第3話.君が逃げるから、結果的に僕が進むだけ
リビングはまるでお通夜のような状態だった。
もしや旅先で兄が亡くなったのか、と慌てて駆け寄り話を聞けば、なんのことはない。
(まさか、船の闇賭場でイカサマで大金を巻き上げた挙句、女性に乱暴をした男爵の息子を殴った罪で投獄されて、店を畳まないといけないくらいの賠償金を請求されてます。なんて口が裂けても言えない)
絶望状態で顔が青白くなっている両親から事情を聞かされてたハリエットは、玄関先に防犯のために立てかけている、兄のボールゲーム用のラッシュボードを掴んで警察署に走りかけた。それを父が玄関先で何とか押し込めて、今日でちょうど二週間が経過している。
何故、女性を助けた兄が投獄されないといけないのか。
一番悪いのは暴力をふるった男爵の息子ではないか、とは思うものの、闇賭場でしっかり懐を温めていたなどと知っては、呆れてものも言えないとは母の言葉だ。
(そりゃ兄はイカサマで大金を巻き上げてたし、男爵の息子への暴力は良くないわよ。でも、十分に調書を取らないまま兄だけを投獄するのは間違ってるでしょうが!!)
思い出す度に腹立たしい事ではあるのだが、法外な金額だけでなく、一般的な手続きをすっ飛ばして、兄は半ば強引に逮捕されたということだった。
現場にいた人々や船内にいた人たちの一部も兄が暴力とイカサマ以外ではほぼ無罪で、むしろ紳士として名誉を守り、女性を助けようとしていたということなども証言してくれたらしいのだが、それでも警察は聞く耳持たずという様子で兄を連れて行ったそうだ。
男爵側の弁護人が請求した賠償金は、街の小さな骨董屋に払えるような額ではなかった。しかも分割ではなく、一括でそっくり支払うようにとの裁判所の命令書もある。
店の資金や預貯金、ハリエットが小さい頃からコツコツためていた個人貯金もすべて合わせて、ようやく「保釈金」だけは用意することができたのだが、問題の賠償金のアテは今のところない。店の商品をすべて売り払って、住居兼事務所にしている二階の部屋を担保にしてお金を借りても難しい。
しかも期限は今月末。あと三週間は遠いようで近い。
それまでに支払わないと、ハリエットたちは文字通り「ほとんどすべてを失って」しまうのだ。
(そんな騒動を、貴方と別れた後、ジェドが起こしました、なんて……とても言えない)
ハリエットは営業用の笑顔を丁寧に顔に張り付けたまま、ふふふ、と年頃の女性らしい微笑みを返した。
それから、長く繋がれたままの右手を自然に外そうとしたが、なぜか上手くいかない。
(ん?)
「実はね、ジェラルドから話を聞いていて、君に会うのをとても楽しみにしていたんだ」
ぐぐっと手を引き抜こうとするが、アルフレッドは絶妙な力加減でしっかりと握り返していた。痛みはないものの、その指先が手の甲を軽く撫でる感触に、ハリエットの眉がわずかに動く。
(んんっ?)
「ジェラルドから写真を見せてもらったんだよ。家族写真の中にね、今より少し幼い顔立ちの可愛らしいお嬢さんが写っていたものだから、つい記憶してしまってね。彼に聞いたんだ、自慢の妹だって。気が強くてお節介、口うるさくて世間知らず、あと……男を見る目もないとも言っていたかな」
「――は? あ、いや、なんですって? あ、いえ、兄が何て?」
「結婚適齢期を過ぎても貰い手がないから、僕に貰ってくれないかとも頼まれたけれどね。君を振るなんて、男の方が見る目がないに違いない」
アルフレッドの宝石のような瞳が妖しく煌く。
ハリエットは、これ以上目を合わせてはいけないと直感で悟った。
慌てて目線を逸らしたが、アルフレッドの視線はそれを追いかけるように動く。
「いやいやいや!そんなことは、まったくございませんことで!その、私も兄に似てですね、それはもう雑で乱暴で――」
矢継ぎ早に言い訳を並べるのだが、声が裏返ってしまっている。
「ふむ、でも、とてもそんな風には見えないな」
(いやあ゛ぁぁぁぁぁぁっ!お願いだから!そのお綺麗な顔を近づけないでぇぇぇぇぇ!)
