過去編⑨・「正体」
家に帰って、俺はもらったリストバンドを眺めていた。
布は古い。
だけど、どこか誇りみたいなものが染みついている気がした。
ふと、内側に違和感を覚えた。
何かが縫い付けられている。
俺は目を凝らした。
そこには、小さな文字で名前が刻まれていた。
――Marcel Grandy
一瞬、思考が止まった。
心臓が跳ねた。
「……え?」
俺は息を呑んだ。
「……グランディ?」
脳内で何かが弾ける。
嘘だろ。
まさか。
俺は震える手でスマホを掴み、必死に検索した。
出てきた写真。
若い頃の男。
鋭い目。
強い意志を感じる顔。
――同じだ。
俺の背筋が凍った。
「まじか……!!」
声が漏れた。
「グランディだったの……!?」
1970年代。
ヨーロッパで活躍した伝説のFW。
その男が。
俺の隣で、ただの老人みたいに笑っていた。
俺はリストバンドを握りしめた。
胸が熱くなった。
あの言葉。
あの視線。
あの不気味なくらいの余裕。
全部、理由があったんだ。
「……ふざけんなよ」
俺は笑った。
笑いながら、涙が出そうになった。
「……Merci.」
俺は、心の中で呟いた。
その思い出は深く残り、
俺の人生を――確かに変えた。
*********
「おい、きょうや。おーい、羽谷叶弥くーん。聞こえてますかー?」
肩を軽く叩かれ、俺ははっと我に返った。
目の前には、れんの顔。
「ボーッとしてたけど、大丈夫か?」
「……ああ、大丈夫だ」
「ほんとかよ。まあいいや。ゲームやろうぜ」
「うん、やろうか」
教室は昼休みの騒がしさに包まれていた。
窓の外からは、生徒たちの笑い声が聞こえる。
俺は一度だけ瞬きをして、静かに息を吐いた。
(――あれからもう5年も経つのか……)
⸻
れんと昼休みに会う日は、毎日ではない。
けれど今日は、来た。
れんは俺より友達が多い。
誰かに呼ばれて、どこかに行ってしまう日もある。
たぶん――
友達が少ない俺に、気を使ってくれているのだろう。
昼休みの教室。
俺たちは机を寄せて、スマホのサッカーゲームで対戦していた。
いつも通りの時間。
いつも通りの騒がしさ。
それが、少しだけ心地よかった。
「なあ、れん」
「ん?」
俺はゲーム画面を見たまま、ぽつりと言った。
「俺がいつも一人だから……気を使ってんのか?」
一瞬、れんの指が止まった。
次の瞬間、呆れたように笑う。
「は?なわけねぇだろ」
そして、さらっと言った。
「俺がきょうやと居たいからいるんだよ」
その言葉は軽かった。
でも、不思議と胸の奥に落ちた。
「……そうか。ありがとな」
俺が小さく呟くと、れんはニヤついた。
「なんだよ急に笑」
そして、からかうように続ける。
「あ、俺が毎日来ないから寂しかったんだろ〜?可愛いとこあんじゃん」
――イラッ。
その瞬間、俺の中で何かが弾けた。
「うるせぇーよ!そんなんじゃねぇし!」
するとれんは、追い討ちをかけるように両手を合わせて言った。
「もぉ〜素直じゃないんだから♡」
「気持ち悪いからやめろって」
俺が吐き捨てると、れんは腹を抱えて爆笑した。
本当にこいつは、どこまでもうるさい。
「なあ、れん」
「今度はなんだよ笑」
俺は少し間を置いてから言った。
「天才って、何だと思う?」
れんはきょとんとした顔をした。
「……やっぱ今日おかしいぞ?熱でもあるんじゃね?」
そう言って、俺の額に手を伸ばそうとする。
「ちげぇよ。哲学として気になっただけだ」
「哲学ねぇ……」
れんは眉を寄せて、しばらく考える素振りを見せた。
そして、結局いつも通りの顔に戻って言う。
「んー、よく分かんねぇけどさ」
れんは肩をすくめた。
「そんなこと考える暇あったら、天才に勝つ方法探すけどな」
「……」
「難しい話は俺には分かんねぇ笑」
その答えは、あまりにも単純だった。
けれど、俺は妙に惹かれた。
――そうだ。
俺は今までずっと、天才とは何かを考えていた。
定義がどうとか、才能がどうとか。
でも、そんなものは本人以外分かるはずもない。
考えたところで正解は出ない。
それより――
天才に勝つ方法なら、考えることができる。
答えが存在するかもしれない。
俺はれんの言葉を聞いて、自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
するとれんが、また軽い口調で言った。
「まあそんなこと考える暇があったら、早くゲームで俺に勝ってくださぁ〜い笑」
煽ってきやがった。
「は?ぜってぇ負かしてやるからな」
「ムリムリ笑。俺はゲームの天才なんでぇ〜」
れんはわざとらしく胸を張る。
「きょうやは勝てないまま卒業迎えるんじゃない?」
「んなことねぇよ!」
俺はムキになって言い返した。
「それに自分で天才って言うな!そんなやつは天才でもなんでもねぇ!」
れんは笑いながら首を振った。
「ただの愚か者だ!」
俺が言い切ると、れんはさらに笑った。
「あーはいはい。負け犬の遠吠えがうるさいな〜笑」
そんな風にして、今日も騒がしい昼休みが過ぎていった。
ちなみに、結果は――
全部負けた。
俺はスマホを握りしめたまま、深くため息をつく。
「……くそ」
れんは満足そうに笑った。
「ほらな。俺は天才なんだよ」
「うるせぇ」
俺は笑いながら、画面を閉じた。
だけどその瞬間、ふと思った。
――天才とは何か。
その答えはまだ出ていない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
俺は、考えるだけじゃ足りない。
勝つために、動くしかない。
そのとき、教室のスピーカーから放送が流れた。
『サッカー部は、放課後ミーティングを行う。全員、ミーティング室に集合』
れんが笑う。
「全国だな、きょうや」
俺は小さく頷いた。
全国が始まる。
今回で過去編は終了です。
少し長くなりましたが、お付き合いありがとうございました。
次回から全国大会編になります。




