2 召喚 1
テラ・アウレリアから、北東に位置するカーツベルク帝国。
その帝国に隠れ潜む、各国から派遣された諜報員たちの目を欺きながら、建国以来、密かに研究を重ねてきた流魂の召喚に成功する。
帝国は、召喚によって獲た者を使役し、その者の龍の単独討伐という壮挙により、多大な戦力の向上に成果ありと、敵味方を問わず世界に喧伝した。
一部の国では驚懼のあまり、被害を最小にしようと目論み、帝国の傘下に入る旨を伝えるために使者を送るなど奔走している。
アウレリアもその知らせを受け、なかば子どもに聞かせるお伽噺の一要素と化した自国に伝わる伝承から、召喚術の復活を試みる。
更に次の召喚準備も整いつつあると聞き及び、引き続き密偵に詳細を探らせつつも、自国も早々に召喚術を行なうことにしたのだが、性急な準備をするあまり不成功に終わった。
そしてそれは、アウレリアの皇帝が、事の始末の報告を耳にするであろう、ちょうどその頃まで遡る。
とある国の、青々とした葉がおい茂る森の奥深く、背の高い木々の隙間を縫うようにして、暖かみのある陽の光が大地へと差し込んでいる。
その傍らの苔生した岩肌に、もたれ掛かり眠る一人の少年の姿が見える。
暫くすると、半径が五メートル程もあるドーム状の結界らしきものに包まれ、その中からは女性の静穏な声をベースにした、合成音声のようなものが漏れ聴こえてきた。
『対象の確保、接続しマス』
『有機体ヲ診断』
『…………』
『内包スル精神核の損傷度、六』
『外傷箇所、二十八』
『生命活動の停止ヲ確認』
「無駄かな、どう思う?」
『タリアが抵触している事を?』
「ちょっと『####』の裏切りものぉ」
『承認ヲ要求しマス』
『……』
『待機中デス』
「実行を承認(いいよね?)『####』よろしく」
『了承』
『蘇生ヲ試行しマス』
『…………』
『生体反応、観視』
『……』
『反応未確認』
『蘇生の再施行』
『…………』
『蘇生不能デス』
「残念ね、きみの核は助けてあげられなかったよぉ。(それでもこっちの子にとっては幸運、ということになりそうよね)」
『タリア。素体ニ微量の残留思念ヲ確認』
『接続、対象アサルアムン』
『個体識別情報の取得、保管』
「ん、影響なーし。『####』はいこれ、この異界産の精神核を合成してっ」
ドームの外側、七、八メートル上空に浮く、広く一般で言うところの成人を少しばかり越えた頃合いの女性らしき人の姿が、合成音声に向けて指示を出す。
それと同時に、手のひらから湧き上がった球体の光る何かが、横たわる少年の体に吸い込まれた。
『了承』
『合成ヲ開始』
『……』
『素体ニ精神核ヲ浸透、融合しマス』
『…………』
暫くの間、少年の体を白光が覆い、淡く、断続的に明滅する。
『生体の統合進捗度、観視、拒絶域ヲ出マス、……九十、九十八、最終統合度、九十九.七』
『生命活動ヲ確認』
『外傷の修復ヲ開始』
『種族分類ヒト型、構成素材収集、重複処理実行』
横たわる少年の周囲に、ダイヤモンドダストに似た、氷ではないなにか別の、金色のキラキラと光るものが少年に降り注いで集まる様子がある。
『修復ヲ終了、周囲の環境、調整』
『……』
『全、工程ヲ完了』
「『####』報告は頼んだよぉ」
『了承』
『対象の接続ヲ切断しマシタ』
『タリア。########』
「はいはい、わかってるって。こっちは大丈夫だから、先に戻っていいよぉ。
さあ起きてね」
そう声を掛けられた少年は、森の木々からでる清涼な匂いにも覚醒をうながされ、眉間にシワを寄せながら瞼を薄く開けた。
「ンー……」