心の中で叫びながら、ハリエットはじりじりと後ずさり必死に間合いを取ろうとするが、アルフレッドは相変わらず穏やかな笑顔のまま、驚くほど自然な動きで距離を詰めてくる。
「え、ちょ、ちょっと待ってください!なんでついてくるんですか!?」
「ついてきているわけじゃないよ。君が逃げるから、結果的に僕が進むだけだ」
(絶対わざとでしょ!?)
気がつけば、背中にカウンターの冷たい天板が触れた。
「っ」
これ以上逃げ場がないことを悟り、ハリエットは小さく息を呑む。
(ひぃいいいいい。逃げ場がないぃいい。というか、無駄に顔のいい男ってなんでこう、兄といいエドといい、どいつもこいつも――)
自信過剰・妄想・勘違い野郎が多いわけ!?
心の中で盛大に悲鳴を上げつつ、背中がぞわりと粟立つのを感じる。しかし、そんなハリエットの心中などお構いなしに、アルフレッドは柔らかな吐息を漏らしながらさらに身を詰めてきた。
「こうして実際に会えてとても嬉しいよ。写真以上に、とても可愛らしい女性だね」
アルフレッドは軽く握ったままのハリエットの手を、優雅に引き寄せる。その流れるような動きのまま、彼はそっと口づけを落とした。
やわらかく温かい唇が、手袋越しの手の甲に触れる――。
「ななな、なにをするんですかっ!」
ハリエットは悲鳴に近い声を上げるや否や、今度こそ渾身の力で手を引き抜いた。
「おや。ただの挨拶だよ?」
アルフレッドは穏やかに微笑みながら、まるで無害な紳士そのものという顔で囁く。
――ハリエットは固まった。
免疫がないとか、経験が乏しいという話ではない。
それでも、会ってほんの数秒しか経っていない初対面の相手に、なぜここまで気軽に、親しげに接することができるのだろう――その非常識さに、ハリエットの心はじわじわと凍り付いていった。
歯が浮きそうになるような台詞を惜しげもなく浴びせかけてくる「どこか信用しづらい」笑顔。その余裕たっぷりな態度に、ハリエットは戸惑いと警戒心を抱きながら、心の距離をさらに広げた。
「そんな目で見られるのも久々だな。気の強そうな琥珀の瞳が、ますます興味をくすぐられるよ」
どんな表情をしていたのかはわからないが、相当素に近い引きつった顔をしていたのだろう。アルフレッドは心底おかしいとばかりに、笑いを必死でこらえながら唇の前に拳を当て、体を揺らして笑っている。
唖然として口を開閉させるハリエットをよそに、ようやく笑いを収めた彼は、何を考えているか判然としない瞳で彼女をじっくりと見つめると、迷うことなく両手を伸ばした。
「!」
突然の接近に反応する間もなく、片腕を掴まれて引き寄せられる。
腰にするりと手を回されたと思った瞬間、腕を掴んでいたはずの手がいつの間にか顎に触れていた。
「僕としては、もう少しわかりやすく親愛の気持ちを示してもいいんだけど」
明るい青と緑の、どこか夢を見ているような美しい瞳が、至近距離から覗き込む。
息が触れるほどの近さに、ハリエットは表情を凍り付かせた。
喉がひゅっと音を立てたのと同時に、乾いた音が店内の空気を裂いた。
気がつけば、彼女の右手は紳士の頬を打ち抜いていた。
お読みいただきありがとうございます!
ブックマークや評価とても嬉しいです!
書き込みすぎてしまい、説明が長めになってしまっていて申し訳ありません。
少しずつ努力し、読みやすい文章になる様工夫してまいります。
今日はこの後数話更新予定です。
その後は、1日1話の定期更新になる予定です。よろしくお願い致します。




