16. 22歳と27歳②
「服、着ますよね。あの棚ですか?」
ハジムが頷いたのを見て棚を開けた。並んでいるシャツを一枚とってハジムに着せる。背中側には傷がなくてほっとする。
「・・・なんか、前より大きくなってません?」
「このシャツは私用の大きめのシャツだから。前っていつ?」
「前の、俺が火傷した時です。あの時のシャツ、返しそびれてて。」
「捨てていいのに。」
「そんな訳には・・・いえ、捨てようかと思ったんですけど、捨てられなくて。」
シャツに腕を通してもハジムが動かないので一つずつボタンをはめた。貴族って言うのは自分で服を着ないものだと聞いたことがある。
「手の甲、跡残っちゃったね。」
ハジムに言われて俺は自分の左手を擦った。
「これ、わざとなんです。治りかけの時に何回か引っ掻いて。・・・消したくなかったんです。俺にはもう、これ以外なにもないって思ったから。痛いと気が紛れたっていうか、まだ好きでいていい気がして・・・気持ち悪いでしょう? いつまでも貸したシャツ持ってるなんて。でも、捨てられなくて。」
泣きたくないのに勝手に涙が溢れてくる。なんでこの人の前だといつもこうなんだろう。
「なんでこんなに・・・自分でもわからないけど、止められなくて。あんたが、好きなんだ。」
指が震えてボタンが上手く止められなくなった。その手をハジムがすくい上げ、傷口の上に静かに口づけた。
「いいよ、好きでいても。ずっと、好きでいたらいい。」
思わず俺はハジムに抱きついた。なんでこの人はこんなこと言うんだろう。俺のことなんか全然好きじゃないくせに。なんで今更そんな酷い許可を出すんだろう。俺が死ぬからか、最後の優しさなのか。
ハジムの片腕が俺の背中にまわった。暖かさにまた泣けてくる。せっかく着替えさせたシャツが濡れてしまった。だけどいつまでもこういていたかった。
その後家で待機するように言われ帰った。数日間家で謹慎しているとマルシーが迎えに来た。訓練場で処分が言い渡されるという。最後かもしれないので何かを話そうと思ったがなにも思いつかなかった。ただ二人で黙って歩いた。
ドーナー家の訓練場には領地にいる警備隊全員が集まっていた。普段は王都にいる警備隊長までいる。全員の視線を浴びながら俺はケン兄の横に立った。ケン兄は副隊長だから代表して罰を受ける様だ。ごめんケン兄。本当にごめん。
下された罰はケン兄が減給3か月、俺は無期限の行動監視だった。
ケン兄はともかく、俺の罰は軽すぎやしないだろうか。
「え・・・それだけですか?」
思わず聞いてしまいケン兄に睨まれた。小声で黙っとけと言われたが黙っていられなかった。
「それだけだ。最終決定は領主であるアダール様がなされた。反論は認めない。」
そう言うと警備隊長と執事はどこかへ行ってしまった。すぐに周りにいた警備隊のみんなが飛びついてきた。
「良かったなぁダリッチ!」「ほんと、監視だけで済むなんて奇跡だろ!」
「ほんとほんと、俺、一生屋敷の地下牢に閉じ込められるのかと思ってた!」
「この屋敷に地下牢なんてあったっけ?」
「あるって噂だよ。」「ってか監視って誰がやんだろ?」
「どうでもいいよ! 良かったなあ!」
もみくちゃにされているとマルシーが半泣きで抱きついてきた。
「良かった・・・お前死ぬんじゃないかと思った・・・」
そう言われてやっと生きていられるらしいと実感が湧いた。
「ごめんな。」
「おい、俺にも謝れよ。子ども三人食べ盛りだってのに減給だってさ。死んじまうわ。」
ケン兄が笑いながら言った。
「ごめんケン兄。俺の全財産あげるから。」
「いや、そこまでいらねーよ。・・・良かったな。」
俺は泣きそうになりながら頷いた。良かった。本当に良かった。
俺はその後すぐに住んでいた家を引き払った。元々寝る為だけに帰っていた家だ。僅かな身の回りのものだけを持って警備隊の寮に移り住んだ。寮は領主の屋敷と同じ敷地にあった。
「え、個室でいいの?」
「元々ここは全室個室なんだよ。代わりに入口のドア外しといたから。そこの廊下は人通り多いし、俺たちが見たくないことすんなよ?」
寮長は笑いながらそう言った。思ったよりいい待遇だった。
朝は早く起きて領民の訓練を手伝う。その後自分たちの訓練をしてから俺は役所に出勤する。夕方まで仕事をしたら真っすぐ屋敷に帰ってきて、お仕着せに着替えて夜中まで屋敷の仕事を手伝う。
特にしんどいことも嫌なこともなかった。周りの人間は昔からの知り合いばかりで監視されていることも忘れてしまいそうになる。もちろん嫌がらせのように力仕事ばかり頼んでくる奴もいたが、別にそれぐらいの罰は受けるべきだと思って進んで引き受けた。
