20. 26歳、30歳
★26才 1月
年が明けた。まだ寒い時期だが仕事は忙しい。去年の各農家の収穫量と店舗の売り上げが上がってくるのでそれを元に国に提出する書類を作らなくてはいけない。加えてこの領では奥様が王都で最終チェックをするので締め切りが他の領より早かった。
「ダリッチ、ここ計算が違う。」
ハジムに言われて書類を取りに行く。最近俺は領主室で仕事していた。本来俺の仕事は法律系の文書課のはずだが、主に数字を扱っている隣の計算課がパンクしたせいだ。見よう見まねで手伝いだしたところ、俺は計算の才能があることを知った。自分でもびっくりだ。
「ここ、1じゃなくて7。」
「ええ!? わかりづら・・・」
ぼやきながら席に戻って計算し直した。早く王都に書類を送らないと奥様が見る時間が無くなる。
今日は土曜日なので他の人間は昼前に帰っていった。正直俺とハジムの二人でやった方が早いので別に文句はない。一段落ついたところで腹が減っていることに気が付いた。
「・・・腹減らない? 俺なんか買ってくるよ。」
「頼む」
ハジムはこちらを見ずに言った。俺は町に出て適当なパンを買って戻った。ハジムはまだ同じ格好で仕事をしていた。
「昼ぐらいゆっくり食べよーぜ。」
声をかけるとハジムはようやく手を止めのっそりとソファに座ってパンを食べ始めた。目が虚ろだ。頭の中でまだ計算を続けているに違いない。
「・・・ちょっと人増やしてくれないと厳しくない? なんで今いる連中三桁以上の計算出来ねえのばっかなの?」
これまではやり手のじいさんがほとんど一人でやっていたが、年齢を理由に引退してしまった。残ったのはビックリするほど使えない奴らばかりだった。
「そうだねえ・・・」
ハジムはまだぼんやりしている。今言っても聞いてないなと思い俺も黙った。先程自分でいれたお茶をすする。おいしい。
「・・・ダリッチが出世する?」
「うん?」
「きみの上司は主査だけど、主査飛び越えて領主補佐にでもなる? いや領主代理補佐かな。今は執事が兼任してるけど、ちょっと無理があるからね。」
それは物凄い出世だ。役所の中で領主、副領主の次に偉くなってしまう。
「え・・・いいんですか?」
「うん・・・僕と兄さんを除けば一番仕事してるのきみだしね。」
ハジムがお茶を啜って微笑んだ。
「お茶も上手に淹れられるようになったし。」
久しぶりに普通に笑っているのを見て感動してしまった。だいたい呆れてるんだよなこの人。
「でも俺、罪人というか、常時監視中の身ですし・・・」
「うん、だから出世してそこにずっと座ってたら? 下の階だとすぐみんな帰っちゃうでしょ。」
「・・・つまりあんたが仕事中ずっと俺を見張っててくれるっていうこと?」
ハジムはなぜか顔をしかめた。
「そう言われると嫌だな。」
自分で言いだしたくせに。
「仕方ないなー、そこまで頼まれちゃなー。俺が領主代理補佐かぁ。ハジム様の右腕じゃないですかー。」
「ダリッチうるさい。」
睨まれたのでふざけるのはやめた。でもなぁ・・・
「いやでも、反対する人は多いと思いますよ? 俺この町出身じゃないし、お情けで置いてもらってるのみんな知ってますし。」
「そうだね。きみが休みなしで働いてるのも、給料を全部副隊長に渡してるのもみんな知ってるよ。」
「・・・ケン兄にはもう渡してませんよ。受け取ってくれないから・・・あと俺、衣食住ぜんぶドーナー家にってもらってるんで別にお金要らないです。」
「労働の対価に賃金を払わないなんてことはできないよ。うちは仮にも貴族なんだから。他には欲しいものないの?」
ハジムが俺の顔を見た。何回言わせる気だ。俺が欲しいものなんて昔から一つだけだ。
「・・・知ってるくせに。」
俺が睨むとハジムは目を反らした。
「それ以外で。」
「ないよ。」
「あっそう。」
俺たちは無言で食事に戻った。たまにこの男を見てると叫びだしたくなることがある。叫んでいい加減俺を好きになれとぶん殴りたくなることがある。やらないけど。
「・・・じゃあ、誰とも結婚しないで。」
「わかった。」
