私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか
「────そこまでよ、聖女オリアナ!」
祈祷室の扉をバンッと開け放ち、無断で侵入してきた女性はそう叫んだ。
ハーフアップにした金髪を揺らし、こちらへ直進してくる彼女は真っ直ぐ前を見据える。
宝石のベニトアイトを彷彿とさせる青の瞳で私を捉え、絶対に逸らさない。
幼さの残るあどけない顔立ちからは、想像もつかないほど凛とした雰囲気を漂わせていた。
装いからして、貴族のようだけど……一体、何をしに来たのかしら?
髪に編み込まれた上等なリボンや一目で高級と分かるドレスを一瞥し、私は一先ず立ち上がる。
そして唯一神ヴァルテンの石像に一礼してから、後ろを振り返った。
と同時に、目を剥く。
何故なら、女性の後ろに────見覚えのある顔ぶれを見つけたから。
なるほど。どうして、聖女専用の祈祷室に部外者が入ってこれたのか疑問だったのだけど────一部の神官達が手を貸していたのね。私を排除するために。
聖女に就任してから色々改革を進めていたから、反感を買っているのは分かっていたけど……まさか、こうくるとはね。
表立った行動はしないと考えていたから、ちょっと意外だわ。
どちらかと言うと、暗殺の可能性の方が高いと踏んでいた私はエメラルドの瞳をスッと細める。
『お手並み拝見と行こうかしら?』と気楽に構え、焦りや不安を見せなかった。
『これを機に、神殿の膿を全部出そう』と考える余裕まである。
どのような展開に持っていこうか悩む私の前で、神官達を引き連れた女性は立ち止まった。
かと思えば、こちらを指さす。
「貴方には、これから法の裁きを受けてもらうわ!」
声高らかにそう宣言した彼女は、腰に両手を当て顎を逸らす。
────が、小柄なせいかあまり迫力を感じない。
私の身長が高い分、余計に。
『目測二十センチは差がありそうね』と思いつつ、私は少し身を屈めた。
その際に、腰まである茶髪を耳に掛ける。
「私は何も悪いことなんてしてないのに、どうして裁きを受けなければならないのかしら?」
「あくまでシラを切るつもり!?神を侮辱するような改革を押し進め、神殿を混乱に陥れたのに!」
キッとこちらを睨みつけ、彼女は怒鳴りつけた。
すると、後ろに控えていた神官達が『そうだ、そうだ』と野次を飛ばす。
年下の女性を矢面に立たせて、自分達は応援と見物なんて……なんとも、情けないわね。
誰かの力を借りないと、物申すことも出来ないのかしら?
全く……いい大人が何をしているんだか。
『虎の威を借る狐とは、まさにこのことね』と呆れ、溜め息を零した。
おもむろに身を起こす私は癖毛がちな茶髪を揺らし、一歩前へ出る。
「そのことについては、既に結論が出ている筈。私の意見を取り入れた方がより多くの人を救える、と」
『終わったことをわざわざ掘り返さないで』と主張し、私は胸元にそっと手を添えた。
「これまでの歴史を変えることに、抵抗があるのは分かっている。でも、何時間もお祈りを捧げるより、神より賜りし力────神聖力を使って解決した方が早いし、効果的……」
「そんなの信用ならないって、言っているの!絶対にインチキじゃない!」
『私は騙されないんだから!』と反発する彼女に、私は辟易する。
まるで警戒心の強い野良猫みたいだな、と思いながら。
「言い掛かりは、やめてちょうだい。私は何度も神聖力を披露して、証明した筈よね?」
神殿、皇室、貴族、民衆……あらゆる人々の前で力を行使し認めてもらった経緯に触れ、相手の主張を跳ね除けた。
すると、彼女はニヤリと口元を歪める。
「ええ、それなら私も見たわ!確かに力は本物だと思う!でも────ヴァルテン様より賜りし力か、どうかは分からないじゃない!」
我が意を得たりと言わんばかりに捲し立て、彼女はしたり顔を晒した。
『これでどうだ!』と胸を張り、両腕を組む。
すっかり論破した気でいる彼女を前に、私は暫し考え込む。
どうやったら、彼女は納得してくれるだろうか?と。
「じゃあ────一度神聖力を体感してみては、どうかしら?結論を出すのは、それからでも遅くないわ」
『見ているだけじゃ、分からないこともある』と述べ、私は神聖力の残量を推し量る。
先程祈祷を捧げたおかげで力は有り余っているし、多少私用に使っても問題ないでしょう。
ヴァルテンに分けてもらった神聖力を手のひらに集め、私は『浄化でいいだろうか』と考える。
一応、治癒や結界といった能力もあるが……治癒は相手を怪我させないといけないし、結界は効果を実感出来るものではないから。
この場合、指定した場所を清める浄化が最適だった。
『そうと決まれば、即行動』と自分に言い聞かせ、私は彼女の手に触れようとする。
だが、しかし……扇で勢いよく、叩き落とされてしまった。
「触らないで!卑しい下民ごときが、パトリシア様の手を握ろうだなんて無礼よ!身の程を弁えなさい!」
平民出身であることを詰る彼女に対し、私は目を剥く。
別に出自を馬鹿にされて、ショックを受けた訳ではない。
ただ、単純に驚いたのだ。彼女が────
「あら、キートン公爵家のお嬢さんでしたか」
────いい家の娘だったことに。
だって、彼女の言動からは全くと言っていいほど気品を感じられなかったから。