気怠げに上体だけを起こし、ボーッと辺りを見まわす。
「ハ? ちょ、なんだ、ええ? あれ? 声おかしくない? (これなに、どこ? 森って、ちょっと、なにがどうなったの?)」
少年は何がなんだか、わけが分からないといった表情で困惑している。
「これ、わたしの声? んん、わたしってなんだあ?」
「……た、田中、ちひろ子。うん、だいじょうぶ。なにがだいじょぶだ、うはっわたし、なに言っちゃってんの、こわっ!」
「正解、半分だけね」
上空に浮いていたはずの女性が、田中ちひろ子だと自覚した少年のそばへ、一瞬にして移動する。
「ひゃ、うわわっ! なんだ、なになに?」
多少、驚きはしたけれど、すぐに落ち着き、まぶしいのか防御姿勢なのか、顔の前につき出した手のひらの、指の隙間から女性を覗き見て、CG? 綺麗な顔ね、だのと呟いて見惚れるちひろ子。
そんなちひろ子の呟きを聞き漏らさず、ぱあっと明るく満面の笑みを浮かべる女性。
「わたしは、この惑星アサルアムンの管理者タリアっていうのよ、よろしくね、少年」
そう声をかけられたちひろ子は、オサルの何ですって? とか思いつつ、明後日の方向で言葉を口にした。
「わたしが少年? いやちょっと、なに言ってるんですかね。なにかのセリフですか?
多分、あなたよりは年上だと思うけれど、わたし明日三十なんだから。あ、そうかそうか」
何かを思い出したのか、ちひろ子は苦笑いをしながら独り言をつぶやきだした。
「気い失っちゃう癖がでたかな。ハア、それにしても、なんだか随分はっきりした夢だな」
今日は朝からダルかったし、またやっちゃったかなあ、会社の入社式以来だ、恥ずかしい。
中学の頃だったら恒例行事のように朝礼でやらかしてたから慣れてたけど。最近無かったからね、油断してたわあ。
「それとも夢じゃないのか? けど、どう見てもここってば、会社の医務室じゃあ、ないよねー……」と、あたりをみまわす。
あーやっぱり、昼食しっかり食べときゃよかった。
明日の休み、わたしの誕生日だからってみんな、じゃあ今日は前夜祭だ、祝うぞおって、ごちそうしてくれるって言うから、張りきって昼を立ち食い蕎麦で済ませたのがまずかったかな。
それに今朝はギリだったから、朝ご飯一杯しか食べれてないのもいけなかったかも。
今日、五時休憩のあと会議だったよね? すっぽかして気まずいよお、ちょっとさ、夕方どころの話しじゃないよ、これって明日の今日かなあ。
かなり寝ちゃったみたいだよね。って、寝すぎかい! 昨日、もう一昨日か? 夜中、朝までずっと推しの生配信みちゃって寝不足だったかも、ウワハッ、だめなわたしだあ。
なんとなくだけど、お昼ぐらいだろなあ、これ。てことは三十になった? いやあ、とうとう三十路か、感慨深いなあ、まあいいよね、いくつでもさ、アハハハ。
昼か……、ご馳走食べたかったなぁ、は、おかしいだろって、こんな場所にさ。
「落ち着けわたし、って? えーと社内会議のプレゼンの支度をしてて、みんなが揃うまでまだ時間あるから、一息つこうかって、コーヒーをさ、買いに行ったよね、ね? あれ? あ!」
そっか急に胸が激痛で本能的に、『まずい痛みだぞこれは』て思って、コーヒーこぼしちゃってベタベタだあ、ごめんね、お掃除のひと。
そうだ、ああ『次郎ごめん、かあさんのこと頼んだ』とか『こんな所じゃ嫌だな、家がよかったよ』なんて、冷静になったりしてさ。
そしたら家のノートパソ思い出して、『読まれたら恥ずか死するわ』なんて、焦ってもがいてるうちに気を失った? わけじゃなさそうね。
