3.私たちが行く
「えー、すぐに行っちゃったー」
「つまんなーい」
子どもたちの残念そうな声が響く。きっと、柵の前を一周してから飛び立つだろう、と期待していたのだ。
それもすべては――。
エリシュカは外したばかりの郵便袋をきゅっと握る。
悔しい気持ちはある。だけど不安定な空を行く配達員は迷信深いものだ。このトルヴァの中央郵便局から来る配達員だって、定期便を届けるためオルゼへ来るのは好きではないらしいと聞いた。それはもちろん、『不幸を運ぶ竜』という不名誉な二つ名を持つマレーナがいるからだ。
正直に言えばエリシュカだって養成所で『不幸を運ぶ竜』の話は聞いていたし、マレーナがいるオルゼの町に配属が決まったときはどきどきしたのだから、あの男性の気持ちは分からなくもない。
「……だけど大丈夫よ、マレーナ。昔の私はともかく、今の私はマレーナのことが好きだもの」
マレーナは静かなままで少しも様子を変えないが、エリシュカはそう声をかける。
「待っててね、手紙を局員に届けて来る。そうしたらすぐオルゼに帰りましょ」
郵便袋を持ち、エリシュカは通用扉を開けた。中からは涼しさと一緒に紙とインクの匂いが流れ出る。
トルヴァはこの地域で一番大きい街だ。もちろん郵便局も大きい。各地から集まった手紙はここで仕分けられ、それぞれの地域へと運ばれていく。エリシュカが廊下を歩く間も何台もの手車とすれ違った。どの手車にもたくさんの手紙が入っていた。
人の想いや願いを運ぶ“郵便屋”という職業がエリシュカはとても好きだ。そしてもちろん、竜が好きだ。だからこうして『竜使いの郵便屋』になれたことがエリシュカは誇らしく、とても嬉しい。
小さな軋み音をさせながら奥の扉を開くと、エリシュカを見た女性局員がカウンター越しに手を上げた。
「いらっしゃい、エリシュカ!」
「ダリヤさん!」
屈託のない笑顔を浮かべるダリヤに向けてエリシュカは走り寄る。
エリシュカが王都の養成所にいたころ、ダリヤはそこで事務員をしていた。少し年上のダリヤはみんなの憧れのお姉さんのような存在で、エリシュカもよく愚痴を聞いてもらったり、褒めてもらったりしたものだ。
ダリヤは王都には派遣で来ているだけで、本来はどこかの局員が本業なのだと聞いていた。
オルゼのような小さな町では配達員が郵便局員を兼ねるけれど、こうした大きな“中央郵便局”では配達員のほかに郵便局員がいるのが普通だ。エリシュカも、いつかどこかでまたダリヤに会えたらいいなと思ってはいたが、まさか一番近いトルヴァの郵便局にいるとは思わなかった。
「ダリヤさんにまた会えて嬉しいです」
「私もよ。エリシュカもついに遠距離飛行が認められたのね。おめでとう」
「ありがとうございます!」
エリシュカの竜がマレーナだと知っているだろうが、ダリヤの顔には先ほどの配達員のような嫌悪感が見られない。
もちろんそうでなくては仕事が回らないというのもあるだろうが、地上の勤務だけを担当する局員は、配達員よりも迷信深くはないのだ。
「ところで、今日はどうしたの?」
「王都あての緊急書簡を預かってきたんです」
エリシュカが差し出した証書を見てダリヤはうなずき、受け取る。
「はい、間違いなく受け取りました」
「よろしくお願いします!」
受領印をもらったところでエリシュカの仕事は終わりだ。
ダリヤが後ろの棚へ手紙を置く姿を見るともなしに見ながら「近くの店でマレーナに何か買ってあげようかな」と考えたとき、表側に通じる扉が大きな音を立てて開いた。
そこに立っていたのは一人の男性局員だ。彼は肩で息ををしながら小さな包みを掲げてみせる。
「み、南方向の、配達に行く竜は、まだいるか?」
「もう出たよ。十分くらい前だったかな」
「一足違いか……じゃあ、予定の空いてる竜は? いないか?」
「今日は予定外の配送がいくつか入ってしまって誰もいないんだよ。どうした?」
「急ぎで運んでほしいと病院から依頼があった。行先はセリク。中身は、薬だ」
局員たちの空気が変わる。エリシュカも息をのんだ。
病院から急ぎで配達の依頼。品物は薬。どう考えても人の命がかかっている。
ダリヤが大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
「一番早く戻ってくるのは誰?」
「朝のうちに東へ向かった――いや、駄目だ。あそこは遠い。セリクまで行くなら竜にも休息が必要になる」
「では最初に帰ってきた竜を近くの町へ向かわせて、そこの郵便局から行ってもらえば」
「今からだと誰が戻って来ても夜の飛行になる。さすがに物が薬だとしても、配達員の安全は考えなきゃならん」
「しかし――」
声が重なり、場の空気は一瞬のうちに熱を帯びる。エリシュカは咄嗟に手を上げた。
「あの! 私、配達員です!」
エリシュカの声は騒がしい中でも良く通った。局員たちが口を閉じたので場が、しん、と静まり返る。注目されて少しどぎまぎしながらもエリシュカは続けた。
「私が運びます!」
「駄目!」
ダリヤが身を乗り出す。カウンターについた彼女の両手はカタカタと震えている。
「ここからセリクへ向かう途中にはトラートゥム山があるわ! だ、だ、だってあなたの竜は……!」
それで周囲の局員たちも察したらしい。「マレーナ」という声が聞こえる。それをかき消すように、
「大丈夫です!」
とエリシュカは叫ぶ。
「セリクの町ならトラートゥム山を迂回しても行けます。少しだけ時間は余分にかかりますけど……少しだけですから。こちらの局の竜が戻ってくるのを待つより早く着けます。夜にだってなりません!」
「でも……!」
「君に頼もうか」
太い声は奥から現れた年配の男性のものだ。誰かが彼を「局長」と呼んだ。
「ただし、行くからには必ず届けなくてはいけない。その覚悟はあるね」
エリシュカは背筋を伸ばした。
「あります」
局長は少しの間をおいてから、静かに言う。
「竜は乗り手の心を映す。どんなことがあっても冷静でいなさい。恐れや迷いは空では命取りになるよ」
言葉には重みがあった。
エリシュカはこくりと唾をのみ、深くうなずいた。
「はい」
薬を持つ男性局員は迷った素振りを見せたが、最後には意を決したようにエリシュカへ包みを渡した。それを大事に郵便鞄へしまい、エリシュカは大きく息を吸う。
「オルゼ郵便局のエリシュカ・マーハ。お荷物、確かにお預かりしました!」
「よろしく頼む」
「はい!」
踵を返そうとしたエリシュカだったが、不安そうなままのダリヤを視界の端に捕らえたので笑ってみせる。
「大丈夫です。私は絶対『四人目』にはなりませんから」
そう言って「行ってきます」と付け加えると扉を開き、廊下を足早に進む。