世間知らずのまま育った田舎貴族の娘かと思っていた。
まあ、あのパトリシア・ヴァレリー・キートンなら納得だけど。
キートン家の末娘であるパトリシア嬢は他の兄弟と年が離れているため、相当甘やかされて育った。
自分のワガママを押し通すためなら何でもやる性分で、周りの者達は手を焼いているらしい。
近頃は人の注文したドレスを横取りしたり、招待されていないお茶会に乱入したりしているそうだ。
何故、私がここまで彼女の事情に詳しいかと言うと、公爵夫人に懺悔……という名の相談をよく受けているから。
『私は一体、どこで育て間違ってしまったのかしら……』と、嘆いていたのをよく覚えている。
叩かれて赤くなった手に治癒を施しつつ、私は改めて彼女と向かい合った。
「一つ聞きたいのだけど、どうしてこんなことを?」
「それは貴方がインチキをしているからよ!」
ビシッとこちらを指さし、鼻息荒く捲し立てるパトリシア嬢に、私はスッと目を細める。
「ふ〜ん。本当は?」
「だから、貴方がインチキを……」
「公爵夫人や周りの人に認められたいから、ではなくて?」
「っ……!」
声にならない声を上げ、言葉に詰まるパトリシア嬢はカァッと赤くなった。
動揺のあまり声が出ないのか、口を開けたり閉じたりしている。
何とも分かりやすい反応を示す彼女に、私は『やっぱり、そうか』と肩を竦めた。
公爵夫人はよく『娘と同じ年齢なのに、オリアナちゃんは落ち着いているわね』と私を持ち上げていたから。
もし、家でもそのような発言をしていたなら……パトリシア嬢が私を目の敵にするのも理解出来る。
実の娘からすれば、面白くないものね。
母親が自分より他人を褒めるなんて。
まあ、夫人に悪気はないんでしょうけど。
『娘に発破を掛ける程度の認識だった筈』と、私は公爵夫人の人柄を思い出す。
そして、パトリシア嬢の考えに否を唱える。
「こんなことをしても、貴方の欲しいものは手に入らないと思うわよ。今なら、まだ丸く収めることが出来るから、引き下がってほしいのだけど」
神殿を惜しみなく支援してくれて、友達のように接してくれる夫人を困らせるような真似はしたくない。
何より、キートン公爵家と神殿の衝突を公にすれば、トラブルは必至。
出来ることなら、内々で処理したい。
────などと考える私の前で、パトリシア嬢はキュッと唇を引き結ぶ。
と同時に、顔を背けた。
「何よ、偉そうに……!大体、もう手遅れよ!だって────皇室も貴方の断罪に賛成しているんだから!」
その言葉を合図に、開きっぱなしの扉から騎士達がなだれ込んでくる。
おかげで、ヴァルテンの石像を除いて何もない空間が人で埋め尽くされた。
『圧迫感が凄いわね』と驚く私を前に、騎士達はまるで示し合わせたかのように左右へ分かれる。
そのまま二列になって向かい合う彼らは、素早く騎士の礼を執った。
すると────列と列の間から、一人の青年が姿を現す。
「聖女オリアナ、貴殿の身柄を拘束させてもらう」
そう言って、こちらへ向かってきたのは────シャルル帝国の皇太子トラヴィス・ベニー・シャノンだった。
後ろで結い上げた白銀色の長髪を揺らし、私の前で立ち止まる彼はパトリシア嬢の隣に並ぶ。
真剣味を帯びた黄金の瞳でこちらを見つめ、腰に差した剣に手を掛けた。
恐らく、『妙な真似をしたら容赦なく攻撃する』と言いたいのだろう。
まあ、全くもって怖くないが。
この程度で恐れおののく人間なら、神殿の改革なんて出来なかった。
一体、私がどれだけの修羅場を潜り抜けてきたと思っているのかしら?
『脅しも暴力も、もう慣れっこよ』と余裕の態度を崩さず、私は口元を緩める。
「聖女である私を拘束?ふふっ。あなた方に何の権限があって、そんなことを?」
後ろで手を組み、体ごと横に傾ける私は『意味が分からない』とアピールした。
下から覗き込むようにしてトラヴィス殿下の顔を眺め、スッと目を細める。
「大体、両陛下はこのことを知っているの?」
「罪人の問いに答える義理はない」
間髪容れずに……でも、どこかバツの悪そうな顔でトラヴィス殿下は質問を跳ね除けた。
本人は上手く取り繕っているつもりのようだが、まだ拙い。
『経験が足りないわね』と思いつつ、私は傾けた体を元に戻した。
「まあ、知らないでしょうね。知っていたら、全力で止めている筈だから────こんな越権行為」
「っ……!」
言外に『非常識』と吐き捨てた私に、トラヴィス殿下は反論出来ず……口を噤む。
一応、不味いことをやっている自覚はあるらしい。
悔しそうに唇を噛み締める彼の前で、私は容赦なく痛いところを突いていく。
「いくら皇室と言えど、神殿内部のことまで口を出すことは出来ない。それくらい、貴方も知っているでしょう?」
「ああ。だが、神殿の不正を見逃す訳にはいかない。神聖力なんて胡散臭いもの、即刻廃止すべきだ」
「力の証明は、もう済んでいるのに?」
「だから!ヴァルテン様より賜りし力とは限らないって、さっきも……!」
トラヴィス殿下の不利を悟ったのか、パトリシア嬢が横から口を挟んできた。
『貴方の耳は飾りなの!?』という暴言を添えて。
予想以上に気性の荒い彼女を前に、私は淡々と言葉を紡ぐ。
