11. 19歳と23歳③
目が覚めると夜だった。いつもとは違う部屋にぼんやりと眠る前のことを思い出す。ここは領主様のお屋敷で、あやしい薬を飲んだんだった・・・
起き上がると頭痛がした。体もだるい。やっぱりろくでもない薬だな。
部屋の中は微かな雨音以外なんの音もしなかった。隣の家のいびきが聞こえるような俺の家とはまるで違う。薄暗い中でぼんやりしていると誰かが部屋に入ってきた。
「おや、起こしちゃったかい?」
サンドラさんだった。手には小さな明かりと布のような物を持ってる。
「起きてたならちょうどいいね、ちょっとそこどいて。」
サンドラさんに急かされるままにベッドを降りようとして眩暈がした。
「ああ、具合が悪いならそこでいい。・・・ほら、布を敷いたからここに寝て。」
言われるがままに布かれた布の上に横になった。俺はここで一体なにをしているんだろう。起きたと思ったけど、まだ夢の中にいる気分だった。
ぼんやりとサンドラさんを見上げると、サンドラさんは気の毒そうな顔をして呟いた。
「かわいそうにねぇ・・・ 何か食べるかい?」
可哀想。おれ可哀想なのか・・・ 考えがまとまらないまま頷いた。サンドラさんは部屋を出て行きしばらくするとスープが入った器を持って戻ってきた。体を支えられながら一匙ずつ口に運ぶ。温かくておいしかった。腹が満たされるとトイレに行きたくなった。サンドラさんが手を貸してくれたが、小柄なので俺の体重を支えるのは難しかったらしい。結局もう一人男の人を呼んで俺はその人に掴まってトイレまで移動した。用を足しながら漏らさなくてよかったと思った。色んな意味で。
ベッドに戻るとサンドラさんに髪を撫でられた。なんだかおばあちゃんみたいだなと思いながら俺はまた眠ってしまった。
次に目が覚めると領主代理が俺の顔を覗き込んでいた。あれ、サンドラさんは・・・?
「ダリッチ? 起きてる?」
「うん・・・」
寝ぼけたまま辺りを見回す。ここは俺の家じゃない。ハジムがいる・・・
ハジムが俺の手を取った。久しぶりにこんな近くで顔を見た。奇麗な顔だと思う。みんなアダールさんのことばかり褒めるが、この人だって十分奇麗だ。なんでみんな気が付かないんだろう。
ハジムが俺に背を向けてなにかを準備している。俺はそれを見ながら左手の甲を掻いた。痒い気がしたからだ。
「ギャアッ」
激しい痛みに俺は左手を押さえて呻いた。よく見たら左手に怪我をしている。どうやら傷口を直接爪で引っ掻いたらしい。
「どうしたの? 何があった!?」
ハジムが振り向いて、強引に傷口を抑えている俺の右手を外した。初めて傷をはっきり見た。手の甲に大きな四角い火傷があった。
「何してんだ、馬鹿!」
ハジムが慌てて俺の左手を水の入った桶に突っこんだ。水が染みて痛い。だが火傷なら冷やすべきなんだろう。俺は桶を抱えて呻いた。
「・・・昨日のことは覚えてる?」
気づかわし気なハジムの声が降ってきて俺は顔を上げた。
「覚えてますよー。酷い目にあったんでしょう?」
「そっちじゃなくて・・・なぜそんな目にあったかっていう理由。」
「・・・あの変人医者のせい!」
やっと鮮明に記憶が蘇ってきた。
「っていうかなんで俺がこんな目にあわなきゃいけない訳? これ役人の仕事じゃないでしょ!?」
ハジムが渋い顔をする。
「人選は私じゃない。」
「ケン兄か! あの人俺になんの恨みがあるんだよ!」
確かに調べてくれって言ったのは俺だけど! 薬を調べるためには人に飲ますしかないんだろうけど! ここまで怪我させる必要あるか!?
