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【この発言は、ウザさ100%だ】

 六月の朝の空気は、ひんやりとして心地よい。

 島の中心部を目指して急こう配の県道を登っていると、右手側に海が見えた。穏やかな海に時折おこる飛沫(しぶき)が、朝焼けの景色に白く彩りを添えていた。


「綺麗」


 ガードレール越しに漏れる感嘆。

 島の住人なのだから、別段、海なんて珍しくもない。

 でも、と小さく息を呑んだ。この海は全く違う。

 海は、くすんだ空の色を映して深く沈み、けれど、雲間から差し込んだ光が、海の表層を綺麗な青に染めていた。濃く、しかし透明感のある青に、いったいどんな言葉を与えたら適切なのか。紺碧(こんぺき)か。それとも青藍(せいらん)か。貧相な私の語彙力ではうまく表現できないけれど、南国に住んでいる鳥ならば、きっとあんな色をしているのだろう。


「早朝の海って、あんま見ることないからな」

「うん」


 都くんが自転車を止めたので、つられて私も漕ぐのを止めた。


「日の出とともに、一日がまた始まる。一日ってさ、長いようで案外短い。こうして、光莉と並んで朝の海を眺めている今も、今しかないんだよね。だからさ、一分一秒を大切に、悔いのないように生きなくちゃならない」


「青春みたいだね」とからかうと、「実際青春だよ」と都くんがくすりと笑んだ。


「願い事をするだけならさ、別に今日じゃなくても良かったわけじゃん? それでも今日にこだわったのは、やっぱり願い事の成就を確実なものにしたかったから?」


 概ね、そういう話かな、と思う。でも同時に、それが第一じゃない気もした。


「願い事をしたかったというのが根底にあるのは確かね。でも、それよりもタイミングかな。十四歳になった私の誕生日って、今日しかないわけでしょ? ならばさ、今できることは全部やらなくちゃなって、そう思ったんだ。たぶん」

「なんで最後に『たぶん』なんて付けるかな。それじゃ台無しじゃん」

「あ。そっか」

「でも、時間が有限だということをよく知っている、光莉らしいね」

「そうなのかな。うん、そうかもね。後悔は、したくない」

「僕の親父もさ、光莉とまったく同じ病気だったんだ」

「え?」


 そこから始まった都くんの昔話は、私を驚嘆させるのに充分だった。

 彼のお父さんも、QT延長症候群だったこと。病を患っている事実に、側にいながら気づけなかった無念を抱えていたことを、この日初めて私は知った。


「そんなことがあったんだ」


 というか、これまで疑問だったことが、色々線で繋がった。


「誰が悪かった、というわけでもないんだろう。それでも、やっぱり後悔してしまうんだ。あの時、ああしていたら。あの時、気づいていたらって。……だからさ、今を大事にしたいという光莉の気持ち、よくわかるよ」


 それとなく、彼が私を気遣ってくれる理由(わけ)も。今日、なぜ着いてきてくれたのかも。全部わかった。都くんは、私を通して、きっと父親の姿を見ていたんだ。

 私の体の中に、病が巣くっていることは確かに不幸だ。けど、この爆弾の存在によって、繋がった(えにし)が確かにあるんだと改めて自覚する。私は色んな人に支えられて、生かされているのだ。


「都くんも苦労したんだねえ」

「だからかなあ」


 それは、話の筋が繋がらない呟きだった。


「ん、何が?」

「僕ってさあ、親の愛情を知らずに育った子どもの特徴が、色々出ているらしいんだよね」

「そうかな? たとえばどんなの?」

「頑張って、一芸に秀でようとする。頑張って、悪さをして目立とうとする。悩んでいる人の愚痴を聞いて、慰めようとする。お道化たフリをして、緊張した空気を和らげようとする」

「ああ」


 心当たりはあった。色々と。


「確かに気を引きたがる行動ってあるし、いくつか該当してるかも。そっか。うふふ。案外承認欲求が強いタイプなんだね。でも、そんなの誰でも持っている感情なんだし別にいいじゃない?」

「そうかなあ。だといいんだけど。なんか、無理をしてるって時々言われるからさ」


 さもありなん、と思った。


「私の目でみたら、都くんは優しきムードメーカーだよ。気配りができることは間違いないし。でも」

「でも?」

「承認欲求をこじらせて、自己否定にだけは繋げちゃダメだよ」

「それも指摘されたことある」

「親の愛を知らずに育った都くんと、神様に愛されていない私。どっちが幸せなのかなあ」

「どっちもあんまり幸せそうじゃないね」

「ハハ。確かに」


「さて、行こっか」と会話を切り上げようとした矢先、「で? 光莉は結局何を願うの?」と訊かれる。このままはぐらかす算段だったのに、やっぱりダメか。ちょっとばかり、話を引っ張りすぎたみたい。