「確かに力の源の証明は、出来ていないわ。でも、そのことも含めて全面的に神の力だと認める旨を皇帝陛下や教皇聖下より、文書で頂いている。それらの証言をひっくり返すような事実でも出てこない限り、私をインチキだと決めつけることは出来ないわ」
『よって、この拘束は不当』と言い切り、騎士達の動きを牽制する。
案の定とでも言うべきか……事情を全く知らずに来たらしく、鎧を着た屈強な男達は狼狽えた。
トラヴィス殿下の命令に盲目的に従うべきか否か迷い、忙しなく視線を動かす。
落ち着かない様子の彼らを前に、トラヴィス殿下は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
『余計なことを……!』とでも言いたげな目でこちらを睨みつけ、黙りこくる。
この場になんとも言えない空気が流れる中────動きを見せたのは、パトリシア嬢だった。
「────か、神のお告げよ!教理に背く貴方を断罪しなさいって、言われたの!」
トラヴィス殿下や騎士達を庇うように前へ出ると、彼女は真っ直ぐにこちらを見つめ返す。
『もう後には引けない』と判断したのか、最後の悪足掻きを披露した。
苦し紛れに吐き出したであろう反論を前に、私は思わず失笑する。
『ついに神の名まで使うようになったか』と。
本当に愚かな人。
中央神殿で、神に関する嘘を吐くなんて……いくら貴族と言えど、許されない行為よ。
公爵夫人のために出来るだけ穏便に済ませようと思ったけど、気が変わった。
きっちり、お灸を据えることにしましょう。
『さすがに看過出来ない』と思い、私は気持ちを切り替える。
そして、『何がおかしいの!』と喚くパトリシア嬢と青ざめる神官、渋い顔のトラヴィス殿下を順番に見つめた。
徐々に張り詰めていく空気を肌で感じながら、私はニコッと笑う。
「私を断罪するのが神のお告げですって?なら────本人を呼んでみましょうか」
こちらの怒りを表すかのようにわざと敬語で喋り、私はクルリと身を翻した。
唯一神ヴァルテンの姿を象った石像にそっと近づき、横髪に挿していたカサブランカの花を手に取る。
神聖力を帯びたおかげでまだ元気なソレを石像の足元に置き、供物として捧げた。
本当は血や肉の方がいいのだけど、長時間降臨させる訳じゃないから、問題ない筈。
もし、供物として不十分であれば神聖力を使って補おう。
などと考えながら、私は膝をついた。
両手を組んでおもむろに目を閉じる私は、儀式に必要な呪文を口にする。
自分でも聞き取れないような小声で。
まあ、仮に聞き取れたとしても普通の人間では発音出来ないだろうが……だって、全部神語だから。
『神に許された者しか喋れない言語なのよね』と考える中、私は目を開ける。
その瞬間────唯一神ヴァルテンの姿を象った石像が動き出し、色を帯びた。
と同時に、生命体らしい呼吸音と心音を響かせる。
「いらっしゃい、ヴァルテン。よく来てくれたわね」
石像という仮初の体を借りて降臨したヴァルテンに、私は軽く挨拶した。
すると、彼はニッコリ笑ってこちらへ手を差し伸べる。
「面倒なものに絡まれて災難だったね、オリアナ」
『神の住む空間からずっと見ていたよ』と言って、ヴァルテンはパライバトルマリンの瞳を細めた。
『お気の毒〜』と軽快な口調で述べる彼を前に、私は神聖文字のタトゥーが入れられた手を掴む。
石像だったにも拘わらずきちんと温もりのある彼にグイッと引っ張られ、立ち上がった。
と同時に、あんぐりと口を開けて固まる周囲の人々へ目をやる。
『信じられない』とでも言いたげな表情ね。
でも、目の前に居る人物はヴァルテン本人で間違いないわ。
それは貴方達も分かっているでしょう?
だって────唯一、神聖文字の使用を許された石像に憑依したのだから。
ヴァルテンの二の腕から手の甲にかけて刻まれたタトゥーは、基本複製・再現不可。
体に彫ったり、絵に描いたりしようとしても出来ない。
頭の中が真っ白になって、作業の手を止めてしまうから。
なので、ヴァルテンの石像や絵画はタトゥーの部分を省略したり、適当な模様で誤魔化したりしている。
────聖女専用の祈祷室にある、この石像を除いて。
これだけは特別で、ヴァルテンのタトゥーを正確に反映出来ていた。
そのため、ヴァルテンを降臨させる際はこの石像に憑依させる形を取っている。
生身での降臨は多くの供物を捧げなければ、出来ないから。
リスクが大き過ぎる。
「さて、本人も登場したことだし、事実確認を始めましょうか」
ヴァルテンと共に後ろを振り向き、私はパンッと手を叩く。
その途端、周囲の人々はハッとしたように口を開いた。
だが、しかし……
「「「……っ!?」」」
ヴァルテンに発言を許可されていないため、彼らは一言も話せない。
ただ、口をパクパクさせているだけ。
弁解も反論も出来ないことに気づき、サァーッと青ざめる彼らは怯えたような目でヴァルテンを見た。
────が、本人は素知らぬ顔でスルー。視線すら、合わせようとしない。
水色がかった白髪を指先で弄り、幼さの残る中性的な顔立ちとは不釣り合いなイヤリングとブレスレットを揺らす。
私は編み込みされたヴァルテンの横髪を眺めつつ、一般男性に比べて小柄で背の低い彼の隣に並んだ。
「私を断罪するよう、パトリシア嬢に神託を下したのは事実?」
「違う」
間髪容れずに否定の言葉を口にし、ヴァルテンはパトリシア嬢の悪足掻きを一蹴した。
