30 一路、北へ
出発してから幾度も馬のようすをみては休憩を取る。あたり前のことを言うけれども、馬は生き物だ。当然バスや電車のように、かっきり予定通り運行できる乗り物ではない。
わたしは時計を持たないけど、この世界にも実用的なものから装飾が華美なものまであり、貴族や商人、それと一部の冒険者などは持っているようだ。
エットーレさんも、馬の疲労ぐあいと時計を見比べ、走行距離を考えつつ休息を取って馬車を進ませている。
わたしも多くの現代人と同じく、きっと忙しない生活をしていたのだと思う。こちらに来て、初めのうちは現在時刻が分からない生活を送ることに、何とも言い表せない不安感のようなものを抱いていたものだ。
なので、携帯する時計があり、そう値段も高くないと知ったときには買おうとしたのだが、ケパレトの世話になってるうちに、他者と直接関わらず過ごせて、時間を気にしない生活もわるくはないなと次第に思うようになり、まだ購入はしていない。
時間割のような行動ではなく、そのとき必要なことをするという気楽な生活は、なんと言うか心の負担が少ないように感じたからだ。
だからこの世界に来て、ちゃんと時計を見るのは初めてになる。というか久しぶりに間近で時計を見た。
時計塔のことは、以前リィヤに聞いていたし、たしかギルドにも壁掛けがあったように思う。
村でも時刻を確認している商人だかの姿はあったので、そこかしこで見かけていて、そのこと自体に驚きはしないけれども、エットーレさんの持つそれの、文字盤に刻まれた十四個の数字を見て『ああ、やっぱり異世界にいるんだなあ』としみじみ思ったりもした。
それ以外は特段の違いは見当たらず、転生前のどこかのタイミングで見知った懐中時計そのままの見た目をしていた。裏を開けて見せてもらうと、動力に魔鉱石が填められていて歯車がクルクルまわっている。
こちらに来て、やっとそれらしい文明の利器に触れた気がした。が、それよりなによりも、わたしは馬に水を与えながら首をかしげてつぶやく。
『おかしいな』
まったく予想外だった。荷馬車の乗り心地があまりに快適で、なんだか肩透かしをされた感じになる。
良い意味で、期待が裏切られた。まあ乗り心地が良いに越したことはないが、馬車に揺られたあとの、あの、お尻が痛いという定番のセリフを言ってみたかったのにと、少し残念な気持ちになった。
ようやく街へ行くことになり、昨夜あれから、道ゆき必要なものを改めて揃えていた。
空間収納なんて特に珍しくもないらしいけど、子どもが目立ちすぎるのも良くないかなと考え、知らないヒトたちとも行動をするからと、使いそうな物を選び、念のため収納から背嚢に移していたら、なんだか小学生時分にあった遠足というイベントを思い出した。
事前に配られる遠足のしおり。その、持ちもの欄に書かれた数々のアイテムを、忘れ物がないかと何度も確認をしたものだ。なんとも懐かしい思い出。
しかし、そんな感じにワクワクドキドキしたのも前日までのこと。当日、乗り物酔いとの闘いだった苦い思い出でもある。
それはちょっとまあ置いといて、おかしな話、痛める予定だったお尻への配慮として、ログハウスでチクチクと夜なべして作っておいた座布団というか、クッションの出来損ないが要らない子になってしまった。
自分で言ってしまうのもなんだが、わが家の外観や水汲み用の樽など、こちらに来てから手作りした製作物の数々。そのビジュアルを見ればわかるとおり、ドワーフの遺伝子が受け継がれているとは到底思えぬ不器用さ。
たしかに猟をすれば、その手の恩恵は感じられるんだけど、ことモノづくりになると結果がアレな感じなので、わたしのセンスが台無しにしたのかと思うとショックを受ける。まあいいんだけど。
そんなクッションなど不要に思えるくらい、荷馬車の荷台がすこぶる乗り心地が良いとはね。存外に現実とはそういうものなのだろう。荷台なのに、いや荷台だからこそか、荷を大事に扱った結果と言えなくもないのかもね?
