第1話「北方海の守護天使」
寒風が吹き流氷が浮かぶ北方海と呼ばれる海域を何かが疾走していた。
それは船では無く、『シーサーペント』と呼ばれる北方海いやこの世界に生きるすべての人々にとって最大の脅威だった。
何しろ船舶や島に住む人々に対し見境なく襲い掛かってくるのだから。
そんな十数匹のシーサーペントにアメリカ海軍のスプルーアンス級駆逐艦(初期型)が接近して来た。
もっともこの世界にアメリカ海軍は存在しないので、スプルーアンス級に似た駆逐艦と言うべきだろう。
アスロックやシースパローランチャーの代わりにロケット弾用ランチャー乗せ、艦尾に国旗にではなく剣と盾を持った女神が描かれた旗が掲げられている。
艦尾に書かれた艦名は『まほろば』、その艦橋に居る乗員達は黒いボディスーツタイプのつなぎの上に白のジャケットを着た女性達だった。
一方シーサーペント達は接近するまほろばに気付いたのか眼をぎらつかせ咆哮を上げ襲い掛かろうと進路を変え接近してくる。
「艦長、シーサーペント3匹がまほろば接近して来ます。」
見張り所の大型双眼鏡でシーサーペント達を監視していた見張り担当が報告して来る。
「総員戦闘配置。」
艦橋の艦長席に座って居る牧瀬 恵理香が頷き指示を出す。
「総員戦闘配置繰り返す総員戦闘配置。」
指示を受けた副長が艦内放送で戦闘配置とアナウンスしアラーム音を鳴らす、それを受け乗員達はそれぞれの配置場所に着いて行く。
「まほろばの進路と速力はそのままでお願いします。」
「まほろばの進路及び速力はそのまま維持します。」
舵を握る操舵担当と速力指示器を操作する機関担当が指示を復唱する。
「総員戦闘配置完了です艦長。」
副長の報告に恵理香は頷き指示を続ける。
「艦載砲及びロケットランチャー発射用意。」
『艦載砲及びランチャーに目標データ入力・・・良し。』
火器管制室が目標データを入力すると艦首の主砲と8連装ロケットランチャーが旋回し仰角を取る。
「シーサーペント射程に入ります。」
センサー担当の報告を聞いた恵理香が攻撃を命じる。
「ロケット弾発射。」
『発射します。』
ランチャーから発射された8発のロケット弾がシーサーペント達に着弾すると、崩れる様に海上に倒れその場で激しくのたうち回る。
「今です!艦載砲撃ち方始め!」
『撃ち方始め。』
海上でのたうち回るシーサーペント達は発射された艦載砲の砲弾によって止めを刺れ、どす黒い体液をまき散らしながら沈んでゆくのだった。
「レーダー、周囲にシーサーペントの反応ありませんか?」
「周囲には反応無しです艦長。」
センサー担当が艦長の問いに答えるとほっとした雰囲気が艦橋内に広がる。
「レーダーでの監視を続行しつつ帰港しましょう。」
「「「了解しました艦長。」」」
指示を受け動き始める乗員達を見ていた恵理香はふと自分の身体を眺めるとこう呟いた。
「・・・何でこうなったのかしら?」と。
そう熱心にプレイしていたとあるゲームとそっくりな世界に何故転生してしまったのか?