「僕は基本聖女と教皇にしか神託を下さないし、オリアナが教理に背く行いをしたとは思っていない。大体────神聖力を使って民の助けになるよう、指示したのはこの僕だし」
『オリアナはただソレに従っただけ』と言い、彼らの間違いを正す。
「僕は万能と言えるほど強い力を持っているけど、万全じゃない。君達の願いを全て叶えるには圧倒的に人手が足りないし、何でもかんでも神頼みになったら秩序が乱れる。何の苦労もなく、理想を実現出来るとなれば、生物は成長しなくなるからね。ある程度力を与えて、自ら困難に立ち向かうべきだと判断した」
『いつまでも、おんぶに抱っこでは困る』と主張するヴァルテンに、神官達は目を伏せる。
何か心当たりがあるようだ。
神の威光を振り翳すだけ振り翳して、あとは神頼みだものね。
今まで曖昧だった神の力が具現化し、明確な結果を求められるようになれば、神官としての能力が問われる。
────神聖力の譲渡が出来ないほど、穢れた心を持つ彼らではまず難しいだろう。
『信徒にお布施を強要したり、修行をサボったりしていたツケが回ってきたのよ』と、私は呆れる。
普通の神官であれば神聖力の譲渡はもちろん、活用もすんなり出来るから。
ここまで拒絶反応を示されるのは、ふしだらな生活と悪行を重ねてきた者達だけだ。
『だから、あれほど日頃の行いに気をつけなさいと言ったのに』と辟易しつつ、私は口を開く。
「では、最後にインチキじゃない証明をしておきましょうか」
そう言って、私はパトリシア嬢の肩に手を伸ばした。
非現実的な状況が続いているからか、今度は叩き落とされることなく接触に成功する。
「ヴァルテン」
パトリシア嬢の肩に手を置きつつ、私はチラリとヴァルテンに目を向ける。
すると、彼はあからさまに嫌な顔をした。
「えー。やだよ、僕はそんな女に触りたくない」
「じゃあ、インチキだと疑われたままでいいの?最悪、神聖力の活用を禁じられるかもしれないわよ?」
「うぅ……それは困る」
「なら、今回だけ協力して。ねっ?」
「……もー、しょうがないなー」
こちらの説得に仕方なく折れたヴァルテンは、パトリシア嬢のもう一方の肩に手を掛ける。
心底嫌そうにしながらも言うことを聞く彼に、私は苦笑を漏らした。
『拗ねてないだけ、まだマシか』と一つ息を吐き、手のひらに神聖力を集める。
「合図したら、パトリシア嬢に浄化を施してちょうだい。じゃあ、行くわよ?────三、二、一」
カウントダウンを口にすると、私は浄化を発動した。
ヴァルテンも同様に力を使い、パトリシア嬢の服や体を綺麗にする。
月のように柔らかい光で包み込まれる彼女は、感嘆の息を漏らした。
初めて体感した神聖力に目を見張り、僅かに表情を和らげている。
「私とヴァルテンの浄化をそれぞれ体感して、理解してくれた?神聖力は神より賜りし力だって」
『力の本質は同じだったでしょう?』と問う私に、パトリシア嬢は素直にコクンと頷いた。
ヴァルテンの力と比べることが出来たため、納得せざるを得なかったのだろう。
「神官達の神聖力も同様よ。ヴァルテンより賜った力を、私が更に神官達へ譲渡しているだけだから」
『信じられないなら、また同じように証明するけど』と申し出ると、パトリシア嬢は首を横に振る。
これ以上、悪足掻きを続ける気はないらしい。
祈祷室に乗り込んできた当初の勢いは、どこへやら……随分と大人しくなっていた。
親から叱られた子供のようにショボンとする彼女を前に、ヴァルテンは溜め息を零す。
「君はさ、もうちょっと視野を広く持つべきだよ。こんなことをしなくても親の関心は引けるし、特別な存在にならなくても愛は貰える。だって、君は望まれて生まれてきた子供なんだから」
『不安に思う必要なんて、どこにもないんだ』と語り、ヴァルテンはパトリシア嬢の額を指で弾いた。
その瞬間、彼女の過去が波紋のように広がる。
『嗚呼、私の愛しいパトリシア。元気に生まれてきてくれて、ありがとう』
頭に流れ込んでくる記憶に映るのは、パトリシア嬢の母である公爵夫人。
今よりずっと若く、美しい彼女は生まれてきたばかりのパトリシア嬢に頬ずりした。
愛おしくて堪らないといった表情を浮かべながら。
『私は貴方が居るだけで、幸せよ。これから、どんな子に成長するかは分からないけど────いつも笑顔で居てくれるといいな』
おくるみに包まれてスヤスヤと眠るパトリシア嬢を見つめ、公爵夫人は柔らかく微笑む。
今ある幸せを噛み締めるように。
────と、ここで過去の回想は終わった。
「これに懲りたら、無駄な反抗はやめることだね。もっと自分の立場や状況を客観視して、恵まれていることに気づいて。それで『自分は愛されている』と自覚したら、親孝行に励みなよ」
なんだかんだ言いながら優しいヴァルテンは、お節介を焼く。
顔には、『面倒臭い』とハッキリ書かれているけども。
パトリシア嬢は良くも悪くも子供っぽいから、放っておけないんでしょうね。
『こう見えて子供好きだから』と肩を竦め、私は号泣するパトリシア嬢を視界に捉えた。
『愛されている自信がなくて、今まで不安だったのね』と彼女の心情を察し、少しだけ哀れむ。
まあ、それにしたって反抗の仕方があまりにも不器用で的外れだが……。
