9. 19歳と23歳
年が明けてしばらくして俺がいつも通り仕事終わりに飲んでいると、マルシーが後からきて言った。
「ミカが珍しく寝込んでるらしいな。」
「え、あいつが?」
体が丈夫なことだけが取柄のミカが?
「うん、診療所に医者しかいなくて全然順番が回ってこないんだと。先輩が愚痴ってた。」
「それ、いつから?」
「昨日?かな? よく知らないけど。昔は鼻水垂らしながらでも走り回ってたけどな。ミカもちょっとは成長したんかね。」
マルシーは笑っているが俺は心配になった。ミカは少々しんどくてもそれを言わない。自分の母親が死んだときだって人前では泣かなかったぐらいだ。明日は日曜日だし、教室の帰りに見舞いにでも行ってみようと思った。
日曜日の夕方、ミカの家を訪ねるとミカの親父が出迎えてくれた。
「おおダリッチ、久しぶりだなあ。大きくなって。」
「いつと比べてんだよ・・・ミカは?」
「部屋で寝てるよ。具合が悪いんだと。」
半信半疑だったが本当に寝込んでいるらしい。
「え、大丈夫なの?」
「わからん・・・この間夜中に帰ってきてな。・・・なんかあったのかもしれんなぁ。」
親父さんはため息をついて俺の肩を叩いた。
「悪いがちょっと話聞いてやってくれよ。」
「え、俺でいいの?」
「俺には話さないんだから仕方ないさ。弟になら話す気になるかもしれんしな。」
「誰が弟だよ・・・わかった。」
頷くと親父さんはそのまま家を出て行ってしまった。この家は親父さんとミカの二人暮らしなので、俺とミカが二人きりになったことになる。完全に俺を弟か何かだと思ってやがる。まあ、似たようなもんだけど。
「ミカ、入るよ?」
扉の前でノックしたが中から返事はなかった。
「ミカ?」
心配になって扉を開けるとベッドの上から身を起こしてミカがこちらを睨んでいた。
「あんたさあ・・・いいよって言われてから入りなさいよ。」
「だって返事がなかったから。」
「返事する前に開けるなって言ってるの!」
なんだ元気そうじゃないかと思いながら部屋に入る。ここに来るのは何年ぶりだろう。なんだか以前とは違って女の子の部屋みたいで居心地が悪い。取り合えず床の敷物の上に胡坐をかいた。
「具合悪いの?」
「・・・まあね。」
見たところ外傷はない。熱がある風にも見えなかった。
「なんかあったの?」
ミカは俯いて答えなかった。
「さっき親父さんがミカが夜中に帰ってきたって言ってた。彼氏でもできたの?」
ミカは黙って首を振った。
「だよな。夜中うろつくタイプじゃないよな。何があった?」
「・・・ちょっと頭が痛くて・・・診療所で眠っちゃったみたい。それで気が付いたら夜中だったってだけ。」
「医者は何してたの?」
「目が覚めた時にはいなかった。」
「病人置いて帰ったの? ふざけた医者だな。」
ミカは両手を握りしめたまま黙った。
「それで? お前がその程度のことで何日も休むわけないだろ。何があった?」
「わからない・・・その日は朝から頭が痛くて、それに気付いた先生が薬をくれたの。いつも患者さんに渡してる薬。眠くなるから寝る前に飲んでねっていって渡してる薬なんだけど、私は早く治したくて診療所にいる時に飲んだの。まだやる事あったし・・・そのあと急激に眠くなって、気が付いたら診療所のベッドに寝かされてた。ただ・・・」
ミカが言い淀んで自分の胸元を押さえた。
「ただ?」
「ただ、服のボタンが、とれてただけ・・・」
瞬間的に頭に血が上った。今すぐ医者をぶん殴りに行きたかったが深呼吸して我慢する。ミカが少しだけ笑った。
「たぶんダリッチが考えてるようなことはないよ? でも・・・気持ち悪いじゃない?」
気持ち悪い。ああ、確かに気持ち悪いなあの男! 俺はこぶしを握った。
「本当にわからないんだ。ただ急に眠っちゃったからベッドに寝かせてくれただけかもしれないし、寝る前に飲む薬を起きてる時に飲んじゃった私もよくないし・・・」
「それぐらい別にいいだろ!」
思わず怒鳴ってしまい慌てて謝った。
「っていうかなんだよその薬。そんなすぐ気を失う薬って危なくないか!?」
「うーん、前に患者さんの家族からあの薬はよく効くけど、死んだみたい眠るから心配になるって言われたことはある。でも先生はそういうものだって・・・」
