12. 19歳と23歳④
部屋に戻るとハジムはまだそこに居た。嬉しくなって俺は一人でペラペラと喋った。夜中に目が覚めて混乱したこと、サンドラさんと誰かが助けてくれたこと。ハジムは大して興味がなさそうだったが俺は一人で話し続けた。
「痛いけど眠いって変な感じだね。手洗いに行こうとしたけど上手く歩けなくて、サンドラさんに掴まったら二人で倒れちゃってさ。結局男の人呼んでもらってその人に掴まって行ったんだ。一人でトイレ行けないって赤ん坊だよなぁ・・・赤ん坊といえばさあ、あんたはどんな赤ん坊だった?」
「はい?」
「覚えてる? あんたなら覚えてるんじゃねーの?」
「流石に覚えてないよ・・・」
「そうなの? 記憶力いいから覚えてるのかと思った。近所に住んでるガキがさぁ、赤ん坊の頃俺に叩かれたこと覚えてるとか言うんだけど・・・」
ハジムはなんだか呆れた顔をしている。
「ねえ、聞いてる?」
俺はソファから立ち上がると勢いよくベッドに座るハジムの横に腰かけた。
「うん?」
ハジムが少し身を引く。
「なんで俺ばっかり喋ってんの? あんたも喋ってよ。」
「そうだね・・・何を話そうか。」
ハジムの目が部屋の中をさまよっている。待ちきれなくて俺が喋った。
「あんたはどんな子どもだった? 初恋はいつ?」
「初恋ねぇ・・・」
そう言ってハジムは考えるそぶりをした。話し出すのを待ちきれずまた俺が喋る。
「いつ? ひょっとしてマリアさんが初恋なの?」
「マリア? どこのマリアさん?」
「あんたのお兄さんのお嫁さん。」
ハジムが呆れた顔をした。
「義姉は・・・別に嫌いじゃないけど、恋はしてないよ。」
「いやしてたでしょ。」
「してないと思うけどなぁ・・・」
ハジムは首を捻っている。自覚がないのか。あんなに優しい顔で見つめていたのに。
「・・・まあいいけど。あんたはアダール様の方が好きだもんな。」
茶化すために言った言葉をハジムはあっさり肯定した。
「それはまあ、そうだね。」
「そこは否定しないんだ?」
「兄弟だからね。普通でしょ?」
「いや、普通じゃないよ?」
俺の知ってる兄弟はだいたい喧嘩ばかりしている。喧嘩はしていなくてもちょっとよそよそしい奴らが多い。いい年してあんなに仲良さそうにしてる兄弟はいない。
「ダリッチ兄弟いたっけ?」
「いない・・・弟が欲しかったけど、貧乏だからダメなんだって。でも、ここに来てからはみんな優しくて・・・兄ちゃんや姉ちゃんみたいな人とか、弟とか妹みたいなやつとか色々いて楽しいよ。前の所は親父が嫌われてたから。」
「そうなんだ。」
「うん、賭博にはまって、酒飲んで暴れて。もうあんまり覚えてないけど夜逃げしてここに来たんだ。母ちゃんがここは賭博禁止の領だって聞いて、ここ以外ならもうついていかないって言ったんだって。・・・まあ色々あったけど、ここに来て良かったよ。まさか俺が役人になれるなんて思ってもみなかったしな!」
ちょっと喋り過ぎたと思って俺は誤魔化すために水を飲みにベッドを離れた。ちょっと楽しくて口が軽くなっている気がする。
「・・・そういえばダリッチの初恋はミカさんなんだっけ?」
俺は思わず飲んでいた水を噴き出した。
「あ、やべ。ソファーにこぼれた。これ高いやつ? 怒られるかな。」
慌てて着ているシャツの袖口で一生懸命ソファーを拭いた。ハジムが追い打ちをかける。
「高いし怒られるよ。」
「マジか!」
俺は急いで着ていたシャツを脱いでソファーを拭いた。
「水だから! すぐ拭いたし大丈夫! ねっ?」
真剣に聞いているのにハジムは笑いを含んだ声で言った。
「そうだね・・・新しい服貸そうか?」
「あ、そういえばこれ俺の服じゃない・・・ひょっとしてこの服も高いの? なんの罠だよこれ!」
ハハハッとハジムが笑った。そしてうっかり笑ってしまったと言わんばかりに笑いをこらえながら続けた。
「その服は・・・ククッ・・・たぶんメイドか誰かが用意してくれたんじゃないかな・・・フフッ・・・なんなら私の服取ってこようか・・・」