「あぁ、それと────付き合う人間はちゃんと選んだ方がいいよ。君は無駄に素直で流されやすいから。悪い人にすぐ感化されちゃう」
『危なっかしい』と言い、ヴァルテンはパトリシア嬢の欠点を指摘した。
が、彼の視線は彼女じゃなくて────トラヴィス殿下に向けられている。
事の発端……いや、元凶は殿下だと考えているのか、少しばかり空気が重くなった。
まあ、いくら公爵令嬢といえど、ここまで大掛かりなことは出来ないからね。
猪突猛進タイプのパトリシア嬢となれば、尚更。
恐らく、彼女はただ唆されただけだと思われる。
本件の発起人は間違いなく、トラヴィス殿下ね。
『計画の内容はお粗末だけど』と溜め息を零す中、ヴァルテンはパライバトルマリンの瞳に侮蔑を滲ませる。
と同時に、ふわりと宙へ浮いた。
「私は悪人じゃない。国のために動いただけだ────とでも言いたげな顔だねー」
トラヴィス殿下と目線を合わせ、ヴァルテンは真正面から顔を覗き込む。
すると、トラヴィス殿下はパライバトルマリンの瞳を負けじと見つめ返した。
どうやら、自分の行いに『正しい事をやった』という確信を持っているようで、全く悪びれない。
『だから、なんだ!』と言わんばかりに開き直り、堂々としていた。
「君の目は随分と曇っているようだねー。一体、何を見てきたのやら……こんな奴が皇太子なんて、世も末だよー」
やれやれと頭を振り、ヴァルテンは『国民が可哀想』と嘆く。
『何が言いたい……』とでも言うように顔を顰めるトラヴィス殿下の前で、ヴァルテンは小さく笑った。
「『国のため』を免罪符にするなら、この結果もちゃーんと受け止めてねー」
そう言うが早いか、ヴァルテンはトラヴィス殿下の額を思い切り押す。
その反動で殿下は後ろへ倒れ、尻餅をついた。
と同時に、何かの映像が目に……いや、頭に飛び込んでくる。
トラヴィス殿下が目の前に居るヴァルテンを無視して、半ば強引に私を拘束するシーン。
神殿の反対を押し切って、私を断罪するシーン。
神殿や国民と対立し、戦争へ発展するシーン。
互いの領域に干渉しないことを条件に、一応神殿と和解が成立するものの、他国の侵略を受けて帝国が滅ぶシーン。
────などなど……帝国の悲惨な末路が、細切れに見えた。
これは……これから起こる未来?
脳裏を駆け巡る断片的な情報を繋ぎ合わせ、私は一つの結論へ至る。
あくまで未来のことなので、本当にこうなるかどうかは分からないが……妙に生々しく感じた。
全部、ヴァルテンの妄想だと一蹴出来ないくらいには。
そう感じたのは、私だけじゃなかったようで……トラヴィス殿下も、騎士達もびっしょり汗を掻いている。
悪い夢でも見たかのように、震えながら。
「国のために動いたのに逆効果どころか、破滅だなんて……とんだ、皮肉だよねー」
「っ……!」
「まあ、今見たものをどう受け止めるかは自由だけど、よーく考えることだねー」
頭を抱え込み苦悶するトラヴィス殿下に、ヴァルテンは追い討ちを掛ける。
『もっと色んな角度から物事を見るように』という助言を添えて。
『自分の出来ることはここまでだ』と宙に浮いたまま後ろへ下がるヴァルテンを見届け、私は前へ出る。
ここから先のことは、当事者である私がやるべきだから。
「何故、私を断罪することにここまで拘っているのか分からないけど、もし少しでも迷いがあるならやめた方がいいわ。先程見た映像の通りになるとは限らないけど、神殿と皇室の対立は確実に国民の首を締めることになるから」
『本末転倒』ということを強調しながら、私は正論を口にした。
ぐうの音も出ない様子で俯くトラヴィス殿下を前に、私はそっと膝を折る。
「一番守らなきゃいけない存在が、苦しむ羽目になるのは嫌でしょう?」
優しく諭すような口調でそう言い、私はにこやかに笑った。
相手の緊張を解すように。
「貴方の見据えるべき未来は何なのか、今一度よく考えて。国のために今すべきことは、何?」
両膝に手を置き、私はコテンと首を傾げる。
すると、トラヴィス殿下はピクッと反応を示した。
「私という存在を排除して、この国は……民は幸せになるのかしら?貴方の自己満足で終わる予感しかしないのだけれど」
子供っぽい言動から一変、私はわざと意地の悪い言動を取る。
相手の心を揺さぶるために。
核心をつかれて固まるトラヴィス殿下を前に、私はスクッと立ち上がった。
腰まである茶髪を手で払い、ゆるりと口角を上げる。
「美しい言葉でどんなに着飾っても、本音は隠し切れないものよ」
『いい加減、誤魔化すのはやめなさい』と述べ、私は半ば強引にトラヴィス殿下の心を剥き出しにした。
建前という名の壁を失った彼は、自分の汚い部分と対面し……戦慄する。
見たくもなかった現実を直視し、ショックを受けているようだ。
悲壮感にも似た雰囲気を放ちながらそろそろと顔を上げ、こちらを見つめる。
悔しそうな……でも、どこか縋るような眼差しを前に、私はニッコリと微笑んだ。
「現状、貴方の行動を正当化することは不可能よ。それでもこの茶番を続ける気なら付き合うけど、どうする?」
『幕引きくらい、自分でやりなさい』と突き放し、私は決して助け船を出さなかった。
きっと、彼は自分の面子を守りながらも退くしかない状況に変えてほしかったんだろうが……それはあまりにも虫が良すぎる。