訓練場や屋敷の中で時々ハジムの姿を見かけた。最初は見る度に辛かったがすぐに慣れた。ハジムがどう思ってるのかはわからないが、少なくとも領主様は俺に生きていていいと言ってくれた。なら俺にできることはドーナー家、ドーナー領の為に働くだけだ。
両親がいなくなった今、俺をこの地に留めるのはそれしかない。
***
夏が過ぎて秋になった。俺は賑やかな広場の隅のベンチで一人で飲んでいた。今日は秋祭りだ。昔このベンチで一緒にハジムと飲んだ気がする。懐かしいような、そうでもないような。
「あれ、お前ひとり?」
酔っぱらったトマスが話しかけてきた。
「さっきまでケン兄がいたよ。その前は俺祭りの準備に走り回ってたし、ちょっと休ませてよ。」
「いや、そうじゃなくてさ・・・」
トマスは思案するような顔をしながら俺の隣に座った。
「今更なんだけど・・・あの前日、お前変な子供としゃべってなかった?」
「なんの話?」
「例の・・・お前がハジム様に魔法ぶっ放した日。」
「うーん、変な子供? 覚えてないなぁ・・・」
「そっか・・・なんかずっと引っかかっててさ。ケン兄に言っても知らないっていうし、お前はずっと周りに人がいるから聞けなくて・・・」
トマスが何を言っているのかよくわからず首を傾げた。
「その子供がどうしたの?」
「いやなんか、変だったなあって思って。あれっきり見ないし。」
「・・・迷子だったんじゃない?」
「まあ、そうかもな・・・あ、それより俺んとこ双子が生まれるかもしれない。」
トマスが話題を変えて明るい顔で言った。
「え、すごいじゃん。」
「なんかみんなスゲー同情してくるんだけど、やっぱ二人いると大変なのかな?」
「大変なんじゃないの? 知らんけど。」
「まあお前が知る訳ないか。・・・やっぱ監視中は結婚できないもんなの?」
「どうだろう。とりあえず相手がいないけど。」
しんみりしそうになった所にマルシーとミカがきた。
「なに結婚? あんたやっと結婚すんの?」
なぜかミカに馬鹿にしたように言われてムッとする。
「しねーよ。ってかお前だってまだいい年して結婚してないだろ。」
「してます。昨日届出したし。」
初めて聞く話に俺とトマスは立ち上がった。
「は? 誰と?」「なんで?」「いつの間に?」
ミカがやれやれと言う顔で首をすくめた。
「まあ、私ぐらいの美女になると男が放っておかないもんよ。」
「嘘つけ! この年まで放っとかれたくせに。」
「うるさいなあ、蹴るわよ。」
「いって! 蹴ってから言うなよ!」
俺とマルシーとミカがぎゃあぎゃあ騒いでいると、トマスが止めに入った。
「まあまあ・・・で誰と結婚したの?」
「・・・ドトール」
ミカの言葉に全員以外が顔を見合わせた。
「誰それ?」「知らん」「そんな奴いたっけ?」
「・・・あんたたちが変人医者って呼んでる人よ。」
それからはお祭り騒ぎだった。ミカはまだ家族以外に結婚のことを言っていなかったようなので、俺たちが盛大に広めた。ミカは最初怒っていたが途中から諦めたらしく一緒に笑っていた。
「よかったな、ミカ。」
バカ騒ぎした後、俺はこっそりミカに言った。
「ありがと。残りはあんただけだね。」
「俺はなー・・・無理なんじゃない?」
ミカはちょっと困った顔で笑った。
「・・・ハジムさんとはどうなったの?」
「どうもならんよ。なりようがないし。」
「嫌いになったり他の子を好きになったりしないの?」
「嫌いになる理由がないんだよなー・・・」
俺はため息交じりに言った。以前から何度も繰り返し考えているが、どう考えてもなかった。むしろこの数年、変わらなかったのはこの気持ちだけだ。
「一途って行き過ぎると馬鹿だよね。」
揶揄ってるのかと思ってミカの顔を見たが真顔だった。
「でも馬鹿なのがダリッチだから。」
「・・・褒めてんの? してんの?」
「褒めてる! あんたは一生そうしてなさいよ、バーカ!」
ミカはそう言うとどこかへ行ってしまった。なんだあいつ。
「また喧嘩か?」
ほろ酔いのケン兄が話しかけてきた。
「褒められてたらしいよ。」
「ミカっぽいなぁ・・・」
ケン兄はそう言って笑った。夜も更けてきてだんだん人が少なくなってきた。みんな家に帰るか飲み屋で飲みなおすかに別れる時間だ。
「・・・俺、結構しあわせだよ?」
ポツリと言うとケン兄は苦笑した。
「そりゃ良かったな。」
「うん・・・友達がいて、家族はいなくなったけど家族みたいに見守ってくれる人がいて、仕事もあって、給料ももらえて、寝る場所もあって・・・」
「おいおい、酔っぱらってんだろ?」
だから大丈夫だ。この先なにがあっても。
そう言いたかったのに俺は眠ってしまったらしい。次の日ケン兄に弱いくせに飲みすぎるなと散々叱られた。