第四章・日常編「戻る日常」
県大会が終わっても、学校は何事もなかったように続いていた。
授業があり、チャイムが鳴り、生徒はいつも通り校門をくぐる。
朝の空気は少し湿っていて、制服のシャツが肌に張り付く。
それでも校門の前には、いつも通りのざわめきがあった。
笑い声、靴音、自転車のブレーキ。
――日常だ。
そう思った瞬間、視界に赤い布が入った。
校門の脇。
風に揺れる横断幕。
静岡県大会優勝
静岡県立“新鋭”(しんえい)高等学校
文字が、妙に眩しい。
まるで日差しよりも強く、目に刺さる。
祝福の言葉のはずだった。
でも、その言葉が向いていたのは俺じゃない。
名前のない“結果”だけだった。
そこに、俺の居場所は見当たらなかった。
――日常に戻る。
そう思っていなかったわけじゃない。
けれど、それが甘い期待だということには、薄々気づいていた。
校門を抜けるまでのわずかな距離で、視線が刺さる。
「あれ、羽谷くんじゃない?」
「あ、あの一年のやつだ」
「ほんとだー」
声は小さい。
けれど、なぜか全部聞こえる。
いや、聞こえてしまう。
名前より先に、出来事が歩いてくる。
県大会。ハットトリック。優勝。全国。
自分でも分かっている。
あれが、どれほど大きなことだったか。
勝ちたかった。
だから、選んだ。
それだけの話だ。
今さらどうにもならない。
そう割り切るしかなかった。
「気にするなよ」と言う人もいるだろう。
正しい意見だと思う。
けれど、申し訳ない。
これはもう、サッカーの職業病みたいなものだ。
ピッチに立てば、俺は違和感を見逃さない。
ズレを感じ、原因を探し、修正し、次のプレーで実行する。
考えて、選んで、動く。
サッカーは――何とかなる。
でも、これは違う。
視線。距離。空気。
違和感を察知したところで、その先がない。
改善も、実行もできない。
ただ「違和感」で、思考が止まる。
それが、どうしようもなく恥ずかしかった。
思春期のほとんどを、海外で過ごした。
だから、日本のこの距離感が分からない。
近いようで、遠い。
遠いようで、近い。
友達と呼べる存在も、「れん」くらいだ。
それも、いつも一緒にいるわけじゃない。
昼休みに顔を合わせる程度。
教室の中で、俺は立ち位置を見失っていた。
ピッチの上なら、迷わないのに。
ボールがあれば、選択肢は自然と見える。
誰がどこにいて、どこに出せば前に進めるか。
一瞬で判断して、身体が先に動く。
でも、教室にはボールがない。
代わりにあるのは、言葉と視線と、曖昧な間。
誰かに声をかけるにも、正解が分からない。
ここで踏み出していいのか、引いた方がいいのか。
失敗した時のリスクだけが、やけに具体的に想像できてしまう。
――俺は、もう「ただの一年生」じゃない。
そう自覚した瞬間、胸の奥が少しだけ冷えた。
望んだ結果だったはずなのに、代償の形は想像していなかった。
全国。
その二文字が、まだ現実味を持たないまま、
俺の日常だけを、確実に変えていく。
戻ったはずの日常は、
もう、元の場所にはなかった。
シーズン2が始まりました。
全国大会編、そして叶弥の過去も少しずつ明らかになります。
引き続き、よろしくお願いいたします。