頭のモヤも薄れ、次第に記憶が戻ったようで、ちょっと俯き加減に目頭を指でこする。
「呆気ないもんだよね」と、ひと言つぶやいて、大きなアクションでため息を吐いた。
「こういうのってさ、ブラック企業で過労死ならわかる。でも、わたしんところ、巷で有名な超ホワイトなんですけど。
これじゃあ、ただの不摂生が祟っただけだ、自業自得じゃないか! そうだよ、その通りなんだよ、わーん。自分がわるいのか、おばかー」
……。
たぶん夢じゃないよね。明晰夢って線もあるけどさ、うん、死んだなこれ。
「それで、あなたは? そういう三途の川の、水先案内人とか死神てきな感じのひとってわけだ。あ、人じゃないのか、浮いてるし」
「あら、もう気がすんだ? そうね、きみの考えてる人ではないかもね、実体は持たないし。精神体とか高次の存在は知ってるかなぁ、あまりこういうことは説明したりしないからね、どうかな?」
「あ、うん。知ってるような、知らないような」
「あぁ、いいのよ、混乱してるでしょう、いいわ、無理に答えなくても。
きみの世界では、見るっていうより感じるに近いものかしらぁ。アストラル体だったりメンタル体なんて言ってるようね。こっちではまとめて精神体って呼んでるわ。
それでもまれに、わたしたちのこと視える子もいてね。この姿はそのなかでも友人だったエルフの子から譲り受けたのよ。
どうしても、その子が自分の死後も、離れたくないから貰って欲しいって。
それで彼女が抜けた体を義体として残したの。だから、きみが褒めてくれたのが嬉しいのよ、フフ」
着てもいないスカートの裾を、指でつまむ格好をして、空中に浮いたままクルッとターンをキメるタリア。
「そうなんだ」
「そ、ただ、わたしみたいなのは少数派で、精神体でも仕事には支障ないし、短時間なら顕現できるから、ずっと精神体のままって者もいるわね。
ああそれと、きみの言う死の神ではないし、そもそも神という存在でもないからね、そこ大事よぉ。だから、言っておくけど何でもわたしに救済を求めないでね」
タリアと名乗った女性は、そんな具合に聞きもしない事を、一方的にペラペラと喋りながら、ふよふよと宙に浮いては、ちひろ子の近くを行ったり来たりしている。
「そうとは言っても実際のところ、わたしを含めた管理者が神扱いされるのは、よくある事なんだけどねぇ。
特に、きみの居た世界は少し前、それとも遥か昔と言った方がいいのかな。当時の管理者たちの間でも噂になるくらい、過酷な労働環境が長く続いた時期があったみたいでね」
どこにでもブラックな環境ってあるんだな、などと考え同情の目を向けるちひろ子。
「それで色々と均衡が保てなくなった管理者に、致命的な障害が出てぇ。何ていうのか、壊れちゃって? それはもう頻繁に交代したらしいのよぉ」
ちひろ子は、いつのまにか聞き手になってる自分に、わたしは、いったい何を聞かされてるんだろうなと思いつつも、どこか可哀想で首を縦に振り続けている。
「なかには環境改善運動とか言って、活動始める者も現れてね。
それを彼らは悪神が降臨したーなんて勘違いしたり、騒ぎを鎮めるために配属された後任の者を善神に祀り上げたりして、それを地上では聖戦だ。なんて言い出す始末、って少し話が逸れちゃったかなペコ」
そう言って頭をグーでコツンと叩きながら片目を瞑り、どこかのケーキ屋さんのマスコットキャラクターのようにペロっと舌をだした。
彼女の無駄に長い自己紹介を、BGMのように聞き流しながら少しは落ち着いて辺りを見渡せるようになってきたちひろ子だが、それでもまだ現実味を持てず、フラフラと飛んでいる姿をボンヤリと目で追っていた。