てっきりこれも、例によって転生者が魔改造をやらかした代物かと思って聞いてみたけれど、そこは今ひとつハッキリとしなかった。
馬車の車体に伝わる振動を吸収する素材が、魔物より採取できるみたいで、馬車の発明当初から使われている仕組みだという。ただし、記録がないというだけのことで、馬車の設計担当が転生者ではないとは言えないようだけど。
出発時があんな感じで、馬車にそそくさと乗り込んだので、つくりとかよく見ていなかった。あまりの良すぎる乗り心地にビックリしたわたしは、一度目の休憩時に急いで車体を見にいった。
『そんなに驚くことか?』と客観視している自分を余所に慌てて見に行くとか、あとになりちょっと恥ずかしい思いをした。
その勢いに、わたしがそういうものに強く興味があるものだと勘違いしたエットーレさんは、ものすごく詳しく解説してくれた。実はエットーレさん、そういう機械ものや仕組みのあるものが好みなようで、ちょっとしたオタクだった。
そこで懐中時計の話にも熱が入り、わたしが餌食に。まわりを見れば、クラウディアさんと冒険者の二人までもが視線を逸らせていた。どうやら、エットーレさんのオタクさは村でも有名らしかった。次回からは気をつけようと思う。
馬車の話に戻るが、歴史のある有名な馬車メーカーというのが、国内だけでも何社かあり、足回りの仕組みも各社でそれぞれ異なるけれど、こと免震に関していえば、どこもその魔物素材を使っているという。
とまあ、ほんとはもっと詳しく説明してくれたんだけど、かなり端折ったというか、ほとんど頭に残ってないんだよね。熱弁を奮ってくれたエットーレさん、ごめんなさい。
宮大工がやるような木組みの動画とか、いろんな職人さんの人間国宝なんかを取り上げたテレビの特集とかは好きでよく見てたけど、機械系のメカオタクではなかったし、そっちは興味も一般的な常識程度にしか持っていない、仕事も技術職ではなかったしね。
そうかと言って、その方面に詳しくなくても、サスペンションに重ねた板バネが使われている程度はわかる。サスペンションの運動を緩和させるダンパーのような機構が見当たらなかったが、それにしても車体を支える接合部に使われた魔物の免震素材だけで、この乗り心地とは恐れ入った。
馬車に乗った感想で長々と語ったが、何が言いたいかと言うと、決してバカにするわけではないのだが、この世界の古めかしい雰囲気とは裏腹に、なかなか侮れないということを言いたかった。
なんとなく、そこかしこに惜しい文明があって、なのになぜか機械式や自動機的な部類など、言葉はわるいが薄利多売な物とか、手抜きをするための機能や機構が、目立って存在しない感じがするので、なんだかチグハグ感もあって気になっていた。
リィヤいわく、これがこの世界、アサルアムンの形成モデルらしい。ぶっちゃけて言えば、そういった方面のモノが発達し過ぎないよう調整されているということ。
いくら魔法が万能な世界と言えども、何かの自動化や、その仕組みを思いつく者はいて、そっちの方へ突き進んでしまいそうになる事があるあらしいのだが、気づかれないように、うまく失敗させたり、あるいは別の方向に興味をもつよう誘導したりして、そうはならないように仕向けているというのだ。
そしてそれは逆もあり、他では極端な自動化が進んだメカメカしい世界もあると、リィヤは言っていた。そういった色々な文明モデルを形成することで、上の方がたに献上する量や質を上げる目的で何千年単位の模索をしているという。
毎度のことながら、そんな話をわたしにして大丈夫なのかと思う。あちこち吹聴してまわったりしたらと考えないのだろうか。そうリィヤに言っても、わたし一人がアレコレ暴露したところで、気が変になったとか何かの妄信者だと言われるのが落ちだから、誰も聞かないだろうと言われ、それもそうかと気にしない事にした。
*
この日、三度目の休憩で、早めの昼食となった。今朝早くに出発したため、水以外まだ何も口にしていない。
馬にもエサを与える。わたしと一緒でお腹が減っていたのか、飼葉をモリモリとよく食べる。何度か水やりなどの手伝いをしているうちに、だいぶ馬に慣れてきた。
近くに行くと思っていた以上に大きくて、存在感ありありで、筋肉も威圧的でちょっと怖い。通常がどの程度の大きさかは知らないけれど、もしかしたらかなり大きいのかも。
みんなが馬と呼んでいて、このクチからも馬と翻訳できる呼び方をしているが、よく見るとわたしの知っている馬ではないように思う。
テレビなどで見た記憶なので、ハッキリとどこが違うとも言えないのだが、たしか馬ならヒヅメが割れていなかったと思うし、耳も真上じゃなくて、このコたちのは少し横気味に付いている気がしないでもない。
しかし、それでも全体の雰囲気は馬っぽいので、馬と呼ぶことに抵抗はなく、逆にそれしか名が浮かばないくらいだ。こうやって馬の世話をしていれば、ちょっとは乗りこなせるようになるかも知れないと打算で世話をしている。まあ、馬のことはもういいだろう。