シーサーペントから島や船舶を守る牧瀬商会で所有する駆逐艦まほろばを指揮する牧瀬 恵理香として。
何故ゲームに似たこの世界に来る事になってしまったのか今でも分からなかった。
此処に転生する前の自分自身についての記憶も曖昧だった。
名前も何処に住んでいたのかも家族構成もまったく思い出せず唯一自分の性別が男だった事は覚えていた。
結局分かったのはこの世界が自分のプレイしていたゲームに似ているいう事だけだったのだ。
その世界に自分の好みを詰め込んだ肩までかかる黒髪に眼鏡を掛けた知的美人という容姿で生きる事になるとは・・・
北方群島にある中央港に向かうまほろばの中で変わってしまった自分の容姿と人生に恵理香は溜息を付くしかなかった。
「艦長、中央港であと1キロです。」
北方群島中央港、ゲームでは周辺海域で活動する商会が依頼を受けたり、艦艇の補給や修理を行ったりする拠点なる場所だ。
「進路と速力に注意を。」
「はい艦長。」
恵理香がそう指示すると操舵担当と機関担当は恵理香は操舵装置と速力指示器を慎重に操作しながらまほろばを中央港へ入港させて行く。
「微速前進、進路やや右へ。」
見張りからの細かい進路指示を受けまほろばは専用の桟橋へ近づいて行く。
「停泊位置に到達しました艦長。」
「機関停止、錨を降ろせ。」
「機関停止、錨を降ろせ。」
専用の桟橋にまほろばは接岸され錨が降ろされると恵理香は頷き立ち上がると指示を出す。
「各自所定の作業終了後、順次解散とします。」
恵理香の指示に乗員達はほっとした表情を浮かべ答える。
「「「はい艦長。」」」
そしてこの後どうするか作業しながら会話する姿はゲームに登場するNPCとは思えないと恵理香は毎回思う。
ゲームをしていた時に乗員達は登場したが、立ち絵が1枚ある位で声も無しだったのだが。
こう見ると普通の女性達と変わらない様に見えると恵理香、ちなみにまほろば乗員は全て女性だった。
最初からそうなっておりこれはゲームの設定でなく彼女の姉の仕業だったのだが。
そんな事を考えながら艦橋を出た恵理香は艦長室に行く。
そして艦長室からキャリーバッグを持ちだすと、まほろばを降り補給と整備を依頼する為港に隣接するドックへ向かう。
ゲームではメニュー画面からクリックすれば終わったが、流石に今はドックまで行って頼まなければならない。
「やあやあこれは恵理香ちゃん。」
整備と補給を依頼する為ドック事務所に着いた恵理香を迎えたのはここを仕切るケイ・パークだ。
ケイはこのドックの最高責任者であると共に艦船や装備の開発や改良も担う優秀な技師でもあるのだった。
その容姿はサイズの合わない白衣にグルグル眼鏡という何処かで見た様なものだった。
「まほろばの改造でもして欲しいのかい。」
「いえ補給と整備だけでお願いします。」
優秀な技師であるのだが時々いや何かある毎に暴走するのだ。
前にも「新型ロケット弾作ったんで試してみて。」と言われ恵理香が使ってみたことがあった。
確かに威力は凄かったいや凄すぎた、何しろシーサーペント数十匹をサンゴ礁と一緒に吹き飛ばしてしまったのだ。
いくら何でもオバーキル過ぎたうえに危険すぎて、恵理香は二度と使う気になれなかった。
他にも照射しただけでシーサーペントを焼き殺したレーダーを開発したとか逸話に事欠かない人物だった。
この人そのうち本当に巨大ロボットでも開発してしまうんじゃないかと恵理香は本気で心配していた。
ちなみになまほろばが北方海で最強と言われているのはケイが採算度外視で改良を手掛けているからだ。
それほどこの変わり者の技師に恵理香は気に入られているのだ、その理由は本人曰く「恵理香ちゃんはもう一人の娘みたいなものだからね。」らしい。
そうケイには義理だが娘がいるのだ、恵理香とも顔見知りで、何故か彼女にも気に入られていたりするのだが。