「・・・食事を用意させるよ。おなかは空いてる?」
おなかは・・・空いている。夜中に少し食べたきりだ。ほとんど丸一日ろくに食べていないことになる。ハジムはベルを鳴らして食事の用意を頼んだ後、俺の手の治療を始めた。
傷口を刺激しないように水気を拭き、塗り薬をぬったガーゼを置く。意外と手馴れているようだ。
「・・・あんたがわざわざ手当してくれんの?」
「私だって一通りの応急処置ぐらい知ってる。」
そういってハジムは包帯を巻きつけて軽く結んだ。
「手、動かせる?」
「いちおう・・・」
「食事の邪魔にならないようにしただけだから。後で医者に来てもらうからその時にちゃんと見てもらうといい。」
左手を恐る恐る動かしてみたが大丈夫そうだ。
「・・・別にそこまでしてもらわなくていいよ。ご飯食べたら家帰るし。あ、仕事行かなきゃ。」
「仕事はしばらく休むと言ってあるから問題ない。」
「え、そんな酷い怪我なの?」
火傷以外にもまだあるのか。見える所はとりあえず大丈夫そうだけれど。
「・・・私が見ていた限りでは、頬を殴られて・・・多分口の中が切れてるんじゃない? あと頭から床に落ちてたんこぶを作った。今内出血で紫になってるから見た目がひどい。それとかなり激しく揺さぶられてたから・・・首に違和感はない?」
「首?・・・なんとなく痛い気がする。」
「頭痛や吐き気なんかは?」
「大丈夫だと思う・・・」
「そうか。時間差で症状がでる場合もあるからなるべくじっとしておいて欲しい。あとその左手の火傷は熱した火かき棒を押し付けた跡だ。」
「酷いことするねぇ・・・」
俺はしみじみと左手の包帯を見つめた。痛いと思ったらそこまでやってたのか。
「申し訳ないと思ってる。」
「あんたが殴ったの?」
「いや・・・でも命令したのは私だ。お詫びと言ってはなんだが、叶えたいことがあるなら聞くよ。」
「・・・なんでも?」
「・・・なんでもではない。」
そこはなんでもって言えばいいのに。少し楽しくなって俺はベッドから立ち上がった。
「よく見たらすごい豪華な部屋だね。俺この部屋入ったことなかったなー。」
「王族御一行が泊まる部屋だからね。」
部屋の隅に鏡を見つけ覗き込むと、酷い顔の自分が映っていた。
「すげぇ! ひっどい顔! どうしよっかな。木から落ちたって言おうかな。」
殴られた顔は腫れてるし、唇の端は切れてるし、額にはむらさきの痣がある。もう笑うしかなくてゲラゲラ笑っているとハジムが心配そうに俺を見た。心配してくれるのかと思うと何だか嬉しくなって余計にゲラゲラ笑ってしまった。
ノックの音がしたので扉を開けるとユリさんが立っていた。俺を見て顔を顰めたが何も言わなかった。流石だねえ。
運ばれてきた朝食はやっぱり美味しかった。傷に顔を顰めながらバクバク食べる俺を、なぜかハジムはぼんやりと離れた所から見ていた。食べられるかどうか心配してくれてるんだろうか。
ユリさんも忙しいのか退室してしまい、部屋には俺とハジムの二人きりだった。まだ雨が降っている。
俺が食べ終わるころハジムは思い出したように立ち上がった。
「じゃあ・・・私はこの辺で。」
立ち上がって部屋を出ていこうとするのでとっさに引き留める。
「どこ行くの?」
「え? 仕事だけど。」
「人には仕事するなって言っといて?」
「・・・私は怪我人じゃないし。」
「俺だってそんな大した怪我じゃないよ。でも、この顔で外に出ないで欲しいって気持ちはわかる。どう見たって殴られたツラだもんな。でもさ・・・俺暇じゃん?」
ハジムは黙って首を傾げた。かわいい。
「だから今日はあんたが一緒にいてよ。」
ハジムはよくわからないといった顔をしている。
「・・・なんでもいう事聞いてくれるんでしょ?」
ハジムは少し迷ったようだがため息をついて言った。
「一日だけね。」
やった! 俺は慌てて朝食の器を手に立ち上がった。
「じゃあこの器返してくるよ! 昨日夜に起きた時スープ少し飲ませてもらったんだ。お礼も言いたいし行ってくる!」
すっかり嬉しくなって俺は急いで部屋を出た。ハジムの気が変わらない内に早く戻らなくてはいけない。
厨房に行くとまたユリさんがいた。
「あんた何やってんのよ?」
呆れた顔をしているが同時に心配もしてくれてるらしい。周りの厨房スタッフも俺の顔を見て驚いている。
「仕事だよ! 」
俺は心配させまいと笑顔で言ったが、ユリさんはぴくりとも笑わなかった。
「なんの仕事よ・・・」
「えーっと、説明しずらいんだけど、俺は大丈夫だから! 領主代理様が直々に看病してくれるみたいだし!」
「・・・それで嬉しいのあんただけでしょ。」
ユリさんがようやく少し笑った。
「うん、俺は嬉しいし大丈夫だから! サンドラさんにもそう言っといて! あと昨日助けてくれた男の人にも。眠すぎて誰だかわかんなかったけど!」
俺はそれだけ言うと急いで部屋に戻った。早くしないとあの人はいなくなってしまう気がした。そんなの駄目だ。こんな怪我までしてやっと手に入れた一日なのに。