昼食は、クラウディアさんがサンドイッチを用意してくれていたので、みんなでいただくことにした。
ピクニックバスケットの中からバタールを半分ほどに切ったパンに、何かの野菜を煮て刻んだものと赤身の肉肉しい何かの肉が挟まれたパンが配られる。
野菜はともかく肉の名前が気になるところだ。ポピュラーなのか、みんな具材が何かも聞かず口に運んでいる。食べるに臆する名前があがると嫌なので、わたしも聞かないで食べることにした。
ラズリは肉と一部の薬草しか食べられないので、背嚢から干した肉を出し、茹で戻したものをあげた。ラズリ自身は色々と食べたがるのだけど、調理して味付けしたものを食べさせたらお腹の調子を崩したことがあったので我慢させる。折を見て生肉をあげよう。
わたしがいつもの癖で『いただきます』と言ってから食べ始めると、わたしに影響されてるリィヤも追随する。みんながキョトンとした表情になった。
わたしの故郷では、食事をする前の習わしみたいなもので、嘗ては生き物だったものに対して感謝をするのだとみんなに説明した。
すると、神様にお祈りするような感じでしょうかと、クラウディアさんが言うので、わたしには傾倒する宗教もなく、そういったものがよく分からないので、そんなところですと適当に答えておく。
この世界の食事は、とか総括するほど食べ歩いたわけではないので一概には言えないけど、おそらくおカネを掛ければそれなりの、うまいモノにはありつけると思う。きっと転移、転生者の影響も大いにあるだろう。
クラウディアさんが料理上手なのか、この肉サンドは肉汁がほど良くパンに染みて、味付けの感じもわたしの好みだし、文明度合いから勝手に地味で質素でメシマズなんて決めつけてたのが恥ずかしくなるくらいとても美味しい。美人で料理上手で性格も良いとは、ちょっといじわるしたくなる。
昼食後、特にイベントが起こることもなく、道なりに進む。この辺りには広い範囲で野生の麦のようなものが自生していて、時折吹く風に揺られ、サラサラと音を奏でる。そんな荷台から眺める景色が牧歌的で、のんびりした気持ちになってついあくびもでる。
ぼんやり遠くの風景を眺めていると、冬でも青い草が生え、それを食べる小動物の姿を見かける。
さっきはラズリに干し肉で我慢させてしまったから、そこに見える新鮮な肉を狩って与えようかと考え、動物を見てカワイイというより肉と考えるなんて、わたしもずいぶん変わったもんだと小さく笑う。
御者をするクラウディアさんに、狩りに行く許可をもらおうと腰をあげるが、ラズリに服の裾をひっぱられて引き止められる。ラズリの視線の先に目をやると、背の高い草の間から小動物に狙いを定める一頭のルプスコルヌを発見した。
常時発動している魔素探知型のエコロケも弱点がある。移動中だと距離感がつかみ難いところと、終始全ての情報に気を張っていては頭が処理しきれずパンクしてしまうので、敵意がないものに対してはスルーしていて気づくのに遅れるところだ。
みんなはまだ距離があって気づいていないのか。いや、うしろに続く馬車で、獣人のカルロが短剣を手に、鋭い眼つきでルプスコルヌを睨んでいる。隣の席で御者をするエットーレさんに耳打ちするカルロ。だが、なぜか馬車は止まらない様子。
しかし、このまま馬車が進み、ルプスコルヌの風上に回ればヤツにも気づかれてしまう。立ったり座ったりして落ち着かないわたしを見て、リィヤが馬を寄せて来た。
気づかれる前に仕留めなければと、魔法を発動しようと考えたが、さすがに遠すぎて届く魔法がない。発火点をあの場に置くのも伝播に時間がかかるし、火力もないから牽制にしか使えない。結局直に行くかと立ち上がろうとしたところで、またしてもラズリに引き止められた。
『どうしたの?』と小声で聞けば『チュイ』と小さく鳴いて、わたしをクチバシでつついて訴えるだけだ。意思の疎通が噛み合わない。
そうこうしている内に、馬車は風上まで進んでしまい、ルプスコルヌがモルモットのような小動物を仕留めたタイミングで、こちらに気づいた。ここまでの道のりは、まったりしていたので急に緊張する。
うしろにいるカルロがどうするのか見ていると、目が合い、カルロが目配せしてきたので、そっちを見る。
ルプスコルヌは小動物を咥え、こちらを睨み警戒しつつも、わたしたちからは遠ざかって行く。その進路の先を見ると、数匹の子ルプスコルヌが低木の影に隠れているのが見えた。
『ああ、そういうことね』ラズリもカルロも、アレに気づいていたから何もしなかったのかと納得。この世界のヒトは、もっと淡白な考えで魔物を狩ると勝手に勘違いしていた。そりゃあそうだよね、害されてもいないのに見つけるたびに狩り殺していては、ただの血を好む虐殺者だろう。
カルロの軽薄な第一印象が変わり、ちょっと男前に見えてきた。あえて避けてたわけじゃないけれど、多少はこうして関わっていくのも、そうわるいもんじゃないなと思った。
そのまま馬車を進ませて、親子から遠ざかって行く。