「まあ色々開発中だから期待して欲しいな。」
「あの人の話を・・・」
「それじゃ私はラボに戻るね、整備と補給もちゃんとやっておくからね。」
そう言って足早に去って行くケイを見ながら相変わらず人の話を聞かないけど用件はちゃんと伝わっている事に恵理香は不思議でしょうがなかった。
ドックでの用事を済ませ商会の事務所と恵理香と商会長である姉の住居の入っている建物に戻って来た。
そして恵理香は事務所の出入り口ではなく裏口の住居用の方に回ると扉を開けず暫く佇む。
何故なら恵理香はこれから起こるが容易に想像出来たからだ、とは言えここで何時までも居る訳にもいかない。
意を決して扉を開けた恵理香の前に立つ、どこか似た容姿を持つ女性。
「お帰りなさい恵理香ちゃん、さあ私の胸の中へ、そして熱いベーゼを交わし・・・」
台詞の途中で恵理香は速攻で扉を閉めると深い溜息を付く、毎回よく同じ事を出来るものだと呆れながら。
「あ~恵理香ちゃん何で閉めるの?」
誰だって開口一番あんな事を言われればそういう反応を示すと恵理香は思いながら答える。
「普通に迎えて下さい姉さん。」
「わかったわよ~恵理香ちゃん冷たい。」
その答えに更に呆れながらも恵理香は再度扉を開ける。
「お帰りなさい恵理香ちゃん。」
「・・・ただいま姉さん。」
先程とは打って変って穏やかな表情で迎えるのは牧瀬商会の会長であり恵理香の姉である牧瀬 万理華。
恵理香にとっては唯一の肉親だ、なお両親は姉妹が幼い頃2人共シーサーペントによって亡くなっていた。
そんな万理華は優秀な頭脳とカリスマ性を持つ完璧超人として知られている。
何しろ年齢的に言うなら二回りも違う年齢の相手と堂々と渡り会える程だ。
悪魔相手だって条件さえ合えば契約を取っとくる、万理華を知る者達がよく言う台詞だ。
そんな万理華だが妹である恵理香に対しては今の様になってしまうのだ、要するに重度のシスコンと言う訳だ。
妹である恵理香のことを気遣いサポートしてくれる良い姉であるのだけどその接し方が過剰だったのだ。
大体女同士(しかも姉妹だ)で抱き合ったり、キスするなんて倒錯的な趣味は恵理香には無い。
・・・男だったら、いやそれはそれで問題かもしれないけと恵理香は思うのだが。
万理華の傍迷惑な出迎えを受けた後、恵理香は自分の部屋に行って艦内服から普段着であるパーカーと黒タイツに着替えるとリビングに行く。
そこでは万理華が既にお茶の準備を整えて待っていた。
「ささ、恵理香ちゃん私の膝の上に・・・いえ何でもありません。」
とんでもないことを言い掛けたので恵理香が一睨みすると万理華は姿勢を正す。
そんな万理華に何時もの事だなと呆れつつ恵理香は彼女の前の席に座る。
「こほん、シーサーペントの対処ご苦労様でした、漁師ギルドや商船ギルドの方からお礼が来ているわよ、流石は守護天使様ね。」
会長として恵理香に労いの声を掛ける万理華、まあ守護天使は出来れば止めて欲しいと恵理香は思うのだが。
恵理香はシーサーペントから船舶や襲われた島の救援を数多く行っている為北方海の守護天使様と人々から呼ばれていた。
「それは私だけで出来たわけでないですけどね。」
「そうかしら?ほんと恵理香ちゃん謙虚ね。」
「別にそんなつもりはないんですけど。」
恵理香にしてみればそれが出来たのはまほろばが北方海で最も高性能な駆逐艦だったからであり、それに加えて優秀な乗員が居たからだと思っているからだ。
まあ万理華に言わせればいくら高性能な駆逐艦と優秀な乗員が揃っていたとしても、それらを使いこなせる恵理香が居なければ到底達成出来ない筈だと。
この辺は姉の身内びいきと言うだけでは無い、多くの者がそう思っている、だからこそ恵理香は北方海の守護天使と呼ばれているのだ。
なお万理華の話に出てきた漁師ギルドや商船ギルドというのは北方海で漁をする商会や貨客船を運用する商会を取りまとめる組合みたいなものだ。
