第1章:転生したら股間がキャノンだった件
「高槻君、例の企画書、今日中にあと50パターンね! もちろんサービス残業で!」
鬼畜社長の甲高い声が、俺、高槻空也、28歳の鼓膜をこれでもかとシェイクする。
目の前には、もはや建築物と呼んで差し支えないレベルの書類の山。
パソコンのモニターは、まるで自己増殖するアメーバのように開かれたウィンドウで埋め尽くされ、電話の呼び出し音は鎮魂歌もかくやという絶え間なさだ。
ああ、これぞジャパン・アズ・ナンバーワン(だった時代もあるらしい)が生んだ負の遺産、漆黒の企業戦士育成機関、通称ブラック企業。
俺はその最前線で、カフェインと栄養ドリンクをガソリン代わりに走り続ける、ポンコツ社畜アンドロイド。
疲労?
そんな生易しいもんじゃない。
俺の意識はとっくにネヴァーエンディングストーリーの彼方に旅立っていて、白目でキーボードを叩き、虚無の表情で電話応対するのがデフォルトだ。
「も、もう……む、無理です……限界……です……」
かろうじて絞り出した声は、生まれたての小鹿の鳴き声よりもか細い。
俺は力なく社長のデスクに突っ伏し、最後の力を振り絞って土下座……を敢行しようとした、まさにその瞬間だった。
バチチチチチチィィィィーーーーーーッッッ!!!
「ぎゃべらっ!?!?」
世界が一瞬にして真っ白に染まり、身体の芯から突き抜けるような衝撃。
なんだこれ、スタンガン?
いや、もっと強烈だ。
まるで雷神様が俺の脳天にダイレクトアタックをかましたみたいな。
ああ、そういやこのタコ足配線地獄のフロア、いつか誰か感電するって噂されてたっけ。
まさか俺がその一番乗りとはな。埃まみれの古いパソコンの、被覆が破れて銅線が剥き出しになったコードに、俺の汗ばんだ指先が運悪くコンニチハしちまったらしい。
薄れゆく意識の中、走馬灯のように駆け巡るのは、サービス残業のネオン、休日出勤の蜃気楼、上司のパワハラという名の説法、そして主食だったコンビニ弁当の数々……。
(ああ、こんなクソみたいな人生、もうまっぴらごめんだ……もし、もし万が一、来世なんてファンタジーが存在するなら……もっと……もっと楽して……チヤホヤされて……女の子にモテまくりたい……!)
それが、社畜・高槻空也の、あまりにも俗っぽく、そして切実な最期の願いだった。
◇
チチチ……、ピヨピヨ……、サラサラ……。
小鳥のさえずり? 葉擦れの音?
なんだかやけに耳心地のいいBGMで、俺の意識はゆっくりと浮上する。
ん……? あれ、俺、生きてる?
いや、でもさっきのは確実に人生の電源が落ちる音だったはず……。
おそるおそる、まぶたを押し上げると、目に飛び込んできたのは、見渡す限りの深い緑。
うっそうとした森の中だ。
木々の間からは柔らかな木漏れ日がキラキラと降り注ぎ、まるで高級ホテルのロビーにでも迷い込んだかのような、やけに清浄な空気が漂っている。
「……え? どこだここ!? 」
思わず叫んで飛び起きる。そして自分の体を見下ろして、さらに愕然。
全裸。
生まれたままの姿。
スッポンポンである。
さっきまで着ていた、汗と涙と上司の罵声が染みついたヨレヨレのスーツがどこにも見当たらない。
あるのは、見渡す限りの大自然と、俺の鍛えられていない、ごくごく平均的な日本男子の裸体のみ。
「ど、どうなってんだよコレ……マジで……」
パニックになりつつも、羞恥心だけは一人前に機能するらしい。
慌てて近くにあったシダ植物の大きな葉っぱを数枚ちぎり取り、前と後ろにペタペタと貼り付けて即席の腰ミノを製作。
気分は原始時代のファッションリーダーだ。
いや、それ以前に、この状況をどう理解すればいい?
