2.『不幸を運ぶ竜』
町や村での配達が予想以上に順調に終わったおかげで、エリシュカは予想よりも早く中央郵便局へ向かうことができた。
見えてきた大きな街トルヴァの上空で手綱を引き、エリシュカはマレーナをぐるりと旋回させる。
エリシュカはまだ一年経ったばかりの郵便配達員だけど、マレーナは違う。もう十五年以上も郵便を運んでいる竜だ。広げていた翼をすぼめて上手く速度を殺し、徐々に降下していく様子は、とても安定感に満ちている。これならエリシュカだってうまく着地ができそうだ。
トルヴァの街は、小さなオルゼの町とはいろいろと規模が違う。郵便局もその一つだ。大きな建物の裏手には広場が設けられ、竜の発着がしやすいようになっている。着地のため近づくにつれ、エリシュカは広場を囲う柵の周囲に子どもたちがいるのが見えた。みんなして空を、というより、エリシュカとマレーナを指さしている。
竜と、竜に乗れる“配達員”は子どもたちの憧れだ。自分も昔は郵便局の柵の外で空を見上げ、竜が来るのを今か今かと待っていたのを思い出す。
そして今、着地を試みている竜はマレーナしかいない。子どもたちの視線の先に居るのはマレーナとエリシュカだけということになる。
(失敗するわけに、いかないじゃない?)
日差しの眩しさに目を細めながらゴクリと唾を飲み、エリシュカは手綱を通じて慎重にマレーナへ指示を出していく。そうして、
(……三……二……一……ここ!)
引き絞っていた手綱をふっと緩めた。
マレーナは経験豊富な竜だ。最後の着地は彼女の判断に任せた方がいいとエリシュカは思っているし、そしてやはり今回もマレーナは期待を裏切らない。イレギュラー気味に起きた突風をうまく受け流し、翼の角度を変えてフワリと着地する。
成功だ。
周囲の子どもたちがワッと歓声を上げる。
「最後に風が吹いたけど、ちゃんと降りられたね!」
「やっぱり竜はカッコいいよ!」
「私もいつか郵便配達員になって、空を飛んでみたい!」
興奮気味の賞賛の声を聞いて悪い気がするはずはない。緩みそうになる口元に力を入れながらエリシュカは子どもたちの前を通り、空いている繋ぎ柱まで行くと、鞍から降りてウエストポーチを開ける。中に入っているのはビスケットだ。
一枚取り出してマレーナへ差し出すと、匂いを嗅ぎつけた隣の郵便竜がこちらへ顔を向け、小さな声で「ググク」と鳴いたが、マレーナはいつものように静かなままだ。感情を現さないというよりも感情を持たないのではないか、と思うほどに凪いだ顔の近くまで手を近づけるとようやく口を開いたので、エリシュカは舌の上にビスケットを置いてやる。
「お疲れ様、マレーナ」
微かな咀嚼音を聞きながら郵便袋を外したところで、近くの扉が開く。現れたのは飛空服を着た男性だ。その姿を見て隣の竜が左右に体を揺らし始めた。嬉しそうな様子から推察するに、どうやらこの竜は彼の相棒らしい。
「待たせたな」
そう声をかけて隣の竜に歩み寄った男性は、抱えた袋からリンゴを取り出す。竜の口の中に入れると、周囲にはシャクシャクという小気味よい音と共に「キャウグググ、ガグゥルルルゥ」という甲高い声が響き始めた。
この複雑な音階の鳴き声が『竜の歌』だ。
『竜の歌』は、卵を見守る母竜が子竜へ贈る歌。
卵の中の子竜たちは何か月もその歌を聞き続け、やがてその音階を覚えて孵る。
そして嬉しいことがあったとき、楽しいことがあったとき、母が教えてくれたその歌を歌うのだ。
だから同じ『竜の歌』を歌う竜がいるなら、それは母を同じくする兄弟か、あるいは母子だということになる。
エリシュカが養成所で組んだ若いオスの竜は陽気だったから、『竜の歌』もよく歌った。エリシュカもその歌は覚えているが、隣の竜の歌はまた違うものだ。
(あの子が歌ってたのは『るぅぅきぃくぅ』……だもんね。血縁関係のある竜同士なんてそう会えるものじゃないし、当然か)
男性は自身の竜が歌う『竜の歌』を聞きながら目を細めていたが、ふと顔をエリシュカの方へ向けた。
「嬢ちゃんトコの竜にも分けてやろうか? 到着したばっかりじゃビスケットくらいしか食わせてやれないだろ?」
言いながら男性がリンゴを差し出してくれるのを、エリシュカは両手を振って断った。
「その子にあげてください。うちの竜は果物が好きというわけじゃないので、お気持ちだけいただきます」
「そうか。じゃあ、野菜好きの竜なんだな」
男性は手にしたリンゴをもう一度自分の竜へ近づける。口元を舐めていた舌が伸びて器用に果実を巻き取った。再び隣から『竜の歌』が響くが、マレーナは正面を見たまま静かに立っている。
「そっちの竜はずいぶんと静かだな。『竜の歌』を聞いた竜は一緒になって歌い始めることが多いのに、珍しい……」
自身の竜を撫でていた男の手が止まったのは、何かに思い当ったからのようだ。さっきまで陽気だった顔がわずかに引きつり、目がマレーナの頭の先から尾の先まで動く。
まずい、と思ったエリシュカが視線を遮ろうとしたが、男性はその前にマレーナの全身を確認し終えたようだ。
「なあ。鱗の大きさからすると、その竜は人工孵化じゃなくて野生出身だよな? 翼の下に捕獲痕もあるし。……でもって性別はメスだろ?」
男の声が低くなる。
「まさか“マレーナ”じゃないだろうな?」
エリシュカは答えられなかった。それが答えになってしまった。
そよ、と吹く風に押されたように男性はエリシュカとマレーナから離れる。続いて、かすれた声で、
「なんてこった、『不幸を運ぶ竜』に会うなんて」
と言うと、性急に支度を済ませて飛び去ってしまった。