「仰々しく覚悟を決めて行くんだしさ、何を願うか決めてるんでしょ? やっぱり――」

「病気のことじゃないよ」

「あれ、違うの?」


 それは意外そうな声で。

 

「うん。病気を治したいのは山々だけど、今はひとまずいいかなって。それは欠点ではなく個性のひとつ。憎むより、うまく付き合っていく方法を考えたらいいじゃない、って真人くんが言ってくれたから」


「へー。アイツそんなことを」と感心したように都くんが呟いた。「でも」と今度は首を傾げる。


「じゃあ、いったい何を願うのさ?」

「んー……」


 こみあげてくる羞恥が邪魔して返答に詰まる。しかし、ここで言わないのはやっぱ卑怯だなって思う。

 利用した上に騙すのは心苦しい。


「いい恋ができますようにって」

「結局、真人じゃん」

「まあね。そゆこと」


 突然のカミングアウト。突然の恋バナ。だけど、都くんは別段驚いたりはしない。そもそも彼は、私の恋情に気づいているのだし。

 いつから真人くんを好きになったのか。きっかけはよく覚えていない。小学生のとき、私が学校で発作を起こしたあの日、保健室まで運んでくれたのが真人くんだったからかもしれない。スポーツ万能なところとか、明るくて物怖じしない性格とか、誰に対しても分け隔てなく接するところとか、自分にないもののすべてを持っている彼に、気がつけば私は惹かれていた。彼が好きだと痛烈に感じたあの日、ことん、って何かがピタリと嵌まった、そんな気がしたんだ。

 それなのに、私は都くんとの関係を疑われている節がある。

 都くんは面倒見が良い性格で、私には特に優しくしてくれる。私も私で、彼にたびたび甘えてしまう。それが原因なのはわかっている。『恥ずかしい』とか、『気持ちを知られたくない』と思ってしまう私の弱さが相まって、真人くんをなんとなく避けてしまうのだから尚更だ。

 この誤解は、いつか解かなくちゃな。

 見方を変えると、私と都くんの関係は『傷のなめ合い』に近い。

 彼の過去を知り、私に優しくしてくれる理由を知った今、特にそう思う。

 悪いのは都くんじゃない。好意に甘えてしまう、弱い自分なんだ。

 ちゃんとしなくちゃ、私。

 独り立ちしなくちゃ、私。


「そんなもん。当たって砕けろの精神で挑んだら、たぶんあっさり叶うのに」

「そうかなあ?」

「どうしてそんなに、自分に自信がないの?」

「だってさ、私見ちゃったんだよね。真人くんと涼子ちゃんがキスしているとこ」

「どこで?」

「学校の中庭」


 あちゃあ、とでも言いたげな顔で、都くんが天を仰いだ。

「なるほど。それで願掛けなのか」とどこか諦めた口調で言い、彼は自転車を再び走らせた。慌てて私もあとを追う。

「鈍感」という呟きが、風に乗って流れてきた――ような気がした。


「結局、光莉はどうしたいの? 告白して、真人と付き合いたいの?」

「うん」


 改めて口にするとなんとも気恥ずかしい。でも、ここで誤魔化したくなかった。

 心臓がこんなだからイマイチ自信がないけれど、とは言わなかった。きっとこれは卑屈な発言だから。ウザさ100%だ。


「わかった。協力するよ。ああ、それからさ。誕生日にするおまじないって、他にも結構あるんだぜ」

「そうなの?」

「うん。たとえば、好きな人の誕生日に、前髪を切る奴とか」

「これ以上切ったら、ぱっつんになっちゃうよ」


 私の前髪はわりと短めだ。切りすぎると、ちょっと前に流行ったアイドルみたいになっちゃいそう。


「切る長さや量は、少しでいいんだってさ。好きな人と両想いになりたい! って、強く念じるのがコツなんだって」

「へえ」と言ってから気がついた。「それ、相手の誕生日にやるおまじないじゃん。いま使えないよ……」


 あれ? と勘違いに気づいた彼が笑うと、私もつられて笑った。

 なぜだろう。都くんとは自然に話をすることができる。一緒にいると心地よいっていうか。私、都くんを好きになったほうが幸せになれるんじゃないかなって時々そう思う。都くんを好きになりたい。なれたら――いいのに。

 その後は無言で自転車を漕いだ。

 空は少しずつ、雲が厚くなっていた。

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