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竜使いの郵便屋と、不幸を運ぶ竜  作者: 杵島 灯


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1.小さな町の郵便屋

 小さな鞄からはみ出した手紙が、床にひらひらと落ちていく。

 エリシュカは「うーん」とうなり、普段は使わない大きな鞄を取り出した。


「今日はこっちに入れたほうがいいみたい」


 ヴァルニア地方の西側地域、オルゼの町のはずれ。

 ここにある小さな“ひとりきりの郵便屋”は今日、珍しく忙しい。


 郵便屋、兼、住居の二階に住むエリシュカは朝起きるとまず、湖の霧を見ながら、大切な相棒である竜「マレーナ」の世話をする。

 そうして昼まではマレーナに乗って近隣の町や村を巡り、手紙の集配をおこなったあと、郵便屋に戻って夕方まで仕分けに追われる。

 昨日まではそれが日課だった。


 なぜなら、エリシュカが竜に乗って飛べるのはオルゼの周囲だけ。中央郵便局のある大きな街々までは飛行経験が足りないために行くことはできない。

 数日おきに大都市トルヴァの中央局から手紙を携えて来るベテラン配達員の姿を見るたび、エリシュカはどれほど羨ましかっただろう。


 ――だけど。


 郵便屋になって一年がたち、ついに今日、エリシュカにも遠距離飛行の許可が下りた。

 そんな日にたまたま「王都あての緊急書簡」を町長から託されたのも、何かの運命のように思える。

 今までなら緊急連絡用の鳥を飛ばして中央郵便局から配達員を呼んでいたけれど、もうそんなことをしなくていい。


「ついに持って行けるのよ! 私が! 中央局まで!」


 いつもの郵便服を脱いで厚手の飛行服に着替えたエリシュカは風速計をかざす。

 風が手の中にある茶色の竜をくるくると回し、同じ色をしたエリシュカの短い髪をふんわりと撫でて去って行く。


「北西の風、力は弱め。だけどトルヴァ方面へ行くなら向かい風になるなぁ。とすると移動時間は余裕を見る必要があって……ええと……この後に行かなきゃならない村は、あと、あそこと、あっちだから……」


 流れる雲を見ながらいくつかの配達ルートを思い浮かべる。

 首都で配達員の訓練を終えたエリシュカがオルゼに来て約一年、近隣の町と村すべての地図が頭の中だけでようやく描けるようになった。


「よし。これなら夜になる前に、オルゼの町まで戻って来られる」


 うなずいたエリシュカは窓を閉め、棚の上から取ったゴーグルつきの帽子をかぶる。郵便鞄を持って部屋を出てからふと思い立ち、厨房に寄ってパンとリンゴをひとつずつ取って外に出た。

 硬いパンをかじりながら厩舎の扉を開けると、ふうわりとした藁の香りがエリシュカを出迎える。その中で立つ黒銀色の竜が、澄んだ緑の瞳を戸口に向けていた。


「マレーナ、このあとも配達よ。だけど今日はもうひと飛びしてもらうことになるわ。トルヴァの中央郵便局まで行くから」


 エリシュカがもう一つのリンゴを差し出すと、マレーナはそっと口に入れて小さな音で咀嚼し、飲み込む。鳴き声も上げなければ『竜の歌』も歌わない。いつもの通りに静かなままだが、エリシュカはもう慣れっこだ。


「少し遠出になるけどよろしくね」


 やはりマレーナは、つやつやの葉のような瞳でエリシュカを見ているばかりだった。

 竜は郵便局ごとに配属されている。十五年近くオルゼの郵便局にいるマレーナに関しては前の局員が残した記録などもあるのだが、エリシュカが読んだ限りではどの局員たちもマレーナの好物は分からず、鳴き声を耳にしたことがなく、もちろん『竜の歌』も聞いたことがないようだった。


 ――だから囁かれる噂もあるが、以前のエリシュカはともかく、今のエリシュカはその噂を馬鹿げたことだと思っている。


 竜は賢い生き物だし、風と仲が良いだけあって気まぐれな性質だ。

 手綱や鞍といった竜具をつけるときに嫌がるのもよくある話だが、マレーナは一度たりとも嫌がったことはない。それどころかエリシュカが竜具をつけやすいように体の位置を変えてくれる。とても優しくて賢い竜だ。


「もしも私が訓練生時代にマレーナと会ってたら、もっと苦労せずに済んでたと思うな」


 言ってエリシュカはくすりと笑い、マレーナの手綱を引いて表に出る。


 エリシュカが配達員の養成所にいたころに組んでいたのは若いオスの竜で、やんちゃな彼は竜具をつけるときにもなかなかじっとしてくれずに苦労した。

 でも、いつも機嫌のいい彼と周辺を飛びまわったり、一緒に『竜の歌』を歌ったりする日々は楽しかった。

 マレーナは年齢を重ねたメスだから、あの若い竜とは違うことが多い。だけど彼女はあまりにも静かすぎて、エリシュカはときどき心配になることもあるのだ。


「本当は私と一緒にいるの、嫌?」


 マレーナは何も言わない。そもそも竜が発するのは鳴き声だけで、人の言葉はしゃべれないから当然だ。

 だけど竜と竜使いの相性がよければ、互いに気持ちが分かることがあるのだという。

 果たしてマレーナの心の中はどうなっているのだろう。本当は何が好きで、何が嫌いなのだろうか。


「いつか、マレーナの気持ちが分かったら嬉しいな」


 マレーナを連れたまま表玄関に回り、エリシュカは扉に鍵をかけて看板をひっくり返す。


  【ただいま配達中】


 これで準備は完了だ。エリシュカはマレーナの背に乗ってゴーグルを下ろす。

 時期は夏に向かっている。朝のまだ早い時間なのに今日も日差しは強めだ。たちまち汗が噴き出してくるけれど、これから空を行くのだから薄着になるわけにはいかない。でないと空の上で凍えてしまう。


「よし。行くよ、マレーナ!」


 緑の匂いを運ぶ風が吹き抜けていくのに合わせ、エリシュカは黒銀の体を青い空へ舞い上がらせた。

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