13. 19歳と23歳⑤
しばらくして目を覚ますと額に何かが乗っていた。手を伸ばしてとると濡らした布だった。俺は熱でも出したんだろうか・・・ぼんやりしたまま起き上がるとハジムが少し離れた所で何かを読んでいた。まだ外は明るい。眠っていたのはそんなに長い時間ではないようだ。
起き上がっている俺に気が付くと、ハジムが驚いた顔で言った。
「・・・びっくりした。起きたの? お昼だけど、なんか食べる?」
手、握っててって言ったのに。
「え、何?」
なんでそんな離れた所にいるんだよ。せめて俺の横で読めばいいじゃん。
「何? どうしたの?」
ハジムの問いを無視して近づくと、テーブルに広げてられている資料を指さした。
「・・・なんでもない。その書類なに?」
「この領地のここ百年ぐらいの住民数の推移。ちょっと急激に増えすぎだと思うんだよね。これは食料の生産量について。こっちはそこまで増えてない。」
「・・・仕事してたんだ。」
「当たり前でしょ。」
仕事か・・・無理やり休ましたしこれは仕方ないかもなと思いながらハジムの向かいに座った。確かに百年前より今の人口は倍近い。どうするつもりなのか聞こうとすると扉がノックされサンドラさんが入ってきた。俺の顔を見て顔を顰める。
「ダリッチ、あんたまだこの部屋にいたの。しかもベッドを使ったね? せっかく汚れないように毛布の上に寝かせたのに!」
「俺、そんなに汚くない・・・」
「汚いよ! ここは国王陛下のおつきの人の部屋なんだ。あんたなんかが使っていい部屋じゃないの!」
「あのねサンドラ、私が使えといったんだ・・・」
「坊ちゃんが許可してもあたしは許可してません!」
仁王立ちで睨まれてハジムは黙った。サンドラさん強い。
サンドラさんが俺に向き直って言った。
「それで? ダリッチは良くなったの?」
「うん、まあ多少痛いけど、もう平気だと思う。」
「それはよかった。・・・坊ちゃん、あまりこういうことは感心しませんよ。」
ハジムはまた睨まれている。坊ちゃんか・・・完全に子ども扱いだな。
「うーん、一応仕事なんだ・・・」
ハジムが困った顔をする。俺も慌てて助け舟を出した。
「あの、サンドラさん! 俺は大丈夫なんで。」
「あんたには聞いてない!」
一蹴された。
「あたしは難しいことはわからないけどね、大人が何人もいて子どもだけが怪我してるってどういうことだい? 他にやりようはなかったのかい?」
「すみません・・・」
「俺子どもじゃないし・・・」
小声で抗議したみたが睨まれただけだった。
「全くもう・・・昼食は? ここで食べるの?」
「はい! お願いします!」
サンドラさんは沢山食べる奴が好きだ。元気に返事するとぷりぷり怒りながら出て行った。
「・・・サンドラさんって、あんたにもあんな態度なんだな。」
「まあね、母親よりもサンドラに怒られた回数の方が断然多いよ。・・・ダリッチは完全に子ども扱いされてたね。」
「うーん、あんたが坊ちゃんなら俺も子どもにしか見えないだろうなー。」
その後サンドラさんが大量の食事を持って戻ってきた。どう見ても二人分ではない。
「若いんだからいっぱい食べなさい! 食べれば治る!」
そして、一粒でも下に落としたら容赦しないよ!と言いながら出て行った。
「あんた普段こんなに飯食ってんの?」
「あの人は昔からご飯を食べさせたがるんだ・・・サンドラは心配性だからね。服着替えさせたのもサンドラじゃないかな。後で服の行方聞いてみなよ。」
ああ、眠ってしまった後着替えさせてもらったのか・・・あの人ならやりそうだ。
食事をしながら一度話しかけた人口と食料の問題を話し合った。領主代理は色々考えているらしい。なにも考えていない領主よりはよっぽどいいなと思いながらたらふく二人で食べた。
食器を下げに来たのはまた別のメイドだった。特に何も話すこともなく無言で部屋を出て行った。
「良かったー。また怒られるかと思った。」
サンドラさんがきたらこっそり残した人参を口にねじ込まれていただろう。俺はほっと胸をなでおろした。
「あ、包帯変えるよ。」