『私がそこまでやる義理はない』と跳ね除けると、トラヴィス殿下は顔を歪めた。
────が、自分の蒔いた種であることは重々承知の上なので逆上することなく、こちらの返答を受け入れる。
そして、
『申し訳なかった』
と口の動きで伝え、項垂れるようにして頭を下げた。
これを合図に、後ろで待機していた騎士達も謝意を示し、パトリシア嬢や神官達がそれに続く。
全面降伏する姿勢を見せた彼らに、私は一先ずお引き取り願う。
まだ聖女としての役割が残っていたし、何より────教皇聖下や皇帝陛下の意見を仰がなければ、ならなかったから。
さすがに私の一存で公爵令嬢と皇太子を裁く訳には、いかないもの。
だから、保留が妥当。
────と判断し、後始末に追われること一ヶ月……私は以前の日常を取り戻しつつあった。
と言っても、変わった点はたくさんあるが。
いつものように神殿本部の廊下を歩く私は、あちこちから向けられる尊敬の眼差しに苦笑する。
実はヴァルテンを地上に降臨させたことが、どこかから漏れてしまったらしいの。
まあ、元々どこかのタイミングで言うつもりだったから構わないんだけどね。
教皇聖下に『信徒や神官が神聖力を受け入れるまで、発表は待ちなさい』と言われて、ひた隠しにしていただけだから。
『予定が前倒しになった』程度の認識しかないため、私は周囲の視線をスルーした。
────と、ここで後ろから声を掛けられる。
「せ、聖女……様!」
取って付けたような敬称に、私は『まだ慣れていないみたいね』と思いつつ、後ろを振り返る。
すると、そこには────シスター服を身に纏うパトリシア嬢の姿があった。
「こ、これ……どうぞ」
おずおずといった様子で手に持った書類を差し出し、パトリシア嬢は控えめにこちらを見つめる。
未だに新生活に慣れないのか、終始ソワソワとしていて落ち着きがない。
でも、不快感や嫌悪感といった拒絶反応は見せなかった。
────実家を勘当され、修道院送りになったというのに。
理由はもちろん、聖女に濡れ衣を着せようとしたから。
一見すると、厳しい罰を受けたように見えるが────本人は泣いたり、喚いたりもせず働いている。
むしろ、公爵令嬢だった頃より活き活きしているくらいだ。
きっと、人に感謝されたり褒められたりするのが嬉しくてしょうがないのだろう。
『ある意味、天職かもしれないわね』と思いつつ、私は書類を受け取る。
「ありがとう」
「う、うん……!じゃなくて、どういたしまして……!」
頬を赤く染めながら返事するパトリシア嬢は、とにかく一生懸命だった。
『言葉遣いって、難しい……』と下を向き、悶々とする。
そんな彼女のもとに────一人の神官が駆け寄ってきた。
「パトリシアさん、お客様がお見えですよ」
「えっ?あっ、はい!今、行きます!」
ハッとしたように顔を上げ、パトリシア嬢は慌てて居住まいを正す。
そして、私に『失礼します!』と挨拶すると、呼びに来た神官の後ろをついていった。
この時間帯のお客様となると────公爵夫人かしら?
パトリシア嬢と絶縁した筈の人物を脳裏に思い浮かべながら、私は彼女の背中を見送る。
実はここだけの話────勘当なんて名ばかりで、公爵夫人をはじめとするキートン家の者達が度々面会に来ていた。
やはり、末娘の様子が気になるようだ。
ちょっと対応が甘い気もするが、家族との対話はパトリシア嬢にいい影響を及ぼしているため黙認している。
下手に制限すると、後で拗れる可能性もあるので。
『ここが落とし所かな』と肩を竦め、私は受け取った書類に目を通した。
あら、私の糾弾に手を貸した神官達は結局見習いに降格されたのね。
一時は破門騒ぎにまで発展したけど、更生を促す形に落ち着いたみたい。
聖下らしい考えで、いいと思うわ。
『今頃、ヒーヒー言いながら修行に励んでいるでしょうね』と笑い、私は書類を折り畳む。
彼らが初心を取り戻しているよう願いつつ、ポケットに書類を仕舞った。
おもむろに視線を前に戻し、歩き出す私は渡り廊下を通る。
そこで何となく中庭へ視線を向けると─────剣術の訓練に励むトラヴィス殿下を捉えた。
一心不乱に剣を振り回す彼は、汚名返上の機会を狙っているように見える。
というのも、例の一件で皇位継承権を剥奪されてしまったから。
まあ、神殿との対立によって受ける被害を考えると、当然の結果なんだが……。
だからと言って、聖騎士見習いにさせる意味が分からない。
皇帝陛下曰く、トラヴィス殿下の見聞を広めるためらしいが……こちらとしてはいい迷惑だ。
『皇室で、他の役職をあてがえばいいものを……』と恨めしく思い、肩を落とす。
今回ばかりは、神殿の『来る者拒まず、去る者追わず』というシステムを呪うしかないわね。
まあ、私の予想に反して大人しいから、まだいいけど……どうやら、ヴァルテンの見せた未来に相当ショックを受けたみたい。
あと、自分の指示で動かした騎士達が減俸処分を受けて責任を感じているようだわ。
皇帝陛下は『もっと重い罰でもいいくらいだ』と言っていたけど……。
上からの命令とはいえ、国を守護する立場の者達が思考停止して悪事に加担するようでは困るから、と。
『命令の意図をしっかり考えるよう教育する』と言っていた皇帝陛下を思い出し、私は苦笑する。
その瞬間────トラヴィス殿下と目が合った。