確かに重病人にはいいかもしれないが普通はダメだろ。
「・・・やっぱりあいつは追い返そう。王都なら医者なんて一杯いるだろ。」
「それはちょっと・・・真面目な人だよ? たぶん今日も一人で薬作ってると思う。全然休まないんだ。」
「おまえ、自分が何されたかわかってんの?」
「別に・・・何もされてないかもしれないじゃない。」
ミカが目を伏せた。
「はあ? 意識不明の女のボタン飛ばして何もしてない? そんな男いるかよ!」
「いるかもしれないじゃない! 全員あんたみたいだと思わないで!」
「男はみんな一緒だよ!」
怒鳴り返すとミカの目に涙が浮かんだ。
「わかんないんだって・・・覚えてないんだもん。何もなかったことにしたいじゃない・・・」
「・・・ごめん」
泣き出したミカの背をさすろうとして止めた。俺たちはもう子どもじゃない。すすり泣くミカの前でなすすべなくぼんやりしていると、しばらくしてミカがわざとらしい大声を出した。
「あー泣いたらスッキリしちゃった。もう大丈夫、明日からは仕事行くし。」
「・・・大丈夫なのかよ。」
「うん・・・みんなはあの人のこと変人医者って呼ぶけどさ、確かに変わってるけどちゃんと患者さんのこと考えてるいいお医者様だと思うの。だから・・・大丈夫。」
無理して笑うミカに俺はもう何も言えなくなった。
「そうかよ・・・じゃあ俺帰るわ。」
「うん気を付けてね・・・ってあんた、お見舞いに来たのに花一つも持ってこなかったの?」
「お前に花なんかやってどうするんだよ?」
「私ほど花が似合う子いないけど?」
はいはいと適当に返事をして扉をしめた。別に見送られることもない、俺たちはいつもこんなものだ。こんな幼馴染の俺たちだからこそ、許せないことがある。
「絶対怪しいだろ・・・」
次の日から俺は医者の評判を聞いて回った。概ね来た時と変わらない変人っぷりだったが、意外と真面目な仕事ぶりに好感を抱く人が増えているようだ。ミカも職場に復帰し前と変わらずに仕事をしているらしい。
それとなく警備隊の副隊長になったケン兄にも相談してみたが、アダール様が選んだ人間をあまり悪く言うなと諫められた。やっぱり証拠がいるらしい。
何も掴めないまま仕事終わりにトマスと飲んでいると、マルシーがやって来た。居酒屋の大将が勝手に出してくるいつもの酒を飲んだあと顔を顰める。
「やっぱ薄いなここのは。俺はもう卒業かもな。」
「どうしたの急に?」
「昨日先輩に飲みに連れて行って貰ったんだよ。そこの酒が上手くてさぁ・・・」
「あんまデカい声でしゃべるな。大将がこっち睨んでる。」
慌ててトマスが注意するとマルシーは肩をすくめた。
「おお怖えぇ。・・・それより面白い話聞いたぞ。お前まえにあの医者がなんか怪しいっていってたろ?」
マルシーやトマスには医者が怪しいとしかいってない。二人はそれをミカに対する焼きもちだと思ってる。
「昨日人が喋ってんの聞いたんだけど、なんか飲ませると何しても起きなくなる薬があるんだって。ひょっとしたらあの変人医者が作ってんのかもよ。」
「マジかよ・・・」
「ちょっと柄の悪い連中が話してた。先輩も上に報告するって言ってたよ。先輩もこんな話初めて聞いたからって。あの変人医者が来てからってことだよな。」
そういうとマルシーはまた酒を飲んで顔を顰めた。やっぱり美味しくないらしい。
「何をしても起きない薬か・・・やりたい放題じゃん。」
トマスは面白そうに言った。「俺もそれ欲しいな。」
「やめろよ」
思った以上に言葉が鋭くなりトマスとマルシーが目を丸くする。
「冗談だって・・・まさか本当にあの医者がそんな薬作ってると思ってる?」
「わかんねーけど・・・そんな薬あっちゃ駄目だろ。」
俺の剣幕にトマスとマルシーは顔を見合し、すぐ話題を変えたが俺は聞いちゃいなかった。やっぱりあの医者は怪しい。明日すぐに報告に行こう。
次の日俺はダミーの書類を手に領主室へ向い、領主代理に直接訴えた。だが適当にあしらわれただけだった。証拠が何もないと言う。医者を締め上げたり薬を調べたりすればわかると思うが・・・やはり領主様が選んだ医者ということで、領主代理も手を出せないのかもしれない。もっと調べる必要があるなと俺はこぶしを握った。