県大会編・スタメン発表
いよいよ今日が、スタメン発表の日だった。
練習後、監督の一言で全員がミーティング室に集められる。
スパイクの土を落とす音も、いつもより小さい。
誰も無駄な言葉を発しない。
部屋の空気は重く、わずかに汗と消臭剤の匂いが混ざっていた。
壁際に並ぶ椅子。
前にはホワイトボード。
その白さが、やけに冷たく見える。
監督は何も言わず、ペンを取った。
カツ、カツ、と乾いた音が響く。
GK――
DF――
MF――
3年生を中心に、ほぼ予想通りの名前が並んでいく。
誰かが小さく息を吐く。
誰かが拳を握る。
そして最後。
FWの欄に、ゆっくりと名前が書き込まれる。
――羽谷 叶弥。
その瞬間、時間が止まったようだった。
空気が凍る。
誰も動かない。
誰も、声を出さない。
やがて、椅子が軋む音が一つ。
「……待ってください」
低い声だった。
声を上げたのは、同じポジションを争っていた3年生ではない。
むしろ、そのFWと3年間、ずっと並んで走ってきた仲間だった。
「そいつは、俺たちとずっとやってきたんです」
言葉が震えている。
「毎日、誰よりも走って、誰よりも声を出して……
それを差し置いて、転校してきたばかりの一年を先発ですか?」
部屋の温度が、さらに下がる。
「納得いきません」
別の3年生が続く。
「監督は、俺たちとずっとやってきたんです。
勝てない時も、ボロ負けした時も、一緒でした」
拳が机を叩く。
「おい、こういちも何とか言えよ!」
キャプテン――相沢は、俯いたままだった。
組んだ指に、力がこもっているのが分かる。
部室はざわめきに包まれた。
「納得できません。
今までやってきたのは、俺たちです」
感情が前に出る。
理屈よりも、積み重ねてきた時間が声になる。
叶弥は、何も言わず立っていた。
胸の奥が、静かにざわつく。
責められているのは自分だ。
それでも、不思議と反発は湧かなかった。
――当然だ。
そう思った。
その時。
「お前ら、もういい!」
低く、強い声が部屋を裂いた。
全員が振り向く。
声の主は、名前を書かれなかったFWの3年生だった。
拳を握り、奥歯を噛みしめている。
「気持ちは分かる。俺も正直、悔しい」
その一言に、空気が揺れた。
「でもな……このチームで一番“勝ち”を考えてるのは誰だ?」
視線が、自然と監督へ向く。
監督は何も言わない。ただ、真っ直ぐ前を見ている。
「監督は、俺たちの努力を全部見てきた。
それを分かった上で、あの名前を書いたんだ」
一歩、前に出る。
「だったら、俺たちは受け止めるしかない。
それに――奪われたなら、取り返せばいい」
その言葉は、怒りではなく覚悟だった。
部屋が、静まり返る。
監督はゆっくりと歩み寄り、彼の肩に手を置く。
「……ありがとう」
短い言葉。
だがそこには、三年間の時間が詰まっていた。
そして、監督は振り返る。
「だからこそ、条件をつける」
ホワイトボードに、新たな文字が並ぶ。
・前半2失点で交代
・リードされている場合、後半15分までに流れが変わらなければ交代
ざわめきが止まる。
「誰も軽視していない。
全員で勝ちに行く。そのための選択だ」
その視線が、叶弥に向く。
逃げ場はない。
叶弥は視線を落とし、そしてゆっくりと上げた。
(……すげえチームだな)
海外では、こんな場面はなかった。
負ければ切られる。
選ばれなければ、黙って去るだけ。
だが、ここでは違う。
人が、人を守る。
悔しさを抱えたまま、それでも前を向く。
だからこそ。
(期待に応えるだけじゃ、足りない)
(“選ばれた理由”を、ピッチで証明する)
後ろに並ぶ先輩たちの背中は、
思っていたよりもずっと大きく見えた。
ミーティング室を出ると、夕暮れの光が廊下を赤く染めていた。
ピッチの外では
もう県大会が始まっていた。
さあ、ここからだ。