かと思えば、軽く会釈される。
勘当されたパトリシア嬢と違い、一応皇族のままなので微妙な対応になったようだ。
一旦素振りをやめる彼の前で、私も足を止める。
「鍛錬、お疲れ様」
私は渡り廊下の手すりにそっと触れ、体の向きを変えると、トラヴィス殿下に向かい合った。
「神殿に来てからかれこれ一ヶ月経つけど、調子はどうかしら?」
「意外といい……かな?国のことで頭がいっぱいだった頃と違って、無心になれるから……思い切り体を動かせるのも、いいね」
「そう。元気に過ごしているようで、良かったわ。一応、皇族の身柄を預かっている立場だから」
『貴方の身に何かあったら大変』と語る私に、トラヴィス殿下はどこか複雑な表情を浮かべる。
「預かっている、ね……私はもうこのまま、神殿に骨を埋めてもいいと思っているけど」
おもむろに前髪を掻き上げるトラヴィス殿下は、微かに笑って肩を竦めた。
青々とした空を見上げる彼の前で、私は頭を振る。
「冗談はやめてちょうだい」
「冗談じゃないさ。私はここ一ヶ月、神殿で過ごしてみて自分が如何に狭い世界で暮らしてきたのかよく分かった。それと同時に────自分は人の上に立つ器じゃないと痛感したよ」
皇帝として生きていく人生を諦めたにも拘わらず、トラヴィス殿下はどこかスッキリした様子。
憑き物が落ちたように大人しい彼を前に、私は首を捻る。
「どういう意味?」
何故そういう結論になったのか……途中経過が見えて来ず、直球で質問を投げ掛けた。
すると、トラヴィス殿下はこちらへ視線を向ける。
皇族の象徴たる黄金の瞳は非常に澄んでおり、穏やかな光を宿していた。
「あの騒ぎ、まだ覚えているだろう?」
「もちろん」
間髪容れずに頷くと、トラヴィス殿下は少し笑ってそっと目を伏せた。
己の行いを恥じるように。
「オリアナ、私はね────神聖力を通して神殿が影響力を増し、皇室に楯突くんじゃないかと警戒していたんだ。だから、どうにかして神殿の勢力を削ごうと考えた」
一切誤魔化すことなく自分の本音を明かし、トラヴィス殿下は『愚かだろう?』と自嘲する。
そんな彼を前に、私は目を見開いて固まった────が、直ぐに正気を取り戻す。
「じゃあ、神聖力をインチキだと言ったのも、私を断罪しようとしたのも神殿の勢力拡大を防ぐため?」
「ああ。でも、実際のところ神殿は弱者を手助けするだけで、皇室に楯突くことも政治に介入することもなかった。今まで通り中立の立場を守り、神の教えを守っているだけ。神聖力の行使によって、高まった人気や勢力を悪用なんてしなかった」
ギュッと手を強く握り締め、トラヴィス殿下は苦しげに顔を歪めた。
「結局のところ、全て私の勘違いだった訳だ。神殿に身を置いて、それがよく分かった」
言動の端々に後悔を滲ませるトラヴィス殿下は、『私の心が弱かったばかりに……』と嘆く。
なるほど。全ての始まりは、トラヴィスの疑心暗鬼からくる暴走だったのね。
やっていることが極端すぎるけど、気持ちは分かるわ。
『神殿が力をつけすぎると、厄介だものね』と理解を示す中、トラヴィス殿下は自身の手を見下ろす。
「他人を信頼出来ず、周囲を振り回すような私に人を導くことは出来ない。だから、聖騎士となり、神殿を守る人生も悪くないと思ったんだ」
『また同じ過ちを繰り返すかもしれない』と不安になっているのか、トラヴィス殿下は随分と弱気だった。
すっかり自信を失った様子の彼に、私はやれやれと肩を竦める。
別にこのまま放置してもいいが、辛気臭いのは苦手なので少しばかり心を砕くことにした。
「自分の実力不足を嘆くのは、まだ早いと思うわ。だって、人は成長する生き物なのだから────まあ、それでも貴方が『聖騎士になりたい』と言うのなら、構わないけど」
『消去法ではなく、自分の意志で歩むべき道を決めなさい』と言い、私は手すりから離れる。
この期に及んで建前を大事にする彼の習性に半ば呆れつつ、目的地へ足を向けた。
「貴方の人生なんだから、好きにするといいわ」
責任のある立場から外され、良くも悪くも自由になった彼に、私は選択の余地を与える。
『もっと悩んでもいいのよ』というメッセージを添えて。
どうも、彼は生き急いでいるようにしか見えないから。
『焦って決断してもいいことはないのに』と肩を竦め、私は再び歩き出す。
すると、後ろから────
「あ、ありがとう……!もっと、よく考えてみるよ!」
────どこか弾んだ声で、トラヴィス殿下が返事した。
それに片手を挙げて応じ、私は目的地へ向かう。
『そろそろ、約束の時間ね』と思いながら早足に廊下を進み、何とか聖女専用の祈祷室に辿り着いた。
相変わらず殺風景な空間を一瞥し、扉を閉める。
毎日のお勤めとしてまず室内を浄化し、綺麗にすると、石像へ近づいた。
一ヶ月ほど前にヴァルテンが降臨してから微妙に立ち位置の違うソレを、私はじっと見つめる。
そして、おもむろに膝をついた。
いつものように両手を組み、お祈りを捧げる。
すると、直ぐに────あちら側へ繋がった。
『オリアナー。聞こえるー?』
聴覚ではなく、脳に直接語り掛けてくる形でヴァルテンの声が響く。
というのも、互いの意識を紐のように結びつけている状態だから。
またあの時のようにヴァルテンを地上へ降臨させても良かったが、こちらは供物を必要としないためお手軽だった。