意を決して言った言葉はあっさりと受け入れられた。意味がわかって承諾したのかと疑わしくなったが聞き返すのはやめた。嘘だとしても俺にそれを責める権利はない。
★26才 4月
夕方、領主室に行くとハジムの机に桜の花が飾ってあった。
「なんすかコレ。」
「さあ・・・来たらあった。誰かが気を利かせてくれたんじゃない?」
ハジムは興味なさそうに言った。こちらを見ようともしない。
そういえば王都には桜が多かったことを思い出す。この領地にも桜はあるが数は少ない。昔は花が散った後にでてくる毛虫で遊んだもんだ。木を揺らして花吹雪を作るのも好きだった。みんなに怒られたけど。
「・・・あんたに似てるなこれ。」
左の指先でそっと花弁に触ると、机にはらりと落ちた。
「・・・目おかしいんじゃないの。」
独り言のつもりだったのに返事があってびっくりした。いつもは話しかけても無視する癖になんで今日は聞いてるんだろう。
「そう? 似てるって言われない?」
「誰が言うんだよ・・・僕にピンクのお花の要素ある?」
呆れた顔で言われ考えてみたら、ハジムはピンクでもなければ儚くもなかった。
「・・・ないかもな。」
「だろうね。」
「でもあんたはきれいだよ。最初に見た時からそう思ってた。」
「最初って?」
「・・・ガキの頃。」
最初に見た時は発光している気がした。奇麗な兄弟だと思った。
「それ、兄さんだよ。僕じゃない。」
ハジムはため息交じりに言った。「ところで何の用なの?」
「あー、下もう誰もいなくなったから戸締りしようかと思って。」
「僕はもう少し用事があるから帰っていいよ。鍵は僕が閉めとく。」
「手伝いましょうか?」
「私用だからいい・・・早く帰りなさい。」
追い払われるように部屋を出た。廊下で自分の左手を見る。桜の花びらが机に落ちた時、ハジムは俺の左手を見ていた。正確には甲に残った傷跡を。
「あいつ俺のこと好きなんじゃねえの。」
独り言らしからぬ声量で言ったが、返事が帰ってくることはなかった。いつものことだ。
★26才 八月
夏だった。
夏は暑いしあまり役所ですることがない。あまりの暑さに他の職員も午前中の早いうちに仕事を終わらせ帰ってしまっていた。役所の中には俺とハジムの二人だけだった。
「アダール様は?」
「ミツコとマリアと一緒に朝から遠出してる。・・・ダリッチって兄さんには様つけるよね。」
「尊敬してるから。」
「僕は?」
「・・・愛してるよ。」
ハジムは何を言っているんだといういう顔で俺を見た。俺が真顔で見つめ返すとさっと目を反らしてしまった。
暑い。虫の声がやけに部屋に響いた。
「やる事ないし、もう帰ろうぜ。」
俺がそう言うとハジムは素直に帰り支度を始めた。
炎天下の道を並んで歩く。会話は特にない。いつも通りだ。だがその日は特別暑かった。だから普段なら決して口にしないようなことを零してしまった。
「俺、この町出ようかな。」
「・・・どこ行くの?」
「どっか。ここより涼しい所。取り合えず王都かな。」
「ここ避暑地だって知ってる? 王都はここよりもっと暑いよ。」
そうだっけ・・・? 昔住んでたけど昔過ぎて覚えてないな。
「あときみ、常時監視まだ解けてないからね。勝手に出られないと思うよ。」
いやもう誰も本気で監視してないじゃん、と思ったが面倒で黙った。
「・・・それだけ?」
俺は足を止めてハジムを見た。ハジムの足も止まる。
「何が?」
「俺にこの町にいてほしい理由。それだけ?」
ハジムが目を反らした。屋敷へと続く見通しのいい一本道は他に誰も歩いていない。こんな暑い時に外にいるなんて馬鹿だけだ。
「まあ、仕事が溜まるよね・・・」
「それだけ?」
「あと、屋敷や警備隊のみんなも寂しがるんじゃないかな。」
「それだけ?」
ハジムはひどく困った顔で俺を見た。
「何を言わせたいの?」
「俺がいないと死ぬって言って。」
「死なないからね・・・」
ハジムは苦笑する。
「じゃあ俺がいないと寂しいって言って。・・・言えよっ!!」
全部暑さのせいだ。こうしている間にも汗がしたたり落ちていく。
ハジムは困った顔をしただけだった。
全部、暑さのせいだ。