「普通に笑いたきゃ笑えよ!」
俺の言葉にハジムが大声で笑いだした。こんな姿は初めて見るかもしれない。それにしても・・・
「泣くほど面白いか・・・?」
呆れている俺の前でハジムは笑い続けた。こいつの笑いのツボはよくわからんな・・・
「あー面白かった。服取ってくるからちょっと待ってて。」
ハジムはそう言って部屋を出て行った。ハジムの服ならまた高いんだろう。もう騙されないぞと俺は自分の服を探した。だが見当たらない。
うろうろして部屋中を探しているとハジムが戻ってきた。
「ねえ、俺の服どこ? 見当たらないんだけど。」
「さあ。誰かが着替えさせて洗濯でもしてくれてるんじゃない?」
「俺そんなに汚れてたの? 血まみれ?」
「違うと思うけど・・・」
ハジムはそう言いながら俺にシャツを手渡した。仕方なく着てみたら俺が普段着ている服より二回りほど大きい。
「・・・なんかデカいんだけど。」
「体格の差だね。」
「俺、あんたとほとんど身長変わんないのに。」
「筋肉でしょ。訓練の量と食事の量の差だね。」
「・・・あんただってあんまり訓練してないじゃん。」
「失礼だな。陰でしてるよ。まあ元々筋肉がつきやすい体質みたいだけど。」
これからは毎日訓練に出ようと思いながら服を着た。でかい。ハジムは思い出したように話し出した。
「・・・ところでミカさんの話だけど。」
「戻んのかよっ!」
終わったと思ったのに!
「子どもの頃の話しろっていったじゃない。」
「俺のはいいんだよ!」
「私の子どもの頃の話でもあるよ。ミカさんってあれでしょ・・・赤髪でポニーテールして、いつも兄に向かってキャーキャー言ってた子でしょ?」
「・・・よく覚えてんな。」
「うん、思い出した。ダリッチがその横ですごい顔でこっちを睨んでたのも。」
「・・・そうだっけ?」
「当時いくつだったかなあ・・・ちょっと覚えてないけど、何年か続いたよね。当時は私も子どもだったから、なんで話したこともない子に睨まれてるのか不思議だったけど、あれ、ミカさんが他の男にキャーキャー言ってたからヤキモチ焼いてたんだよね?」
「・・・領主様一家は平民のことなんて見てないと思ってたよ。」
「見てるに決まってるじゃない。兄さんは当時、領民のほとんどの顔と名前を覚えてたよ。」
「そんな奴いるわけ・・・」
「いるんだよ。それがうちの兄。」
断言されて言い返せずに黙った。確かにアダール様は信じられないぐらい優秀だとみんなが口をそろえて言っている。むしろこの領地でアダール様を悪くいう奴の方が珍しい。
「・・・ミカは当時本気でアダール様と結婚するって言ってたからな。アダール様が結婚して流石に諦めたみたいだけど、今でもアダール様以外の男とは一緒になる気にならないって言ってる。」
「・・・今もミカさんが好きなの?」
「まさか。・・・本気で言ってる?」
俺あんたに好きだって言わなかったっけ? なかったことにされているのか、忘れられているのか・・・なんにせよ、酷い話だ。うまく言葉がでてこず俺は俯いた。
「・・・ダリッチ?」
静かな呼びかけに俺は顔を上げた。頭が眠気でくらくらする。
「なんか眠くなってきたな・・・おかしいな起きたばっかりなのに。」
「熱があるんじゃないの?」
ハジムは立ち上がって俺のの額に手を当てた。
「あれ、熱はなさそうだな。」
「ねむいからねる・・・」
眠すぎて舌がまわらない。なんだかよくわからないが物凄く眠い。俺はもそもそとベッドの中にもぐりこんだ。ハジムも部屋から出て行こうとするので慌てて引き留めた。ハジムは困った顔をしながらベッド横の椅子に腰かける。
「・・・寝るのに人がいてもしょうがないだろう?」
「今日は一日一緒にいるって言ったじゃん。」
「起きる頃にまた来るよ。」
「嫌だ」
俺はあくび交じりにいうと布団から右手を差し出した。
「ここにいて。手、握ってて。どこにもいかないように。」
ハジムは戸惑った顔をしながらも手を握ってくれた。暖かい・・・俺は安心して眠りに落ちた。