ドッキリにしてはスケールがデカすぎるし、第一、俺みたいな社畜をこんな場所に拉致監禁するメリットがどこにあるってんだ。
混乱の極みにいる俺の目の前に、まるで最初からそこにいたかのように、音もなく一人の老人が姿を現した。
長く豊かな白髭を胸まで垂らし、使い古されたであろう、しかしどこか威厳のあるローブを身にまとっている。
手には、先端が奇妙な形にねじれた木の杖。
うわ、ファンタジー映画から抜け出してきたみたいな、完璧なまでの「賢者」ルック。
あまりのテンプレっぷりに、逆に現実味が湧かない。
「目覚めたか、異世界の魂よ」
老人は、古今東西の賢者が言いそうなセリフランキング第一位に輝きそうな言葉を、やけに芝居がかった厳かな口調で紡いだ。
異世界の魂?
なんだそれ。
ますます訳が分からない。
異世界って、あれか?
最近流行りの、トラックに轢かれたら転生しちゃうアレか?
俺の場合、感電死だけど。
「あ、あの……ここは一体……? そして、あなたは一体どなたで……?」
「ふむ。多くを語る時間はない。なんじに新たな生と、そして世界を揺るがすであろう大いなる力を授けよう……その力、股間に宿る!」
…………は? こかんに?
俺は自分の耳を疑った。
今、このじいさん、確かに「股間に宿る」って言ったよな?
え、何?
俺の息子さん、実は伝説の聖剣エクスカリバー的なサムシングだったりするの?
それとも、強力な魔力を秘めた魔導具(物理)に進化するとか?
いやいやいや、いくら何でもファンタジーにも程があるだろ。
R指定入っちゃうよ。
「じ、じいさん、何言って……その、股間に宿る力って、具体的には一体……?」
俺が恐る恐る尋ねようとしたその時、老賢者は俺の言葉を遮るように、持っていた杖をカッと天に掲げた。
その杖先から、一瞬だけ眩い光が放たれたような気がした。
「出せ! 撃て! 股間キャノン!」
…………こかんきゃのん?
今、確かにそう聞こえた。
キャノン。大砲。しかも股間。
なんだその小学生男子が休み時間にノートの隅に書き殴ってそうなネーミングセンスは。
そして「出せ!撃て!」って、まるで昭和のロボットアニメの必殺技コマンドみたいじゃないか。
一体全体、何をどう出せと?
そして何を、どこに向けて撃てというのだ?
謎が謎を呼んで、俺の脳内キャパシティはとっくにオーバーフローしている。
「……さらばだ若者よ、その力を良きことに使うのじゃぞ! 世界の運命は、なんじの股間にかかっておると言っても過言ではない! かもしれん!」
老賢者は、最後に何かものすごく適当なことを付け加えつつ、またしても煙のようにフッと姿を消してしまった。
まるで、そこにいたこと自体が俺の白昼夢だったかのように。
「ちょ、待て! 説明! せめて服を! 説明と服をくれよぉぉぉ!」
俺の悲痛な絶叫が、静寂に包まれた森の中に虚しく木霊する。
嵐のように現れて、嵐のように意味不明な言葉と使命(?)を押し付けて去っていった謎のじいさん。
後には、全裸に葉っぱ一枚というあまりにも心許ない格好の俺と、「股間キャノン」という破壊力満点のパワーワードだけが残された。
「股間キャノン……」
俺は無意識に自分の股間、葉っぱの腰ミノで隠された部分に視線を落とす。
そこには、いつも通りの、平和を愛する俺の「息子さん」がいるだけだ。
特に禍々しいオーラを放っているわけでもなければ、大砲のような形状に変化しているわけでもない。
……いや、待てよ?
なんかこう……下腹部の奥の方が、妙にムズムズするというか、内側から得体の知れないエネルギーがチャージされていくような……そんな奇妙な違和感があるような、ないような……。
「まさか……本当に何か……出るのか……? 俺の股間から……?」
ゴクリと生唾を飲み込む。
異世界転生? 股間に宿る力? 股間キャノン?
あまりの情報量の多さと、その内容のぶっ飛び具合に、俺の貧弱な思考回路は完全にショート寸前だ。
とりあえず、この状況を何とかするためには、まずこの森から脱出しなければ始まらない。
俺は恐る恐る、未知の力(かもしれないし、ただの気のせいかもしれない代物)を秘めた股間を気にしつつ、おぼつかない足取りで一歩を踏み出した。
これから俺の身に、一体全体、何が起ころうとしているのだろうか。
「楽してモテたい」なんていう煩悩丸出しの願いを抱いたばかりに、とんでもない世界に、とんでもない能力(?)を押し付けられて放り込まれたような気がしてならない。
せめて、パンツくらいは欲しかったぜ、じいさん……。
俺の異世界ライフは、文字通り「丸裸」からのスタートとなった。