もちろん牧瀬商会もシーサーペント狩りを生業にしているハンターギルドに所属している。
「まあいいわ、そこが恵理香ちゃんの良い所だしね。」
にこにこ笑って言う万理華に恵理香は肩を竦めて見せる。
「ああそれから明日休みの予定のところ申し訳ないけど漁師ギルド長が相談したいって来るから宜しくね。」
「漁師ギルド長が?」
ギルド長が来ると言うのだからかなり重要な話だなと恵理香は考える。
「わかりました、それで何時頃にいらっしゃるのですか?」
「午後一番、1300であります艦長。」
「1300ですね会長閣下。」
おどけて言う万理華に恵理香が茶目っ気たっぷりに返すと二人揃って笑う。
「ふふふ・・・それじゃ風呂にでも入りなさい、私と一緒にね。」
「必然性を感じませんけど会長閣下。」
「命令です艦長。」
そんな理不尽な命令は御免だと抗議しようとした恵理香だったが・・・
「ちょっと引っ張らないで、ってここで服を脱がさないで姉さん。」
抗議する間も無く風呂に連行される恵理香、万理華は身体能力も凄かった。
「もう・・・一時期みたいに恥らってくれないんだから。」
風呂からあがって再びリビングに戻った恵理香に万理華が言ってくる。
「姉さんに鍛えられましたから。」
皮肉でもなくこれは本当の事だったりするのだが、まあ鍛えてくれたのは姉だけでは無かったが。
恵理香がこの世界に来て一番困惑したことといえば、自分の身体についてだった。
何しろ女性の身体に男の精神だったのだから大変な思いをさせられた。
幸い女性としてのスキルはあったので着替えや入浴など問題なかったが、それで羞恥心が無くなる訳は無い。
特にまほろば乗艦時に着る艦内服はボディラインがまともに出てしまうボディスーツタイプのつなぎだったので恵理香は恥ずかしくて仕方がなかった。
まあ股下まで隠れるジャケットをその上に着ているのでまだいくらかはましだったと恵理香は思っているが。
ただ問題なのは構造上の理由で下着を付けてられない様になっている所為で着替える度に一旦真っ裸にならなくてはならない事だった。
他の女性の下着姿や裸どころか自分だけでも見るたびに卒倒しかけていた初期の恵理香にとっては同性同士のコミニケーション同様に苦労の連続だったのだ。
もっともそれも数ヶ月でまったくも問題無くなってしまったが。
何しろまほろばに乗れば回りは同じ年代で同じ艦内服の女性達と数週間も寝起きや入浴を一緒にしなければならなかったのだ。
しかも帰って来れば姉が風呂に引きずり込んだりベットに進入するなんて毎回の事でいい加減慣れてしまったのだ。
まあ恵理香にしてみれば嬉しくもなかったのは言うまでもないだろう。
今では自分や他の女性の艦内服姿や裸を見てもそれ程動揺しなくなったし、コミニケーションも上手く取れるようにはなっていた。
・・・正直言って男の姿に戻ったらどうなるのかと想像して恵理香としては怖くて仕方がないのだが。
「では夕食の準備を・・・食事が終ったら一緒に寝・・・」
「寝ませんから。」
恵理香は釘を刺しておく、そうでもしないと万理華は平気で潜り込んで来るからだ、いくら慣れてきたとはいえ羞恥心は無くなったわけではないのにだ。
「ち・・・まあいいわ、ふふふ。」
絶対潜り込む気満々な万理華に恵理香は深い溜息を付く。
一応鍵は掛けているが万理華には無意味で意とも簡単にピッキングして部屋に侵入して来るからだ。
自分の能力の使い道を絶対間違えていると恵理香は常日頃思っている。
今日こそ絶対に阻止しないと思う恵理香だったが、結局部屋だけでなくベットまでに侵入されてしまうのだった。
1300
航路付近に現れたシーサーペントの掃討を完了。
まほろばの乗員及び艦に損害なし。
報告者:牧瀬商会所属駆逐艦まほろば艦長牧瀬 恵理香。