思い出したようにハジムが言う。
「自分でやるよ。利き手じゃないからどうにかなるでしょ。」
俺はそういいながら部屋の隅から薬箱を持ってきた。包帯を外すと相変わらず傷口は酷い状態だ。
「・・・火傷だけなら奇麗に治るはずだったのに。」
覗き込んできたハジムが不満げに呟いた。
「そうなの?」
「うん。すぐにちゃんとした治療をすればかなり奇麗に治る。若いし、深さも範囲も大したことないなら。」
なぜか睨まれて俺は目を反らした。
「なんか痒かったんだよ、寝ぼけてたし。・・・って俺が言い訳するのおかしくない?」
それもそうだハジムは笑った。俺は一人で包帯をきれいに巻きなおすことができた。俺ってけっこう器用だよなと満足していると、窓を叩く雨に気が付いた。
「あ、雨」
「昨夜からちょくちょく降ってたよ。・・・けど本降りになってきたね。寒い?」
「いや別に」
そう言ってハジムが立ち上がったので、俺も慌てて立ち上がった。
「どこ行くの?」
「ん? 明かりをつけようかと思って。」
なんだ。どこかへ行くのかと思った。
「そうなんだ。これからどうするの? 仕事?」
「うーん、どうしよっかな。・・・どうしたい?」
「俺は」
言いかけて躊躇った。ハジムは暢気に暇つぶしについて考えているようだ。
「・・・あのさ、話をしようよ。」
「うん?」
「俺の初恋の次の話。ここ座って。」
俺が指さしたソファにハジムは大人しく座った。俺も隣に腰かける。心臓がバクバクする。
「俺の初恋は・・・まあたぶんミカなんだけど、その次は、あんたなんだけど。」
「そうなの?」
「言わなかったっけ。」
「聞いたけど・・・それで?」
不思議そうに聞いてくるハジムに笑うしかなかった。ほんと、俺のこと、全く眼中にないんだな。
「それでって・・・確かに一度諦めるみたいなこと言ったけど、やっぱ無理みたい。」
「そうか」
「うん。だから・・・あんたが俺を好きになることはない?」
「ないね」
俺は乾いた声で笑った。よくもまあ、それだけキッパリと、一秒も考えることなく返事ができるもんだ。
「即答かよ。酷ぇ。・・・結構長いんだよ? 五年も全くその気のない相手を好きなのってすごくない? なんか知んないけどみんな俺があんた好きなの知ってるし。酷くない? 彼女もできないよ。だからさ・・・別に遊びでもいいんだけど。」
言いながら惨めだと思う。だけど、どれだけ言葉を尽くしても、この男に響かないのなら。
「・・・諦めて以外に言える言葉はないよ。ここで君を抱くこともできるけど、それは私にとってあまり意味はない。」
キッパリした言葉に泣けてきた。ここまで言ってもダメなのか。まったく、これっぽちも俺を見てはくれないのか。
「俺は・・・いつまであんたを好きでいればいいの。」
「ごめんね」
ハジムはそう言うと立ち上がった。
「この部屋は好きに使ってくれていい。用事があったらメイドを呼んでくれ。」
そう言ってハジムは部屋を出て行った。
ひどく、冷たく、むなしい。
泣きたくないのに涙が溢れる。俺は一体何をやってるんだろう。こんなことをしても全く意味がないのに。あいつは俺を見ない。目の前にいても、言葉を交わしても。それがたまらなく悔しかった。
遠くに雷鳴が聞こえる。嵐でもきて全部を吹き飛ばしてくれたらいいのに。薄暗い部屋で俺は一人、そんなことを思いながら泣いた。もうやめよう。こんな思いは、無駄なんだ。
その後医者が作った薬は全て押収されたそうだが、医者自体は追い出されず今もミカと一緒に診療所に勤めている。どうかと思うがミカの希望だと言われると俺が言えることは何もなかった。
後日ケン兄から謝られたが笑って水に流すことにした。確かに俺は若くて丈夫だし。痣もすぐ消えたし、火傷だってなんだかすごい勢いで治ろうとしてるし。
俺の手元に残ったのはあの人のシャツ一枚と治りかけの火傷の跡だけだった。
左手をかざし、かさぶたごとが剥がす様に傷口を引っ掻くとすぐに赤い血が出てくる。
治らなきゃいいのになと思った。心が痛いよりも手が痛い方が気が紛れる。もうなんだか疲れてしまった。