ちなみに神聖力をチャージする際も、この方法を用いている。
『ええ、聞こえるわ。待たせてしまって、ごめんなさいね』
心の中で呟くようにして、約束の時間ギリギリになってしまったことを詫びた。
普段はもう少し早く意識を繋げられているから。
『約束の時間には間に合っているんだし、気にしないでー。色んな人に呼び止められていたのも、知っているからー』
『あら、ずっと見ていたの?それじゃあ、今日報告することはなさそうね』
開始早々お開きの雰囲気を漂わせる私に、ヴァルテンは不満の声を上げる。
『えー。もうちょっと話そうよー。この時間が唯一の癒しなのにー』
『そう言われても……話すことがないじゃない』
毎日お祈り……という名の対話を繰り広げているため、話題がなかった。
『過去の思い出話も、ほぼ話し尽くしたし』と思案する中、ヴァルテンは小さく唸る。
そして暫し沈黙すると、何かを閃いたかのように『あっ!』と声を上げた。
『じゃあ、オリアナの人生設計でも話してよー』
単なる雑談にしてはちょっと重い話題を振り、ヴァルテンは『早く早く』と急かす。
『未来の話なんて、珍しいわね』と心の中で呟く私は、少しばかり頭を捻った。
『そうね……とりあえず限界まで聖女として働いて、余生は小さな田舎街で過ごしたいわ。都会には、どうも馴染めないから』
『ふーん。じゃあ、結婚はしないのー?人間にとって、男女の契りを交わすことは重要だって聞いたけどー』
結婚関係の願いもよく聞いているからか、ヴァルテンは『一生独身でいいの?』と尋ねてきた。
結婚の仕組みなどはイマイチよく分かっていないものの、人生を左右する事柄であることは理解しているらしい。
『そうね、多分結婚はしないと思う。誰かと愛を育む時間も、気力もないから』
結婚願望皆無であることを説明し、私は小さく肩を竦める。
一般女性であれば、生涯独身なんて許されないだろうが、さいわい私は聖職者だから。
結婚禁止ではないものの、神に捧げる筈の身体を他人に許すのはよく思われないため、未婚のままでも……いや、未婚のままの方が好意的に見られやすかった。
それに結婚するとなったら、各方面へお伺いを立てなきゃいけないし……相手によっては、権力争いへ発展するから。
聖女という肩書きは、それほど重いのだ。
『最悪、神殿を去らなきゃいけないかも』と懸念する中、ヴァルテンは何故か上機嫌になる。
『えへへ、そっかー。結婚しないんだー。じゃあ、清らかなまま僕のところへ来れるねー』
喜びを隠し切れない様子で、ヴァルテンは声を弾ませた。
今頃、満面の笑みを浮かべているに違いない。
『……こうも喜ばれると、結婚したくなるわね』
『えっ!?ダメダメ!オリアナは結婚禁止!』
ほんの冗談のつもりで言ったセリフに、ヴァルテンは大袈裟なくらい反応を示した。
慌てふためく彼を前に、私はクスリと笑みを漏らす。
もうちょっと意地悪したいな、と考えながら。
『あら、どうして?』
『そ、それはえっと……』
『私にだって、温かい家庭を築き上げる権利はあるでしょう?』
『う、うん……そうだね……でも、オリアナは聖女でしょ?』
出来るだけ平静を装って反論するヴァルテンに、私はニッコリと微笑んだ。
『聖女は結婚しちゃいけない決まりなんて、ないわよ?』
『うっ……』
『実際、歴代聖女の中には結婚した人も居るし』
『っ……!』
実例を引き合いに出されて返す言葉がなくなったのか、ヴァルテンは押し黙った。
今頃必死に思考を回しているであろう彼に、私は追い討ちを掛ける。
『私も素敵な殿方と結ばれて、幸せになりたいわ』
結婚=幸福なんてちっとも思っていないが、敢えてその価値観を前面に出した。
すると、
『わ、分かった!どうしても、結婚したいなら────僕としよう……!』
ヴァルテンは勢い余って、とんでもないことを口走る。
あまりにも予想外の返答に、私は思わず吹き出した。
久々に声を上げて笑いながら、組んだままの両手に顔を埋める。
『プロポーズ、ありがとう。でも、さっきの発言は全部冗談よ』
結婚願望がないことを再度伝え、私は『からかって、ごめんね』と謝った。
────が、相手は無反応。
さすがにやり過ぎたかと思い、私は慌てて居住まいを正す。
そして、平身低頭謝罪しようとした瞬間────
『僕は結構本気で結婚したいと思っているんだけど』
────と、どこか拗ねたような口調でヴァルテンは言った。
『これでも、真剣にプロポーズしたつもり』と主張する彼に対し、私は目を見開く。
ヴァルテンのことだから、自分の玩具を取られたくない一心で反抗したのかと思っていた……。
でも、そうじゃないのね。
ヴァルテンの気持ちを見誤っていたことに気づき、私は浮き立つような……むず痒いような不思議な感覚に陥る。
自分でも分かるほど熱を持つ頬と大きく鳴る鼓動に羞恥心を覚えながら、俯いた。
『私が私じゃないみたい』と不安になるものの、何故か嫌悪感はない。
むしろ、『悪くない』とすら思える。
『……ちょっと考えさせて』
そう言うものの、答えは既に出ていて……ただ覚悟を決めるための時間が欲しいだけだった。
────だって、『私も好きよ』と伝えるのは凄く勇気が要るから。
『あともう少しだけ待ってて、ヴァルテン』と思いつつ、私はキュッと唇を引き結んだ。