャプテンの相沢は違和感に気づく。
ボールは回っている。
しかし、前には進まない。
社会人の守備は、派手ではない。
激しくもない。
ただ――
一つの線だけを消していた。
羽谷への縦だ。
ボランチが顔を上げる。
一瞬、迷う。
結局。
外へ。
後ろへ。
また外へ。
(……やはりそうなるか)
相沢は小さく息を吐く。
(まずいな....)
羽谷を潰しているわけじゃない。
羽谷へ行く道を潰している。
グラウンドの中央。
羽谷は立ったまま。
動かない。
いや。
動けない。
味方が選択肢を持っていないからだ。
(俺たちは……止まってる)
これまでは違った。
羽谷を使えば前に進める。
それが正解だった。
だが今は。
それしかない。
相沢はグラウンドを見る。
真壁がラインを動かしている。
声を出す。
味方が連動する。
組織が動く。
(これがプロか....)
相沢はゆっくり目を細める。
そして、前線を見る。
ただ一人だけ。
羽谷が静かに立っていた。
ボールが回る。
最終ライン。
ボランチ。
サイド。
また戻る。
中央は閉じられている。
羽谷への縦は出せない。
時間だけが過ぎる。
ボランチが顔を上げる。
羽谷を見る。
だが。
真壁が、半歩だけ前へ出る。
縦のコースが消える。
迷い。
その一瞬。
足が伸びる。
カット。
社会人のボランチ。
「行け!」
声が飛ぶ。
カウンターだ。
ボールが前へ運ばれる。
速い。
一歩目が違う。
奪った瞬間、もう前を向いている。
中央へ持ち出す。
相沢が戻る。
だが――距離がある。
詰めきれない。
(間に合わない……!)
ボランチは顔を上げる。
迷いがない。
右サイドへ展開。
走り込んでいる。
フリー。
味方の戻りが遅れている。
受ける。
ワンタッチ。
縦へ。
さらに加速。
サイドをえぐる。
相沢は中央へ絞る。
中を切る。
しかし、クロスだ。
低い。
速い。
ニアへ一人。
中央に一人。
ファーにも走り込んでいる。
(三枚……!)
対応が遅れる。
足が揃わない。
中央の選手が触る。
コースが変わる。
キーパーが反応する。
だが、届かなかった。
ネットが揺れる。
「よしっ!」
社会人の歓声。
スコアは――
2ー1。
羽谷へ出せなかった、その一瞬。
流れは、完全に奪われた。
ーーー
試合再開。
――ピッチの最前線。
俺は、動きを止めていた。
社会人の動きが、一段速くなる。
中盤で、またボールが奪われる。
縦。
展開。
クロス。
シュート。
弾く。
こぼれ球。
またクロス。
ラインが下がる。
押し込まれる。
「クリア!」
キャプテンの声。
ボールが外へ逃げる。
だが――すぐに戻ってくる。
社会人の波。
止まらない。
俺は最前線で待つ。
一歩も動かない。
いや、動けなかった。
動けば、守備は整ってしまう。
だから――あえて動かない。
味方がボールを奪う。
顔が上がる。
一瞬。
俺を見る。
だが。
パスは来ない。
余裕がない。
すぐに奪われる。
また相手の攻撃。
(……来ない、か)
空を見上げる。
雲が、重い。
風が変わる。
それでも、待つ。
次の一瞬を。
カウンター。
一度だけでいい。
そこに、賭ける。
――その時。
空が光る。
真っ白な閃光。
一拍遅れて――
ゴロゴロゴロ……。
雷鳴。
ざわめきが広がる。
最初の雨粒が、頬に落ちた。
ぽつり。
ぽつり。
そして――
一気に落ちてくる。
豪雨。
芝が瞬く間に濡れる。
ボールが――止まる。
審判の笛。
「試合中断!」
選手たちが顔を上げる。
「戻ってこい!」
ベンチから声が飛ぶ。
全員がテントへ走る。
だが――
俺は、動かなかった。
雨に打たれながら、
その場に立つ。
キャプテンの声が飛ぶ。
「おい、風邪引くぞ!」
「....はい」
視線を落とす。
さっきまで転がっていたボールが、
水たまりの中で――
止まっていた。
ボールは来なかった。
最後まで。
ーーー
雨で試合は中断。
雷も止む様子がない。
選手たちがベンチへ戻っていく。
その途中。
後ろから声がかかった。
「おい、坊主」
振り返る。
真壁だった。
タオルを頭に被りながら、ゆっくり歩いてくる。
俺の前で止まると、少しだけ目を細めた。
「悪くねぇな」
短い一言。
だが、すぐに続ける。
「ただな」
グラウンドを顎で指す。
「お前は――チームの中じゃ強すぎた」
「突出しすぎてんだ」
「そりゃ警戒も集中する」
少し間。
真壁は肩をすくめる。
「だから、止めやすい」
雨音が強くなる。
その言葉だけが、妙に残った。
「まぁ――それすらを凌駕するんなら、話は別だけどな」
俺は、少しだけ視線を落とす。
「……アドバイス、ありがとうございます」
真壁は小さく笑った。
「おい、坊主。そんな辛気臭い顔すんな」
軽く肩を叩く。
「ナイスゲームだったぜ」
それだけ言うと、
真壁は雨の向こうへ歩いていった。
雷が鳴る。
審判が再び笛を吹く。
試合は、そのまま中止になった。
ーーー
バスの中。
揺れに合わせて、思考がわずかに遅れる。
俺は、さっきから同じ言葉を反芻していた。
——突出しすぎている。
——止めやすい。
分かっていなかったわけじゃない。
むしろ、薄々感じていたことだ。
それでも。
このチームで勝ち抜くためには、
これが最善だと、そう判断していた。
溶け込めば、警戒は薄れる。
だが、その代わりに失うものがある。
“その先”に届かなくなる。
一瞬、思考が止まる。
(そうなると....)
次の選択に触れかけた瞬間、
記憶が引き戻される。
ドイツ。
あのときと、同じ構図。
(……これじゃあ、また)
自嘲が、喉の奥で引っかかる。
逃げたわけじゃない。
選んだはずだった。
それでも、結果は似ていく。
バスが揺れる。
視線だけを窓の外に逃がした。
(どうする)
問いは短い。
だが、重い。
全国まで、あと一週間。
俺は選択を迫られていた。




